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台所の妖怪|千早茜「しつこく わるい食べもの」第4話

※本連載が書籍化します。千早茜『しつこく わるい食べもの』2021年2月26日発売

 数年前、知人や友人がいっせいに炊飯器を捨てたことがあった。「断捨離」とかいう言葉が流行(はや)った頃だったと思う。いまも流行っていたらすみません。
「炊飯器、捨てたよ!」「俺も!」「なんかすっきりするよね」「よく考えたら邪魔だったわ」そんな会話を聞いて震えあがった。米を……きらきらと輝く炊きたての米を……人生から断ち切ったのですか……? あな恐ろしや、と思ったが、米食をやめたのではなく炊飯を手持ちの鍋ですることにしたようだった。

 炊飯器は場所を取るし、鍋で代用すれば調理器具も最小限で済む。というのが、彼らの炊飯器「断捨離」の主張だった。ワッフルメーカーやたこ焼き器、チョコフォンデュ鍋といった、その料理だけに特化した調理器具は買った当初は盛りあがるものの、いつしか飽きて収納スペースを奪っていく邪魔者になる。人参しか切れない包丁やじゃがいも専用のボウルがないように、それだけのための調理器具というものは効率が悪い。そういう点では炊飯器も「米を炊く」ためだけの調理器具なので例外ではない(炊飯器でケーキや煮込みなんかも作れるようだが、あくまで例外的な使い方とみなして続ける)。

 ただ、気になったのが炊飯器を捨てた人たちのなかに「持たないことがお洒落(しやれ)」といった空気をだしている者がいたことだ。確かに、自然に寄りそう暮らしを提案する雑誌にも、有名人のモダンなキッチンにも、炊飯器はあまり似合わない。あったとしてもわざわざ撮らないだろう。蒸気が吹きだし、蓋がパカとひらく構造なので上になにも載せられず、肥えた猫のようにデンと鎮座する炊飯器は台所の主(ぬし)のようで、所帯じみたイメージがある。捨てたいのは炊飯器ではなくそのイメージなんじゃないのか、どうせ炊飯器の代わりにポップな色のル・クルーゼ鍋なんか買うんだろ、と拗(す)ねた気分になった。

 なぜ炊飯器に感情移入してしまうのか。
 たぶん、私は炊飯器が好きなのだ。どうデザインしてもずんぐりとしてしまう見た目が、炊きあがりを報せる場違いな電子音が、そして米しか炊かないという融通の利かなさが。自らを重ねているのかもしれない。その証拠に、粥用の土鍋を大小二つ持ち、ときどき鋳物鍋(いものなべ)で米を炊いたりするくせに、炊飯器を手放そうと思ったことは一度もない。食べものの保温という状態が苦手で、保温機能を使わないくせに炊飯器で日々の米を炊く。

 炊飯器はなんだか妖怪っぽい。妖怪とは事象だ。例えば、「塗壁(ぬりかべ)」は暗い夜道で歩行が妨げられる現象で、それに水木しげる大先生が「ぬりかべ~」と灰色の壁に目が二つの姿を与えた。「小豆(あずき)洗い」は川辺で聞こえる小豆を洗っているような音だ。なぜか禿げて腰の曲がった爺さんらしき姿を与えられている。本来、塗壁も小豆洗いも目には見えない。塗壁は夜道で人をとどめ、小豆洗いは小豆を洗う。それしかしない。なぜそんなことをするのか。小豆を洗ってどうするのか。妖怪には理由や目的なんかない。人間じゃないんだから。小豆洗いが小豆の代わりに米を洗えば、それはもう小豆洗いではなくなる。米を洗う「米とぎ婆(ばばあ)」という違う妖怪があるそうだ。それ、妖怪か……? ただの、自炊している老婆では……それとも「猫又(ねこまた)」のように、人も長く生きると妖怪枠に入ってしまうのか。
 それはさておき、炊飯器も妖怪と似た特性を感じる。

 米を洗って入れ、ピッとスイッチを押せば、ほかほかのご飯ができる。火加減を見てやらなくても、疲れはて床に転がっていても、心を癒す炊飯アロマをしゅうしゅうと吹きながら、米を炊いてくれる。出番がなければ台所の隅っこでむっつりと黙っている。鍋の代わりにもフライパンの代わりにもならない。味噌汁にも、おかずにも協力しない。米に対して非常に一途(いちず)だ。そうかと思えば、洒落た土鍋と違い、食卓にはあがろうとしない。人間がお代わりをしにくるのを台所でじっと待っている。あくまで米を炊くだけの存在で、そこにしかアイデンティティを見出していない。

 炊飯器は頑なで、なんか、いじらしい。お洒落で、なにもないキッチンを見ると、炊飯器どこだよ、と思う。埃と油でところどころベタついたあいつが、どっしり鎮座していないとどうも落ち着かない。台所という、生活と胃袋を支えてくれる場の感じがしない。
 炊飯器を捨ててしまった人たちはどう感じているのだろう。台所の主の存在をすっかり忘れて生活しているのだろうか。

 ある夜、家中の人間が眠りについた頃、しゅうしゅうと米の炊ける匂いが漂いだす。鼻をひくつかせ夢かと思っていると、高らかに鳴りひびく電子音。「あれっこれ、なんだっけ?」「なんか懐かしい」「あ、ご飯が炊けた音だよ!」台所に行くと、炊飯器の姿はない。
 いつかそんな体験談が語られるようになったら、炊飯器はしんじつ妖怪になれるのだろう。どんな姿を与えられるのか想像しながら、今日もピッと炊飯スイッチを押す。

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illustration 北澤平祐

連載【しつこく わるい食べもの】
更新は終了しました。

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。

※この記事の初出はHBの旧サイトです(2019年9月11日)。


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