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第1話 僕たちはなぜ、水曜日に働くことをやめたのか 宇野常寛「水曜日は働かない」

宇野常寛さんの連載エッセイ「水曜日は働かない」が単行本になりました。


 2019年の7月24日の、たぶん午前11時30分ごろ。僕たちは毎週水曜日に働くことを、やめた。

 それは夏の、暑い日の朝だった。僕と相棒のT氏は朝いちばんで集まって、10キロのランニングを終えた。見上げた空はピーカンで家から一歩出るともう、それだけで茹で上がるような気分になっていた。僕たちはビルの谷間の日陰を選んで、身を隠すように走った。それでも走り終えたときは全身から汗が吹き出して、雨上がりの傘のようになっていた。コンビニに駆け込んで、僕はオールフリーの350ミリリットル缶を、T氏はストロングゼロレモンの500ミリリットル缶を買い求め、そして乾杯した。そして厳かに誓い合ったのだ。水曜日は働かない。僕たちは決して水曜日は働かないことにしよう、と。

 なぜこのような結論に達したのか。それを説明するためには、まずは僕と相棒のT氏の関係について説明する必要があるだろう。
 T氏はもともとはある出版社の書籍編集者で、10年ほど前から僕の本を担当していた僕より少し年上の男性だ。仕事を通じて個人的にも親しくなり、6、7年前はよくつるんでいた。多いときは週二回から三回のペースで会っていたと思う。僕は当時から今までずっと高田馬場に、彼は当時早稲田に住んでいて家も近かった。そして当時の僕たちはどちらも夜型で、大体夜の22時とか、23時とか、仕事が一段落ついたところでどちらからともなく連絡を取り、そして大体は新宿か神楽坂の店に出かけた。
 店は決まっていなかった。酒を飲まない僕は禁煙であればどこでもよく、ヘビースモーカーのT氏はそれがひどく不満のようだったが同じくらい酒も好きだったので酒が飲めればどのような店でも文句は言わなかった。なので人生を半分降りたような熟年たちの集うたぶん店主と常連客はシックで上品だと思っているであろう気取ったバーに半分嫌がらせのつもりで居座ることもあれば、ぱっと見なにも考えておらずその実ほんとうに何も考えていない学生たちに交じって24時間営業のファミリーレストラン(意外とアルコールを提供する店も多い)で朝を迎えたこともあった。
 あと、僕たちはよく深夜の都内を歩いていた。深夜に高田馬場から四ツ谷、麹町あたりまでただ話しながら散歩することが多かった。都内が大雪に見舞われた日の夜は、靖国神社に見物に出かけたりもした。休憩によく使っていた歌舞伎町の24時間営業の喫茶店では、ホストやキャバクラ嬢や限りなく反社会的勢力に近しい何者かたち、およびほぼ間違いなく反社会的勢力の構成員と思しき人々に囲まれながら延々と話し込んでいた。話にも特に一貫性はなく、エヴァンゲリオンの新作映画の話をしていたかと思えば10分後には深センのメイカーズのことを話していたりした。最近手に入れた空母の模型の話からなぜか転じて、当時世間を賑わせていた反原発運動について議論したこともあった。
 このようなつるみ方をしていたため、当時T氏の妻は不倫を疑っていた。そしてその結果T氏は、会合の相手が同世代の中年男性であることを証明するためによく僕の写真を撮ってはLINEで彼女に送付していた。さすがに今は廃棄されていると思うが当時彼女が使っていた端末にはおそらくは数十枚の単位でなぜか一面識もない僕がダブルピースをしていたり、本郷猛の変身ポーズをとっている写真が眠っているはずだ。
 この時期の僕たちは確実に夜の世界を生きていた。文壇や出版業界の陰湿な人間関係や業界内政治から距離を置いて、物書きと編集者が、だらだらと、しかし自由に夜の東京を闊歩しながらものを考え、そして語っていた。それはひどく自由な時間だった。ここでだけは、いかなるしがらみもなく物事の本質だけを語り尽くすことができる。そんな解放感があった。

 その後T氏は家庭の事情でフランスに移住し、4年間帰ってこなかった。その間彼はEメールを駆使して、僕の本の編集に参加していたのだが、一度も帰国しなかった。その4年間で会ったのは一度きりで、昨年僕がまったく別の仕事でパリに出張したときだった。そしてその直前にT氏の一家は急遽帰国することになり、僕が会ったときは入れ違いでT氏の妻が東京で2ヶ月後からの新居を探しているタイミングだった。
 そしてこのときのパリでの再会が、そもそものきっかけだ。その日——2018年5月某日、パリ郊外のカフェで僕らは4年ぶりに再会した。4年間会っていなかったのだから、相当老けているだろうと僕は予測していた。対してその4年間、ランニングを中心にアンチエイジングに勤しんできた僕は自分の外見の若さにちょっとした自信を抱いていた。

 その4年間、僕はいわゆる業界のようなものから完全に距離を置くようになった。僕がかつてかかわっていた出版業界の、俗に論壇とか文壇とか言われる業界はほんとうに陰湿な世界で、自分たちの村の空気を読まない人間や、目立ちすぎた人間がいると、すぐに業界の中ボスのような人間が出てきて嫌がらせの限りを尽くすようなところがあった。僕も、さんざん年長の物書きから風評を流されたり、彼の取り巻きに嫌がらせをされたりした。そしてそもそも僕はこのころ業界の、3人以上飲み屋に集まると業界の自分より売れているやつの悪口を言って慰め合うような体質がほんとうに嫌になっていて、付き合う人をがらっと変えていた。
 業界の飲み会の類には一切出なくなったし、その手のコミュニケーションが好きな人たちとは距離を置くようにした。
 生活も朝型に切り替えた。このころ僕はランニングがすっかり習慣になって、その結果特に夏場は早起きするようになっていた。
 1日のある時間を切り取って、自分をネットワークから半分だけ切断する。そして、無目的に走っている。ただ単に走るのが楽しくて、僕はずっと走り続けている。
 ボディビルディングにも興味はなく、大会への出場も特に目的にはしていない。一応目安の距離は決めているけれど、タイムを気にしたことも一回もない。疲れたらコンビニで給水するし、足が痛くなったら歩く。走ることそれ自体が目的であることで、自分で自分の速度を決定することができる。僕はこの走る時間がいちばん、世界に対して自由に振る舞えているような気がするのだ。
 そしてもうひとつ、午前中は自分にとっていちばん大事な、本を書く時間にしようと決めて、予定を一切入れずに机に向かうことにした(フランスにいるT氏と進めていた本だ)。要するに夜の社交を人生からアンインストールして、その分朝に自分の時間をもつことにしたのだ。特に孤独は感じなかった。むしろ、それでも追いかけてくる「世間」から距離を取るのに大変だった。このころにはすっかり定着していたTwitterやFacebookを開けば、そこは24時間どこにいても、業界の飲み会のようなコミュニケーションが目に入った。そして僕はどちらかと言えばその種のコミュニケーションに空疎で醜悪なものを感じ、目にするたびにミュートしていった。

 この時期にすっかり僕は夜の世界の住人ではなくなっていた。かといって、昼の世界の住人になったわけではない。スーツを着て、ネクタイを締めている人たちの世界とは、相変わらず隔絶して生きていた。強いて言えば、僕はこの時期に朝の世界の住人になっていた。昼の世界の住人たちが朝の身支度や通勤といった一日の準備運動をしている時間に、あるいは夜の世界の住人たちがようやく眠りにつく時間に、僕は街を走ることと本を書くことという、いちばん楽しいことといちばんしんどいけれどやり遂げたいことをするようになったのだ。

 僕はこの朝の世界に暮らすライフスタイルに、手応えを感じていた。ついでに言うと(それを目的としたわけではないが)健康的な生活を送った結果として、自分は実年齢より5歳は若く見えると、自惚れていた。高校時代の仲間たちが集まる機会には(洒席嫌いにもかかわらず)必ず出席し相応に老け込んだかつての級友たちに対し密かに優越感を覚えていた。そしてもっと正直に言うと4年間の海外生活で、相応にくたびれているだろうT氏に対しても、優位を主張しようと思っていた。だがそれは大きな過ちだった。
 4年ぶりに再会したT氏の外見はほとんど変わっていなかった。いや、それどころかむしろ若返っていた。見るからに肌はみずみずしく、そして声には張りがあった。僕より5歳年上のはずなのに、僕以上に若く見えた。いや、それを「若さ」と表現するのは間違っているだろう。言ってみれば生物として、再会したT氏は明らかに強力なエネルギーに溢れているように思えた。そして、4年ぶりに再会した彼は述べたのだ。自分はいま、ちょっとした「余生」を生きている。特に仕事はしておらず、パリの大学で哲学を勉強しながら、朝は早く起きて合気道の道場に通っている。残った時間は家事と子育てに使い、そして僕の本を編集するためにインターネットの動画サイトでアニメを見ていたのだ、と。

 僕の本の編集が「仕事」の中に入っていないことに軽く衝撃を受けたが、再会したT氏から感じた生命体としての強さのようなものの理由はわかったような気がした。T氏もまた、夜の世界の住人ではなくなっていたのだ。かといって昼の世界の住人に回帰したのではない。僕がそうしたように、T氏もまた朝の住人になっていたのだ。

 そしてT氏は続けた。もう一生、自分はこの「余生」を過ごすつもりだったのだけれど、家庭の事情で再来月に急遽帰国しなければならなくなった。また日本で会社勤めをするかと思うと正直言って憂鬱である。しかし仕方ない。せめて、パリの4年間で身につけたものを捨てないかたちで東京での生活を再設計したい、と。

 そして僕らはどちらからともなく、「朝活」を提案した。帰国したT氏と僕は、週に一度朝に集まるようになった。そしてかつてのように、世界のすべてを語り尽くす勢いで喋り倒していた。ただし、あのころのように夜を通してバーやファミリーレストランをはしごするのではなく、朝の決められた時間に街を走りながら。

 こうして僕たちは週に一度、水曜日の朝に集まって走るようになった。水曜日になったのは僕のレギュラーの仕事のスケジュールと、T氏の道場通いのスケジュールをすり合わせた結果だ。僕たちは毎週水曜日の朝に、近所のオフィスビルの1階にあるカフェに集合し、そして30分くらいかけてコーヒーを飲んだあと、続きは走りながら喋ろうと10キロのランニングに出るようになった。

 僕たちが集合する時間はいわゆるサラリーマンたちの出勤時間で、名のしれた会社がいくつも入居するそのオフィスビルには毎朝膨大な数のサラリーマンたちが、軍隊アリのように列をなして出勤してくる。そして彼らはビルの1階に設けられたセンサーにパスをかざして、まるで通信販売番組の掃除機のデモンストレーションのようにエレベータールームに吸い込まれていく。彼らがゲートを潜るたびに、彼らの存在を認証する電子音が鳴り響く。朝の時間のそのビルの1階では、ピコーン、ピコーン、と電子音がひっきりなしに鳴っていて、ほとんどベルトコンベアの中にいるような気分になる。
 T氏はそんな彼らを指して「NPCのようだ」と述べた。NPCとは「ノンプレイヤーキャラクター」の略だ。人間ではなくゲームAIによって動かされているキャラクターのことだ。RPGで、村の中を用もないのにウロウロしていて、話しかけるといつも同じセリフで返してくる(「西のほこらに宝箱がある」とか)あいつらのことだ。そしてこう言っては失礼だけれど、このNPCたちの大抵の人は死んだ魚のような目をしている。

 そしてあの日、T氏とこのNPCたちはそもそもどんな会社に勤めているのだろうという議論になった。そして入居している企業の一覧を見ようと、受付に近づいたらちょっとあなたたちはなんなんですかと、ビルの警備員のおじさんに呼び止められた。カフェの客ですと述べるとそれ以上は追及されなかったが、彼は僕たちがその場を立ち去るまで決して目を離さなかった。明らかにおじさんは僕たちを不審者と見做していた。社員証をセンサーにかざして、メンバーシップを確認する電子音を伴って登場する彼らこそが、おじさんにとってはまっとうな「人間」で、安心してコミュニケーションの取れることが保証された対象で、そしてPC(プレイヤーキャラクター)なのだ。そしてそう、僕たちがこのビルに勤める会社員たちをNPCのようだと感じたように、警備員のおじさんには、僕たちこそがNPCに、いや、モンスターに見えていたのだ。

 僕たちは少しムッとしたけれど、気に留めることもしなかった。そして僕が昼食を買うために、同じビルの1階に入っているコンビニに行きたいというと、T氏もついてきた。まだ昼休みではなかったはずだけれど、コンビニのレジには早くもNPCたちが列をなしていた。僕は牛丼弁当とサラダ、そしてオールフリーの350ミリリットル缶を手にとって、その列に並ぶと後ろにT氏が続いた。彼の手にはストロングゼロレモン味の500ミリリットルロング缶が握られていた。この時間からストロングゼロのロング缶を飲むのかと僕が尋ねると、T氏は答えた。「水曜日は働かないことにしているんですよ」。ほんの、ほんの一瞬だけ列をなすNPCたちの間の時間が止まったのを、僕は感じた。

 水曜日に働かないことによって1年365日、ありとあらゆる日が休日に隣接することになる。路上でストロングゼロを開けながら、T氏は述べた。オールフリーを開けながら、僕は思った。もしかしたらあのNPCたちも、水曜日に働くことをやめられたら世界の見え方が、もっと変わるかもしれない、と。
 この4年間で、僕たちが身につけたこと。それはオンとオフ、昼と夜に境界線を引かないことだ。あのころ、僕たちは昼の仕事を終えて集まって、夜の街で語り合っていた。昼間には語れないことを、夜の間だけ語ることが許される世界の真実を述べることに夢中になっていた。それは当時の僕たちがまだ昼間は何かを諦めて、自分でも信じていないような嘘を真顔で述べて自分に言い聞かせる世間の中に身を置いていたことを意味していた。
 しかし、あれから4年経って、僕たちは少し賢くそしてタフになった。僕たちにはもう夜の時間は必要ない。いまの僕たちは夜が明けて、昼が始まる朝の時間に、それも平日の、週の真ん中の水曜日の朝に、誰もが死んだ魚のような目をしてオフィスビルに吸い込まれていく朝のあの時間に集まって、いちばん自由な時間を過ごすことができるのだ。そして、あのNPCたちもこうして昼の世界と夜の世界との境界線をなくして朝の世界に接することができるようになれば、NPCではなくPCとして、もっと自分の物語をちゃんと自分自身が主役として生きることができるのかもしれない。そう、思うのだ。そんなことは余計なお世話だ、自分は社員証をセンサーにかざして鳴る電子音にこの上ない承認を感じるのだという人もいるのだと思う。社内忘年会の出し物のために、夜の22時から近所のカラオケボックスでサカナクションの「新宝島」あたりを練習して、それが意外とうまく歌えて上司に褒められたら気持ちがほっこりして、この会社も悪くないなとか思ってしまう人も少なくないのだと思う。しかし少なくともそういうタイプの人が10人いたら1人くらいは、もし可能なら社員証を放り出して、電子音を無視してゲートを飛び越えて、忘年会の練習なんかぶっちぎって、僕たちと一緒に街を走って乾杯したいと思ってくれる人がいるのではないかと僕は思う。少なくとも、会社員だったころの僕はそうだった。もしかしたら僕たちをつまみ出そうとしたあの警備員のおじさんもそうかもしれない。

 もちろん、ほんとうに社員証を投げ出してゲートを飛び越えて、こちら側に来てくれる人はほとんどいないと思う。けれど、そのゲートの向こうに小さく切込みを入れて、まんなかのあたりにぽっかり穴を開けて、そしてゲートの向こう側とこちら側が不意につながってしまう。そんなことならあり得るのではないかと思う。この連載はこれから、そんな僕たちの日常が、非日常的な日常が、夜のような昼(具体的には朝)のできごとが綴られていくだろう。だがその前にまずは世界にこう提案したい。人類は水曜日に働くことをやめるべきなのだ。365日すべての日が、休日に隣接すること。灰色の日常のまんなかに、ぽっかり穴が空いてそこから極彩色の世界が垣間見えること。それだけで、世界の見え方はぐっと変わる。だから意外と真剣に僕は全人類に提案したいと思う。水曜日は働かない。水曜日は働くべきではないのだ。

宇野常寛『水曜日は働かない』2022年5月26日発売
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宇野常寛(うの・つねひろ)
1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。 著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(朝日新聞出版)。 石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)、『静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話』(河出書房新社)など多數。 企画・編集参加に「思想地図 vol.4」(NHK出版)、「朝日ジャーナル 日本破壊計画」(朝日新聞出版)など。 立教大学社会学部兼任講師も務める。
Twitter:@wakusei2nd

※この記事は2020年1月15日にHBの旧サイトで公開されたものです。

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