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変態バトルフィールドにようこそ ―『チームオルタナティブの冒険』の原点― 宇野常寛

地方の高校生の青春が描かれた『チームオルタナティブの冒険』(2023年11月24日発行:ホーム社/発売:集英社)を刊行された宇野常寛さんに、ご自身の高校生活についてお尋ねしました。

聞き手/構成 編集部


―― 今回初の小説として『チーム・オルタナティブの冒険』を刊行されましたが、この語り手は、地方の進学校に通う高校二年生の男子ということで、宇野さんご自身の実体験みたいなものが込められているのでしょうか?

宇野 そうですね。僕が自分の人生で一番のターニングポイントになったなと思うのは、どう考えても高校時代です。三年間、函館の私立高校の寮に入っていたんですよ。
 僕は今では割とコミュニカティブな人間だと自分でも思うんですが、それって多分寮の体験が大きくて、僕がこういう人間になったのはその三年間の体験のせいだと思うんですよ。

 まったく馴染めなかった小中学校

 ―― それまでは割と内気なほうだったんですか?

宇野 どちらかというとやっぱり内気なほうで、友達も少なくて……。いまで言うところの「陰キャ」でしたね。
 もともとみんなで外で遊ぶよりも部屋で一人で本読んでいるほうが好きな子供だったし、あまり体が強いほうでもなかったし、内向的だったんですよね。
 あと、なんていうか、小中学校独特のあの「ノリ」みたいなものに、なじめないんですよね。たとえば卒業式で「お父さーん、お母さーん、きょう、僕たちはー、私たちはー、卒業しまーす」、「卒業しまーす」とかやったりするじゃないですか(笑)。ああいうのとか、子供の頃から本当に馬鹿馬鹿しいと思っていたんですよ。でも、学校の先生たちは、その馬鹿馬鹿しいことを馬鹿馬鹿しいと思わずに、鈍感なふりをするのが大人だと教えるじゃないですか。僕は、それは間違っていると思っていたんです。学校の先生はそう言うんだけど、僕は子供の頃から本が好きで、具体的には小学校低学年のころは生物や地学の本が好きで、中学年から歴史の本が好きになっていくのだけれど、僕が本で知った世界の真実と比べたとき、こういった学校の先生が価値があると言っていることのがものすごく馬鹿馬鹿しく聞こえるんですよね。
 そもそも80年代や90年代に地方の公立小中学校で教師をやっているような人たちって、ローカルな「世間」のことしか考えていない人が多くて、普通に「鈍感なふりをすることが、大人になることだ」というイデオロギーを信じちゃっているんですよね。僕はそういうの、本当に馬鹿馬鹿しいと感じていたのだけど、そういったことを態度に示したり、口にしたりすると、ものすごく教師からは嫌われるんです。
 あと僕は長崎や北海道の片田舎の学校では、成績がよかったんですよね。そして、先生がかわいがっている優等生よりもペーパーテストがずっといいから、余計に嫌われるんです。例えば合唱コンクールとかでクラスの成績が悪いと、「宇野みたいに非協力的なやつがいるからだ」と全員がいる前で怒鳴られたりとかしていました。でも、当時は学校の先生がそんなに露骨なえこひいきをするとか、自分のかわいがっている生徒よりも成績のいい生徒を疎ましいと思うとか想像できなくて、自分が先生に嫌われ、いじめられていることにもよく気づいてなかったです。そういった最悪の小学校、中学校時代というのを経て、問題の高校に入学するわけです。

 ―― それが先程の北海道の学校だったんですね。 

宇野 僕は父親が転勤族で、引っ越しが多かったんです。生まれたのは青森ですけれど、長崎に引っ越して、千葉に引っ越して、そこからもう一回青森に戻って、さらにもう一回長崎に行って、そして北海道の帯広に引っ越しています。同じ市内の引っ越しも合わせると、子供の頃に本当に七か所とか八か所ぐらいに住んでいるんですよね。

 ―― 引っ越しが多いと友達はできにくいでしょうね。

宇野 それもあって、学校というものに馴染めた記憶がないんです。ただ、救いになったのが塾で、やっぱり知力的に近いレベルで話せる生徒が多くて、仲が良かったですね。この小説でも、主人公の少年が中学校では友だちがいないけれど、塾では違った……という話が出てきますが、あれは完全に実体験が元になっています。そして、その当時の仲間たちがそのまま、函館の某私立高校に進学していったんです。ここも小説の設定にそのまま使っていますね。

 高校の寮生活

↑寮の仲間内の溜まり場になっていた友人の部屋での一コマ。ハンマーを振りかざす宇野(18歳)

宇野 その高校時代は、いろいろあったけど、僕は総合的には楽しかったと思っているんです。もちろん、ストレスは大きかったですよ。『水曜日は働かない』にも書いたし、『チーム・オルタナティブの冒険』の描写にも出てくるのだけどまず寮の飯が壊滅的にまずい。あと普通に不潔で、お世辞にも居心地のいい場所じゃないんですよね。

 ―― 寮は四人部屋とかですか?

宇野 二年生からは四人部屋なんだけど、一年生のときは八十人ずつの大部屋が一階と二階に分かれて寝起きしていて、軍隊みたいな生活なんです。それが二年生になると、好きな人同士で四人ずつ部屋を組むというシステムで、そのせいで人間関係がとても複雑になって、「おまえ、俺を裏切ったな」みたいなどろどろした関係が無限に発生するんですよ。

 ―― では一年生のうちに四人組をつくっておかなきゃいけないんですね。

宇野 だから、人間関係に僕が敏感になったのはその寮のシステムのせいなんですね。

 ―― 三年生も同じ四人なんですか。

宇野 そのままのところもあるけれど、ばらけるところのほうが多いですね。人間関係がうまくいかないところのほうが多いんで。そういう人間関係の圧がものすごく大きいので、やっぱり受験勉強に集中できる環境ではないんですよね。よっぽど精神力が強くないと。

 ―― でも、男子だけだったら、それほどでもないんじゃないですか。

宇野 いや、それがすっごいどろどろするんです。しかも誰と部屋組むかで、その後の一年間の快適さが決まるから、実利にも結びついていて……。常に人間関係が錯綜していて、そのストレスで受験勉強に集中できなくて落ちこぼれちゃう人とかも多かったと思います。だからあれは本当によくないシステムだと思っているんです。

 ―― 朝礼とかそういうのはないんですか。

宇野 そういうのはないんですよ。制服もないし、そういった意味ではあまり厳格な学校ではないんです。ただカトリックのミッションスクールなんで、日本人の感覚からすると、ある部分はすごく柔軟だけど、ある部分はめっちゃ厳しかったりするわけですよ。ルールはゆるいんだけれど、問題を起こすとかんたんに停学になる、といった感じですね。
 あと当時僕の代は、新任の寮教諭が全然仕切れなくて、めっちゃ荒れていたんですよ、一年生のとき。そういうのもあって、ものすごくストレスも大きかったですね。
 ただそういうのを含めても、総合的には小中学校の建前を鈍感なふりをして受け入れるのが成熟だというイデオロギーを押し付けられるような環境よりは居心地が良かったですよね。
 そもそも外国の修道会が母体の学校なんで、日本的な「世間」のことをあまり経営陣が分かっていないんですよ。現場の教師たちも基本的には受験のことしか関心がなかったし。逆に、それが居心地よかったんですよね。でも僕はあんまり受験勉強を一生懸命やる生徒じゃなくて、仲のいい友達とずっと受験勉強をサボって、自習時間にたまり場になっている部屋でカードゲームをしているような、言ってみれば落ちこぼれのグループに入ってしまって、そこで人生を踏み外していくんだけど……それはそれですごく楽しかったんですよね。
 僕が寮にいたのは一九九四年から九七年の間で、それこそ「エヴァンゲリオン」の最初のテレビアニメ版とか、寮の学年に一台しかないテレビでみんなで見ていたんですよ、固唾をのんで一話一話を。

 ―― テレビの前に全員集まって。

宇野 アニメが好きな人が学年に十人か二十人ぐらいいて、そのメンバーで毎週楽しみにしていた感じですね。ただ当時、僕はもう大塚英志とか、呉智英とかのサブカルチャー批評を読んでいて、浅知恵がついていたのもあって、ああ、これでアニメの世界が変わるぞと興奮しながらも、この安っぽい人物描写はどうにかならないのかと文句を言っていた記憶があります。あとは当時、宮台真司や小林よしのりといった人たちがオウム真理教の地下鉄サリン事件などを論じていて、ここで論じられている「寄る辺なき個」みたいな問題と「エヴァ」の問題は通じているよな、とか考えていました。「エヴァンゲリオン」の最終回が事故的に放送された後に大塚英志さんが読売新聞「メディア時評」という連載で、これは制作が間に合わなかっただけでなくて、思想的な敗北なんだということを書いていて、僕はそれを切り抜いて、仲間内に読ませて回ったりしていましたね。そういう少年だったんですよ。

―― 雑誌の持込みとか自由なんですか、本とか。

宇野 この話も長くなるんだけど、基本的に自由です。ただ、やっぱりエロ本はご禁制の品です。でも当時はインターネットがなかったし、エロ本は寮に氾濫していましたね。
 まず毎年四月に一年生が寮に入ると、二週間後ぐらいにバザーが開かれるんですよ。それは寮の食堂で上級生が下級生に要らない参考書や生活用品を売るというイベントなんですけれど、それは表の顔で、裏の顔は大エロ本交換会なんですよ。ただエロ本は一応御禁制の品だから、寮教諭に見つかると没収されるんですよね。
 だからバザーの日は食堂に人間の背丈と同じぐらい、没収されたエロ本が積み上がって二メートルくらいのタワーが三つぐらいできるようなことになるんだけど、それでも監視の目をくぐり抜けて膨大な量のエロ本が地下で流通するんです。具体的にはみんな、表面的には参考書やマンガを売る店を出しているんだけれど、その脇で背の高いやつが「外人モノあります」とか書いたダンボールを持ってウロついて、寮教諭が近づいたらさっと隠れる……みたいな感じですね。
 こうやってバザーの一日だけで膨大な量のエロ本が流通するわけです。このバザーが普段は学年間を超えないエロ本交換のネットワークを一日だけ拡大して、下の代にエロ本を継承させるシステムなんです。

「疑似通貨としてのエロ本」

宇野 各グループに一人ずつ「エロ本ブローカー」みたいなやつがいて、そいつがエロ本を大量にため込んでいるんですよ。大体百冊くらいはみんな溜め込んでいたと思います。そのブローカー同士が定期的に寮の給湯室やトイレとかで寮教諭に隠れてこっそり交換会を開いて、定期トレードするんですよね。だから寮にいると常に新しいエロ本が自動的に供給されるんです。

 ―― それは話し合って役割と決めるんですか?

宇野 いやいや、自然発生的なものですね。エロ本に執着のあるやつが、いつの間にか溜め込んでいるんです。僕、三十五回生なんだけど、少なくとも十五年ぐらい前からこのエロ本交換の慣習は受け継がれていたと思います。
 僕が生まれた昭和五十三年発行の『家族姦係』という、かんの字が「関」じゃなくて、女という字が三つの「姦」になっているという近親相姦小説の専門誌みたいなやつが回ってきたことがあって、さすがにびっくりしたことがあります。まずこんなマニアックな雑誌があることにびっくりするし、発行年が昭和五十三年というのにも衝撃を受けて……。つまりこの雑誌、十五年以上この寮の中を受け継がれて流通していたわけですからね。

 ―― ビデオとかはないんですか。

宇野 普通の生徒はビデオを見る環境がないんですよね……。ただ、僕らは部室で見ていましたね。『チーム・オルタナティブの冒険』で主人公たちのグループが開店休業状態の写真部をみんなで入って乗っ取るという話があったと思うんですが、あれは僕の実体験に基づいていて、僕たちは高校の英語研究部を乗っ取ったんですよ。目的はその部室にあるテレビとビデオデッキです。
 だからそこでAVも見ていたんだけど、僕は主にレンタルビデオとかでアニメを見るのに使っていましたね。エロについてはわざわざ学校まで行くの面倒くさいんで、みんな本で済ませていました。
 そういう環境にいると会話の九割が下ネタになるんですよ。あと人前で、エロ本を堂々と広げることに誰も疑問を持たなくなる。異様ですよね。だからやっぱり今思うと、完全に頭がおかしいなと思うこととかいっぱいあって、やり場のない欲望を変な方向に発散するやつがいて……。もう何て言ったらいいのかな。下半身露出して奇声を上げて廊下を走り回るやつとかいるんですよ、日常的に。
 これは堀江貴文さんのYouTubeチャンネルに出たときにしゃべったんだけど、「First Love」という満島ひかりと佐藤健が主演のネットフリックスのドラマがあったじゃないですか。あれって、ほぼ僕と同年代の、九〇年代に北海道の高校で思春期を送った男性と女性が中年になって再会して恋愛するというドラマんですよね。そのドラマの第一話が、主人公が屋上でたばこを吸っていたら、ヒロインが別の男の子に告白されて断るのを偶然目撃しちゃうというシーンから始まるんです。すごく、甘酸っぱい始まり方じゃないですか。僕も高校時代の屋上の思い出があるんですよ。ある夜、寮で友達と一緒に歯を磨きをしていて何気なく寮の屋上に上がったんですよね。「あしたって体育あるんだっけ」とか話しながら、屋上の扉をガラッと開けたら、同じ学年のK君が裸で月夜の下で踊り狂っていて、それで、無言でそのままガラッと戸を閉めて下がっていった……というのが僕の屋上の思い出なんですよ。

 ―― 結局、何だったんですか。

宇野 いや、分かんない。よく分かんないんだけど、とにかく当時はそのことを、あんまり疑問に思っていなかったんですよね。驚いたけれど、あいつだったらそれぐらいのことするだろうって感じで、深く追求しなかったんですよね。あの寮ではそういうことが一週間に一回ぐらいあったので……感覚が麻痺していたんでしょうね。
 当時、僕の学校は函館市内で有名だったんですよ。キモい男子が三人以上一緒に歩いていたら、それはあの学校だとか言われていたんです。地域社会に明らかにヘイトされていて……。
 もう時効だから言ってもいいと思うけど、当時後に問題を起こして摘発される「ビデオ安売王」というエロビデオショップが北海道でははびこっていたんです。で、その「ビデオ安売王」の深堀町店という寮から少し離れたところにある店舗に通っていた別の友達がいて、そいつはいま札幌で医者をやっているんだけど、彼はジーパンのポケットに穴を空けて、ポケットに手を突っ込んだまま自分の性器を触れる状態に改造して、そしてその「ビデオ安売王」のアダルトコーナーでパッケージを見てその場でオナニーするというプレイにハマっていたんですよね。
 そしてそれを彼が僕たちに話すわけですよ。それも自慢とかじゃなくて「これ、結構いいからお前たちもやったらいい」みたいな感じで普通に話してくるんですよ。オススメの参考書やラーメン屋について話すノリで。で、僕たちは影で議論するんですよね。これ、もしかして軽犯罪か何かになるんじゃないかとか、止めたほうがいいんじゃないかとか、割と真剣に議論するんですよ。これが僕たちの当時の日常ですね。こういうことが週に一回くらいのペースであったので。変態バトルフィールドなんですよ、一言で言うと。

 ―― それは宇野さんの周辺がたまたまそうだっただけじゃなく?

宇野 違う違う。寮全体がそうです。

 ―― でも、体育会系とかもいるんですよね。

宇野 いるけど基本的に受験校なので、形式的な存在ですよね。ほぼ理系の学校で、田舎の優等生が親の期待を背負って医大を受験するための学校なんですよ、超比喩的に言うと。そういう学校なんで、教師も受験のことしか関心がない。有名なエピソードとしては、一応野球部とかあって、一応地区予選とか出るんです。その野球部は同じ人が三十年ぐらい顧問をしていて……化学のカナイ先生という人なんだけど、そのカナイ先生がバントのサイン出すと、敵チームの内野が前進守備するんです。分かります? つまり、もううちの学校のサインはこれだということを地区全体が知っているんですよ。と、いうかカナイ先生が三十年間サインを変えていない。

 ―― あまりやる気がないんですね。

宇野 やる気ゼロなんですよ、マジで。そういう学校だから。勝てないし、勝とうとも思っていないし。だから、何かもう基準が狂っていて……というか変態性みたいなことに関しての感覚が完全に麻痺していて……。そういう学校なんで、今話したようなトラブルって、僕、話そうと思ったら無限に話せるんですよ。なぜかって、週に一回あったから、だから、三年間で百五十回ぐらいあるわけですよ、こういうことが。だから……。

 ―― 非モテ養成施設ですね。

宇野 表向きは地元の名士を出してきた受験校なんだけど、実態は変態養成所みたいなところですね。しかも、そのことを学校の経営陣はローマの本部から来た修道士とかだから、よく分かってないんですよ。あの人たちは神の教えとかにしか関心がなくて。よきサマリア人には関心があっても、僕たちにはない。全校集会のたびに聖書のありがたい話とかしてくれるんだけど、寮の変態バトル的な実態には無関心なんですね、ローマから来たブラザーたちは。

 ―― 若い女性の教師はいないんですか。

宇野 いないです。講師でいたかもしれないけど、ほとんど授業を一コマやって帰るみたいな感じで、ほとんどいないのと同じですね。寮の三年間、僕、家族以外の女性とはもう本当に話していないんです。あとは寮母さんかな。大体OBのお母さんがやっているんだけど、寮の職員の女性がいて。僕ら、本当に失礼なんですけど、彼女たちを「寮婆」と呼んでいたんです。実際に僕らの祖母世代の人たちがやっていたので……。本当に、もう本当に、あれだけお世話になったのに、こんなひどい呼び方していて、申し訳ないと思っているんだけど……。
 だからそういう環境にいて、そんな青春を送っていました。僕がいた時期って、世間的には八〇年代の相対主義のドツボが、九〇年代の自意識のドツボに変化していったタイミングですよね。正確には九〇年代前半のベタ回帰のフェイズが後半の自意識のフェイズに移行していく三年間だったはずです。僕は娑婆に出たらガラッと社会のモードが変わっていたように感じて、その体験が大きかったですね。

  つまり僕はバイストン・ウェル(アニメ『聖戦士ダンバイン』に登場する異世界)にいたというか、異世界にいたので、異世界から帰ってきたら現世がかなり変わっていたように見えたわけです。だから浪人中とか大学時代とか、何でこの人たちはこんなに自意識のことしか頭にないんだろうというふうに、同世代や当時のユースカルチャーに対して距離を感じていました。渋谷系とかにも一切興味を持てなかったし、シンジ君にもシンクロできなかった。シンジ君の不安、分からなくはないんだけど、別にそれをパパに認められるとか、女の子に必要とされることで自信をつけようとか、そうなる気持ちが全然分かんなくて……。もっと広い世界に出て、全く関係ない世界に行くことで問題を解体することのほうが僕には全然リアリティーがあったわけなんですよね。
 僕、滝本竜彦さんと同い年で、彼は多分函館の公立校のほうにいたと思うんだけど、彼の高校時代をモデルにしたっぽい小説を読んで、すごく羨ましかったですね。

 ―― 共学ですからね。

宇野 共学で、ちょっとエロい先輩といろいろあったりみたいな話とかが書かれていて、これが実話かどうか分かんないけど、そういう対象になるような同世代の女の子が身近にいるだけで本当に羨ましいと僕は思ったんですよね。
 あと、ほぼ同じ地区に同じ時間を過ごしたんだけど、こんなに見えている世界が違うんだと思ってビックリしました。つまり彼は社会の流れにシンクロしていると言うか、八〇年代の消費社会があって、バブルがはじけて、あのアッパーな空気がなくなって、相対主義だけが残される。モノはあっても物語のない九〇年代に、自意識の問題だけが残されて……という時代を素で生きている感じがしたんですよね。でも、僕はそういうの、まったく実感していないんですよ。
 僕の住んでいた函館は全くそういったのとは違っていて、もう変態バトルフィールドなんですよ。キモさだけがパラメーターとして存在していて、よりキモいやつがキモさの弱いやつを圧倒する。自分も十分キモいんだけどよりキモいやつがいっぱいいて、日々おののき続ける……みたいな……そういう世界に僕はいたので、全く共感できないんですよね。当時よく僕ら議論していたのは、人は血で狂うのか、水で狂うのかみたいなことです。

 ―― 何ですかそれは?

宇野 つまり、もともとやばいやつが集まってきやすいのがこの寮なのか、それとも、この寮の環境のせいでみんなやばくなっているのかということですね。そういった問題を十代の少年たちが真剣に議論する世界に僕は生きてきたんですよね。
 佐藤友哉さんの『世界の終わりの終わり』を読んだときにも、滝本竜彦さんの小説を読んだときと同じような違和感を覚えました。僕は卒業後に札幌の実家で浪人するんだけれど、彼はほぼ同じ時期に札幌の郊外に暮らしていたはずで、多分、僕と同じ声優のラジオのファンだったと思うんですが、そういう共通項があるのに、まったく見えている世界が違うなって思ったんです。
 僕はもともとは本州の生まれで、両親もそうなんです。だからものすごく彼の小説は「北海道っぽい」って思った。津軽海峡より南の世界を知っていると、『世界の終わりの終わり』で描かれたような自意識にはなかなかならないんじゃなかって思ったんですよね。単に隣の町に行けばいいじゃん、って思っちゃう。北海道って広いから、自分の暮らしている場所からある程度の規模の別の街に行こうと思うと半日かかるわけです。たとえば札幌から旭川って、特急とか乗っていかなきゃいけないので、事実上、「隣の町」がないというか、日常的に隣の町には行けないというのが北海道の地理なんですよね。

 ―― 宇野さんがいたところもそんな感じだった。

宇野 だから、北海道ってここじゃ駄目だったらほかの町に行けばいいということを日常的に感じられない土地なんですよ。この問題が結構大きいと思っています。僕はもともと北海道の人間じゃないから、ここでダメだったら他の場所に行けばいいとしか思わない。ここが僕と同世代で同じ時期に函館や札幌にいた滝本さんや佐藤さんの感性をすごく切り離していて……。ただ、そのことが批評を書く上では有効に働いたと思うんです。やっぱり僕、滝本さんの『NHKにようこそ!』を読んだときに、心を病んだ女の子が、生きる意味を見失っている主人公のところに、「癒やして欲しい」と言わんばかりやってくるじゃないですか。そこで、「確実に価値のあることはこのかわいそうな女の子を救うことだ」と主人公は思うわけなんだけど、僕はそのときこの主人公はそもそも「自分より弱い女の子を救う」みたいな、ちょっと古くさいマッチョな夢以外に生きがいがないから引き籠もっているんじゃないのかって思ったんですよね。

 僕は寮にいる頃に娯楽がないから、それこそ僕の小説の主人公のようにみんなでボードゲームをいっぱい自作していたし、これも僕の小説の主人公のように函館中の古本屋を回って昔のアニメ雑誌を買い漁っていた。それだけでも世界は可能性に溢れて見えていたので、娑婆に出たらあれもしたい、これもしたいってずっと思っていましたね。まだ読んでいない本を読んだり、この仲間たちと泊まりがけ旅行に行ったりしたらすごく面白いんじゃないかとかも考えていたし、恋愛対象となり得そうな女の子と出会えるかもしれないというだけでも世界に無限の可能性が広がっていると思えたし……。あと飯ですよね。本当に寮の飯まずかったんで、娑婆に出て、好きなときに好きなものを食べられると思うだけで世界がバラ色に見えるわけですよ。
 だから佐藤友哉さんや滝本竜彦さんだけでなく、あの時代の同世代がハマっていたサブカルチャーというか、当時のユースカルチャーのモードですよね。ああいうのに全然馴染めないんですよ。何でこの人たちはこんなに人間関係で承認されることばかり考えているんだろうって、単純に思ったんですよね。世界にはもっといろんなものごとがあるはずで……ものを食べることもそうだし、本を読むのもそうだし、美しい景色を見るのでもいいし……世界というのはものすごく豊かなはずなのに、なんでこういうタイプの承認しか頭になくなってしまうのだろうと疑問に感じていて……それが僕の批評の出発点の一つですね。もちろん、今にはそういった社会のモードにも必然性があったとか、理解しているけれど当時の僕はそう感じていたわけです。

  でも、僕は札幌で浪人した後に京都の大学に行くんですけど、恐るべきことに、あれだけ嫌だった寮のほうが刺激的だったんですよ。大学では友達もちゃんといたし、器用に単位も取って四年間で卒業しています。たぶん人生でいちばんストレスのない四年間でしたね。ただ、世界がすごく薄味に思えてしまって……。やっぱり娑婆ではやばいやつに出会わないんですよ。それで、寮の頃の刺激に匹敵するような自分をぞくぞくさせるものを求めていろいろ本も読むようになったし、いろんなところに出かけていくようになったんですよね。地方の大学で普通にのほほんとしていると、学生のテンプレートみたいなものしかないんですよね。授業を受けて、サークル行って、バイトして……みたいなね。でも、そういったものがやっぱり寮にいた頃の刺激に匹敵しないなというふうに思っていて、そのことがもっといろんなものを読んでみようとか、いろんな人に会ってみようとか、行ったことないところに行ってみようとか、そういった好奇心につながっていったんですよ。だから僕は、あの寮に三年間いたことはトータルではよかったなと思っているんですよ。あの変態バトルフィールドに三年間いたということが財産だなと思っているんです。僕はあの寮という異世界、バイストン・ウェルの中ではオーラ力が弱いほうで、今思うと圧倒的な力を持つ聖戦士たちがいっぱいいたんです。そして彼らは毎週ハイパー化していたんですけれど、やっぱり彼らに比べると自分はすごく凡庸な存在だと思いますね。いまも周囲にいる人で、「聖戦士」レベルの人はほとんどいません。なので、数少ないおとなになってから出会った「聖戦士」の友人は大切に、長く付き合っていますね。

「帰還兵の憂鬱」

↑大学入学後に高校時代の仲間と再会。当時はまだ飲酒していた。

 ―― つまり、要は、三年間の寮の中で、その外側を夢見ていたわけじゃないですか、抑圧されながら。それも投映されているし、しかもそこで、その後に感じた空虚さみたいなところで、また寮にいた人たちみたいなのを再評価するみたいなこと。

宇野 そうなんですよね。娑婆には聖戦士がいないんですよ。だから僕の興味が人間外に向くんですよね。物事なんですよ、どちらかというと。それは過去の人間が残した本だったりするし、土地の持つ自然や歴史の力だったり、そういったもののほうが僕を満たしてくれたなという実感があるんですよね。寮の変態バトルフィールドにいた頃と同じぐらいの刺激的な毎日を送ろうと思ったときに、やっぱり人間関係ではそれを満たすことが僕にはちょっとできなかったところがあるわけですよ。
 僕は大学を出たあと、一年間無職でぶらぶらしていた時期が……正確に言うと無職というわけではなかったんだけど、無職に近い状態でぶらぶらしていた時期があるんだけど、あのときとかってもう本当に晴耕雨読の生活というか、朝起きて、図書館に本を返して、近所でお弁当を買って食べて、それで桂川をずっと自転車で下っていって、古本屋を巡って、また図書館に寄って帰るみたいなことを繰り返していました。

 ―― 実家だったんですか。

宇野 京都の下宿です。あのときが、人生で一番楽しかったですね。お金がこのままじゃなくなるという不安以外はまったくストレスがなく、毎日が楽しかったです。まあ、勉強も仕事もしていませんからね(笑)。その頃に僕は、大学にいた頃はちょっと分かんなかったような、京都という土地の面白さとかに気づいたところがあって……本当に郊外の、いわゆる国道沿いに量販店が並ぶような風景のところになぜか平安京の前からある神社があったりとか、そういった土地としての魅力も、あの時期に京都をぶらぶらしていてすごく気がついたんです。

 ―― 大学で体験された人間関係はどうだったんですか。

宇野 それなりに楽しくやっていましたけれど、みんな同じ顔に見えたんですよね。寮で聖戦士たちをいっぱい見てきたから、大学の連中はみんな同じような欲望を抱いて、同じような自意識を持っているように見えてしまって。でも、今思えばシェルショックみたいなものに限りなく近いと思うんですけど……。

 ―― つまらない人間に見えたわけですね。

宇野 それって同世代の若者がハマっていたサブカルチャーのモードというか、「エヴァンゲリオン」からファウスト系作家の流れみたいなものにあんまり興味が持てなかったのと同じ理由なんですよ。凡庸な自意識を動機にした、狭い世間の内部でのポジション取りのようにしか見えなくて……。もちろん、これは当時の僕の感想ですよ。今の僕はああいったものに歴史的な意味があったとすごく思うんだけれど、やっぱり僕は同世代とはかなり違う感性を育んできてしまったんですよね。そのことが批評家としてはユニークさというか、武器になっていったとは思います。つまり、自分たちが無意識に同調している共同性のようなものに対してどれだけ批判的になれるかというか、それをどれだけ自己批判的に見ることができるかというのが批評には大事なことだと思うんだけど、結果的に僕はそれができてしまったんですよね。なぜかというと、やっぱりこの思春期の大事な時期に俗世間から切り離されていて、変態バトルフィールドに、バイストン・ウェルに三年間いたあとに、地上に帰還している人間だから。結果的に距離を持って見ることできたんですよね。だからこそ、なぜそれが必要とされたのかもよく分かったし逆にその限界というか、貧しさやダメなところもよく見えてしまった部分がプラスに働いていたんだと思うんですよ。
 あと批評家としての僕の内的な動機がもう一つあるとすると、今回の『チーム・オルタナティブの冒険』に出てくる主人公の写真部の仲間たちのような友だちと僕は高校時代に実際につるんでいたんだけれど、彼らは今思い出してもすごく優秀な連中だったんですよ。小説の中の写真部と同じように受験勉強を放棄して遊びほうけるグループだったので、白い目でやっぱり見られていたんだけれど、僕から見るとそれぞれ個性的でそれぞれ違った面白さがあって、話していて飽きない仲間たちで、僕はこんなにすばらしい仲間たちと出会えたことが本当に幸福だと思っていたんだけど、彼らはその後社会的にうまく適応できなかったところがあるんですよね。彼らは、ちゃんと物を考えているやつらだからこそ、うまく適応できなかったところがあって……別に彼らはそんなこと全然気にしていないというか、仕事で自己実現しようとかなんて最初から全然思ってないと思うんだけれど、僕はこういった、しっかりと物事を考えていて、だからこそ分かりやすいレールに乗るのを拒否するようなタイプの人間こそがもっと社会の中心に出ていったほうが世の中のためなんだなと思ったんですよね。彼らからしてみると、余計なお世話かもしれないけど。
 でも、僕からしてみると、こういったやつらが評価されずに、先生の言うことを真に受けているようなつまらない連中のほうが社会の中心にいるのは間違っていると思ったんですよ。僕が高校時代に嫌だったのは、団塊世代で学生運動にのめり込んで就職できなかった人とか、バブルの頃に学生演劇にのめり込んで就職できなかった人が、半分世捨て人のような感覚でうちの学校の先生になったパターンが多かったのに、そんな教師たちがことごとく分かりやすい優等生が好きなことだったんですよ。自分たちはドロップアウトしたくせに、目をきらきらさせて、有名大学の指定校推薦取って、自分はジャーナリストになるみたいなことを言っているような分かりやすい優等生をかわいがっていたんです。それが僕は本当に嫌いでしたね。こういった大人の言うことを真に受けて自分で考えることを放棄している人間よりも、自分たちにとって何が刺激的かとか、自分にとっては何が幸福かみたいなことをちゃんと考えられる僕の仲間みたいなやつらのほうが、本当は世の中をつくっていくべきなんだろうなということを僕はずっと思っていて。彼らみたいな人間がちゃんと素直に自分の未来を信じて努力できないような社会は、間違っていると思ったことが、僕がそれこそ宮台真司とか大塚英志とか、そういった批評を読み始めたきっかけなんですよね。

「批評的なものの原点へ」

 ―― この小説の主人公は、チーム・オルタナティブみたいなものによって救済されるわけですが、そういう願いみたいなものもあったんですか。

宇野 もちろんそうです。さすがにそろそろ小説の話をしたほうがいいと思うんですが、批評家が小説を書くというと、自分の問題意識を、創作というかたちで昇華するというパターンが多いと思うんだけれど、それはあんまり僕の性に合ってないと思ったんですよ。だったら最初から批評を書いたほうがいいと僕は思うので、むしろ今まで自分が書いたことなかったタイプの文章を書きたいと思ったんです。だから徹底してエンターテインメントにしました。単純に面白いものを、この先どうなるんだろうと思ってどんどんページをめくって、読み終わるのが惜しいと思えるような物語を自分で書いてみたいと考えたんです。
 じゃあ、何を書くかと考えたときに最初に浮かんだのが、宇野版「〇〇〇〇〇〇」ですね。だから終盤に出てくる「チーム・オルタナティブ」の真相というか、一連の設定を最初に考えたんですよ。その上で、物語をどう見せるかを考え始めたという順番です。
 僕の師匠的な存在である井上敏樹さんという脚本家がいて、彼がチームができるまでが一番面白いってよく言っているんですよね。だから人間関係が構築される話にしようと思ったんです。

 そのときに一番書きやすかったのが、今回の主人公になった高校生の少年……森本君の物語なんですよね。僕は長編を書くのが初めてなんで取材して書くとか、誰かにヒアリングして書くというのはちょっとハードルが高いなと思って……。だから自分を投影できるような、自分の過去の体験を書いてリアリティーを出せるような語り手を設定して、その一人称で書こうと思ったんです。そこから自分の実体験と、やっぱり共学に行ったら楽しかっただろうな……みたいな願望を込めて物語を作っていきました。

 ――いつ頃、構想を持たれたんですか?

宇野 『水曜日は働かない』の連載が終わって、次は小説にしようという話が出てきたときですね。ただ、物語の骨格は十年ぐらい前に考えていたものなんですよ。その頃「レンザブロー」(かつて存在した集英社の文芸webサイト)で、小説の連載の話が一瞬あったんです。あの頃に考えた基礎設定を流用しています。あの頃は、もうちょっとインターネット社会論のメタファーで考えていて旧態依然とした表の世界と、未知のテクノロジーを手に入れている裏の世界との対立……みたいなことを考えていたんですよね。
 だから、今回の少年のひと夏の体験……みたいな物語を考えたのは、連載をはじめる直前ですね。具体的にああいった少年の青春物語になったのは、小賢しい話なんですが、終盤の展開のインパクトを最大化するためですね。だから思春期の自意識の物語を徹底して書こうと思ったし、あとやっぱり当時の僕みたいなひねくれた陰キャがムカつきながらも「こういう青春を送りたい」と思ってもらえるようなものにしようって思ったんですよ。僕も若い頃にジュブナイルとかライトノベルの青春物語を読んで、共学に憧れていたりしましたからね。当時氷室冴子の『海がきこえる』がアニメ化されて、それを寮で読んでいるやつがいたんですよ。僕らは、そういったものをバカしていたんだけど、高校を出たあとに読んで、こういうのもいいなと思ったんですよね。美しい少女が転校してきて、主人公と親友の間に亀裂が入るとかは、そこから考えました。

 あと大学生とかになると、当時は自分の中の甘酸っぱい部分を認めたくなくて読めなかった青春小説とか、青春映画とかも距離を持って触れられるようになるんですよね。気持ちに余裕が出てきて。
 たとえば僕は大林宣彦の八〇年代の映画とか大学時代にまとめて観ているんですよ。世代的にちょっとずれているので遅れて観た。半分「勉強」的な意識で。大林宣彦って、ああいう田舎の童貞高校生の気持ちをすごく上手に切り取るじゃないですか。あれも過去の自分に取材しているんだろうけど、こういう物語の作り方がいいかなって思ったんですよね。
 あとは吉田秋生の初期の青春群像ものとか、恩田陸の初期作品、特に『球形の季節』ですよね。田舎の進学校に自意識過剰な生徒がいて、狭い人間関係で閉じた地方社会があって、でもそこから単に出ていけばいいと思うほど、世界は単純じゃなくて……といったあの構造ですよね。

  そのあたりのエッセンスを結構混ぜ込みながら物語の前半をつくっていって、そして、それがだんだんミステリー的な展開になっていく、で、最終的には◯◯◯◯◯◯になる――という風に考えたんです。
 プロットは割とすぐにできて、最後はあのシーンで終わるというレベルまでその時点で決めていたんです。最初と最後で、結構トーンに落差があると思うんですけれど、それも決めていましたね。最初はものすごく暗く重たく始まって、最後は笑えるやり取りで終わるというのも連載前から決めていました。
 このとき書いたプロットはほぼ予定どおりで、変わったのは後半に東京に行ったことぐらいですね。あれは書いているうちに、もうちょっとミステリーパートを盛り上げなきゃいけないなと思ったのと、あと途中で出てくる井上さんというヒロインの女の子がいるんですけれど、彼女の評判が良かったので出番を増やそうと思ったんですよね。ほら、大林宣彦の「青春デンデケデケデケ」で、モブキャラの女の子がいきなり主人公の家に訪ねてきて、ちょっとヒロインっぽくなっていくという展開があるじゃないですか。あれをやりたかったんですよね。でも、読者からの評判がよかったのと、主人公にそういうドキドキする相手がいると話が膨らむなと思って、出番が増えていったんです。変わったのはそこぐらいで、だから、十六回の予定が十八回に延びたのって、東京に行って帰ってきたからなんですよ。

 ―― ではやはり連載という感じでやっていることで結構変わったんですね。

宇野 いや、そこだけですね、変わったのは。これは完全に結末から逆算して書いた小説で、初期の構成がほとんど変わっていないです。だからこういう書き方は、ふだん僕が批評家として批判しているタイプのものですよね。丁寧に伏線を張って、回収していく……みたいな書き方です。
 でも、僕はとりあえず長編小説が初めてなんで、読まれなきゃ始まらないと思ったんです。だから読んでもらう人に最大限サービスしようと思ったときに、自分が使えるカードはこれだなって考えたんですよね。あとは、これちょっと批評的なことを言うと、この小説は「変身」がテーマなわけですよ。だから、途中で物語自体が「変身」しなきゃいけないわけです。
 以前書いた『リトル・ピープルの時代』で前半はずっと村上春樹の話を書いて、途中から「これ以上村上春樹について議論していても結論は出ないから、俺は今からウルトラマンと仮面ライダーの話をする」と言って、突然テーマが変わるじゃないですか。ああいうギミックを入れたかったんですよね。あと『砂漠の異人たち』でも、第二部がアラビアへの旅行記から始まっていて、最後に実はあの旅行記はうそでした、あれは僕の書いた小説です、とネタバレするじゃないですか。あの延長でこういう構成にしたんですよね。

 ―― 実際に、でも、書き終えてみて、批評家としてのスタンスとか何か変わってきます?

宇野 批評家というよりも、一人の物書きとして成長したように思います。この小説は『水曜日は働かない』と同じメディアで連載していたんだけど、エッセイとか小説とか、今まで書いてこなかったタイプの文章を書けるようになりたいっていう思いがここ数年強まっているんです。これまで僕の書いてきたようなタイプの批評って、昔の文芸評論の系譜にあるもので、その伝統も当然僕はリスペクトしているけど、やっぱり古くなってしまったものだと思うんですよね。
 世の中から望まれているものかというと、全然望まれていないものになってきてしまっていて、そのことを僕は悲しく思うけれど、ただ、悲しんでいても仕方がないので、もっと違うタイプの文章を身につけていかないと、自分は世の中との接点を失ってしまうなという危機感のようなものはあるし、単純にエクササイズとして違うタイプの文章を書くことが必要だなと考えたんです。

 あとは今の僕にはそういう余力があるんですよね。四十歳を過ぎて、そういう余力がやっと出てきたというのもあるんだと思います。
 今、noteをまめに更新していて、前の日に考えたことを二千字か三千字ぐらいに短く、書くんです。僕、書くのが速いんで、二千字や三千字は一息で書けるんだけど、そういうこともエクササイズだと思ってやっているんですよ。だから、そういった書くことによる知的なエクササイズみたいなものが自分にとって必要だと感じたんですよね。周りで趣味で翻訳している人とかもいたりするから、自分も批評ではない文体のものを書くことが必要だと思ったんです。

 ―― これまでの枠と時代が合わなくなってきているから、そこでいろんなものを試行錯誤している中にいたと。

宇野 『砂漠の異人たち』でやったのは、批評というフォーマットを使っていろんなタイプの文章を一冊に入れるってことなんですよね。つまり、論文も小説もエッセイも評伝も入れられるのが批評なんだってことを試したかったんです。その延長で、今度は小説で試してみようということ思ったのもあります。

 だから、この小説って冒頭と最後でも全然トーン違がうじゃないですか。僕はやっぱりアニメが好きなんだけど、アニメーションって自然主義的なリアリズムと漫画・アニメ的なリアリズムが同居できるじゃないですか。昔、押井守が宮崎駿を評して、「未来少年コナン」のことを話していましたよね。コナンとラナが塔の上に追い詰められていて絶体絶命になる。何で絶体絶命と思うかというと、塔から飛び降りたら、死ぬからですよね。でも、その次のシーンでコナンはラナを抱えて飛び降りるんですよ。着地して足がジーンとするんだけど、そのまま走り去っていってしまう。そこは自然主義的なリアリズムがいきなり漫画・アニメ的なものに変わるわけですよね。でも、それを自然と見せられるのがアニメーションのすごいところなんだと思っていて……僕も、本当だったら同居できないようなものというのを文章の力によってつなげてみたかったんですよ。だから、冒頭の葬式のシーンと最後のシーンというのは普通だったらつながらない。だけど通して読むと、つながって見えるはずなんですよ。あれはやっぱり僕が漫画やアニメの批評をずっとやってきたことの成果ですね。昔、「フィギュア17」という深夜アニメがあって、一言でいうとロリコンアニメなんだけど、多分実験的な枠で普通三十分なんだけど、一時間でやっていた変な作品があって……。北海道に東京から転校してきた小学生の女の子が、クラスになじめないみたいなことをずっとやっているんだけど、後半、いきなり宇宙生物との戦闘になるんですよ。僕も全然、狙って見たんじゃないくて、テレビをつけっ放しにしていたらやっていてたまたま見て……。別に面白くはないんだけどやっぱり、アニメの力ってこれなんだなと僕は思ったんですよね。

 ―― そういう変身性みたいなのが好きなんですね。

宇野 例えばラーメンが食べたいと思っている人間が、ラーメン食べて満たされるだけじゃ物足りなくて、そこで何の気なしに頼んだ水餃子がすごくおいしくて水餃子にはまっていくみたいなことというのが僕は豊かな体験だと思っているんですよ。そういったものを持ち帰ってほしくて、何かいろいろ仕掛けをしていったという感じですかね。

 ―― 今後はどういう小説書かれていきたいですか。

宇野 これが売れたら、この『チーム・オルタナティブの冒険』をシリーズ化したいなという気持ちはあるんですよね。前日談みたいなことも書きたいし、あの三人組の過去も実は考えているし、それも書きたいですね。そしてあの後にもう一人チームに加わるという話も書きたいんです。
 あと、僕はやっぱりラブコメが書きたいんですよね。イケてるバリバリのイケメンコンサルタントで、どちらかと言えばオラオラ系の男性と、ちょっと文化的な女子会社員のラブコメを描きたいんです。

 ―― あまり宇野さんと関係ないタイプですね。

宇野 その二人というのは普通だったら全く結ばれる要素がないんだけど、そこに第三の人物として、中年男性が登場するんですよ。僕の某公共放送系出版社に務めている友人がモデルなんですが、彼が毎回トラブルを起こすことによって、本来絶対接点もないような二人が、結果的に接近していくというストーリーですね。漫画原作なんかも、チャレンジしてみたいので、ぜひ声をかけてほしいです。
 あと、この「HB」で今月末から『ラーメンと瞑想』というタイトルのエッセイの連載がはじまります。
「食」をテーマにしたエッセイなのですが、批評や小説の要素もミックスした楽しい内容になります。
 とりあえず第一回は『ラーメン富士丸と人間の条件(前編)』です。お楽しみに。

 (2023年12月6日 高田馬場)

プロフィール

宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生まれ。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(朝日新聞出版)、石破茂氏(衆議院議員)との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)、『静かなる革命へのブループリントこの国の未来をつくる7つの対話』(河出書房新社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)、『砂漠と異人たち』(朝日新聞出版)など。立教大学社会学部兼任講師も務める。

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