『ぼくとねこのすれちがい日記』ができるまでの話【前編】/北澤平祐インタビュー
数々の書籍装画や絵本、洋菓子「フランセ」のパッケージ、「アフタヌーンティー」の雑貨シリーズなど、多方面でいま引っ張りだこのイラストレーター・北澤平祐さん。文芸サイトHBでの連載を経て2021年6月に発売となる『ぼくとねこのすれちがい日記』通称「ぼくねこ」は、自身初となる長編。駆け出しイラストレーターと保護猫の少し不思議な絵物語は、実話がベースになっています。この作品に、北澤さんは特別な思い入れがあるとか。
企画誕生のきっかけ、イラストと文章の創作プロセス、本に仕込んだたくさんの「仕掛け」などを、北澤さんにうかがいました。担当編集者からの裏話、貴重なラフ画もたっぷり公開します!
『ぼくとねこのすれちがい日記』
きっかけは6年前の個展。文章を書く依頼にびっくり!
「ぼくねこ」企画のはじまりは、表参道のHBギャラリーで2015年に開催された北澤さんの個展「ねこのように ゆっくり やすみたい」までさかのぼります。
「この本のねこのモデルでもあるホワンホワンが亡くなって、半年後くらいだったかな。2年に一度開催している個展の時期が近づいていて、今回はホワンのことを描こうと決めたんです。ホワンのまわりにあったもの、ホワンが見ていたものを描くというコンセプトで。まだ色々と迷いはあったんですが……いざ開催してみると、来たお客さんがみんな自分の家のねこの話をするんですよ。もう亡くなってしまった子も中にはいたんですが、スマホで写真を見せてくれたり、「ねこあるある」を話したり……それがすごく印象的で、ねこって何かと何かをつなぐような、不思議な存在なのかもと思いました」
HBギャラリーでの個展のようす
「ギャラリーとホーム社さんのWebサイトの名前が同じ『HB』なのは、全くの偶然なんですよね。これも不思議なご縁です」
この個展の図録の副読本を目にとめた編集者から、Web連載の企画を提案されます。
北澤「この個展から2年後くらいに、編集者さんと別の打ち合わせをした後で『この個展をベースにしたイラストと文章の連載をしませんか』って、唐突だったからびっくりしました(笑)。しかも文章を書くなんて、本当に思いもしなくて。いったいどうして依頼しようと思ったんですか?」
担当編集(以下「担当」)「ねこ好きなので副読本を買ったんですけど、『ねこの目で世界はこう見える』という視点の設定と、その描写がとてもしっかりされていたんです。個展全体としての物語性も高くて。小説などの創作にはこの『独自の視点』と描写力がとても重要だと私は考えているので、この方は物語を書く素質があるんじゃないか、読んでみたいと思ったんです」
「ねこのように ゆっくり やすみたい」図録
「ねこのように ゆっくり やすみたい」副読本。構想ノートやアイデアスケッチがびっしり。
こんなに凝るはずじゃなかった……! はじめての長編創作
こうして、文芸サイトHBの連載「ぼくとねこのすれ違い交換日記」が2019年6月にスタート。全31回にわたり掲載されました。人間の「ぼく」ことタイラと、「ねこ」のホワンホワン、それぞれの視点による絵日記で物語がすすんでいくという、ユニークな形式です。
北澤「人間とねこ視点の絵日記という形式は、打ち合わせの中で編集者さんから出たアイデア。構想シートを作っては、よく神保町のブックハウスさんのカフェで打合せしましたよね。確か何度目かのときに、『この構想を普通に文章で書くのは、だいぶ技術が必要ですよ』と言われて(笑)。どうするか悩んでいたときに『絵日記』と聞いて、それならできるかも! と、そこからようやく話が前に進みました」
担当「依頼したとき、私としては絵と短い文章くらいのイメージで、ここまで凝った長編のつもりじゃなかったんです。でも最初の構想から、北澤さんにすごく面白い設定をいただいてしまい、だったらこうした方がもっと面白くなりますね……と、どんどん欲が出た結果、北澤さんには大変なご苦労をおかけしました(笑)」
北澤「あははは! ねこに関する英語のことわざを『ねことわざ』として毎回紹介しようと決めてしまったのとか、お互いに自分の首をしめてるなってとき、ありましたね(笑)。でも、文章がうまく書けないもどかしさはもちろん常にありましたけど、大変さより面白さが先にくる仕事でした。
フランセの仕事などでもそうですが、今回のように、無茶ぶりみたいな依頼のほうが、今まで作ったことのないようなものができる可能性が高いですし、大変は大変なんですけどやっててすごく楽しいんです」
連載第1話ラフ
連載第2話ラフ
エピローグのラフ
連載、単行本ともに、エピローグがコミック形式になっているのもユニークです。
「これも編集者さんのアイデアなのです。当初、一枚の絵巻物みたいなイラストで表現するという案もあったんですが、Webで横長の絵は見せづらいという制限から、こうなったんだったかな? イラストを描くときも、制限があるほうが楽しいし、やりやすいですね」
「プロのイラストレーターになるまで」の半自伝的ストーリー
「売れないイラスト稼業」の青年タイラが子ねこを拾い、公私ともにさまざまな浮き沈みを経験しながら、やがてイラストレーターとしての階段を上っていく──北澤さんがこれまで積み重ねてきたキャリアがベースになった本書は、イラストレーターという仕事の舞台裏を垣間見ることのできる作品でもあります。
北澤「お話は、現実と創作が半々くらいで混じり合っている感じです。フランスの大手ブランドからいきなり仕事がきたのとか、業界人うじゃうじゃのパーティーで帰りたくなったのとかは、本当にあった話ですね。イラストの仕事って、現実は地味だし、その時その時ではしんどいことも多いです。でもふり返ってみると、案外と嬉しかったことばかり記憶に残っていて。だから自然とこの本も、現実のしんどさはやわらかい表現になって、タイラはちょっと能天気なキャラクターになっているのかもしれません」
「フランスの大手ブランド」はKENZOのこと。本書にもチラリと描かれている。
実際に北澤さんの絵が採用されたパッケージ(KENZO Parfums)
本書は、やわらかい線で華やかな雰囲気の絵(ぼくサイド)と、幾何学的なデザインとシャープな着色がお洒落な絵(ねこサイド)が見開きの構成。手前には写実的なタッチの線画で、ゲーム機や携帯電話、CD、お菓子、画材などが描き込まれています。
北澤「ぼくやホワンの周りに実際あったものばかりです。auのインフォバーとか昔のiPodとかファービーとか、懐かしいですよね。面白いのは、携帯やゲームはほんの10年前のものでもすごく古く感じるのに、アナログの画材ってぜんぜん変わらないんです。あたりまえかもしれませんが……でも、今も同じものを使っていて、アナログの強さを改めて感じました」
本書に登場するぬいぐるみたち。「捨てられそうになっていたのをサルベージして、今もぼくの仕事部屋に飾ってあります」
ホワンと暮らしてから増えたねこグッズ。これも本書に多数登場。
たくさん登場する洋楽C Dの中でも特に作中で重要な役割を担う、グランダディのアルバム「Just Like The Fambly Cat」。「famblyはfamilyのことらしいです。……曲を書いたジェイソン・ライトルさん特有の、言葉遊び的なフレーズかもしれませんね」
ホワンホワンは、ほとんど現実のまま
「ぼくねこ」の登場人物のうち、ホワンホワンと先輩犬の「スマ」は、名前もキャラクターもほぼ現実のまま。ここで初めて、現実のホワンホワンの姿を紹介します。
「ホワンは、人生ならぬ『猫生』、もう何回目なの? という、全てを見透かしているような、何もかも経験してきたような目をしたねこでした。保護したときからひげも本当に長くて。ホワンがあのヒゲを生やしていなかったら、この本のストーリーもぜんぜん違うものになっていたと思います」
たとえば本書には、ホワンホワンが「授乳パッド」を「タカラモノ」として密かに収集する逸話が描かれています。この「タカラモノ」をめぐるタイラとの攻防戦など、実話でなければなかなか出てこないであろう、ユニークな逸話が印象的です。
「ホワンの視点でこうして書いてきましたけど、今だに分からないことだらけです。今もしホワンが横にいたら、じっと睨みながら、『ぜんぜんちがう』って言うんじゃないかなあ」
赤ちゃんの頃から、おじいちゃんのような風格があったホワンホワン
「本当にしょっちゅうペンを落とされましたね。このホワンの顔!」
マルチーズのスマとホワン。「スマが脱走して、家族がびっくりするかたちで帰ってきた話も実話です」
『ぼくとねこのすれちがい日記』ができるまでの話(全2回)