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誰もが戦争の暴力から家族を守るために逃げようとしていた。戦時下のウクライナの記録。アンドレイ・クルコフ『侵略日記』冒頭公開

小説『ペンギンの憂鬱』『灰色のミツバチ("Gray Bees")』の著者で、2014年のマイダン革命を『ウクライナ日記』に書き記したアンドレイ・クルコフが、2022年2月に始まったロシアとウクライナの戦争について、国内避難生活のさなかに書いたノンフィクション『侵略日記』の日本語版が発売されました。同年 7 月までの戦時下のウクライナの日々が、作家の観察眼で生々しく綴られた貴重なドキュメントです。

▼『ペンギンの憂鬱』の著者による戦時下のウクライナの記録。アンドレイ・クルコフ『侵略日記』10月26日(木)発売

その冒頭をここに公開します。


まえがき

 二〇二二年二月二四日は、ほとんど何も書けなかった。キーウに響き渡ったロシアのミサイルの爆発音で目覚めた私は、自宅アパートメントの窓辺に一時間ほど立ち尽くして人気ひとけのない街路を眺めやり、戦争が始まったと気づいたが、この新たな現実をまだ受け止められなかった。続く数日間もやはり何も書けなかった。車でまずはリヴィウに、それからカルパチア山脈をめざした移動は、果てしない渋滞で想像を絶する長旅になった。国内の他のあらゆる地域からの車の波が、西へ続く道という狭い漏斗めがけて押し寄せていた。誰もが戦争の暴力から家族を守るために逃げようとしていた。

 ウージュホロドに到着し、友人宅に迎えられて、ようやく私は他人のデスクに向かい、パソコンを開いた──書くためではなく、これまで二か月間書いてきたメモや文章を読むためだ。その中に私は、この戦争の兆候を見つけようとしていた。予想よりもずっと多くのものが見つかった。

 ウクライナはこれまで、世界的に第一級のチェスプレーヤーを輩出してきた。優れたプレーヤーは、何手も先を見越す。おそらくウクライナ人は、この能力を遺伝子の中に持ち合わせているのだろう。この国の激動の歴史を生き抜くために、人々は自国の未来と家族の未来を何年も先まで見越して計画を立てる必要に駆られてきたからだ。

 劇的な経験をすると、未来を劇的に理解するようになる。だが、あたかも言い得て妙な小話のように、ウクライナの国民性はロシアのそれと違って、運命論とは無縁だ。ウクライナ人が落ち込むということは、まずあり得ない。ウクライナ人は困難な状況でも、勝利を求め、幸福を求め、生きのびることを求めるように、そして人生を愛するようにプログラミングされているのだ。

 大災害や悲劇のさなかに、血みどろの軍事作戦のさなかに、努めて楽天的であろうとしたことはあるだろうか。私はそう心がけてきたし、今後もその姿勢を崩さないつもりだ。私は民族的にはロシア人で、ずっとキーウで暮らしてきた。私は自分の世界観に、行動や人生に対する態度に、一六世紀、まだウクライナがロシア帝国の一部になっていなかった時代の、ウクライナのコサックの世界観と行動の影響を感じる。当時、ウクライナの人にとって、自由はきんより大切だった。あの時代が戻って来て、ウクライナ人にとって自由はまたもやきんより大事なものになっている。

 この戦争のせいで、私と私の家族は自宅から追いやられた。私は、強制的に移住させられた何百万ものウクライナ人のひとりとなった。だが、この同じ戦争が私に、ウクライナとウクライナの同胞をより良く理解する機会を与えた。私は数百人の人々と出会い、数百の物語を聞いた。以前はわからなかった、ウクライナについての事柄への洞察が与えられた。この悲劇の月日の間、ウクライナ人は自国と自国民についてたくさん学び、理解してきた。このような発見をするのに戦争は最適な時期ではないが、この戦争がなければ、こうした発見もできなかっただろう。

 この日記は、今回の戦争が始まる二か月前に私が書いた文章から始まり、その後に戦争中の記録とエッセイが続く。これは私的な日記であり、この戦争についての私の個人的な歴史でもある。これは私の物語であり、私の友人たちの、知人たちの、見知らぬ人たちの物語であり、私の国の物語である。

 総合的には、これはロシアがウクライナを侵略した記録であるだけでなく、ロシアから押しつけられたこの戦争──と、独立国としてのウクライナを滅ぼそうとするロシアの企て──が、いかにウクライナのナショナル・アイデンティティ強化に寄与したかという記録でもある。この戦争はウクライナを、世界から見てよりわかりやすい国にした──ヨーロッパの一国家としてよりわかりやすい、より受け入れられやすい国にしたのである。

二〇二一年一二月二九日
デルタよ、さようなら! こんにちは、オミクロン!

 デルタよ、さようなら! こんにちは、オミクロン! これが新年を迎える前のウクライナのムードだと言えるだろうし、ヨーロッパも世界もたどる道は共通する。共通する価値観と敵は、地政学的孤立に対する最強の武器である。しかし、新年の国民のムードが、何か輝かしく混沌とした政治的決断でにぎわうのでなければ、ウクライナはウクライナたり得ないだろう。国家権力の「オーケストラ」、つまり内閣が、新しい法案を花火のごとく空に向かって打ち上げているので、誰もがその刺激的な光景を見上げて驚いている。

 ウクライナの人たちというのは、何かしら語り合い、議論し、反対を唱える話題には全く事欠かないようにできている! 国防省が一八歳から六〇歳までの、ほぼすべての女性を兵役登録するという決定をしたとき、ロシアとの戦争の可能性についての話題が新たな活気を帯びてよみがえり、あらゆる家庭の台所に入り込んだ。どうやらこれが、ウクライナ人の戦争への恐怖心を再びかき立てる唯一の方法だったようだ。国民は既に、戦争を恐れることにもう飽き飽きしていたのだから。

 二〇一四年、クリミア併合のさなかに、ロシアの軍隊が他国の領土で戦うことを認める議決をロシア連邦議会下院が行なったときにはぞっとしたものだ。以来、ドンバス地域では事実上、ウクライナとロシアの戦争が続いてきた。

 だが、ドンバスにロシア軍がいるという証拠は別の形でも現れた。ひとりの兵士が麻薬の効いた状態で、おぼつかない足取りでウクライナ軍の敷地内に入り込んできた。この男はウクライナ保安庁の事情聴取に対し、上司のロシア軍将校たちからいじめられていると泣き言を言ったのである。

 いうまでもなく、女性を兵役登録するとの国防省の発表に、ウクライナの男性たちは当惑している。そして女性たちもこれが気に入らず、特に、妊婦も幼い子を持つ母親も二〇二二年末までに登録されることになると明らかになってからはなおのこと。そのうえ、この期限までに登録を済ませられなかった女性には、かなりの罰金が科せられるという。要するにこの法案は、敵に対するウクライナ社会の新たな結束をもたらすどころか、この国の軍首脳部の能力について活発な議論を巻き起こしたのだ。

 おそらくこうした論争のガス抜きのためだろうが、当局は別の法案で国民をさらに混乱させる決断をした。それは環境省が出した法案で、保護対象の天然資源に損害を与えた際の罰金増額である。その法令には各損害に対する罰金額がそれぞれ明記されており、普通のカエルを殺した場合(一匹当たり一四フリヴニャ)、無許可でキノコを採取した場合(キノコひとつ当たり七五フリヴニャ)、野生の木の実を違法採取した場合(一キログラム当たり一一五四フリヴニャ)、といった具合である。

 女性の兵役登録に関する決定を擁護する人たちは、男性と対等に女性が兵役に就くイスラエルの例に即して議論する。保護対象のカエルやキノコ、木の実の件を擁護する人たちが、似たような戦術を取っていないのは残念なことだ──例えば、スイスの「キノコ警察」を引き合いに出すとか。「キノコ警察」は、森でキノコ狩りをした人の収穫高を量る権限と、その収穫高がスイスの法律で許可されている量を上回った場合に罰金を科す権限を有している。

 概して私は、ウクライナにはイスラエルよりもスイスの例に倣ってほしいと思う。これが私の、自国に対する新年の願い。

 ところで、私は振り返ってみて考える。二〇二一年から二〇二二年に切り替わってほしくないものは何だろうか。そう、もちろん以前からのガス料金と電気料金。だが経験上、新年にはいつもすべての価格が改まることがわかっている。だから現実的なところとして、キーウのコーヒー店のコーヒーの質は変わらないでほしいと願う。

 フランス、イタリア、スペインのワインの品揃えが落ちてほしくはない一方で、ウクライナのベッサラビア産とザカルパッチャ産のワインが新年も引き続き、味と質で私たちを楽しませてくれるといいなと思う。それから、ウクライナのチーズ生産者と、おいしい農産物を作る小規模な職人気質の生産者たちの新たな成功も願いたい。ウクライナ人にとって、食物の味は非常に大事だ。おいしい食物があるからこそ、ウクライナ人は政治の現実に妥協できる。これが我々の歴史であり、精神性なのだ。

 作家ゆえ、私は新年の喜びとは異なるものを伝えずにはいられない。小さいが注目を集めている「本のロビー団体」が、ワクチン接種を完了したウクライナ市民がもらえる一〇〇〇フリヴニャで買うことのできる対象商品・サービスに、書籍も加えるよう政府を説き伏せたことだ。この「Covid 1000」の事実上の小切手はおよそ八〇〇万枚が既に発行されており、ワクチン接種したウクライナの人々がネット書店に群がって、そのお金で文芸作品を買い求めた。ウクライナの出版社の半数は、このおかげで破産を免れて、そして新たな、いささか喜ばしい問題を抱えることにもなった。出版社は、絶版の本を至急増刷しなくてはならない。唯一の問題は、紙不足と印刷会社不足だ。これは問題であり、同時にインセンティブでもある。そのうえ、二〇二二年の国家予算に、ワクチン接種者への「Covid 1000」ギフト分が、もう一八〇億フリヴニャ組み込まれたのだ。まもなく、ワクチン接種したウクライナ人は未接種のウクライナ人より読書量が多い、と言っても差し支えないことになるだろう。

 ということで、ワクチン接種者への報奨は二〇二二年も続くだろうし、マスク着用、入念に選んだオリガルヒに対する闘い、外国投資の保護の約束、そしてQRコード──公空を飛行したりレストランに入ったりする権利の裏付け──も同様に新年も続くだろう。

 二〇二二年を存分に楽しもう。そして私たち全員に神のご加護がありますように!

二〇二二年一月三日
「戦争には触れないで!」

 毎年一二月三一日の、年が明ける一〇分から一五分前に、ウクライナ大統領がテレビで国民に祝辞を述べる。このソ連時代の伝統は、他のいくつかのソ連の習慣や風習と同じくすんなりとウクライナに根づいた。二〇一五年までは、ウクライナの多くの人は、まずウラジーミル・プーチン大統領がロシア国民に向けて述べる祝辞を午後一〇時五〇分に聴いてから、その一時間後にウクライナ大統領の祝詞に耳を傾けていた。ドンバス地域での戦争勃発とクリミア併合の後、ウクライナのロシア系テレビチャンネルは閉鎖され、それに伴いプーチンの年頭の挨拶を聴くこともなくなった。以来、ウクライナ大統領だけが年越しの演説をする。二〇一八年に、最も人気のあるチャンネルのひとつでありウクライナの有力オリガルヒ、イーホル・コロモーイシキイがオーナーのテレビ局で、当時の大統領ポロシェンコの代わりに、テレビコメディアンのウォロディーミル・ゼレンスキーが国民に祝辞を述べたのも事実だ。彼は同時に、大統領選への出馬宣言もしたのだった。

 今年は、かつてはウクライナ第五代大統領ペトロ・ポロシェンコが所有し、現在はそのテレビ記者たち自らが所有するチャンネルで、ポロシェンコが二〇二二年の始まりの直前にウクライナ国民への新年の祝辞を述べた。同テレビ局はその後、夜中の一二時直後にウォロディーミル・ゼレンスキーの祝辞を放映したのである。

 放映されたゼレンスキーの年頭の挨拶は、二一分間に及んだ。誰もが忍耐強く最初から最後まで視聴するわけではないと承知している大統領府は、ウェブサイトに演説の全文を掲載した。大半は達成済みの事柄と未解決の問題についての報告だったが、この国で最も重要な職業を列挙する場面もあった。軍人、医師、教師、スポーツ選手、炭鉱労働者等々である。また、明らかにロシアに対するメッセージとして、大統領は「近隣の方々には、(ウォッカの)瓶と肉のゼリー寄せ持参でいらしていただきたい。武器持参で突撃してくるのではなく」との願望を述べた。戦争への言及はこれだけだった。ロシアがウクライナとの国境に、戦う気満々の大規模な部隊を配備し、兵站、野外病院、戦車やその他設備への燃料補給用可動式施設までも揃えている事実に、大統領は触れなかった。しかし、これはもう常識なのであり、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の可能性は、めでたい席上で好まれる話題では到底ないだろう。

 ゼレンスキーの新年の演説は、その記録的な長さにもかかわらず、ここから鮮やかで印象的な引用句を取り出すことはできない。私が異議を唱えたい、というか、少なくとも賛成しかねる箇所がひとつだけある。それは「我々は、自国の問題を世界が解決してくれるのを待っているのではない」というフレーズだ。

 ボリス・エリツィンは、ロシアとウクライナは一緒でなければ存立し得ないと信じて疑わない人だったが、こう発言したとして一時有名になった。「朝目覚めて、私は自分に問うた。お前はウクライナのために何をしたのか?」今、バイデン大統領とヨーロッパの多くの国のリーダーたちが、目覚めてこれと同じ思いをしていると私には思われる。バイデン大統領はこの二週間で、プーチンとの二度めの電話会談を行なった。会談のたびに、バイデン大統領はその後数日かけて考え、それからようやくウクライナ大統領に電話をして会談の内容と結果を伝える。一方、クロアチアは、ウクライナのEU加盟への展望に関する宣言に調印し、エストニア大統領はウクライナに武器支援をすると約束した。ドイツだけが、公にウクライナへの武器供与に反対している。ドイツ外相は、ウクライナに武器を売れば戦争の可能性が高まりかねない、と発言した。実のところ、ロシアとウクライナが戦争になったら、ロシア・ドイツ間の天然ガス・パイプライン「ノルドストリーム2」開通の可能性が遠のくし、ドイツは、そしておそらく他の西欧数か国も、そんな事態は是が非でも避けたいと思うだろう。

 もちろん、ウクライナは北大西洋条約機構NATOに加盟招待されていないが、NATO諸国の兵器(対戦車ミサイルのジャベリンとトルコ製攻撃ドローンの両方)は既にウクライナに届いていて、前線に配備済みである。トルコと米国の両国は、ウクライナにいつでも武器を売る用意がある。トルコは、戦闘用ドローンの製造工場をキーウ近郊に建設する支援までしている。ロシアにはこんなドローンはない。トルコの攻撃ドローン「バイラクタル」が初めてドンバスの分離主義勢力に対して使用されて、ロシアはこのウクライナの攻撃に禁止兵器で反撃した直後、ウクライナが西側諸国の兵器を使って、分離主義勢力が占領したドンバス地域の一部を奪還する計画をしていると言い出した。この口実のもと、ロシアは国内全域から集めた戦車部隊と大砲をウクライナとの国境へ送り始めた。国民から正当な承認を得てはいないベラルーシの大統領ルカシェンコは、ロシア・ウクライナ戦争が起こった場合には、ベラルーシ軍はロシア側につく、とすぐさま声明を出した。ということは、戦線はウクライナの北東地域の国境全体に延び得る──三〇〇〇キロメートル以上になり得るわけだ。そしてこれは、ロシア軍艦が軍隊を上陸させることのできるアゾフ海に沿った、数百キロメートルに及ぶ海の国境線を含めていない数字だ。現在のドンバス地域における前線は、約四五〇キロメートルの長さである。

 一方、キーウに五〇〇〇か所あるすべての防空壕の点検が行なわれ、警報や重要な公的発表用の市内アナウンス設備も同様に点検が済んだ。しかし、こうした動きのどれにも、市民は全くパニックを起こさない。「ロシアとは、もう八年も戦争状態にあるんだからね!」と誰かが言う。「プーチンは、西側諸国へのはったりと脅迫をずっと続けているのさ!」と別の者が言う。両者とも正しい。しかし、ロシアが西側諸国に、ウクライナに侵攻しないとの保証を拒んでいるのも事実だ。

 ところが、キーウは動じないままである。レストランとカフェは満員。ピザとスシの配達員が、自転車で、原付バイクで、電動キックボードで、はたまた自らの足で、街路を疾走する。キーウ市民は大忙しで新年を祝っている。私が住んでいるキーウ旧市街の〈黄金の門〉は、世界で最も「クールな」都市部トップ一〇〇の一六位にランクインした。娘の友人はロンドンから、新年を祝うためにやってきたのだが、キーウとこの旧市街に惚れこんだ。自宅のある短い通りには、ひげを整え、ウィスキーも飲める理髪店が四軒あり、ワインバー三軒にカフェが六軒あって、地下フロアを備えた小さなフードコートも一か所ある。ここの地下はかつては水泳プールで、改装された今では、座ってカフェラテを飲める。私が暮らしている建物には、バー、カフェ併設の画廊、画材店、それに洋裁学校が入っている。年末の一〇日間で、我が家から通りを隔てた場所にある小さくて居心地のいい公立庭園が、市の予算からの支出で、クールな──コールド寒いではなくて──コンクリートに覆われた、パーヴェル・シェレメトの名にちなんだ記念公園に変わった。パーヴェル・シェレメトはベラルーシのジャーナリストで、モスクワからウクライナへ逃れてきて近くの通りに住んでいたが、その路上で、二〇一六年七月二〇日に殺害された。下手人たちは彼の車の下に爆弾を仕掛けるだけで良かった。彼が家から車を発進させたとたん、爆発したのだった。

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 妻と私はこの爆発音を聞いた。夏の早朝のことで、ウクライナでは「ロシア・ウクライナ戦争」と呼ばれている、ドンバス地域での戦争が三年めに突入していた時期だったが、あれが私の人生で唯一の、キーウで聞いた爆発音だった。

 戦争勃発当初に分離主義勢力の砲撃で部分的に破壊された小さな町スタニーツャ・ルハーンシカに残っていた住民たちは、二〇一五年以来、多かれ少なかれ平穏に暮らしていた。だが実のところ、戦争前は人口一万二○○○人だったこの町全体がちょうど境界線上にあり、すぐ向こうは分離主義勢力が占領するルハーンシクという状況下なのだ。そして昨年秋に、ここ六年で初めて、スタニーツャ・ルハーンシカの一般市民宅の屋根に再び砲弾が着弾した。これが起きたのは、ロシアがドンバス地域に、そしてウクライナとの国境に向けて戦車や大砲を備えた部隊を送り出すよりも前のことだ。

 ドンバスでは、交戦の激化と範囲拡大が常態化しているが、それでもいつもは、分離主義勢力とそれを指揮するロシアの指揮官が砲撃対象とするのは、ウクライナの軍事施設であって一般市民の住居ではない。

 前線の地域では、始まるかもしれない戦争についての考えはキーウのそれとは異なる。彼らは戦争を良く知っていて、それゆえ心底恐れている。二〇一九年の大統領選の際、ここの住民はウォロディーミル・ゼレンスキーに投票した。彼は、この地でのロシアとの戦争を一年以内に終わらせ、ウクライナに安定と繁栄を取り戻すと約束したのだ。ゼレンスキー大統領の任期三年めの年に、「大戦」は以前よりもずっと近づいているように思われる。

 とはいえ、大多数のウクライナ人は何に対しても──ロシアにも、新型コロナウイルス感染症にも(夏からは、ワクチンは幅広く入手可能となっているのに、大人の半数以下しか接種を受けていない)あまり恐がっていないらしい。世論調査から判断すると、ウクライナ市民が最も恐れているのは貧困である。だからこそ、一〇〇万人以上の市民がポーランドへ出稼ぎに行っているのだ。チェコ共和国、スペイン、ポルトガル、イタリアへの出稼ぎは、数十万人以上。働き者のウクライナの人々は、デンマークにまで出て行った。今やデンマークの農場で働くウクライナ国民は、数千人にのぼる。数百万のウクライナ人が外国で暮らし、稼ぎをウクライナに住む大事な人に定期的に送っている。ゼレンスキー政権は何度か、こうした送金への課税計画を発表している。何といっても、数十億ユーロの話だ。西ウクライナの半分が、外国にいる身内の稼ぎで生活している。そしてどうやら暮らし向きがとてもいい(し、日常的な爆撃からもはるかに遠い)ので、東ウクライナの住民は、伝統的にはロシアに出稼ぎに行っていたが、やはり行き先を西欧諸国に変えた。ロシアでは今、ウクライナからの出稼ぎ労働者が以前よりかなり減っている。そして親ロシア感情の砦である東ウクライナが西側を向き始めたのなら、これもまたロシアがいらつく理由となるわけだ。

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 ウラジーミル・プーチンは、ドイツ人がロシア帝国を分割するために、一九一八年にウクライナをこしらえたと以前発言したことがあったが、昨年末に考えを変え、ウクライナはウラジーミル・レーニンが作ったものだと述べた。どうやら彼がこう言ったのは、ロシアはヨーロッパよりもウクライナに口出しする権利があると示すためだったようだ。ウクライナはロシア大統領の強迫観念であり、彼は夜も眠れないほど、目覚めている間も他のことを考えられないほどそれにとらわれている。彼の政治の同志たちがロシアのテレビで、キーウを爆撃するとか、ウクライナを三分割するとか、あるいは西ウクライナを除く全土を占領するとか、はたまたオデーサ市からトランスニストリアまでの沿岸地域を占領するとか、毎日そんな提案をしている。チェチェン共和国の首長ラムザン・カディロフは、自身がウクライナを占領し、チェチェンに併合する案を提示した。実際は、彼は後になって、プーチンに頼まれた場合に限りそうすると補足したのだった。

 プーチンは、自国軍に攻撃を開始せよと命令するだろうか。これは二月初旬までにはっきりするだろう。少なくとも軍事と政治の専門家たちは期限についてそう提示している。それまでにはアメリカとロシアは三回会談を行ない、状況について議論し、両国関係の未来、そしてウクライナの未来について話し合っているはずだ。この会合には、ウクライナの代表は同席を求められないだろう。

「我々は、自国の問題を世界が解決してくれるのを待っているのではない」ゼレンスキー大統領は、年頭の挨拶でこう述べた。

 私としてはそれを待っているし、むしろ当てにしているのである。

(続きは本書でお読みください)

著者/訳者プロフィール

著者:アンドレイ・クルコフ(Andrey Kurkov)
キーウ在住のロシア語作家。1961年ソ連のレニングラード州ブードゴシチに生まれ、3歳のときに家族でキーウに移る。キーウ国立外国語教育大学卒業。オデーサでの兵役、新聞や出版社の編集者を務めるかたわら、小説やシナリオを執筆。1996年に発表した『ペンギンの憂鬱』が国際的なベストセラーとなる(邦訳は沼野恭子訳、新潮クレストブックス)。著作は30以上の言語に翻訳されている。日本では『大統領の最後の恋』(前田和泉訳、新潮クレストブックス)、『ウクライナ日記』(吉岡ゆき訳、ホーム社)も紹介されている。2014年フランスのレジオンドヌール勲章。18年から 22年までウクライナ・ペン会長。22年、本書でドイツのゲシュヴィスター・ショル賞を受賞。
X:@AKurkov

訳者:福間恵(ふくま・めぐみ)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程(現代文芸論)単位取得満期退学。記事翻訳・出版翻訳を手がける。訳書に『英文創作教室』(共訳、研究社)、『作家たちの手紙』(共訳、マール社)、『アニマル・スタディーズ』(共訳、平凡社)などがある。

【アンドレイ・クルコフ『侵略日記』冒頭公開】

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