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ボストンのドーナツ|湯澤規子 第1話

100年前の日本とアメリカの女工(じょこう)の暮らしを研究している湯澤先生は、2018年夏、学会のためボストンへ。けれど真の目的はドーナツを食べることで……。アメリカのドーナツ、その知られざる歴史を旅すると、活気あふれる移民の暮らしが見えてきました。
※前回の話を読む:プロローグ「見えないものがつくる世界」

アメリカ、ドーナツ史をめぐる旅

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「歴史に埋もれて」見えない。
 だから、時空を超えると見えてくるものがある。

 2018年夏、私は一人、ドーナツを食べるために、アメリカ合衆国マサチューセッツ州のボストンに向かった。ボストンの南東に隣接するクインシーはダンキンドーナツの創業地である。その始まりの地で食べるということに、私はこだわっていた。「ドーナツごときに」と、あなどってはいけない。それには次のような事情があった。

 100年前の日本、とくに織物工場で働く女工たちが食べていたものについて調べていくうちに、ふと、ほかの国ではどうだったのだろう、という疑問がわいてきた。あれこれと調べていくうちに、アメリカ合衆国ニューイングランド地方、マサチューセッツ州のボストンで20世紀初頭に実施された女性労働者の食事調査にたどり着いた。最初は、日本もアメリカも、場所は違えど「食べること」は同じだろう、と思いながら史料を読んでいたが、どうも様子が違う。いったい何が違うのだろうと、その記録の行間をにらんでいると、見えない世界がかすかに見えてきた。

 100年前の日本では、ほとんどの場合、女工たちは工場の食堂で朝、昼、夜の3食を食べていた。ところが同じころ、ボストンの女工たちは自分たちで食べものを持参していたようなのである。ドーナツはその一つに含まれていた。

「アメリカのドーナツはどこから来たのか?」という議論には諸説あり、移民の国らしく、オランダ、スペイン、フランス、西アフリカ、イギリスなどが発祥国として名乗りをあげている。その中でもオランダ移民がニューイングランド地方に伝えたものが各国の料理の影響を受けながら変容し、アメリカ各地に広まっていったというのが有力な説のようである。朝食としてドーナツが食べられるようになったのもニューイングランド地方が最初で、19世紀後半にはどのレシピ本にもドーナツが含まれ、ドーナツは時と場所を選ばない食べものとして、毎日の生活にすっかり溶け込むようになっていた。「おやつ」というよりもむしろ「食事」であったという点が重要である。

 お金をかけずに手早く作ることができるドーナツは、「質素倹約」を美徳とするニューイングランド地方のピューリタンたちにとって、まさにぴったりの食べものだった。小麦粉と卵と砂糖を混ぜて油で揚げたドーナツは、片手に持ってすぐに食べられるだけでなく、腹持ちの良い一品だったに違いない。アメリカにはドーナツの歴史をかなり真剣に論じた本もいくつかあって、それらを読んでいくと、戦場でもドーナツは兵士たちの食料として重要だったとある(※注1)。

女工たちの食卓を見てみると

 ところで、最近、日本で人気があるアメリカのドーナツは、艶のあるアイシングで可愛らしくトッピングされた「クリスピー・クリーム・ドーナツ」であるが、日本に上陸したのは2006年と比較的最近であるため、アメリカでの創業が1937年という老舗企業だということはあまり知られていない。ダンキンドーナツはそれよりも遅れて1946年に創業している。工場労働者のためにトラックでサンドイッチとドーナツとコーヒーを売っていたところ、ドーナツとコーヒーの売れ行きが好調だったことから、ドーナツ屋になったのだという。

 ドーナツが販売され始めた最初の地がボストン近郊の地域であるということに、私はとりわけ興味をひかれていたのである。現在のボストンからはすぐに想像することが難しいが、かつてここはイギリスからの移民たちが最初の一歩を踏み出した地であり、また、マサチューセッツ州を含むニューイングランド地方は、イギリスからの技術移転によって、全米屈指の大織物工業地域へと発展し、たくさんの労働者が生きる巨大な工業都市でもあった。

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2018年に訪れたローウェル。赤い煉瓦造りの大きな建物はかつての工場。現在は博物館やミュージアムショップ、様々な店舗にリノベーションされている。

 当時の面影を求めて、ボストンからコミューターレールという電車で40分ほどかけて北に向かい、ローウェルという町に降り立った。現在そこは、工場群をリノベーションした博物館やショップが並ぶ産業観光地域になっている。そのうちの一つの博物館では女工たちが暮らした「寄宿舎(boarding house)」がそのまま展示されていた。嬉しかったのは、入り口正面の第一展示場に、「食卓」の具体的な様子を想像するのに十分な様々なメニュー、食べもののレプリカ、パン焼き釜などが展示されていたことだった。「見える食卓」として展示されている、という驚き。日本の博物館では、第一展示場に「食べもの」や「食卓」が堂々と並んでいることはほとんどない。もしかしたら、こうした展示のスタイルの違いは、私たちが生きるうえで何を大切に思って、どんな風に社会を見ようとしているのか、という姿勢に深く関わっているのかもしれない。そんなことを考えながら、一人黙々と展示に見入っては、当時の食堂やキッチンの音やにおい、そして女性たちの会話を想像した。

 ここでの発見は、工業化初期の工場には寄宿舎があり、そこには食堂もあったということである。では、女工たちはいつからテイクアウトのドーナツなどで食事にするようになったのだろうか。それはおそらく、アメリカに労働者として移民が大挙して押し寄せる19世紀半ば以降、寄宿舎制度が廃止されていったことと関係しているのではないだろうか。

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復元された寄宿舎のキッチン。パン焼き窯が見える。各寄宿舎には料理や生活を調えてくれる寮母がいた。

移民女性たちを支えたドーナツ

 その答えを求めて、次にボストンの隣、ケンブリッジにあるハーバード大学へ向かった。かのハーバード大学にはワイドナーという巨大な本館図書館以外にも複数の専門図書館があり、たとえば経営学が専門のベイカー図書館には、ローウェルで操業していた工場の経営史料がごっそり眠っている。「食べもの」に関わる具体的な記述があるわけではないが、分厚い経営帳簿をめくっていると、工場の活気、建物が並ぶ風景、寄宿舎の様子、騒々しい織機の音、工場主の悩みなどが、100年以上前の手書きのインク文字からなんとなく伝わってくるから不思議だ。そして、女性史を専門とするシュレジンジャー図書館にも足を運んだ。ここにはボストンで働く女性たち、とくに19世紀半ばから次々とアイルランドやカナダからやってきた移民女性たちの生活史料が所蔵されている。それらを読んでいると、彼女たちにとってドーナツは、私たちが思うよりずっと、頼りになる「日々の糧」だったのだと実感できる。ボストンという巨大都市で生きる彼女たちの心細さを支え、励ましたものの一つが、きっとドーナツの甘さだったのだろう。

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ハーバード大学の本館図書館。まずその大きさと荘厳さに圧倒される。でも、歩いてみると、学生たちだけでなく、観光客、子どもたち、地域の人びとの憩いの場になっていることに気づく。


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ハーバード大学のベイカー図書館。経営学の専門図書館で、様々な企業史料が眠っている。床はまるで巨大なチェス盤のようだ。このロビーで日本から持参した一口羊羹をかじって、調査への気持ちを高めた。


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ダンキンドーナツのテイクアウト用紙袋。ドーナツの写真を撮影することをすっかり忘れて、食べてしまい、気づいた時に手元に残ったのはこれだけだった。

 つまり、私がボストンでドーナツを食べなくてはならなかったのは、時空を超えて、今から約100年前のアメリカで、女性たちがどのような喜怒哀楽の中に生き、何を食べ、そして働いていたのかを知りたかったからである。ボストンでドーナツを食べると、今の私たちが知っているつもりのドーナツとはずいぶん違う世界が見えきた。そういえば、私が入ったボストンのダンキンドーナツの店内で、人びとは今でもまさに「食事」として食べているという印象があった。日本で食べるよりもずっと大きくて、食べごたえがあるのはそのためだろうか、などと考えながら、私も大きな口を開けてドーナツにかじりついた。

 ちなみに日本でドーナツを普及させた立役者といえばミスタードーナツであるが、これはアメリカで1956年にダンキンドーナツから独立した会社を1971年にダスキンが導入したものである。そういえば、最近のミスタードーナツでは「ミスドゴハン」というコンセプトで「ドーナツも食事になるよ」というメッセージを発信している。それは逆に、日本では長らくドーナツが「食事」ではなく、「おやつ」や「間食」であり続けている証のようにもみえる。本家にあたるアメリカのミスタードーナツはその後ダンキンドーナツに吸収され、日本ではダンキンドーナツがミスタードーナツの勢いに押されて撤退するという経緯も、歴史の偶然か必然か……。興味は尽きない。

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クリスピー・クリーム・ドーナツを、ミスタードーナツのカップに入れたコーヒーで食べる。カップはミスタードーナツ創業35周年記念の復刻カップ。

※注1:ヘザー・デランシー・ハンウィック『ドーナツの歴史物語』伊藤綺訳、原書房、2015年


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第3火曜日更新予定
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湯澤規子(ゆざわ・のりこ)
食べながら歩く歴史地理学者。1974年大阪府生まれ。筑波大学歴史・人類学研究科満期退学。博士(文学)。法政大学人間環境学部教授。著書に『7袋のポテトチップス―食べるを語る、胃袋の戦後史』(晶文社)、『胃袋の近代―食と人びとの日常史』(名古屋大学出版会)、『在来産業と家族の地域史―ライフヒストリーからみた小規模家族経営と結城紬生産』(古今書院)など。
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