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【試し読み】金原ひとみ パリの砂漠、東京の蜃気楼 第2話「おにぎり(鮭)」

illustration Shogo Sekine
※本連載が書籍化しました。
金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』2020年4月23日発売

 目覚めた瞬間スマホを確認するようになって、もう何年になるだろう。LINEとスナップチャット、メールを確認すると、Pokémon GOを開いてポケモンを捕まえ、最後にツイッターを開きいくらかスクロールしてから、またゴロゴロする。それが私のほぼ毎日の日課だ。二度寝をしようかどうか迷いながらツイッターをスクロールしている途中、セクハラという文字が目に入り自動的に動画が無音のまま開始する。テレビの情報番組で女性たちが男性芸人から暴力と辱めを受けながら、笑顔を絶やさず対応している動画だった。眠気と怠さと嫌悪で呻き声をあげながら最後まで見て死にたくなってスマホをロックする。ここ数年日本のバラエティ番組やワイドショーを見ると死にたくなる。新居に越して改めて買い直したテレビは、配線が足りなかったのもあって、BSとネットに繋いだだけで地上波は接続していない。地上波を繋ぐケーブルは死への架け橋。
 フランスでは、酒瓶を持った男性に娼婦呼ばわりされようが、感じの悪い店員や不動産屋に邪険にされようが、ラリっているのか頭がおかしいのかいわゆるヤバい人にすれ違いざまに怒鳴りつけられようが蝿が飛んでいる程度にしか感じなかったのに、日本に戻って以来外部からの刺激に過敏になっている自分を実感していた。日常が穏やかすぎる故の、刺激への耐性の低下。フランスの男性には感じなかった、日本の男性の高圧的な態度。いや、そんなレベルの話じゃなく、もっと強烈に、生きているだけで四方八方から侵害されているような閉塞感がある。
 耐え難い動画を見た時、こんな奴ら死ねばいいではなく、こういう奴らは滅びろではなく、なぜ自分が死にたいと思うのだろう。嫌がらせをされたら相手を殺したいと思う人間になりたい。暴力を受けたら何かしらのやり方で倍返しする人間になりたい。それなのに私は死にたいという言葉で安易に自分の憤りを処す人間で在り続けている。悲惨だな。ぽつんと浮かんだ感想は、日本の現状に対してか自分に対してか、あるいは両方か。

 ぐずぐずと嫌な気持ちを引きずり延々荷解きを続け夜を迎えると、晴れない霧を掻き分けるように電車に乗った。フランスで知り合って以来、仲のいい友達と会う約束をしていた。彼女は私より二年ほど早く本帰国していたけれど、一時帰国の度に会っていたから特に久しぶりという感じはしない。それでもこれまでずっと時間を気にしながら一時帰国の忙しい合間に飲んできた彼女とこれからはいつでも会えるのだという、ある種の気楽さが自分の中に生じていることにも気づいていた。
「はいおかえりー」
 カナのぬるい歓迎の言葉とともにビールで乾杯して、焼き鳥盛り合わせ、さつま揚げ、レバーの甘露煮、ツブ貝の刺身、と久しぶりの居酒屋メニューを注文する。
「で? その後どうなってんのユミさんとこ」
 数日前LINEで共通の友人であるユミの話をしていたのを思い出して「ああ」と呟く。
「ユミさ、浮気された離婚する! って親にも向こうの親にも友達にもあちこち言いふらしてたんだけど」
「だけど?」
「何か旦那さんにうやむやにされて、うやむやにされてる内に彼女も戦意喪失しちゃったみたいで、なんかもう熟年離婚すればいいのかもって弱気になってる」
「なにうやむやって。旦那さんシラきってるってこと?」
「うん」
 はあ何それ意味わかんない。この期に及んでそんなのアリ? だって女と一緒に過ごすためのマンション探してたんでしょ? どこまで面の皮厚いんだっつーの。カナは大きな目を見開きくるくると動かして苛立ちと憤りを表現する。カナは綺麗な顔をしている。疲れのあまりぼんやりしたままカナに見とれる。
「とりあえず、働き口探すって言ってたよ。専業主婦ってやっぱこういう時自由利かないよね」
「そんなんさ! 旦那はやりたい放題で泣き寝入りじゃん」
「シエさんて覚えてる?」
「ああ、えーっと、コーディネーターやってる人だっけ?」
「そうそう。シエさんもユミからわーっと概要聞いてたみたいで、一昨日LINEでその話になった時、ユミが現状維持で熟年離婚とか言ってるんだけど、そんなんでいいのかなってボソッと漏らしたら、恋愛力も経済力もない女性に対して愛のない生活なんて、って説得するのはナンセンスじゃない? って、シエさんに言われたんだ」
「シエさん柔らかそうな人なのに、重いこと言うな」
「まあでも、カナもそういういつでも羽ばたける自由が欲しくて復職したところもあるでしょ?」
「まあ、離婚したいと仕事しなきゃっていうのはワンセットだよね。子供いると特にさ」
 バイトでも何でもいい、大学に通うのでもいいし、ユーチューバーだっていい。とにかくユミが何か自分のしたいことをして、あるいは自分がしたくないこと以外の何かで己の人生を充実させていけば私はホッとするだろうが、そんなの私の自己満足なのかもしれない。夫が外で働き、専業主婦として手厚く子供の面倒を見て毎日美味しいご飯を作る、それが彼女の人生の完成形なのかもしれない。何度不倫されても、怒って喚いても、結局のところ彼女がその家庭内でそれなりに精神を病みながらも生きていけているのは事実なのだ。今時どんな企業に就職したってそれなりに精神を病む人がほとんどなのだから、無職で離婚できない人と生活のために仕事を辞められない人とどっちが自由かなんていう比較には意味がない。

 締め切り前の十日間、料理以外の家事を一切しなかった。締め切り前三日は冷凍ピザと冷凍ラザニアと冷凍ポテトでやり過ごした。仕事脳をオフするために締め切り前は寝る前大量に酒を飲む。子供達も締め切り前になると私が苛々するパターンを把握している。自虐的にそういう話をすると、ユミはいつも「ええやんやりたい仕事あるって幸せなことやん」と言い切った。それはそうだ。幸せなことだ。でも常に小説のことを考えどこか地に足のついていない母の下で育つ子供たちにとって、それは幸せなことなのだろうか。そんな、夫がどんなに仕事に夢中になったとしても一生の内一度も考えないであろうことを考えていることに気づいては、私は自分を鼓舞してきた。
 何かやりたいことはないの? 大学に通うとか、フランス語をもっと勉強するとか、ちょっとしたバイトとか、日本相手にバイヤー的なことやるのはどう? ユミが現状について愚痴を漏らすたび私の口から出た提案は、彼女にとって憂鬱なものであったに違いない。
「ねえお姉ちゃん、それ痛くないのー?」
 カナと二軒目を探して徘徊している途中、サラリーマン集団の一人が自分の口を指差して聞いた。口ピを開けてからそれはもう頻繁にこういう手合いに遭ってきた。でも、フランスでは高校生くらいの女の子が「どこで開けたの?」と自分もやろうか迷っているのか真剣に聞いてきたり、実は僕も舌に開けてるんだ、とスーパーの店員の男の子が舌ピを見せてくることはあったけれど、こうしてキャットコールのような形でピアスを揶揄するのは日本人の中年男性ばかりだ。1.6ミリのニードルぶっ刺して痛くないわけねえだろ腐れオヤジ。
「おじさんもやれば?」
 笑いながら言うと、いやおじさんには無理だよーとサラリーマンはまだまだ絡みそうな雰囲気だったけれど、同僚らしき人に引っ張られてどこかに消えた。何で私は苛立ったのに笑って答えたのだろう。フランスだったら、私は気分を害したことを隠さず、相手を睨んだ後無視して通り過ぎただろう。なぜそうしなかったのかと言えば、日本でそんな態度をとったらまるで子供っぽいと思われ一層軽んじられるからだ。
 結局私も、テレビ番組でパワハラセクハラをされても笑ってやり過ごした女性たちと同じで、彼らの土俵に「立ってやるか」と笑ってやり過ごす女なのだ。そうだだから、私は彼女たちを見て死にたくなるのだ。

 ワインバーでたらふくワインを飲むと、私たちは駅の近くでいつものように慌ただしくじゃあねと手を振った。終電の一本前に間に合うように店を出たけれど、気が急いていた。
「ねえ、帰るの?」
 早足の私の隣をマークして、外国人の男性が日本語で聞いた。東南アジア系だろうか。帰る、と一言呟いて歩き続けるけれど、彼は早足のままついてくる。僕と飲みに行かない? ちょっと悲しい顔してるね、僕が君を楽しくさせるよ、完全に無視されたまま片言の日本語で話しかけ続ける彼に、不気味なものを感じる。
「帰るの?」
 帰る、また呟いて足の速度を速めると、笑ってる方が可愛いよと言われて思わず苦笑がこぼれる。その瞬間、「笑ってる方がいいね、キスもした方がいい」と彼は突然私の肩を抱き耳元に唇を寄せた。緩みかけていた表情が強張り、“Arrête!(止めて) Dégueulasse!(気持ち悪い)”と叫んで彼を突き飛ばした。反射的に出たフランス語に驚いていた。日本に帰国して以来初めてフランス語を口にした瞬間だった。突き飛ばされても尚ヘラヘラしている男に舌打ちをして背を向け、さっきよりも早足で駅に向かった。こんな怒りを感じるのは久しぶりだった。信じられないほどの怒りなのに、泣きそうだった。
 好きな男に泣きついて慰められたい、フランス語が出たのと同じくらい自然にそう思っている自分に気づいて情けなくなる。ずっとそうだった。良くも悪くも私の感情を振れさせるのは男でしかない。男に傷つけられて男に助けを求めてばかりいる自分は、小説を書いても子供を産んでもフランス語を勉強してもいくら新居や生活を整えても空っぽだ。どんなに丁寧に積み重ねても、テトリス棒で四段ずつ消されていく。積み重ねたものは必ずリセットされ、この身には何も残らない。

 駅から家までの道のりの途中、ひどく酔っぱらっているのになぜかコンビニでガス料金を支払い、そんなにお腹も空いていないのになぜか鮭のおにぎりとカップラーメンとアメリカンドッグを買った。ベロベロに酔っぱらっている時ほど珍妙なものを買う。玄関にどっさりと積まれた潰した段ボールの山を見ないように通り過ぎると、ソファに横になる。横になったまま手を伸ばして鮭のおにぎりを剥き二口貪り鮭に到達すると、もう飽きてソファのアームにほったらかす。呻きながら起き上がってヘパリーゼを二錠吞みこみ、メイクを落とした。酔っぱらっている時ほど、きちんとメイクを落としコンタクトを外し歯磨きをする。疲れている時ほど眠れないように。喪失感に苛まれている時ほど空騒ぎするように。悲しい時ほど泣けないように。ずっと全てが裏腹だ。
 最後に一杯となみなみ注いだワインを持って再びソファに横になる。きっと明け方目を覚まし、もう飲む気になれないなみなみ残ったワインを見つけて、結局この最後の一杯は飲まないのにいつまでもこの最後の無駄な一杯を注いでしまう己の不条理さに辟易とするのだ。最後に一杯と注いでは明け方シンクに流してきたワインは、もう何本分になっただろう。


【本連載が書籍化しました】

金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『クラウドガール』等がある。現在『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」を連載中。

※この記事は、2018年12月6日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。


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※東山彰良さんとの対談をnoteに掲載しました。


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