真藤順丈【ヴンダーカマー文学譚】二人目 お前が名前を持つまえに
「夢にすがることは、万能の薬でも尊い美徳でもなんでもない」
新人賞4冠受賞。売れないどん底時代から、直木賞受賞──物語に憑かれた「憑依型作家」の真藤順丈が本領を発揮する、小説家ワナビーたちの数奇な群像劇。連載再開直前の一挙掲載、二人目の主人公は「亡命熱望主婦」!
Illustration:MOTOCROSS SAITO
「ヴンダーカマー文学賞」原稿募集!
◉賞の概要
ヴンダーカマー(Wunderkammer)とは十八世紀の半ばまでヨーロッパで流行した文化で、あらゆる珍品奇品(動物のミイラや骨格標本、金の編み細工、ダ・ヴィンチの素描やアルチンボルドの奇想画、天球儀、オウムガイの殻でつくったランプシェード、錬金術の稀覯書、オートマタや聖遺物etc……)を集めた学者や王侯貴族によるコレクション展示室のこと。〝驚異の部屋〟と訳される名を冠した公募文学賞をこのたび創設する運びとなりました。読み手に驚きと歓喜をもたらす才能、類例のない面白さに満ちた作品を募集します。
◉募集要項
広義のエンタテインメント小説。原稿用紙換算で一〇〇枚~四〇〇枚。
日本語で書かれた未発表作品であればプロアマは問いません。
◉応募方法
テキスト形式で保存した原稿に八〇〇字程度の梗概をつけて、エントリー用のメールに添付して送信してください。住所、氏名、年齢、職業、電話番号、公募賞への応募歴を明記のこと。
◉選考委員
日本文藝作家連盟に属する現役作家が、二次選考~最終選考に至るまで随時、ランダムに選考にたずさわります。すでに発表されている真藤順丈、藤代勇介、那須千賀子の三氏に加えて、あらたに小説家・フランス文学研究者の窪田陽一郎氏が選考委員に決定しました。驚異の部屋はその目玉展示物となるあなたの小説を、盤石の布陣でお待ちしております。
◉応募期間
二〇一九年六月二十日~二〇二〇年二月末日。二次選考後、最終候補に残った五~六作品を当ホームページで発表。受賞者の発表は三月十五日。
◉賞金
五〇〇万円。受賞作には出版時に規定の単行本印税が支払われます。
◉主催
日本文藝作家連盟(協賛/ホーム社)
二人目『お前が名前を持つまえに』
森のはずれでジョゼフが足を止める。わたしたちに言う。
「ここはもうオーストリアだ。あんたがた、あとはこのまま真っ直ぐ歩き続けるだけのことだ。村は遠くない」
わたしはジョゼフを抱き締め、接吻する。グループの全員が、持っている現金のすべてを彼に与える。どのみち、オーストリアでは何の値打ちもない貨幣なのだ──
ちょっぴり読書に疲れて、読んでいた本を閉じて、テーブルに置く。
選ばずに数冊を持ってきた、そのなかの一冊。それほど分厚くはない。
だれも見送りに来ていない七月の空港で、アゴタ・クリストフ『文盲』のシンプルな装幀を眺める。
亡命、か。
読書の余韻として、浮かんできたのはその二文字だった。
なんとなく奇縁を感じてしまう。アゴタ・クリストフの自伝だった。一九五六年にハンガリーで動乱が起こり、生後四ケ月の娘を連れてスイスに逃れたアゴタさんは、工場や歯科で働き、子育てをしながら、流暢とはいえないフランス語で小説を書いた。無名の書き手の処女作『悪童日記』はのちに三部作となり、二十世紀の世界文学史に残る傑作として広く知られるにいたった。その執筆や出版のいきさつを含めた彼女の半生が、淡々とした筆致で、自伝にありがちな自己陶酔のない文章でつづられている。
私がこれからしようとしていることも〝亡命〟なのでは? 読書からある種の啓示を得られるのは本読みだけの特権でありロマンチシズムだ。東京行きの便を待つあいだに、たまたま持ってきた数冊からこれを読むなんて、数奇なめぐりあわせを感じずにいられない。すると私は新たにたどりついた土地で、何かを書くべきなのか。あ、そういえば。もしやあれも啓示なのかも。私はスマホを繰って、気になってブックマークしてあった公募新人賞の募集要項をあらためて閲覧した。
ヴンダーカマー文学賞──募集されているのは広義のエンタテインメント小説。原稿用紙一〇〇枚から四〇〇枚。締切まではおよそ半年。ただの主婦にまあそんなに書けるわけないよね。私はアゴタさんじゃないしね。
家事や育児の一段落した主婦が、遅咲きの作家としてデビュー、というのはよく聞く話ではあるけれど、そもそも書くことなんてあるの? 飛行機の搭乗まではあと三十分、試しにそれまで小説の題材を考えてみようか。
あたりをきょろきょろと見回した。ターミナルビルの窓の外には、濃紅色に染まった白神の山脈を望むことができた。地元の祭日ではあるけど、夕刻の空港はそれなりに混雑している。国内便だから必要ないんだけど、出発を待つレストランの机の上にはパスポートも載っていた。
刷られた証明写真の私は、三、四年分だけ若かった。この写真に更新する前の写真はもっと若かった。そのときはどんな表情で写ってたっけ、もう思い出せない。最後に海外旅行をしたのは二十年前のこと、結婚してからはその一度きりだった。
アゴタさんとか、空港とか、パスポートとか、そういう諸々が呼び水になったのか、脳裏にもぞもぞとうごめくものがあった。
あ、いかん。古い記憶をファイルしていた大脳皮質から、稼働しはじめた妄想工場に運ばれてくるものがある。忘却の彼方にあったはずの思い出がよみがえり、蹄を鳴らす馬の群れのように意識の前面まで駆けあがってくる。
私の新婚旅行はアメリカの東海岸で、ジャクソンビルからアトランタ、シャーロット、ワシントンD.C.までを二週間ほどでめぐった。
現在だったらふつうにハワイやタヒチに連れていけと思うけれど、当時はそれでよかった。他人さまと違うコースがむしろ、特別なハネムーンの彩りを濃くしてくれた。旅程の半ばには響一の趣味でアイスホッケーの試合を観戦しにいって、そこで私たちは、大画面に映されるたくさんのキスを見物させられた。
俗に〝キスカム〟っていうのね。アメリカやカナダの大きなスタジアムで、タイムアウトなどの幕間におこなわれる客いじり、ドッキリカメラみたいなものだ。
客席のカップルが一組ずつ選ばれて、会場のスクリーンに映しだされる。カップルは他の客に囃されたり、ラブソングであおられたりしながら、公衆の面前での口づけを求められる。応じてキスをすれば喝采や口笛を浴びるし、決まりが悪くなって拒否すればブーイングを浴びちゃう。なんだよもったいぶるな、熱いのをやれ熱いのを!
欧米ではスポーツ観戦という祝祭空間において、会場の客が一体化することにポジティヴな価値が見出されるんだよね。キスカムの画面に映るカップルはそのとき人身御供となって、パートナーのみならず会場そのものとキスすることが望まれている。たとえばウィー・ウィル・ロック・ユー風の拍手や足踏み、ウェーブ、コール&レスポンスにもうまく乗れたことのない私は、次々と画面に映っては熱烈なキス、絶対に舌がインしているキス、ディープキスの略式のようなフレンチキス──略式であることが態度でわかるのでかえって親密さと生々しさが深まっている──それらを惜しまないカップルに「わーアメリカ……」と旅行でもいちばんのカルチャーギャップを味わっていた。
隣の席では「映されたらどうすっかね、こっだら空気ではしねえわけにいかねえぞ」と響一が身構えていて、選ばれたら選ばれたでお金じゃ買えないハネムーンの思い出になると期待しているふしもあって、それはそれで微笑ましくはあった。
結局のところ、私たちは選ばれなかったわけだけど、ただそれだけならこうして特別な思い出としてよみがえってきたりしない。終盤のタイムアウトのさなかだった。そこで映されたあるカップルが、それまでの会場の熱っぽいムードを一変させてしまった。
九〇年代の末ごろの、当時の社会情勢とかも影響していたはずだけど、細かいことは憶えてない。とにかくそのカップルだけは、大画面に映しだされるままにキスをしたにもかかわらず、他の客たちから雪崩のようなブーイングを浴びたのだ──
私はどうして、こんなことを思い出しているのか。
あのカップルはそのあと、どうなったのかな? もちろん知るよしもない。
あれをきっかけに、二人の関係がぎこちなくなって、別れてしまったかもしれない。
あるいはかえって絆を深めて、二十年後の現在でもたがいの時間を分かちあっているかもしれない。
アゴタ・クリストフから〝キスカム〟に連想がつながるなんて。記憶の回路ってときどき不思議だ。あるころ親しくしていた年長の友人にもよく言われた。野島さんは大きな眼鏡こそかけていないが、どこかアゴタ・クリストフに似ていた。私のあごの下に挿しこまれるベルベットのような指先を、その感触をいまでも思い出すことができた。「また、妄想していたでしょう」と野島さんは微笑みながら、みずからの吐息の領域に入ることを許すみたいに私の顔をもたげさせた。「あなたはその妄想のなかで幸福なの、不幸なの?」
あの日、歓迎されなかったカップル。二人のどこに野次や非難で吊るしあげられるほどの〝不実〟があったんだろう。あれから今日にいたるまでの私は、幸福だったのか──あれこれと千思万考していると、あっというまに時間がすぎる。東京羽田行きにご搭乗のお客様は……と、ターミナルに響く放送で我に返った。私はレストランの会計をすませていそいそと保安検査場へと向かった。
急ぎ足で歩きながらも、芽生えたばかりの感情をひきずっている。首尾よく〝亡命〟できたあかつきには書いてみようか。特に小説家になりたいと思ったことはないけど、自分でも持てあますほど妄想が先走りがちで、脳裏に湧きかえる記憶や物語の端ぎれのようなものを文章に起こしてみたくなったことはあった。
大学の専攻は英文学部だったし、現在にいたるまで読書はただひとつの趣味だし。ひところは近県で催される小説講座に通っていたこともある私だ。だけどあれもな、好きな作家がつづけてゲスト講師に招かれていたので、聴講目当てで通っただけだしなー。これまでに自分が本当に何かを書けるなんて信じられたことはなかった。
それがどうして新人賞だなんて? こんなときだからなのかも。ターミナルで搭乗の時刻を待ちわびる、日常のエアポケットのような時間だから。二十年も暮らした東北を離れようとしている節目だから。だからこそ私は、これまで意識しなかった公募の賞に琴線を弾かれているのかもしれない。
衝動に背中を押されたようで、前から計画を温めていたような気もする。数日前には息子にもそれとなく電話で伝えてあった。
「忙しいって言ったって、サークルとかバイトとかでしょ。別にそっちにいるあいだにそういうのを休んでほしいって言ってるんじゃないんだから」
「ちょっと待ってよ、母さん、何日もいるつもりなの」
「そうね、どうせ行くんだし。母さんが連泊するのが問題あるわけ」
「ないけどさー」
母親とはいえ予告なしに訪ねていって、煙たがられたり、ガールフレンドを連れこんでいるところに出くわしたりしたくなかった。亡命先の身の寄せどころは確保して、あとは本や衣類をリュックにまとめて、カレンダーを確認してここしかないという日を選んだ。七月中旬、八幡宮綴子神社例大祭が催されるこの日なら、地元の商工会や退職者の会の集まりで夫も舅も出払っている。前日の晩から体調不良を訴えて、あとから集まりには顔を出すのでごめんなさいと家に居残って、午後三時を過ぎたころに書き置きも残さずに玄関をあとにした。
遠巻きには祭囃子。直径四メートルに達する綴子大太鼓が、踊り手や陣旗や獅子踊、野次払とともに氏神に奉納されるまでの道中を行進していく。あちこちで交通規制が敷かれていてタクシーは拾えない。この日ばかりは夫名義のプリウスに乗るわけにもいかず、鷹ノ巣から大館能代空港までの六キロほどを歩いた。できるだけ大通りは避けたけど、それでも数人の知り合いに呼び止められた。息子がらみのママ友や、響一の地元友達たちに「どさ、どさ?」と尋ねられてもちょっと野暮用でね、と切り抜けて、地方都市にありがちな住民同士の相互監視の網をかいくぐって、たどりついたターミナルビルのレストランで搭乗の時刻を待った。
ここまで来たら、亡命は私のものだ。
よし、書いてみよう。亡命できたら、私はアゴタさんになろう。
国外脱出ではないので使うのは日本語だけど、そこはまあご容赦いただいて。
あとは粛々と保安検査場を通過して、航空券のバーコードをかざして検札ゲートを通過して、エコノミー・シートに坐って離陸を待てばいい。出くわした知人たちが皆代家の嫁の出奔をふれまわっているころには、私は濃紅色の空に抱かれて、客室乗務員に赤ワインでも注文している。朝からつづいた緊張感はやわらぎ、かすかな胸の高鳴りもこころよいものに変わっていた。雲の上への階段を上がっていくような心地で、検査の列を一歩ずつ進んでいたそのときだった。
「おー、いだいだ、多恵子さーん!」
聞きおぼえのある鼻濁音。ターミナルに響きわたったのは身内の声だった。
そんなまさか。私は振り向かずに、何かの間違いであることを祈った。
義弟が来ていた。一人じゃないみたいだ。どやどやとこっちに向かってくる。
「なんとなんと。黙って飛行機さ乗るなんて、家出でもしようってか」
こんなに早くどうして、しかもなんだって義弟が? おそろいの法被を着こんだ仲間をともなって大挙するあたりが盛二らしかった。
「盛ちゃん、太鼓放っぽって見送り?」
振り切ってやる、盛二ごとき。尻すぼみにならないように私は語尾を強くする。
「どさ、どさ?」盛二と愉快な仲間たちにも、どこに行くのか、としつこく訊かれた。
「ちょっとね、橙也に会いに東京まで」
「黙っでいぐのは、そらぁうまぐねえべ」
「ごめんしてけれ、もう搭乗の時間だから」
「止めねばなんねのさ、止めれって頼まれてきだもんでよ」
「わざわざ自分が出向くことでもないってわけ」
「なんもかんもねえ、兄貴さ奉納式典でしゃべらねばなんねがら。こっだらとこで話にもなんねえさ、夫婦がこじれてるにしても頑張って話さねばなんねえべ。おれでは埒もねえから、兄貴さ電話してよ」
「飛行機、飛んじゃうから。電話なら着いてからするから」
「多恵子さん、近ごろ更年期が始まってんでねえかって兄貴が。イライラとか不安定になんだべ? だもんで行かせではなんねって。みんな心配しでっから」
信じられない。そういうことを身内とはいえ私と血のつながりのない義弟に話す神経を疑う。手首を摑まれて、私は亡命寸前で修羅場になることを恐れる。無理強いしないで、こんなふうに引き留められるいわれはない。
「親父の祝いもあるでねえが、なんもいま行ぐごたねえさ」
「離して、盛ちゃん。橙也が待ってるんだから」
「橙也もだべ、あいつも母ちゃんさ家が嫌んだぐなったんでねえがって、それで電話してきたんだべさ」
「橙也が、だれに」
「兄貴に」
あの子ったら「お父さんに言わないで」とあんなに念を押したのに。息子が独り立ちして環境が変わったことで、私の情緒が不安定になっていると疑ったんだろう。両親の不和のとばっちりを警戒して、わざわざ連絡を寄越してきたわけね。無条件に息子は味方だと思ったのが馬鹿だった。身内に裏切られたかたちになって、私はよろめき、うなだれる。盛二にも橙也にも悪気がないのはわかっているけれど、良かれと思っての心くばりが〝亡命〟の意志を搦めとる。検査場の前で悶着を起こすのもためらわれて、私はなしくずしに義弟からスマホを受け取ってしまった。
響一だった。いろいろ言っていた。
要約すればこうだ。──とにかく帰ってこい。
盛二たちの手を振りほどき、最後の検札ゲートまでダッシュする気力は失われていた。保安検査員にまで乗らないならどいてくださいといった態度で接され、さらに押し問答をするうちに羽田行きは搭乗口に架かる通路を外して、離陸のために滑走路を走りだしていた。大館能代―羽田便は朝と夕の二便しかなく、今日のうちに航空券を繰り越すことはできない。深夜列車やバスの乗り場に向かうには、何よりも私の心が折れてしまっていた。
そのまま義弟の車に乗せられて、雲の上から見晴らすことのかなわなかった北秋田の街並を戻っていくはめになった。疲れきって口をきくのも億劫で、私は盛二の言葉を聞き流しながらロードサイドにつらなる景観を茫然と見送った。
主婦の亡命
婚家での二十年に思いを馳せる──大学時代に交際していた年上の響一と卒業とともに結婚し、地元で就職するという彼について北秋田に移り住んだ。出版や翻訳関係に進みたい気持ちはあったけど、家庭に入ることを選び、二十三歳で橙也を産んだ。
濃い地縁、親戚のしがらみ、車なしでは成立しない暮らし。地方に嫁いだ立場としてひとなみに苦労はさせられた。自治会だろうと夫の飲み会だろうとかならず夫婦同伴じゃなくちゃいけない謎の慣習に「私、いま要るか?」と思わされることもしばしばだった。私大入学とともに息子が上京して独り暮らしを始めて、「これまでにできなかったこと、してみたかったことをしてみたら」と周囲に言われて、海外文学の読書会に参加してみたり、日本酒の美味しい店にお独りさまで飲みに行ったり、わけもなく徹夜をして朝まで起きていてみたり、ヒヨコの雄雌の鑑別師の資格を取得してみたり、紆余曲折があったすえに私が望んだのは、他でもないこの土地を離れることだった。
今日の空港で、あらためてはっきりとわかった。
これまでにできなかったことで、私がしたかったのは〝亡命〟だ。
だけど失敗して、自宅に連れ戻される。同居の義父も、夫も帰宅していた。私はリビングには入らずにそのまま自分の部屋に直行した。鍵を閉めたドアが叩かれて「話さねえか」と響一の声が聞こえたけど、
「ごめん、今日は許して」と私は返事をした。
「せば、いつ話せる?」
「わからない、もうちょっと落ち着いたら」
「だどもお前、仮病ぐらいならまだしも、無断で東京さ行こうとするなんてよ。信用しあえなぐなったら終いだべさ」
「どうして息子に会いにいくのが、信用できないってことになるの」
「心配なんだよ、多恵子ちゃん、こっだらこと家出と何がちがうよ」
「とにかく今日は話したくない」
“あのこと”で怒ってるのか、と言ってくる響一を部屋に入れない。私たちのあいだにあるのは抜き差しならない夫婦の確執で、それは昨日今日に始まったことじゃない。それこそ新婚旅行の一幕から、あの日のスタジアムから始まっていることだ──もしも扉を開ければ、響一はこっちが根負けするまでねばりにねばり、謝ってすむならいくらでも謝って、それからあわよくば妻の体にふれようとするだろう。
そんな気力はなかった。亡命はしそびれたけど、それでも──持ち帰れたものはあるじゃない。私は夫を顧みずにマック・ブックプロを開く。画面の左に配したアイコンをクリックしてワードを起ちあげる。脳裏の奥に、掌の内側に熱があった。
ターミナルビルで得られた構想を、まだその感触が新鮮であるうちに、ひといきに書きだす。悔しまぎれというのはなきにしもあらずだけど、それでも自分のなかにそうした集中力が、言葉をともなうイメージの奔流があることには驚かされた。私はモニターの文字列だけに没頭する。扉を閉めて、遠い記憶を吟味しながら、キーボードを叩きに叩いてトイレにも立たない。壁の時計を見るたびに三時間、五時間と経っていることに高ぶって、集中しきっているその瞬間だけは、私の内側からは憑きものが落ちたように疲弊が消えている。
眠らずに、ひと晩じゅう書きつづける。
ファイル名は、小説の題はまだつけない。
仮に『キスカム』と題したそれを書きつづける。
*
千に一つの歓喜、天にも昇るような心地。
選ばれた恋人たちは、そろってそんな感覚に打ち震えています。
スタジアムの気まぐれな神の息吹がもたらされ、これから自分たちにはすばらしいことだけが起こるのです。
この日のために着飾って来ました。もしくはあえて普段着で来ました。二、三十秒ごとに区切られたラブシーン、コマーシャルのようなハッピーエンド。ふたりしてずっと待ち望んだその瞬間が、頭上の大きな画面のなかで、たくさんの立会い人のまなざしのなかで現実のものとなります。
夢のモニターに映るひとびとは、ハンサムも美人も、おじさんもおばさんもティーンエイジャーも、白人も黒人もだれもが面映ゆそうにして、だけどその顔をそれぞれにほころばせ、険のある強面もやさしげに、お金がない者も豊かそうに、倦怠期の二人ですらういういしく頬を紅らめます。
幸運と歓喜にあずかった恋人たちは、けしてそのことを忘れません。ふたりで寝ているときにも、ビュッフェの芋をトングでつまんでいるときにも、キャンプでテントを張っているときにも思い出します。周りのひとたちだって忘れさせてくれません。口から口にうわさは運ばれて、しばらくは電話やメールでことほがれます。おめでとうおふたりさん、すばらしい勲章をもらったってね!
あるいは感じ入ったような声で告げられます。あなたたちは愛の試練にパスしたのよ、あなたたちはそれにふさわしいと思ってたわ。べつの恋人たちは、友人や家族を集めてパーティーを開きます。祝福の輪のなかに迎え入れられながら、自分たちが世界の愛の中心にいるような喜びをこころに刻みつけます。感動がぶりかえすたびに夢じゃないかと思うけれど、そうじゃないのはパートナーのうっとりしたまなざしが教えてくれます。あるいは人生の晴れの舞台から歳月をまたいで、ものすごい喧嘩や夫婦の戦争をなんべんもやらかして、ふたりで共有するどの思い出もろくでもないものに落ちぶれてしまっても、その勲章だけは勲章のままで残るのかもしれません。
それをもらう条件はただひとつ、唇をあわせることだけ。それぞれにそれぞれのキスをすればいい。一方がひざまずいて許しを乞うような儀式めいたキスでも、お辞儀やウィンクと変わらない手軽なキスでも、贈りものを飾るちょうちょ結びのリボンのようなキスでも、みなしごになっていた唇と唇とが数十年ぶりに再会するようなキスでも。それぞれがそれぞれらしいキスを交わせば、数百万という泡がふくらんで弾けるような拍手や口笛、歓声や羨望のこもったため息を浴びて、会場の全員から愛されているような錯覚も味わえます。だれもがそのときばかりは衆人環視のステージに上がって、なにかしら足りていない人生の隙間をキスで埋めるのです。
タエコたちはそこにいました。家族も親戚もいない外国にやってきて、ふたりだけのホテルのベッド、ふたりだけのバスタブ、ふたりだけのじゅうたん、そういうものにいちいち感激します。歩道の線の一本一本も、カーテンの隙間から差しこむ光の揺らめきも、これから始まるふたりの人生を豊かに暗示しています。わたしたちだけの朝食、わたしたちだけのクルージング、わたしたちだけのスタジアム、そこで目の当たりにするキス、キス、キス。
「おれたちも映されたらどうしよう?」
すごく心配そうに彼が言うので、タエコはおかしくなってくすくすと笑います。
「結婚式のときにもすんなりできなかったもんね。こんな大観衆の前でしろっていうのはハードル高すぎる?」
「若いカップルがけっこう選ばれてるみたいだぞ」
「顔を傾けて、ハグでごまかして、キスしてるみたいに見せかけるのは? 映画のキスシーンNGの俳優同士みたいに」
観戦そっちのけで策を講じながらも、自分たちが映されることがないのはなんとなく察しています。なぜかって、自分たちは旅人で、アジア人だから。この場のレギュレーションにはきっと添わないはずだから。
と、そのとき画面に映ったカップルに、会場がざわつきます。
ブルネットの女の人が、頭上のモニターをちらちらと見やる視線を挟みながら、ハイ、とカメラに向かって手をふっています。三十代ぐらいでサングラスをかけていて、頭の両がわを短く刈りこんだ人。それだけならおかしいことはありません。他とちがっていたのは、彼女が情熱に満ちた手つきで抱きすくめているパートナーも、おなじぐらいの年代のブロンドの女の人だったということです。
わたしたち見てのとおりだけど、それでもオーケー?
彼女たちの目が、語らずとも語っていました。
ざわついています。会場全体がたしかに動揺しています。レズビアンのカップルが映されるのは、あるいはよそ者よりもありえないことだったのかもしれません。その日のオペレーターの気まぐれか、いつもとちがうアクセントが欲しくなったか。もしくはふたりの奥の席にいる中年カップルを抜こうとして、カメラの向きや焦点がずれたのかもしれません。なんらかのハプニングの結果なのかもしれません。わからないながらにタエコの目もモニターにくぎづけになりました。
彼女たちは、しました。
堂々と、キスの儀式にその身を供しました。
望まれれば何時間でもそうしていることをためらわないような、七千回もくりかえしてさらにもっと気持ちいい仕方を探しているようなキスでした。
ところが観衆は、喜びませんでした。大半のひとびとが歓声を送らずに、うってかわってブーイングしました。えっ、そんなにあからさまなわけ、とタエコが面食らうほどに批難ごうごうになったのです。
「しわくちゃのババアになるまでしてろ、人目につかない便所の裏で!」
すぐそばの席からはそんな野次が飛びます。ブーイングを浴びて唇をはなしたカップルは、さすがにばつが悪そうな、とつぜん地面に空いた穴のふちで戸惑うような表情を見せたのを最後に、モニターは会場全体を俯瞰する映像に切り替わりました。
後味の悪さをおぼえて、タエコは彼女たちがどのあたりに座っていたかを探ろうとしました。すくなくとも自分たちの近くにはいません。向かいがわか、アリーナ席か、周りの観客にじかに罵声を浴びてやしないか、と視線をめぐらせます。ちょっとあんまりだと思いました。だってモニターに映されたから、BGMにあおられたからキスしたのに、会場から要求しておいて、会場が貶めるなんて。
そんな思いを同行者に伝えようとしたところで、彼のほうから口を開きました。
「客からすれば、注文と違うジャンクフードが出てきたようなもんだよな。おおやけに見せるものでもない。悪ノリしたあの女たちにも非はあるよな」
彼はそうつぶやいて憫笑し、満足げにちいさくうなずきました。
他の客たちの野次につられて、本音がこぼれたようでした。
男と女のキスはよくて、女と女のキスはおおやけに見せるものじゃない? そもそもこのお遊びそのものが悪ノリを前提としているんじゃないの? タエコはびっくりしてしまいました。旅行先でだしぬけに出くわしたとげとげしいブーイングに、彼がまったくすんなりと同化していることに。ちょっと驚きすぎてしまって、そのあとの試合も頭に入りません。ホテルに戻ってもタエコはしばらく口をききません。
好きあって一緒になって、これまでおなじような趣味でおなじ感情を共有してこられたのに。ホテルの部屋のなかでは、何かノサリノサリと音がしていました。かすかだけれど途切れなく神経に障る音は、安宿の天井をネズミが這っている音かもしれませんでしたが、音の出所がなんなのかはチェックアウトまでわからずじまいでした。
ささやかだけれど無視できないその日のできごとは、帰国してからもタエコの記憶にとどまります。仕舞った場所からことあるごとに出してきて、ためつすがめつしないではいられないもの。その日から数十年がすぎたのち、タエコは彼のもとを離れて、違う土地に移ることを決めます。
じつは自分の足元にもうがたれていた穴に落ちこまないために、そうすることが必要でした。
*
数日後、早起きした私は、腕をふるって料理をする。
この日ばかりは、部屋に閉じこもっていられない。
体力はもとより知力や経験則も問われる、とびきりハードな一日を迎えていた。
豚肉を下茹でするあいだに大根の皮を剝むいて、竹串がスッと通るぐらいにお肉が柔らかくなったら、大きめの鍋に移して煮立てる。
クッキングシートで落とし蓋をして、フツフツするぐらいの火加減で煮込めば、大根と豚肉のべっこう煮のできあがり。あとは鯛飯と、山芋と牡蠣のクリームシチューを作る。数十人ぶんなのでいっぺんにたくさん作れるものが望ましい。
ホワイトソースを作らずに山芋のすりおろしだけでとろみをつける。牡蠣をていねいに水洗いしてから白ワインを足して、櫛形に切ったカブを加えて、蓋をして、牛乳と生クリームを加える。振り塩した数尾の鯛を両面に焼き色がつくまでグリルして、土鍋のご飯の上に載っけてふっくら炊き上げる。最後の数分間を逃さずに強火にすると、適度にお焦げができて香ばしさが増す。
うーん、いい匂い。台所には作っている料理の芳香が満ちはじめる。それからこういう親戚の集まりでは、子供たちが喜ぶメニューを押さえておくのが肝だった。大きめに切った鶏肉とりにくを、磨すりおろしたにんにくや生姜、粗挽胡椒、コリアンダーやナツメグの粉を混ぜこんだ秘密のパックに入れてモミモミ、それから揚げ油に投じて、ほどよいところで網にとって余熱で火を通してから、さらに火力を上げて二分間揚げる。何を作っているのか、これはフライドチキンね。このぐらい皿数があれば充分でしょう。あとは集まってくる奥さま各位もいつものように、お漬物や煮物、きりたんぽや地鶏やハタハタ寿司を持ち寄ってくれることでしょう。
「つづきはどうなるのかな、キスカム……」
料理をあつらえながら、私の脳はその識閾下ではっきりと創作にスイッチをあわせている。
あの夜、明け方まで二十枚超の原稿を書きに書いた。ドーピングして五感が覚醒しきったような感覚は、私自身にも衝撃をもたらした。あれは凄かったよね、幻の雷鳴轟いちゃってたね、私は火加減を見ながらも余韻に浸ってしまう。
途切れることなく言葉がぶつかりあいながら、ひとつの流れになっていく実感があった。よみがえる風景と時間。失われる境界線。私小説めいたものとはいっても書くことで得られる高揚感は、私にとっては天地開闢にも等しい稀有な体験だった。
書いたところまでは事実にほぼ即している。とはいえ日記や紀行文のたぐいではなくて小説の文章になっているはずだ。ヴンダーカマー文学賞、それからアゴタ・クリストフのひそみにならった〝亡命〟の願いが、私をうっかり覚醒させてくれちゃったのか。
あらためて気がついたこともあって、何もアゴタ・クリストフにかぎらない、どちらかといったら海外文学が好みというのはあるけど、私をなかんずく夢中にさせるのは〝亡命〟を経験したことのある作家の小説に多かった。『存在の耐えられない軽さ』や『不滅』のミラン・クンデラしかり、『魔の山』のトーマス・マンしかり、ウラジーミル・ナボコフだったらチェス小説の『ディフェンス』がいちばん好きだ。革命や動乱によって別天地に移り、母国語とは違う言語で書く小説家は少なくない。作家自身の流転する生に、数奇な星のめぐりあわせに、ゴシップ趣味のような興味を抱いているんだろうか。それよりも何よりも、やむにやまれず故郷を捨てて、それでも異邦の異言語でみずからの小説を書かずにいられない作家の営みに、その業のようなものに、きわめつきの苦境にあっても尽きない人間の生命力を──遥かな展がりのある尊厳や力強さを感じてしまうからじゃないかと思っていて。
私にとって〝亡命〟はキーワードなのだ。もちろんハンガリーに戻るまでに十数年もかかったアゴタさんのように政治的背景や生命の危険をともなう〝亡命〟と、私のドメスティックな事情とを比べられるはずもないけどね。それでもいまは書きたかったし、書くための環境を整えていきたかった。
そういえば、亡命作家の作品群をオススメしてくれたのも、野島さんじゃなかったか。
私のここ何年かの読書傾向は、野島さんに多くを拠っている。
彼女は元気にしているだろうか。
「書くことがないんじゃないのよ、あなたは書かないだけなのよ」
よくそんなふうに言っていた。いまになって書きはじめたと知ったら野島さんはなんて言うだろう。ひさしぶりに電話かメールをしてみようか──
私が書かなければ彼女は死ぬ
おっと、第一陣がやってきた。親類縁者に分家の某さん。皆代家は農地を切り売りしてひさしい地主で、舅はスーパーマーケットチェーンの元社長、響一はそのコネを使わずに地方自治体に就職して地域振興課の課長になっていた。とはいえ土地に根差しているので親類縁者はたくさんいるのだ。静岡の実父母はすでに亡く、銀行勤めの実兄は赴任したインドに根を生やしてすっかり疎遠になっている、そんな私にとっていまはこっちの親戚だけが身内ではあった。
お義父さんの古希の祝いにぞくぞくとやってくる親族を迎え入れる。あらどうもーお元気そうで、まあ、大きくなったね! 大叔父から孫子の代までひっくるめて総勢五十人強、そのあらゆる関係性を私なりに整理して、あたかも数人しか集まっていない会であるかのようにさばく。出くわす顔、顔、顔にそのつど適切な言葉をかけて、上座下座のそれとない序列をつかんで相応の席に坐るようにさりげなく導き、学校の先生や郷土資料館の職員、農家さんや精機工場の社長とさまざまな親戚のおしゃべりの橋渡し役をつとめる。食事が始まってからは台所のご本尊となって、突きだしから主菜まで料理を運んでもらい、お酒を足して、空いた皿を下げて、そのあいだの奥さま同士のよもやま話にも花を咲かせる。あちらでおでこをぶつけた子供の手当をして、こちらでおじさんの駄洒落にほどよく笑う。数年前に旦那さんと死に別れてから惚けてしまって、親族のだれがだれやらわからなくなり、床暖房つきの回廊を歩きまわって疲れればその場にへたりこんで寝てしまう大叔母をそっと寝室に連れていく。バツがついちゃった従妹には助言をして、一世一代の独擅場とばかりに気炎を吐く老人たちの長広舌が順繰りにまわるように司会の役割もこなす。こういうさばきに関しては私は人後に落ちない。際限なく体を動かせるように重心を落としてあごを引く。格闘家のように、あるいはスーフィーの旋回舞踏を舞うように立ちまわり、回転することで体に力をみなぎらせる。私にはこの二十年を通じて〝本家の嫁〟のマルチ・タスクを発揮するソフトウェアがインストールされていた。
ときには響一の隣に坐って、夫婦ぐるみのおしゃべりにも付き合わなきゃならない。夫とじかに話さず、目線も交わさず、それでいて遺漏なく不和を嗅ぎとらせないでいるのはけっこう難度が高いのだ。幸いにして私の亡命未遂については、親戚一同にはまだ知れわたってはいなかったけれど、
「義姉さん、家出しようとしたんだって。なしてなして、嫌んだくなったの? 離婚だの別居だのも考えてんの? 勘弁だよう、多恵子さんさ行っでまったらたまんね。こっだら会をしきるのはあたしじゃ無理だよう」
盛二の奥さんの亜里沙さんはさすがに知っていた。それからもちろん舅の宗一郎も。縁側で煙草を吹かしている義父にお茶を運んでいくと「今日はご苦労さん」と一日の労をねぎらってくれた。「まんずよくやっでくれたっけな、多恵子さんには好いようにしてもらいてえが。こっだら田舎だもんでなぁ……」
「ごめんなさい、心配をかけてしまって」
地元においては一廉の人物で、スーパーみなしろの社長だったころはそれなりに厳格だったけど、数年前に甲状腺癌がんを患ってからはすっかり好々爺になって、以前にもまして私に感謝を向けてくれる。それでもまっさきに世間体を気にするのは、お義父さんのように地方で生まれ育った人間にはごく自然なことだった。
「橙也んどこさ行っで、そのまま戻らねえつもりだったんでねえか」
「……先のことは決めてませんでした」
「多恵子さん、やりてえことあんのかい」
「うーん、どうですかね」
「親の口から言うのもなんだども、響一は話せばわがる男だべ。夫婦の仲がこじれればしょうがねども、話しあって決められねえもんかね。この家や銭んこのことは気にしねえでもええがら、多恵子さんの好いようにするのがええ。だどもそれは、あれと一緒の歩みではなんねえもんかね」
婚家を飛びだそうとした嫁をなじったりしない。寛容なお義父さんばかりじゃない、みんな気が置けない人たちだ。県外から嫁いできて現在でもよそ者あつかいされるときはあるし、こうした集まりでは女たちはかならず別席、といった旧い弊風もきついときはきついけど、ひとりひとりを見れば悪い人間はそうはいない。むしろ私を家族と認めたうえで、浅からぬ愛着を向けてくれていた。
夜のとばりが下りて、宴もたけなわのうちに親類縁者は三々五々帰路についた。後片付けがすんだらすぐにでも部屋に籠って小説のつづきが書きたかった。
ただ自分のことを書いて、過去の体験や日常の所感を掘り下げて、それが他人をエンターテインさせる読み物になるとは思わない。二行三行と先のこともわからずに書き進めていって結末までたどりつけるのかどうかもわからない。というかそもそも、ちゃんと仕上げてヴンダーカマー文学賞に送るつもりなのかも判然としない。だけど私は、作家のような〝物語る力〟が自分にそなわっているのかを見極めてみたいのだ。どうして『キスカム(仮)』なのか、どうしてこの題材に惹かれるのかはわからなかったけど、ひとつはっきりしたのは、私が書かなければタエコは死ぬ。書かれているときにしか彼女はこの世界に存在していない。
極端なことを言うなら、書かれている一文、書いて読みなおす一文の、その他のものはいっさい存在できない。小説はその連続でできていて、書き手が書くのを止めたとき、物語の流れはよどみ、作中の人物もあえなく呼吸を止める。それはまるで神さまが世界の創生のさなかに仕事をうっちゃるように不実で無責任なことだ。実際にこの現実でも私たちは、断片でしか目の前のことを摑みとれないし、記憶も描写もできないのだから、つまりは現実が小説であり、小説が現実だ。そのふたつは等号で結ばれる。私はタエコを生かしたかったし、私自身が死にたくなかった。
そんなふうに形容しがたい意識の動きと向きあって、マック・ブックプロのなかのもうひとつの世界に早く戻りたかったけど、その前にお義父さんの言うとおり、まずは夫と向き合わなくちゃならなかった。いまはそれが何よりもしんどかった。強い風が家鳴りを呼んでいて、近くの林の木末が騒いでいた。
「熟年離婚とかよく言うでねえか、そっだらことはお断りだからね。こっちは外でうつつを抜かすようなこたぁしてねえべさ」
差しむかいでリビングのソファに坐った。響一が言わんとしてることはわかる。「ずっと多恵子ひとすじで来たから、今さら生き方は変えられねえべ」というのも本音で言っているんだろう。身びいきかもしれないが響一はモテるはずだった。四十代の半ばになっても贅肉とは無縁で、顔立ちも引き締まり、眉目にも髭を生やしたあごまわりにも、若いころにはなかった色気が乗っている。たとえばよく接待で使うというクラブのホステスさんがパパ活に励んでいたら響一は放っておかれないんじゃないだろうか。だけど疑わしい気配はまるでなかった。響一はこの二十年変わることなく家族を大事にしていて、息子が巣立ったあとも、私のことをかわいい女の子のようにあつかってくれていた。
「黙って東京さ行ぐなんてこと、今までなかったでねえか」
「それはごめん。だけどやることなすこと逐一報告しなきゃいけないわけじゃないよね」
「そらぁそうだけども。おれは多恵子を押さえつけたりしねえよ。息子が巣立ったんだから好きなことすりゃいいと思ってるさ」
「弟をやって飛行機に乗せないようにするのも、押さえつけるってことだよ。好きなことをしていいっていうのは、あなたの目の届く範囲でってことなの?」
「そっだらこたねえ。お前は反抗期の娘かっての、家出したがる女子高生じゃねえんだからよ。親戚あしらいさせたらあんなにどっしり安定感あんのに。なして家族単位になると急に生娘みでになんのよ、〝おらぁ東京さ行ぐ〟になんのよ」
「あはは、なしてかね。家出なんかじゃないし、東京にこだわってるわけでもないけど」
「不安になるさ、おれも橙也も。最近あいつもしょっちゅう電話かけてくる」
「橙也が? すっかりお父さんの味方なのね」
「そうでねえって、母さんが心配だから目を離すなって言うんだべさ」
家出じゃない、亡命だ、とは響一には言わない。
私にとっては、生き死ににも関わる問題なのだ。
たぶんそれは、夫には伝わらない。
「あれだろ、先月の“あのこと”でねえのか」
響一がうつむいて濃い眉を睫毛に重ね、自嘲するように笑う。
「あれはその、なんだ、おれが早まった」
「別に、早まったってことはないんじゃない」
「あれからだべ、多恵子の様子さ変わったのは」
「変わったかな、そんなつもりはないけど」
「だどもあれは、考えてみてくれってぐらいのつもりだったわけでさ」
「そうかな」
「悪かったって、もう無理は言わねえから。だもんで無断でどっか行ぐようなことはしねえでくんねえか」
わかった、と私は答える。そうして言葉は、飽和点に達して消える。
妻や子への配慮をたやさず、夫婦喧嘩はしても暴力なんてふるったことはない。響一との対話はいつでも、私のほうが非をひきとるかたちで終わる。私がソファから腰を上げると、「寝るのか、多恵子ちゃん」と夫が声の調子を変えた。
「うん、疲れたから」
「おれたち、もういつから一緒に寝てねえよ」
「……もう二、三ケ月ぐらいになるかな」
「前だったら、添い寝でもするタイミングだべ」
「ああ、添い寝ね」
「喧嘩したって、くっついて寝りゃスーッとしたもんでねえか」
「お気持ちだけいただいておきます、ちょっとパソコンしたいし」
「そういや、キーボードさ叩く音するけど、なにが書いてんのか」
「うん、ちょっとね」
部屋の戸を閉めて、私は坐らずに目をつぶり、フーッと呼吸を深める。
話してどうなるものでもなかった。私はやっぱり亡命したい──
ここしばらくの私の日々は、響一との関係の修復を──夫に大事にされたい、昔と変わらずに好かれていたいと願う気持ちをふっきることに費やされている。
連れあいにそっぽを向かずに、なんだかんだあってもやっていこう、話しあって困難を乗り越えようという自助努力をうっちゃりたくなっている。
響一だけに問題があるわけじゃない。私は自分の価値観を、自分の感覚を、自分が創りだせるかもしれない世界への愛を、現実でも拠って立つ足場にしたいと望んでいる。お前は反抗期の娘か、と言われてつい笑っちゃったのは、たしかに第二の思春期を迎えているような自覚があったからだった。いざというときに頼れるものは夫でも息子でもない、私自身が独りで立っていられるという本物の確信こそが欲しかった。
たかだか原稿用紙二十枚の文章を書けたぐらいで、いっぱしの作家ぶっちゃうわけ? そんなふうに自問自答すれば、たちまち独り相撲のような気もしてくるけど。それでも本当は、私はずっと前からそうするべきだった。折りあいをつけてやっていくことを好しとせず、ひとつひとつのそなえをしていくべきだった。ずっと前から、遠い日の新婚旅行の一幕から──たぶん響一は憶えてもいない──すべては始まっている。あのときから私は、ずっと自分で自分の首を絞めていた。
「こっちは、生きるか死ぬかなんだよ、響一……」
ティッシュで洟をかんだ。マックのモニターの青っぽい光が目に痛かった。
一行でもいいから『キスカム(仮)』を進めたかったけど、私はベッドに倒れこんで、そのまま手足を折って猫のように丸くなった。
恋愛結婚をして、妊娠して、家庭を切り盛りして、そのあいだの私たちはまぎれもなく夫婦だったし家族だった。それなのに──肋骨を打つように鼓動が胸の奥で早まり、喉がうわずって呼吸が苦しくなる。ああ、思ったよりもダメージが大きいな。結婚の前の交際期間も含めれば二十年余、そんなにも長い時間を過ごした唯一の男との和解や共存を、きれいさっぱり諦めるのが応えないはずはなかった。
私は全身を縮こまらせる。くよくよしてもしかたないのに、私の選択がどこまでも私を損ない、起きあがれず、マックの前に坐ることができない。ああ、タエコが窒息しかけていると気持ちばかりが急いて、出どころをなくした言葉やイメージが私の内側でどろどろと渦を巻いて腐っていく。微睡むこともできず、朝までベッドの上で目を開けていた。空が白みはじめ、起きてきた響一が玄関の戸を開けて出勤するのがわかる。朝食も摂らず、トイレや風呂にも行かず、さりとて書くこともできない。ただひたすら不毛な時間が過ぎていたそのときに、電話が鳴ったのだ。
*
通っていたセミナーで、あるときディスカッションがあります。
たくさんの外の光が注ぎこむ、すみずみまで明るい部屋です。
「わたしたちはどうして、キスをするのでしょうか」
タエコはまぶたを閉じます。カウンセラーの女性の声が染みこんできます。
そうしているほうが実際よりも明るい感じがするのが不思議でした。あたかも空間を満たしている光が、家具や人ではねかえって乱反射する光が、まぶたで濾されて純度を増すかのようです。カウンセラーの声は力強く自信にあふれています。
「あらゆる動物のなかでキスをするのはわたしたちと、ごく一部のサルだけです。愛するもの同士が、たがいに顔の手前のもっともプライベートな空間を明けわたし、唇と唇を重ねあう。それはロマンスの入口にもなり、愛の物語における句読点の役割をはたすかもしれません。ふたりの関係には、さまざまな化学反応が起こります」
わたしたちはどうしてキスをするのでしょう、とカウンセラーがくりかえします。たしかに考えてみれば、顔の一部を吸いあうことがいつから親愛の情を示すアクションになったのか? ディスカッションのほかの参加者が発言します。
「気持ちがいいから?」
はい、よいお答えですね、とカウンセラーは褒めそやします。
「唇や舌には末梢神経が集まっていますから、キスをすればその感触は強力な信号となって脳に送られます。神経は高ぶって、胸の鼓動は速くなって、全身をめぐる血の温度が上がります」
好きなもの同士なら、ということじゃないのかなとタエコは思います。
まあふつうなら、好きあってなくちゃキスはしませんね。
カウンセラーはつづけます、ほかにもマーキングのような意味合いであったり、唾液にまざった細菌の交換をすることで生殖活動の免疫を作っているなんて説もあると説きます。マーキングというのはわかるとタエコは思います。そういうニュアンスでキスをしたがる男がほとんどでしょう。これはおれのものだ、と宣言しているのですね。
「本能なんじゃないんですか?」
という答えに、それもあるでしょう、とカウンセラーは肯じます。
「チンパンジーやボノボも、愛情やきずなの表現としてキスをします」
「それってつまり、遺伝子に組みこまれてるってことですか」
「いっぽうで、学習によって得られたものであるという説もあります。給餌行為が進化したものととらえるむきもあって、鳥などもしている親から子への……」
「あ、口移しですか」
「そうです、消化を助ける口移しが愛情を示すキスへと変わった、というのはそれほど拡大解釈でもないでしょう」
だけどあまり起源について考えすぎてもしかたありません、とカウンセラーはつづけます。わたしたちはキスがとてもドキドキするもの、ということに目を向けたいですね。
濃密なキスをすれば、心拍数は上がり、血管がひろがり、脳の受容体はドーパミンやセロトニン、アドレナリンといった快楽物質のビックウェーブを起こします。カロリーは消費されるし、ストレスは軽減されるし、いいことずくめ。ある学説によれば朝のキスが習慣になっている夫婦は長寿であるともされています。だからこのセミナーではキスを推奨しています。初めて相手とそれを交わした瞬間の、あの魔法にかかったような感覚を思い出してください。キスをしましょう。それだけでも恋愛や夫婦関係のあらゆる問題は解消されるでしょう。
魔法か。たしかにそうかもしれません。
だけどタエコは、ディスカッションの終わりまで発言をしませんでした。
だってよくわからなくなっていたから。キスとはなにか、自分はなんでそれをするのか。夫とのそれもぎこちなくなってしばらくたっていました。
わたしはそれを、どうやってしていたっけ?
あるときから、あれおかしいな、どうやるんだっけとおたおたするようになって。
自分のキスとの付き合いかたについて、あれこれと考えているうちにゲシュタルト崩壊を起こします。キスがなんだかわからなくなります。
だから恋愛や結婚のトラブル解消の相談窓口やセミナーにも顔を出して、作家が書いたエッセイや学術書にまで手を出します。チャールズ・ダーウィンはこう述べています。──愛情の証としてキスをするのは習慣化していて、それはいたって自然な行為であるかのように思われているが、フエゴ島の住人によれば、このキスという行為を知る者は彼の島にはいない。ニュージーランド、タヒチ、パプア、アフリカのソマリ族やイヌイットにも知られていない。それでも愛する者とのふれあいに喜びを感じるのは、彼らにとっても自然なことであり、ニュージーランド人やラップランド人が鼻をこすりあわせるように、世界のいたるところでキス以外の表現が用いられる。腕や胸、お腹をたがいにくっつけあったり、軽く叩いたりするほか、相手の腕や足に顔を押しつける行為も観察されている。
なるほど、べつに唇じゃなくてもいいのか。
さっそく彼とテレビを観ているとき、朝の出かけしなや眠る前に、キスのかわりに腕や肩、腹、尻といった体の各部を押しつけ、すりすりと摩擦しあったりしてみますが「……なにやってんの?」と彼にはいぶかしがられ、自分でも笑っちゃってだめでした。ドキドキしません。性的な刺激があればいいわけでもないけど、これではキスの代わりにはなりません。あいかわらずキスがわかりません。
そのほか、インターネットで閲覧したので信憑性はたしかじゃないけど、フィレマトロジーというキスについての科学的な研究があるそうで、シェリル・カーシェンバウムというサイエンスライターが最新のキスにまつわる仮説を書いています。
キスをすることで、嗅覚が相手のDNAや生殖状態についてのヒントを嗅ぎわけるらしい。たとえば女性がもっとも惹かれるのは、免疫にかかわる遺伝子配列が自分とかけ離れた男性のにおいであり、配列の異なる相手とペアになれば、健康で生存率の高い、遺伝子の多様性がある子を産むことができる。そのためのリサーチこそがキスなんだ、というのです。
その文章を読んで、タエコは記憶の底をうずかせます。
だったらあのキスカムの、彼女たちの場合は?
生殖の本能にそのまま結びつくものじゃないのだから、彼女たちのキスは愛情表現や快楽のためだけに存在している。むしろそっちこそが純粋なキスなんじゃないか、とも思えてきます。あらためて自分のキスへの疑問符、認識のあやふやさには、あの日のスタジアムでの体験が遠い原因になっていると気づかされます。
学問してもしかたありませんね。ますますわからなくなるだけです。
タエコはあっちで壁にぶつかり、こっちでけつまずいて転びます。
そしてそれは、彼にも伝わります。
他のカップルは、どんなふうにキスをしているんだろう?
現代アートの企画展を催す美術館があって、タエコの友人が学芸員をしていました。無名の、在野のアーティストの特集をするというので、友人の誘いもあってタエコも作品を手がけてみます。
身近なご近所さん、熟年夫婦から新婚さん、親子でも兄弟姉妹でもよしとします。
たくさんのカップルの、キスをしている写真を撮らせてもらいます。
見ず知らずの他人にも、街頭で声をかけます。そのほとんどに断られてもめげません。
最初はスライドショーでやろうと思ったけど、友人の高度な美的センスにもあやかって、映像インスタレーションのように展示することになります。
「最近、いつキスしましたか」
「あなたに今でも、キスしてくれるひとはいますか」
道端で訊いてまわると、多くのひとは眉をひそめます。すくなからず動揺して、切なそうな顔つきになります。
キスしている写真を撮らせてほしいと頼むと、たいていは断られ、趣旨を理解して協力してくれるひとも、なんらかの葛藤を超えなければ人前でキスはできないという興味深い事実もつかめました。他人の前でするキス。自分たちの愛ときずなを誇示するキス。それを左右するのは、国ごとの文化や風土のちがいばかりではなさそうでした。
素人の、ややもすれば痛々しいだけの表現が、友人との試行錯誤のおかげで鑑賞に堪えるものになったようで、インスタレーションは好評を博します。
「……タエコ、なにやってんの」
だけど彼は喜びません。企画展を見にきて機嫌を損ねてしまいます。
あらましを相談していなかった、というだけではありません。アートなんて体裁が悪い、と敬遠しているわけでもありません。
「どうしたの、気分でも悪くなった」
「いや、べつに」
「なんだか変だよ」
「ぜんぜん。ただこんな写真を集めてどうなるのかと思ってさ」
「だから、そういう表現なんだってば」
「他人のプライベートを陳列するのが芸術かねえ」
「悪かったね、素人くさくて」
「なんというか、レストランでさぁ」
「レストランがどうしたのよ」
「よそのテーブルで他の客が食べてる料理を、うらやましがって眺めてるみたいな」
「ああ、自分たちのテーブルにそれがないから」
「ないね」
自分と友人の労作を、いやしいもののように評されて、タエコは腹を立てます。
彼はこう言いたいようです。どうしておれたちのキスはここに展示されていないんだ?
めっきりキスしなくなっていました。できなくなっていました。
そしてそれは、この展示のあとにもいっこうに変わりませんでした。
むしろますます喧嘩が増えて、激しい言い争いがたえなくなって。
ある日、タエコは荷物をまとめます。
彼と話しあうこともなく、共に暮らした家をあとにします。
タエコと多恵子、亡命ふたたび
現実の皆代多恵子と、小説のなかのタエコ。
それまで像を重ねていた二人が、ついに離れる。分岐を別々の方向へ進みはじめる。
物語のなかではタエコが彼のもとを去った。この先はどうなるのか──
かろうじて書き継いではいたけれど、私は悩みつづけている。この物語をどこに向かわせたらいいのか、終着点はおろかその道筋すらも見えていない。たとえばヴンダーカマー文学賞に応募する他の小説家志望者たちは、そういうのをすべて見通したうえで執筆を進めることができているんだろうか。そしてまた、多恵子とタエコをこれ以上、同期させっぱなしにしておいていいんだろうか。賞の主催者たちが、選考委員が待っている小説から遠ざかるんじゃないのか。
私、ものすごく意識してますね、賞。
だけどそこは、目標や締切があったほうが書けるから。
ここまでのところ『キスカム(仮)』は、それほど間違った文章を継いできてはいないはずだ。それでも書きだしのブーストは失われ、執筆はあきらかに迷走期に入っていた。そんなときに一本の電話が、私にとっては確実な助けになってくれたのだ。
あなたは変わらないわね、とその人は言った。私たちは鷹ノ巣の甘味処でひさしぶりに再会した。窓ぎわの座席からは、店の中庭のきれいな藤棚が見渡せた。剪定することで花期を長引かせているらしい。薄紅がかかった橙色の太陽が沈みかけて、雲ひとつない西の空が茜色に染まり、垂れさがる紫色の花と溶けあうようなコントラストをなしていた。
通っていた小説講座で、ゲスト講師がこんなことを言っていた。原則としてストーリーの進行には因果関係がなくちゃいけません。できるかぎり〝偶然〟のなりゆきは避けなくちゃいけません。たまたま問題の解決方法に思いあたるとか、探していた人物とばったり出くわすとか、そういうことがつづくと小説はたちまち作り物めいてしまう。だからうまく必然の鎖をつなげましょう。小説のなかでの偶然は二度も三度も起こらないと心得ましょう──だけど私たちの現実ではしばしばそういうことが起こる。いくつかの偶然が重なって、天の配剤と呼びたくなるようなことが起こる。
私にとって野島さんとの再会はそういう出来事のひとつだった。このところしきりに思い返していたその人から、ずっと会っていなかった旧友から数年ぶりに連絡が来るなんて。しかも彼女は外見の印象がけっこう変わっていて、
「アゴタ・クリストフ? そんなこと言うのは多恵子さんぐらいよ。普通はハンガリーの作家に似てるなんて言われないわよ」
「だけどコンタクトじゃなくなってるし、寄せていってるのかと」
「寄せない寄せない。読書や書きもので根をつめすぎちゃったのか、結膜の血管が黒目のほうに入ってきちゃってさ、困ったことになったからコンタクトはやめたのよ。だけど変なことを気にするのね、作家の容姿なんてあたしはそんなに意識しないけどね」
私にとっては特別な作家なもので。向かいの席で抹茶ババロアを食べている野島さんは眼鏡派になっていただけでなく、髪を切って顔もこころもちふっくらして、ほとんどアゴタ・クリストフのそっくりさんだった。亡命づいていたところでこの奇遇はどうだろう、高みから小説の神様でも見てるんじゃないかと思えてしまう。
「現在はね、奄美大島にいるのよ」
親しかった知人の葬儀で、ひさしぶりに飛行機に乗ってやってきたという。故人が大館在住だったので、私のことを思い出して北秋田にも立ち寄ってくれたのね。
おしゃべりをしながら、小説講座で逢ったころのことを思いかえす。ひとまわり年長の野島さんは受講歴もずっと長くて、そのころはひっつめた白髪まじりの長髪を年齢にしては高めの位置でシニヨンに結っていて、まっすぐな背中や首筋がとてもきれいに見えた。ご主人は広い農地を持つ米農家で、民宿の経営もやっていて、そこの女将の仕事を娘さんに譲った野島さんは、読書好きが高じて作家を目指し、習作を書いては講座で評を仰いで、よく書けたものは公募の賞に送っていた。
私は正反対の、熱心で真面目な受講者だった。私たちはなぜかウマがあって、野島さんは私とのおしゃべりやメールの文章、話していてもふいに自分の妄想に入りこんでしまう傾向もひっくるめて小説家の資質たっぷりと評した。「あなたも書いてごらんなさい」と私に執筆を奨めたのは、後にも先にも彼女だけだった。「あなたなら自分のことを掘り下げるだけでも、たくさんの人が娯しめるものを書けるよ」
あれからもう十年近くが経つ。私はなんだかんだで書かず、野島さんも入賞することなく、それでも講座の外でも五年ほど親しく付き合っていた。その後、野島さんは農地を売ってご主人と南に移住することになり、幾度かの転居によって年賀状のやりとりもうやむやになっていた。だけどたとえ連絡をとらなくなっても記憶から消えない人、相手が憶えていてくれなくても自分の心からは追いだすことのできない人。そういう相手は人生に何人もいるものじゃない。私にとって野島さんはそういう人だった。
「あたしはいつか書きだすと思ってたよ」と野島さんは言ってくれた。「あたしも書いてる、いまは奄美が舞台の恋愛小説ね。最終候補まではなかなか残れないけどね。あたしもそのヴンダーカマー賞に応募してみようかしら」
「だけどやっぱり、簡単ではないですね。これって私小説なのかエッセイなのか、エンターテイメント小説の定義に含まれないような気もするし」
「気にしないで書いたらいいのよ、純文学かエンタメか、みたいなことって最近はあんまり重要視されなくなってるんだから」
「だけど、話の進めかたが違ってくるような気がするんですよね」
「ちゃんと読者に読まれることを考えてるわけね、えらいえらい。あたしなんてそこまで気を配れないというか、趣味や自己満足に走っちゃうからいつまでもだめなのよね」
「それでいったら、私のも自己満足ではあるかも。どこでどんなふうに書くか、って重要だと思いません?」
「ほほう、詳しく聞きましょう」
こころおきなく小説談義ができることで、野島さんはあきらかに浮かれ、高揚していた。この人は昔からぶれない。とにかく小説を書くのが好きで、小説の執筆の話になると少女コミックのように瞳を燦めかせられる人だった。
私のほうでも、小説を書きはじめたからこそ野島さんにまた会えたような気がしていたので、彼女につられるかたちで、自分がいかにして〝亡命〟を望むにいたったか、書いている『キスカム(仮)』がどんな小説なのか、他人ひとさまに初めて聞いてもらうことになった。私小説か半自伝のようにタエコを描いていくことで、自分がどうするべきかを模索するような執筆であることを明かした。
「亡命作家ね、そういう分類があるとは知らなかった」野島さんはますます前のめりになって、「なるほどね、アゴタ・クリストフを始めとするそういう作家たちは、お国の出版事情からも母国語からも離れてそれでも書かずにはいられない。そのぶん作品も腰が据わるわけね。人はなぜ書くのか、みたいな話にもつながる問題だわね」
「そうなんですよ。私の場合は〝亡命〟じゃなくて〝家出〟あつかいされちゃうんだけど」
「どうして今ここから離れたいのかっていう深刻度が重要なんじゃない。多恵子さんは? 旦那さんとのあいだに何があったの」
“あのこと”についてだけは、臆面もなくあらいざらいを話すのはためらわれたので、オブラートに包んで、遠まわしに、生々しいディテールは端折らせてもらった。
お察しください。けっこう重たい人生相談まがいになったにもかかわらず、野島さんはうとまずに話を聞いてくれた。私がぼかした細部をそれ以上は追及せず、抹茶ババロアの匙を舐めながら鷹揚にうなずいて、
「だったら、奄美にいらっしゃいよ」
いまなんて? 奄美にいらっしゃい、と野島さんは二度も言った。
私に向けられた眼差しに、冗談や社交辞令のあやふやさはなかった。
「そこまで自分の気持ちがわかってるなら、亡命、けっこうじゃない。あたしのところはペンションをやってるから、働き口なら紹介できるし」
「だけどさすがに、そこまでご迷惑はかけられません」
「淀みに浮かぶうたかたは、って言うじゃない」
「はい?」
「知ってるでしょう。──淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」
方丈記でしたっけ。野島さんはその一節をすらすらと諳んじた。あらためて文字列として思い浮かべると、とても美しい文章だ。こんな文章を一文でも書けたらと思うと瞼が熱くなり、ちょっと泣きそうになった。
「迷惑でもなんでもない。そういう人はけっこういるわよ。うちでも結婚がたちゆかなくなって奄美に来た女性が二人ほど働いてる。駆けこみ寺っていうんじゃないけどね、多恵子さんならあたしは大歓迎だよ」
眼鏡の奥に星屑をちりばめて、野島さんが手向けてくれたひとつの選択肢は、具体性すらともなって蠱惑の響きを帯びた。
「あたしとちがってあなたは、新人賞が欲しいとか、小説家になりたいとかいうんじゃなくて、過去を見つめて生きかたを拓くみたいに、新しい自分を探すみたいに書いているのよね。迷いながら書くのは苦しいときもあるでしょう。そういうことなら居場所を変えてみるのは有効よ。思いたったことは行動に移すのがいい」
野島さんは野島さんだ、どんなに常識外れなことでも検討する価値があれば真剣に検討してくれる。だからこそ私はこの人に打ち明けたのだ。ここというどこかを見さだめられずにいた私に、数年ぶりに会った物書きの友人が〝亡命〟の目処をつけてくれるなんて、現実は小説よりも奇なりというしかなかった。
「迷走してるって言ってたよね。ひょっとしたらあなたが動かなくちゃ、小説のなかのタエコさんも動かないのかもしれないわよ」
そうかもしれない、野島さんの言葉には頷けるものがあった。
私の現実は、小説と分かちがたく結びついている。
響一とは、冷戦がつづいていた。
おたがいに話さなくちゃならないことしか話さない。
もちろんベッドは別々。こんな齢なんだからそれも普通なんじゃないかと思うけど。
響一もいろいろと考えているようではあった。息子とは電話を通じて、私のことばかり話しているらしくて、
「もうさぁ、いいかげんにお父さんとちゃんと話してよ」
私にかけてきた電話でも開口一番、批難するような調子で叫んだ。
「お母さんのほうが避けてるって。部屋に籠って何か書いてばっかりいるって」
「ホットラインがつながってるのね。全部、筒抜けなのね」
「否定しないんだ。もうなんなんだよ、何が気に入らねえわけ」
橙也は橙也でやっぱりプレッシャーを感じているみたい。それはそうだよね、自分が実家を出たとたんに両親の関係がぎくしゃくして、もしかしたら帰る実家がなくなっちゃうかもと危惧すればたまらなくもなるだろう。
もちろん息子を大学に入れるまで育てあげたことは、私の人生でいちばんの達成だ。響一も家庭を顧みない父親ではなかったし、橙也がいるころは家族が、助けあい反目しながらも進んでいく親子や夫婦がちゃんと機能していた。三位一体のバランスが崩れた、というのではないけど、橙也が実家を出たことはたしかに変化のきっかけではあった。
「ラジオの人生相談にお便りでも書いてんの」
「なにそれ、そういうんじゃないから」
「でなかったら〝私の人生〟をふりかえる手記とか」
ぎく。橙也のあてずっぽうがそんなに的を外していなくて、いやいや、と頭をふった。私が書いているのは小説だ、自伝や手記とは違うものだ。
「図星なわけ? そんな地方のおばさんの退屈な手記なんてだれが読むんだよ」
「なぁにそれ、失礼なこと言わないで。手記なんか書いてないし」
「なんでもいいんだよ、おれは。父さんと仲良くやってくれたら」
「母さんには、母さんのやりたいことがあるの」
「だからそれもやりながらさ。仲良かったでねえの、おれが高校になっても父さんと母さん、出かけにもよくキスとかしちゃってさ。恥ずかしくはあったけど、おれはまあ険悪なよりはいいかと思ってたんだから」
そんな時代もありました。息子は勘がいいのかなんなのか、いちいち私にとっての核心をかすめてくる。気を揉んでいる橙也にも、響一にも、他の親戚や義弟夫婦にも私は何も嗅ぎとらせないようにふるまいつづける。
盛二や亜里沙さんは、私が別居を望んでいると思っているみたい。離婚するまでの覚悟はないがその手前まで来ていると。それは間違いというわけでもない。たしかに協議離婚における調停や手続きを思うと気が遠くなるし。だけど県内でもどこでもとにかく別居できればいいというわけではなかった。できることなら未知の土地で、真新しい環境で自活がしたい。それでいくと奄美大島なんて申し分なかった。
考えに考えぬいても結論は変わらなかった。再会してから一週間がすぎたころに野島さんにメールを送った。期限なしでぜひ行きたいと伝えると、すぐに野島さんは、住所や雇用条件など最小限の伝達事項を添えたうえで「待っている」という旨の返信をくれた。私の肚はいよいよ決まっていた。
「なんもなんも、ちょっくら様子見にさあ。まんず元気ねえ、って亜里沙も心配してるしよ。おれんとこの親方のかみさんがおなじだったって。イソフラボンってのが効くってよ。多恵子さんも大豆どうよ大豆、大豆イソフラボン」
盛二はあいかわらず更年期障害でひとくくりだ。なにかと用事を見つけて顔を出すのは監視の一種なのか、暗に警戒網ができているんじゃないかと疑りたくなる。事前に荷物をまとめたり、航空券を手配するだけでも勘づかれてしまいそうだった。
だけど今度こそしくじりたくない。やっぱりここは、財布だけ持って買い物に出るような日常の延長線で、蒸発のよくあるステレオタイプで行くしかない。その日がめぐってきたら、ターミナルに行って当日の航空券を買って、なんならつっかけサンダルで奄美大島行きの飛行機に乗るのだ。
大館能代空港から奄美行きの直行便はないので、鷹ノ巣駅からJR奥羽本線とバスを乗り継いで盛岡まで行き、花巻空港から伊丹で乗り継いで奄美を目指すことにした。私のその年の夏は、あくまでも普段通りにすごして、もう大丈夫、突発的な行動におよんだりしないと家族を安堵させることに費やされる。舅の用事には同伴し、響一の友人たちとの集まりも欠席しなかった。そのあいだも蝸牛なみの速度ながら一行ずつ書き進めた。干からびた唇を舐めながら『キスカム(仮)』の、次のシークエンス、次の展開にはいっきに視界が展けるような一文が書けるんじゃないかと期待して、こんなふうに明日の奇蹟を信じつづけなきゃならないのが小説家なのね、ふてぶてしさと真摯な祈りに裏打ちされてなくちゃならないのねと得心させられた。
そしてついに、決行の日がやってきた。
九月の暮れ、響一は出張で外泊する予定になっていた。私はこの機を逃すまいと、最小限の衣類とマックだけをバッグに入れて、奄美までの経路を念入りに確認した。
今度こそしくじらない。私は発つ。ここ数日のやりとりがいろいろと思い出されたけど、橙也や亜里沙さんには向こうに着いてから電話で事情を話せばいい。逸る気持ちをおさえて玄関に向かいかけたところで、廊下から和室にいる舅の宗一郎の背中が見えた。この人にだけはひと声かけていこうか、二十年も世話になった義理の父に、と思いかけたそのときだった。
「……ああっ」
私の足音でこちらを向きかけた舅が、膝からくずおれた。片手で畳に両手をついて、もう一方は虚空を泳いだ。軽い眩暈でもおぼえたのかと思ったが、次の瞬間には、義父の尻が落ちて激しく畳を叩たたいた。
「お義父さん、どうしたんですか!」
私はあわてて舅を抱き起こした。瘦せた体が反りかえって、後頭部を押さえていなくては首がぐらぐらと据わらなかった。
「お義父さん、お義父さん!」
「はい」
薄く目を開けたけど、焦点がさだかじゃなかった。開いた口腔のなかで喘ぐ舌が巣に戻る鼠のように喉の奥にひっこんだ。何かを言おうとしていたけど、呂律が回らず、言葉もつづかない。「……どさ?」どこに行くのか、と私に訊いていることぐらいしかわからなかった。眼球の白目に奇妙な血の斑点ができていた。
「お義父さん、救急車、救急車すぐに呼びますからね」
宗一郎は病院に担ぎこまれ、即入院となった。すぐに響一にも盛二にも、近隣在住の親戚たちにも連絡がまわって、検査の結果を待つ病院のロビーで私と合流した。血栓が脳の血管に詰まっていた。三日ほど意識不明の状態がつづき、四日目に昏睡から覚めたものの数日はうめくばかりで話すことができず、一週間ほどのちに恢復が見られたけど、人の名前や固有名詞が出てこなくなり、病室を見舞う私たちの名前も言えなくなった。脳梗塞は齢も齢だった舅の言語野と運動野を損ねて、起立や歩行にも失調がおよんだ。退院するまでは五ケ月ほどかかりそうで、亜里沙さんたちとローテーションを組んで、食事や排泄やリハビリの介助をしなくてはならなかった。
「発症から早くに病院さ来られたんで助かったって。多恵子さおらんかったら親父は助がらなかったべさ」
その日、婚家を去ろうとしていたんだとは言えなかった。
病室の窓の外が、灰色を濃くしてやがて闇となる。周囲の色を変えていく時間と、義父は命の陣取り合戦をしているようだった。
粗塩のような髭をまぶした義父はベッドに横たわり、睫毛にたまった目脂の膜の向こうから、私をじいっと見つめていた。
そのままずるずるとひと月、ふた月がすぎて晩秋となり、私はずっと先延ばしにしていた野島さんへの連絡を決心するにいたった。
「ごめんなさい、奄美、行けそうにありません」
私の視界は濡れていた。形のはっきりしない涙が滲むようにあふれていた。翌朝の味噌汁に使うつもりの浅蜊が桶のなかで水を吹いていた。これでまたとりとめもない、昨日と変わらない明日がやってくる。私の亡命はこうしてまた失敗した。
*
綿の花のなかには、種があります。
正しくは、種に生える毛が綿ということになります。
すなわち綿とは、子孫を保護する覆いなのですね。
アオイ科なので、ハイビスカスやフヨウにも似ています。ただし花が咲くのは一日だけ。花が実となり、その実がふくらんで弾けると、なかから綿毛が顔を出します。これがコットンボールです。弾けた綿を摘んで、柔らかくつまんで引くときれいに採集できます。そのひとつひとつを、タエコは籠に入れていきます。
予想もつかないことばかりが起きます。明日のことすら何もわかりません。
恐れや戸惑い、恐怖に満たされた夜をいくつも越えて、タエコは移動をつづけます。
あてもなく電車に乗り、終点からバスにまた乗って、降りた停留所で身を寄せられるところを探しました。通りすがった農業組合の事務所で貼り紙を見て、オーガニックコットンを栽培する圃場に身を寄せました。
栽培されているのは、日本の在来種である茶色い和綿でした。農薬や化学肥料を使わない綿を育てて、収穫されたものを製品化して販売しています。圃場のそばの二階建てのプレハブには、運営主体の組合の事務所が入っていて、代表を務める圃場主がその二階で寝泊まりすることを許してくれました。おなじような境遇の女がほかにもひとりいて、それはアラブ系のマリアという女で、言うなればその綿花圃場が、タエコたちのセーフハウスになったのです。
わたしはこの圃場というシェルターに救われた難民だ、とタエコは思います。マリアがいたからそんなふうに感じるのでしょうか。それでも毎日の綿摘みが、綿から種を取り除く綿繰りの作業が、寝起きする部屋のところどころ剝げた壁紙や旧い種火式の瞬間湯沸器が、ときおりやってくる綿摘み体験の参加者や、圃場のひとたちとの交わりがタエコの救いになってくれました。
一年がすぎ、二年がすぎたころです。彼が追ってきます。
彼のもとを離れてしばらくたって、歳月がすぎたことで油断しました。居所がばれることを警戒して、綿摘み体験のガイドの役はやらないようにしていたのが、体験者のブログに上げられた写真に写りこんでしまっていたのです。
彼は本職の探偵まで雇って探させていたようです。その日の綿製品の出荷を終え、朝からの忙しさでぐったりして戻ってきたところで、事務所に彼の姿を見てとめて、タエコはそのへんに落ちている棒で背中を殴られたような驚きをおぼえます。
とっさに建物の外にしゃがみこみます。「どうしたの」とマリアが寄ってきたので、
「彼が来てるのよ」
建物のなかの男を指差しながら答えます。
「噓、それはまずいね。オーライ、タエコは隠れてて。あたしたちで相手するから」
身を屈かがめたまま移動して、綿花畑に隠れます。ひょっこり顔を出さないように注意して、敷いた茣蓙の上にあおむけに寝そべります。
夜になっても、マリアたちは呼びにきません。タエコは戻りません。ナップサックに入れてあったバナナを食べてしのぎます。星がきれいでした。夜空のまたたきのひとつひとつが綿花の種のようにも、命の営みのようにも感じられました。できるだけ何も考えないようにして、横になっているうちにそのまま寝入ってしまい、タエコは夢を見ました。
こんな夢でした。
天もなければ底もない空間を、数えきれない綿毛とともに、ひとりの女が墜落しています。その女の股からは赤ちゃんが出てきて、その赤ちゃんもやっぱり女です。そしてその股からも女の赤ちゃんが出てきて、その股からも女の赤ちゃんが出てきて、そのすべてがへその緒をつなげたままで延々とつづいていくのです。女、女、女、女、ひしめく綿毛のなかで女たちのどろどろと赤らんだ体の色が際立ちます。気がつけば上下に果てがなくなっていて、息むような声と、かん高い泣き声がつらなるなかで、連鎖のどこかにいつしかタエコ自身も含まれています。恐れおののきながらも彼女は、ひとつの発想をよぎらせます。このつらなりをどこまでもさかのぼっていけば、起源のイヴにだって逢えるかもしれないと──
「もういない、追いかえしたよ」マリアが呼びにきたのは明け方でした。「あの男はひどいね。あんな男のところに戻らないほうがいいよ」
「あのひと、マリアにもなにかひどいことを言った?」
「こんなところにいる女は、みたいなことね。外人というより女が敵みたい」
「ごめんなさい、いやな思いをさせちゃったみたいね」
「どこにもいるよ、ああいうマッチョは。気にしない気にしない」
それはあの日からわかっていたことです。公然とキスをした女と女のカップルに向けられた異物を見る目は、揶揄や中傷は、めぐりめぐってタエコにも、いや、むしろタエコにこそ突きつけられたものでした。
あの日のことを思いかえして、キスそのものがわからなくなって、迷走し、自分の心の動きを見さだめられませんでした。名づけがたい感情に自分なりの名づけがしたくて、わたしは長い旅をしているのだとタエコは思います。
*
書いている世界を離れれば、私は潜水艦のように現実に浮上しなくちゃならない。
あるいは現実のほうが、目の前にざばあっと浮かびあがってくる。
亡命の道が鎖されたいまとなっては、私はこの現実で、向きあうべきものに向きあうしかなかった。他でもない響一と、双翼を藻にからめとられた水鳥のような時間と──
そんなふうに気負いこんで、すこしずつ覚悟を固めていた矢先だった。見るだに解くのが億劫な、からまりすぎた糸玉のような情のもつれを、すっぱりと断ち切ってくれる事件が出来したのだ。
『キスカム』
十二月、舅の病院に持っていく着替えを畳んでいたところで、
「ごめんください」
玄関から声がした。若い女の人が立っていた。雛人形のように小作りだけど端整な容姿の娘さん。ワンピースの上に青いウールのコートを着ていて、二連のパールのネックレスが細い首筋に映えている。落ち着いた身なりだったけど、なんとなく着つけない大人の女性の衣裳を着ているお嬢さんのような印象があった。それはつまり、彼女なりに本妻と対決するうえでの武装だったのね。
彼女はお腹が大きかった。二十八週目らしかった。
「奥さまとお話がしたくて」
響一の子だ、とその娘は言った。
私はくらっときたし、人なみに夫の裏切りへの痛憤も込みあげた。
ここにきてそんな修羅場が舞いこむなんて、そんなのってあり?
だけど一方では、来るべきものが来たんだとも思った。ずっと妻との冷戦がつづいていて、溜まった鬱憤を晴らそうとしてうっかり愛人を身籠らせてしまう。響一は自分の子とは認めず、途方に暮れた愛人が直談判にやってくる。それは私だけの身に降りかかったことではない、うんざりするほど〝現実〟そのものな夫婦の泥沼だった。
椿さんはまだ二十五歳だという。むしろ彼女に申し訳ないとすら思った。彼女にも本妻とキャットファイトを演じるつもりはないようで、しおらしく目を伏せて、響一さんからは奥さんとは家庭内離婚のような状態だと聞いていた、とはいえ既婚者と知りながら付き合っていた自分にも非があるので、シングルマザーになってもしかたないと思っているとずいぶん殊勝なことを言ってくれて、
「だけど妊娠してることを伝えても認めてくれなくて、養育費も払わないって。私はさきざきが不安すぎて、奥さまに謝罪したうえで三人でお話しできないかって。もしかしたら奥さまには離婚するつもりがあるんじゃないかって。そうだとしたらあたしは、できれば響一さんと一緒になりたいです。すくなくとも響一さんも、認知するかしないかの気持ちを変えてくれるんじゃないかと思うし……」
生まれてくる子のことを第一に考えたくて、と椿さんは言った。なんてちゃんとした娘だろうか。もっとこの女にも怒ったほうがいいのかとも思ったけど、どうしてもそういう心情は湧いてこなかった。妻としては、愛人よりも夫とのやりとりのほうがずっときつそうだった。有責配偶者はあちらだ。これでもうここにいなくてもいい。自分の〝亡命〟の欲求は棚に上げて、離婚を見すえた調停も進めやすくなると楽観視ばかりもできなかった。私の考えはとめどなく暴走を始めていた。
「あの人、私のことをどんなふうに話してましたか」
「はあ、それって例えば、どういうことですか」
「あいつはもうおれとセックスしたがらねえ、とか言ってなかった?」
「えっと、それは……」
「いいんです、そのとおりだから」
「失礼ですけど多恵子さん、想像以上にさばさばしてますね」
「そうかな。さばさばついでにひとつお願いしてもいい?」
「なんですか」
「そのお腹、ちょっと見せてもらえないかしら」
「……え、それはちょっとごめんなさい」
「そこをなんとか」
「刺したりしませんか」
「刺しません」
本妻のマウンティングのように思われたくなかったので、家に上がってもらって、しばらく世間話をしたあとでもう一度お願いした。立ち上がってワンピースの裾をまくったとき、椿さんのほうもすこしホッとしたような表情を浮かべた。
なりゆきとはいえ奇妙な光景ではあった。彼女はきれいな球体となったお腹をさわらせてくれた。おへその下から大きな豆のすじのような線が浮いていた。このなかに響一の子がいるんだ──その事実は、太陽の黒点のように私の意識を焦がした。ふわふわと落ち着かない体が、自分から離れて部屋じゅうを勝手に飛びまわり、そのたびに凧のようにたぐり寄せなくてはならなかった。
私はどうしようと思った。さわらせてもらったものの、このあとどうやってこの場を収束させよう。これをどう捉えていいのか、よくわからない感情で顔の裏側が火照った。怒りとも哀しみとも違う感情の乱高下で、自分の心の回転数を下げることができない。
“あのこと”で私が拒んだから、この子は入るべくしてここに入った──なんてことを思っちゃうあたりは、やっぱりよこしまなマウンティングでしかないのかもしれない。言葉にするのは変だったので、ありがとう、と私はお腹の子とその母親に無言で感謝を伝えた。考えはどんどん狂気じみて曲がりくねる。"私はこの子を宿すことを拒んで"、そのかわりに小説を生みだすことにしたんじゃないかとすら思えて──
そうして、去年の暮れから春先にかけてのことを思い出した。
おれたちはまだ若えんだからさ、と響一が言ったのだ。
悪くなかった夫婦関係は、息子が独立したことでいろいろと変わった。
私がなにか新しいことをやろうとして、意識を外に向けて、落ち着きなくふらふらしているのが響一は不満そうだった。その当時から椿さんとは付き合っていた計算になるから「多恵子ひとすじ」というのはでまかせだったわけだけど、それでも響一のほうが夫婦の間にかつての情熱を取り戻そうと試行錯誤していたのは事実だった。
「頑張るってのは語弊があるな、おれはいまでも多恵子としてえんだから。だからなんつうか、減ってることに危機感があるわけ。四十六と四十二なんだから、世間の夫婦はまだみんなしてるさ。だってのにお前は、早ぐ終わらせてくんねかなみてえな面するし」
早ぐ終わってくんねかな、とはたしかによく思っていました。
傍から聞いたら、私のほうが感じ悪いよね。
だれかに話したことはなかったし、相談してもややもすれば惚気の変形だ。その齢でもお盛んなんていいことじゃないと言われかねない。だけど響一のセックスは長い、少なく見積もっても三時間はかかる。下手をすれば、四、五時間にも達しちゃう。
長くない?
他人さまとは比べようもないけど、そもそもセックスの時間配分が男の側にゆだねられているのが私の不幸だった。齢のせいで遅くなっているのもあるけど、それよりも丁寧すぎて長い。ひとつひとつの行為を愛ですぎて長い。結婚したばかりのころなら、その丁寧さは私にも悦びと充足感を与えてくれたけど、いつからか義務感が勝るようになった。もしも共働きだったら違ったのかも。明日もあるからと手早くショートコースで済ませてくれたのかも。響一もいつか「多恵子が主婦でえがった」と言っていたし。だけどもそれはそれで解せん。主婦だから体力がありあまっているという前提は解せん。橙也に手がかからなくなっても毎日の家事でへとへとになっていたのに、夜の営みまで加わってくると、翌朝に布団からわが身を引き剝がすのが、墓場からよみがえる死者なみの重労働に感じられてならなかった。
若いころから一貫している。常識のレベルの遥か上に、響一という男はぷかぷかと素っ裸で浮かんでいる。一、子供はいずれ独り立ちする。二、ゆえに家族でもっとも大切なのは夫婦関係。三、夫婦の仲を円満に保つ秘訣はセックス、という方程式を響一は大事にしていて、だけど気持ちはあっても、体の機能が追いつかないということはあって。
透けた下着を着けてほしいとか、ラブホテルに行こうとか、演出をほどこしたがったりとか、わざわざアイライナーで泣きぼくろをつけさせたりとか。健全な機能を保つための協力要請をしてくるようになって、三十代まではそれなりに私も頑張った。息子を育てあげたんだからもうセックスなんて、遠い日のアルバムをたまに捲るみたいに、年に数度ぐらいのものでいいんじゃないかと思っていたけど、彼にとっては卓上カレンダーに目をやるほどの頻度で臨みたいものらしくて。妻に欲望を持ちつづけ、お盛んであらんとする姿勢はある意味で誠実だと思うから、私もそれなりに頑張った。
「おれは外で浮気したくねえのよ、家ん中で燃えていてえのよ」
だけど私が気乗りしてなかったり、響一が望む〝したさ〟を表明できなかったり、眠気にあらがえずにうとうとしちゃったりすると、途端にへそを曲げてしまう。途中で投げだしてくれるときはまだよくて、たいていはベッドの上で鬼教官のように諭しはじめる。「いっぺん勃ったら勃ちっぱなしって年齢ではねえんだからよ」「お前にさぼられちゃできるものもできねえ」「勃起を大切に!」ようするに行為のさなかに萎えるのが夫の自尊心をいたく傷つけるようで、私はなんというか返す言葉が見つからず、裸のままで正座してうなだれ、響一は柔らかくなった自分の物を右手でこねながら──再起の兆しを逃したくない一心らしい──妻に猛省をうながす、というなかなかに滑稽かつ壮絶な修羅場がくりひろげられてきた。どうにか私のなかで果てると、態度がうってかわって「悪、ちょっと言いすぎた」「ちょっとおれも頭に血がのぼってたわ」と謝ってきて、私はこっちこそごめんねと返しながらも、これって爆発期とハネムーン期をくりかえすという家庭内暴力と何が違うんだろうと思いつづけていた。
そして今年の春──帰宅した響一はわざわざ取り寄せたという資料を私の前に置いて、自分のほうは多少の運動量は落ちていたけど、全体の濃度や量は若いころとも遜色なかったと捲くしたてた。「前にちょっと話したでねえか、お前の年齢もぎりぎりの線だし、試すなら早えほうがいいからよ」
私は、茫然としてしまった。
テーブルに置かれたのは、体外受精・胚移植の資料だった。
このところの響一はそういうつもりで、自然妊娠をめざして励んできたけれど、なかなかその兆候がないのでクリニックでまず自分の検査をして、私にも加齢にともなう卵管や子宮の問題が生じていないかを調べてみてほしいと言ったのだ。
「話したよな、もうひとり欲しくねえかって、話したべさ」
「だけど私、うんって言ったっけ?」
「お前もやっぱり、橙也が手ぇ離れちまってさみしいのもあるべさ」
「空いた時間の埋めあわせみたいに子供を産ませるの? 新しいことを何か始めようとして、私の気持ちが外に向いてるから、ふらふらして落ち着かないからって。それってけっこうひどいからよく考えてみて。あなたは私が妊娠して出産すれば、これまでとおなじになると思ってるんだよ。ずっとこの家にいて、これまでの二十年とおなじ二十年がリピートされるから、そうなれば気が楽だと思ってるのよ」
「なして怒るのよ、おれはまた昔みてえな夫婦に戻れねえかって、次の子ができれば二人とも張りあいが出んだろって、そっだら話でねえか」
「生殖医療の資料まで持ちだして、もういままでとは次元の違う話でしょう」
「自然に孕まねえなら、こっだら医療に頼るのもありでねえかってだけだべ」
「いやいや、いやいやいやいや、あなたは私の気持ちを無視して、思いつきでもういちどおなじ二十年を送らせようとしている。あなたの目の届きやすくなるところで、納得のいくかたちに押しこめようとしている」
「家庭をそっだら、好ぐねえ場所みてえに言うのはなしてよ」
「私がやりたいことを探してるのが、これまでと違う自分になろうとしているのが、あなたは本当は面白くないんだよ。私の役割をそっちで一から十まで決めつけて。理想のセックスができる妻で、自分の子のかいがいしい母親で、そういう自分の理想をなにより優先しようとしてるのよ」
「んなこたねえって、おれが夫婦第一主義なのは知ってるべさ」
「その夫婦っていうのは、あなたが何もかもをリードする夫婦ね。あなたの理想どおりに事が進んで、キスをするならあなたがしたいときにするって夫婦ね」
このときはっきりとわかった。響一は子育てのことも、私自身のことも尊重するふりをしてまったくしていない。最低限、保たれていると信じていた相互理解は、私の幻想にすぎなかった。認めたくなかったけど認めざるをえない。響一は長いあいだ連れ添った女にすら〝役割〟を押しつける男だった。
間違ってもそんなふうに、子作りを囲いこみの材料にしてほしくなかった。
無為に生きてるぐらいなら子を宿せ、と言われているようで頭がくらくらした。
私のささやかな幻想を、幻想のままに保たせておいてほしかった。
その夜には、婚家を離れたいというところまで思いつめていた。
このままこの場所で死にたくない。私はこの命をつなぎたい。
だからこそ〝亡命〟が必要だったのだけど──
こうして不貞が発覚して、響一の言いぶんはもはやお話にならなかった。
「他にも相手いたんだから、ホステスなんだから。おれの子だかわがらねえ」
だそうです。電話で話したきり、響一とはもう顔を合わせたくなかった。椿さんが望んだ三者協議は申し訳ないけど辞退させてもらって、もうとどまっている理由もないので荷物をまとめて婚家をあとにした。
野島さんと話すと、「あーやっちゃったわね、旦那さん」と言われた。「おかげでわかりやすくなったじゃない。これでみんながあなたの味方をするわよ。お義父さんのことがあるんでしょうけど、義妹さんたちもいるならあなたが義理立てすることはない。すぐにこっちにいらっしゃい」
そうしよう、と思いながらもすぐには発てず、私は県内のビジネスホテルに泊まり、夜はそこで小説を書いて──ヴンダーカマー文学賞の締切も近かったからね、プロの作家の缶詰みたいで気分は上がった──昼間は義父のリハビリの介助に通った。愛人が乗りこんできたことは隠しきれず、亜里沙さんは味方についてくれたが、盛二や橙也はこの期におよんで〝話しあい〟を勧めてくる。私はきっぱりと固辞する。
響一は愛人からも逃げまわっているようで、ちょっと心配になって椿さんに電話してみると、電話口で彼女は泣きだしてしまった。聞けば母親とは死別していて、父や親族には不倫相手の子を身籠ったことで総スカンを食らい、実家を追いだされ、身重ながら知り合いの家を転々としているという。帰宅が不規則な友達のところに居候しているというので足を運んでみれば、シンクには汚れた皿がいっぱい、煙草の煙が染みこんだ古い絨毯のような臭いがしていて、脱ぎっぱなしの服や冷凍食品の袋やペットボトルの空き容器が散らかっているようなありさまで、私のなかの〝主婦〟が我慢できなくなり、いっきに掃除や皿洗いを片付けさせてもらった。
「悪いことばかり考えちゃって、怖い夢ばっかり見るからあまり眠れなくて」
最初に会ったときはやっぱり無理をしていたのね。私の目の前にいるのは、家族にそっぽを向かれ、お腹の子の父親にも世話を焼いてもらえず、恐怖と混乱に震えている一人の娘だった。雛人形は雛人形でも、男雛と対の女雛になれない、雛壇からいまにも落ちこぼれそうな三人官女の端っこだった。
この娘は、怖がっている。
お産そのものも、シングルマザーになるかもしれない未来のことも。
それがはっきりとわかって、私の倒錯した罪悪感もヒートアップする。どうしてこんなことになったんだろう、と彼女が漠然とおののくさまを見ていると、自分の身代わりに身籠らせてしまったような思いが強くなって、私にまでしばしば恐怖が感染した。
臨月になると動くのもしんどそうで、私は見かねて妊婦健診にまで付き添った。お若いお祖母ちゃまですねと看護師に言われてもオホホとごまかして、夫と愛人の子の成長を超音波画像で見ているときには、われながらシュールな事態になったと思った。
すこしずつ橙也を産んだときのことを思い出して、お通じや摂るべき栄養の相談にも乗って、陣痛のことや分娩のことも聞かれるままに教えた。母と娘ほどの年齢差はないのに行くさきざきで妊娠した娘をサポートする母親のように見られた。
「ずっと着信拒否してるんです、一度も会いにきてくれないし」
「ごめんね、ほんとうに……」
なんなんだ、響一、三十六計逃げるにしかずか。たったいま彼女の隣にいるべき響一がいないから、私はいやおうなしに主婦のマルチタスクを発動させて、身のまわりの世話を焼き、妊婦が喜ぶ料理を作って、マタニティ・ブルーがこじれた椿さんに一人でいたくないと乞われれば、私のホテルに彼女を連泊させたりもした。
毒にも薬にもならないテレビを見ている椿さんのかたわらで、私は『キスカム(仮)』を書きつづけた。何を書いているのかと訊かれて小説だと答えると、物珍しそうに関心を示してきたのでさわりだけ内容を教えると、
「すごい、面白そう」と言ったので私のなかで椿さんの好感度が急上昇した。
「そうかな、面白そうかな」
「読んでないからわかんないけど。あたし、小説の字って読めないし」
「あ、そう。息子にはおばさんの退屈な手記とか言われたけど」
「だけど多恵子さんってロマンチックなんですね。新婚旅行で見たキスカムのことからお話を作るなんて。キスのしかたがわからなくなって、旅をして……とかそういうの普通じゃ思いつかないし。田舎で主婦やってるのはもったいないですね」
なんとなくそれは地方差別でも主婦差別でもあるぞ、と思ったけど口には出さない。これまで小説は一度も読んだことがないと衝撃の発言をした椿さんが、読めないけど内容は気になるとあおるので、調子に乗った私はドキドキしながら「……なんだったら気晴らしに朗読しようか」と水を向けると、
「あ、それはいいです」
あっさり話を打ちきられてしまった。
すべてはなしくずしに転がっていく。私と一緒にいるときに椿さんは破水して、なりゆきで私も救急車に同乗して、そのまま出産に立ち会うことになった。廊下で待とうとしたけど、私が帰ると早とちりした椿さんが「行かないで」と手を離さないので、そのまま続柄の欄に〝祖母〟と書きこんで、スモックをまとって消毒ジェルを手に塗りたくり、獣のような声で叫ぶ彼女とともに分娩室になだれこんだ。
顔をむくませ、世にも恐ろしい金切り声をあげる椿さんは、私の前腕をつかんで言う。
「来た」
陣痛の強い波がやってきて、手すりではなく私の両腕にしがみつく。おでこや首すじに濡れた髪がへばりつき、眼窩は盛り上がっていまにも眼球がこぼれ落ちそうだった。「響一さん響一さん」と喘ぎながら言うので、ついに私が響一に見える譫妄状態におちいったかと思ったがそうではなくて、いざとなれば響一が救世主のように現われてくれると思いこもうとしているこの娘はやはりお腹の子の母親なのだった。「響一さんはどこ、噓でしょ、本当に来ないの!」
分娩台に乗るところまではよかったが、三時間がすぎても太腿のあいだから飛び出したのはおしっこだけだった。これでも陣痛がまだ弱くて、子宮口が五センチも開いていないというので前室のようなところに戻されて、室内を歩かされたり、バランスボールに乗って産道を拡げる運動をさせられたりして、痛みから気がまぎれるものが欲しいというので私はマックを取りだしたが、「朗読はいいです!」そんなの聞いてられないと怒られた。ようやく分娩台に戻してもらえて、腿の筋肉を浮きたたせ、声を出して息み、息み、迸るおしっこではない液体とともに出てきたそれを助産師が受け止めた。おちんちんはついていない。女の子だ。へその緒を切ると泣きだしたけど、不安になるほど泣き声は弱かった。椿さんは分娩台で体をひねって、
「赤ちゃんは、あたしの赤ちゃん」と叫んだ。「あたしに抱かせて」
胎便を飲んでしまったようで、赤ちゃんは保育器に入れられた。おへそに管を埋めこまれ、おびただしい医療器具でつながれ、蜘蛛の巣につかまってしまったちいさな虫のように見えた。胎便はちいさな肺につまったりすれば酸素供給や人工呼吸、悪ければ人工心肺が必要になるほど危険なものなはずだ。透明のプラスティック越しのその子は、私の目には迷っているように見えた。
しわくちゃの目がすぼまり、瞬いた。この子は迷っている。
眩しい新天地にとどまるか、それとも元いた暗くて静かな場所に戻ろうか。
その境目にいる。どっちつかずで、両方の浅いところを出たり入ったりしている。
脳梗塞で倒れた瞬間の、お義父さんにも似ていた。
生と、死。
お願いだからこっちを選んで、こっちにとどまって、と祈ったとたんに大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。橙也を産んだときにもわが子がいつ呼吸を止めてしまうか怖くて怖くて眠れずに泣きじゃくっていた自分の姿を思い出した。
お願いだから命をつないで、せっかく出てきたのに、まだ戻ることはないじゃない。その保育器からの眺めをこの世界の見納めにするなんてありえない。あなたはまだ素晴らしいものを見ていない、美味しいものを食べていないし、血湧き肉躍る物語にもふれていない。胸が痛いような恋もしていないし、というかだれからも、恋人どころか親からも、愛情であふれんばかりのキスをしてもらえてない──
新生児がどちらを選ぶのか、その場ですぐに答えは出なかった。私は保育器の前を離れて、回復室というところに入れられて点滴を受けている椿さんの枕元に坐った。シュールな事態におちいったまま、この夜にたどりついたけれど、私たちはたしかにそのときある種の連帯感で結ばれていた。
他の医師や看護師がいなくなってから、あの子は絶対に大丈夫、と私が言うと椿さんは泣きだした。響一もかならず病院に来させるから、あの子をちゃんと抱っこさせるからと約束すると、椿さんはありがとう、と言ってすこし上体を起こし、私の首すじに両腕をまわして体を寄せてきた。
彼女の干からびた唇が、私の唇のすぐ真横にふれた。私は思わずちいさな声を漏らした。さっきまで流していた涙の尻尾を吐息に変えて吐きだしていた。
出合い頭のような接触に戸惑ったおたがいの唇が、連帯の証のように、今度はしっかりと重なった。恋人同士のキスとは違ったけど、それでも私にとってはたしかに大事なキスだった。たった一度だけ、もう何年も前に、お酒と小説談義の宵に野島さんと交わしたそれのことを思い出した。あるいはあのアメリカのスタジアムから、私自身がずっと待ち焦がれてきたキスなのかもしれなかった。
「ありがとう、多恵子さん、ありがとう」椿さんは何度も礼を言った。
「私こそ、得難い体験をさせてもらった」
「多恵子さん、小説書いてね。それであたしとあの子にいつか朗読してね」
「ええ、きっと。ところで名前は決めてるの。椿さんがつけなくちゃ」
「そうだな……」
私もだ。仮の題名しかない小説に名前をつけなきゃいけない。
ホテルに戻ってきて、湧きかえる言葉とイメージを書きつけていく。
かすかにつかんだ風景を、文章を、手離したくなかった。
私は通過される。たったいま生かされている理由は、書くことができるからだという気すらする。言葉が、物語が、私を通過していく。
現実でやるべきことはそれほど残っていなかった。私は響一と会って、混乱している夫と膝をつきあわせて何時間も話して、ようやく協議離婚に話をもっていくことができた。あとは弁護士を交えた話しあいになりそうだ。盛二や亜里沙さんにも丁寧に説明をして「お義父さんのことは心配いらないから」とまで亜里沙さんは言ってくれた。椿さんが響一と一緒になれるかどうかは、あとはもう二人の問題だった。
母子ともに無事に退院することができた椿さんに、赤ちゃん本舗でおむつとお尻ふきとロンパース、歯固めのおもちゃ、布製の絵本、おむつ替え用の霧吹き、とちょっと気が早いものまでまとめて買いこんで郵送した。
退院の朝になってようやく響一は現われたらしい。「こんなにちっちゃかったか、手とか足とか噓だろ」と娘の指をつかんで泣いたらしい。
私にも抱っこしにきてほしい、と椿さんはメールしてきたけど、夫とのこともあるのでしばらくは遠慮することにした。書きだした小説をようやく脱稿まで漕ぎつけて、(仮)のとれた題名を決めて、高ぶる心地をおさえられずに夜の街中をあてもなく歩いた。
東京に亡命しようとして空港まで歩いた経路も、赤んぼうの橙也が泣きやまないので抱っこしたままめぐった路地も歩いた。夜明けはまだずいぶんと遠くて、朝がどこかで迷子になっているみたいで、だけど月明かりのおかげで闇は薄れ、夜気がしっくりと肌身になじんだ。初めての小説を書きあげたあとの世界は柔らかく私を包みこんでいた。
両足はどこまでも歩きたがり、一歩一歩を重ねたがり、地面を弾むようにしてどこまでも歩いていけそうだった。夜は奇妙なほどに静かで、いくつもの街の灯を浮きあがらせている。リュックにはマック・ブックプロと数冊の本も入っている。いっそこの足でどこかに行ってしまおうか。奄美大島でもいい、東京でもいい、海の向こうの異国でもいい。あんなに遥か彼方の蜃気楼のようにかすんでいた異郷が、いまはちょっと足を延ばせばたどり着ける遠景の鉄塔ぐらいのものに感じられた。たとえ歩いても歩いても目標が近づいてこないような気がしても、できるだけ身軽になって、頭を空っぽにして、通過していくものにゆだねればいい。一歩を進めるごとに風景は変わり、ある瞬間にいきなり目標は目の前にあるだろう。今なら心からそう信じることができる。私はいま自由で、亡命もしたいだけできる。だけど現実にそれをする必要があるのだろうか? 驚くことに私はこの地を一歩も離れずに、タエコの旅を最後の風景にたどりつかせた。思えばそれが小説の奇蹟なんだ。物語のなかではなんべんでも、どこまででもそれを実現させられる。あんなに動かないと思えていた壁も動いて、遠い風景も向こうから近づいてきて、私はつかのまの夢見心地と高揚感に打ち震えることができる。
だから街路で立ち止まり、前後左右を見渡して、それから踵を返して来た道を戻りはじめた。
もう少しだけとどまろうと思った。野島さんとはまた会いたいけど、橙也にも帰る場所は要るし、見ていたい顔もある。それに私が行かなくても、タエコが行くから。亡命の翼をはためかせてどこまでも旅をする。私はその背中を見送る親であればよかった。
他の応募者たちは、締切に間に合っただろうか。賞の主催者や選考委員に、顔も知らない読者たちに、私はそっと『キスカム』の完成を告げる。待っていて、もうすぐタエコが行くから。
*
たったいま目の前にあるものが、正しいものか、間違っているのか、彼女たちには判断がつきません。暗くて温かい場所から這いだして以来、すべては不足によって生みだされてきました。
家族だって宗教だって都市だって、消しゴムだって、梯子、階段、旗、石鹼、酒の蒸留法、平等、地図、クラシック音楽、コペルニクスの地動説、魔法瓶、アスピリン、真空管、経口避妊ピル、そんなものはどれもなにかが足りない、というところから出てきたものでした。キスもそうです。愛の表現はずっと充分ではなかったし、あるときにはぜんぜん足りなかった。だから生まれたのです。それはたちまち人類に行き渡り、行き渡っていることを示すシステムができました。
ターミナルからスタジアムまでどこもかしこも混んでいて、税関なんて長蛇の列だったし、タクシーは渋滞に巻きこまれて、乗客よりもイライラしている運転手にはチップを弾まなきゃいけませんでした。
ロビーから会場へとつづく通路を歩き、タエコたちの視界がひろがります。海のように波打つ満場の客席でたくさんの親や子が、夫や妻たちが、それから恋人たちが歓声を上げています。
戻ってきた、とタエコは思います。あちこち旅をして、まわりまわってここに戻ってきた。遠まわりをしてきたとは思いません。彼のもとを離れて以来、綿花畑からスラム街、あの世ときびすを接した浜辺にいたるまで転々としてきたからこそ、ここにともに来られたのです。たったいま隣にいるその人は自分たちの座席を見つけて、会場の熱気による汗をぬぐいます。手鏡で髪を直して、それから千に一つの歓喜を、天に昇る心地が訪れるのを待ちます。
「わたしたち、選ばれるかな」
「いきなり選ばれたらすごいけどね」
「今って名前を聞いてくるアナウンスとかもあるらしい」
「そうなの、へえ、それはちょっと緊張するね」
「彼女はタエコ、ってわたしが言うからさ」
「あっ、タイムアウトだ」
「見て、あのひと、カメラを呼ぼうとしてる」
「え、どこ?」
「あっち。熊みたいな男と一緒にいる」
「ほんとだ。みんな期待してるのね」
「させるか」
「座ってなよ、天の配剤にゆだねようよ」
「だってあなたの念願なんじゃないの、前の彼と来たときからの」
「そうだけど、来られただけでも満足ってところもあるし」
「大丈夫、わたしは自信があるから」
「選ばれる自信が?」
「ううん、この場でいちばんのキスをする自信が」
「あ、見て」
「他にもライバルがいるの」
「違う違う、ほら、モニター!」
タエコは戻ってきました、始まりの場所に。恋人とともにぐるぐるとまわって、幾夜にもつらなる言葉を重ねて、たどりついたそこではラブソングが流れだします。頭上のモニターが唇の形に切りとられ、ふたりは抱擁しあい、見つめあって、髪を撫で、抱きあいながら舞いあがり、たがいを軸にして回転し、宙を飛んで、あっと息を吞む観衆の瞳のなかでスローモーションの火花を散らせます。
そのときふたりは、地球を外から見た宇宙飛行士のような気分になるでしょう。時も人もうつろい、結びついてはまた離れ、画面から見える風景も違っているでしょう。
さあ、キスカム。恋人たちのもとへ。タエコたちはその瞬間を待ちわびます。それまではふたりで双子の胎児のように、片時も離れずに。
(三人目につづく)
引用文献:アゴタ・クリストフ『文盲』堀茂樹 訳(白水社)
連載【ヴンダーカマー文学譚】