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恋愛、住まい、お金、母……書くことで得る気づき。村山由佳デビュー30周年 特別ロングインタビュー【後編】

作家として、ひとりの女性として。その破天荒な生き様と、波瀾万丈な半生を支えたものとは――? 作家生活30周年、村山由佳の素顔に迫る特別ロングインタビュー。
前編に続き後編では、恋愛観、住まいとモノのこと、そして長らく確執のあった母親との関係性について、赤裸々に語っていただいた。リニューアルしたばかりだという執筆部屋も公開!


恋愛小説はさんざん書いてきたのに……

──『猫がいなけりゃ息もできない』と『命とられるわけじゃない』のシリーズは、南房総の鴨川暮らし以来、約10年ぶりのエッセイでした。久しぶりのエッセイ執筆で、何か発見はありましたか。
 
村山 10年の空白期間にわかったのは、エッセイって、自分自身の足が地についていないと私には書けないものだということです。私生活があまりにも動乱状態だと、何を書いてもその言葉はすぐ嘘になってしまう感じがして。そのときどきの確かな実感みたいなものがないと、エッセイは書けない。
 だから面白いことに、私は恋愛小説はさんざん書いてきたのに、恋愛エッセイは書いていないんですよ。村山由佳の恋愛指南、恋愛相談みたいな依頼をいただいたこともあったんですけれど、書きたいと思ったことが一度もなくって。それは小説に書くよ、と思ってしまう。小説が上とかそういうことではなくて、役割分担ですね。本当に心が揺れて揺れて止まらない、そういうことは小説という器でないと盛れないと思うんです。エッセイという器には、もう少し静謐なものを盛るという感覚。別の言い方をすると、小説が動画で、エッセイが写真というイメージかなぁ。だから、エッセイで恋愛を書いたら、ブレブレになってピントが合わない気がします。
 
──それは、村山さんにとっての恋愛が、型やパターンがあるようなものではなく、毎回まったく違う、予測できないものだからでしょうか。
 
村山 そうですね。相手によってぜんぜん違うから、指南書にできるようなノウハウや型はまったくないなぁ。だから恋愛小説をいろいろ書けた、というのはあるかもしれませんけど。

むらやま・ゆか
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞、09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞、21年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『猫がいなけりゃ息もできない』『命とられるわけじゃない』『星屑』『ある愛の寓話』『Row&Row』等。

モノは暮らしを彩る絵の具。
色数は多いほうが楽しい

──村山さんの生き様は、住まいや暮らしにも如実に表れていると思います。今回撮影させていただいたご自宅も圧巻というか……そもそも、「家」と呼ぶにはスケールが大きすぎるような(笑)。
 
村山 もともと写真撮影用の貸スタジオでしたから。引っ越してくるとき、1階ホールの天井にはバドミントンのシャトルがひっかかっていたりして(笑)。体育館みたいに使われていたんでしょうね。
 
──このホールも、はく製や古い素敵な道具たちでいっぱいなわけですが、「持たない暮らし」がブームの今、村山さんはその逆をいくような「持つ暮らし」ですよね。エッセイ最新刊の『記憶の歳時記』では、村山さんを支えてきた“モノ”についても数多くのエピソードが綴られていますが、中でも「自分が偏愛する世界への憧れこそが、私をここまで連れてきてくれた」という一節は印象的でした。作家として、あるいは一個人として、特にこれが重要だったというモノは何かありますか。
 
村山 うーん、何だろう。選べないなぁ……。中学生のときにお年玉を貯めて手に入れたモデルガンとか、サハラ砂漠のトゥアレグ族の三日月刀とか、ライオンの牙とかね。本当にどれにもすごく愛着があって、選んで手に入れたときのことをみんな覚えているから、捨てられないの。今は家の中を改造したりモノを移動させている途中なこともあって、ホールが古道具屋の倉庫状態なんですけれど……つい最近、執筆部屋の場所を移したんですね。今回の部屋は、ヴンターカンマー(注:世界の珍品をあつめた博物陳列室)がテーマなんですけれど、何も新しく買う必要がなくって。だって“倉庫”からテーマに合わせて選んでくればいいんだから。そのときの気分で好きな空間をすぐ作れてしまうの、いいでしょう。
 モノは暮らしを彩る絵の具なので、色数は多いほうが楽しいです。その楽しみを人生からみすみす捨てるなんて、ねぇ? 私はこの理屈でモノを揃えちゃうので、着物の帯や帯締めなんかも集めまくってしまうんですけれども……。ただ、高いものには興味がないんです。値段がつけられない、私が価値を決めるというのが好きです。部屋や家にはその人らしさが出るので、面白いですよね。

モデルガンと、トゥアレグ族の古い三日月刀。偏愛する世界とつながるモノたち(本人提供)
かつて両親と岡山県長島を旅して見つけた、吹きガラスのブイ。あの日の海を思い出す(本人提供)

明治・大正の文豪じゃあるまいし……
貴金属類をぜんぶ質屋に入れた過去

──南房総の鴨川を出られてから、都内のマンションや貸しビルを経て軽井沢へと引っ越して来られたわけですが、今のお住まいはいかがですか。
 
村山 この家に越してきてもう13年になるけれど、どんどん住みやすくなっています。二人目の旦那さんが出て行って、今の〈背の君〉と暮らすようになって初めて、ここに「生活」と呼べるものができたんです。朝晩のご飯を一緒に食べて、昼間はそれぞれ仕事をしたり、家のどこかしらを一緒に片付けたり、住みづらいところを工夫したり。今回、場所を移した私の執筆部屋も、元は巨大な宅配ボックスがはまっているせいで暗くて寒い場所だったんです。それを撤去して明り取りの窓を新たにはめたら、居心地のいい部屋としてちゃんと機能するようになった。次にどこを直そうと彼と計画を立てて、そこに向けてお金を貯めたりもしています。
 
──そういう堅実な発想が、これまではなかった。
 
村山 そうなのよねぇ(苦笑)。私、自分がいくら稼いでいるかも知らなかったんだから。最初の旦那さんはそこをしっかり管理してくれていたのだけれど、二人目のときに、それはもう大崩れしてしまいました。今回のエッセイで赤裸々に明かしたけれど、今どきなかなかいないと思うのよ、貴金属類をぜんぶ質屋に入れた作家。明治・大正の文豪じゃあるまいし(笑)。

初夏の自宅外観。庭の手入れには、パートナーの〈背の君〉氏が大活躍しているそう(本人提供)
ホール一面の窓。庭から差し込む秋の夕日が、ステンドグラスのように美しい(本人提供)
DIYした心地いい執筆部屋。手元のゲラに乗るのは、おてんば娘の〈さく

母に対する思いの変化。
「浄化」ではなく「沈殿」させる

──『記憶の歳時記』では、お母様との関係にもハッとするところがありました。母と娘の確執を描いた自伝的小説『放蕩記』をはじめ、村山さんはこれまで小説やエッセイで母親との複雑な関係性を数多く描かれてきましたが、今作の最終章には「母のことを書く時の手つきがいくらか変わってきたという実感がある」とあります。何かきっかけがあったのでしょうか。
 
村山 エッセイを書いていくことで、初めて気づいた変化でしたね。やはり相方の〈背の君〉の存在は大きいと思います。母について普通に話しても、ドン引きされない。彼は私の従兄弟でもあるから、私の母と同じ血筋である自分の父親に苦しんだ経験があって、理解を示してもらえる。あるいは、「そんなん言うたら化けてきよンぞ」なんて茶化してもらえる。今までは母について何か思うと、自分の中に浮遊物が渦巻いて、ずっと濁っているような状態だったんです。でも日常的に彼と母について話すたび、浮遊物が一つ一つ沈んでいって、最近はだいぶ水が澄んできたなと感じます。
 
──浄化ではなくて、沈殿なんですね。
 
村山 そう、決して浄化ではないです。何かきっかけがあったらまたぶわっと濁るかもしれないけれど、沈ませる方法はわかったからね、という感じ。母に対するいろんな思いが沈殿しているのも含めて私であって、それによってわかる人の気持ちや書けることがきっとあるから、浄化はしなくていい。そう思えるようになってきました。
 
――エッセイ末尾にある、認知症のお母様と交わした会話の記録には、形容しがたい切なさで胸がいっぱいになります。
 
村山 以前、もみじを看取ったときに、担当編集者から言われたんです。「今しか出てこない言葉や感情がきっとあるから、記録しておいてください」って。だからこのときも、母の手を握りながら、母のこぼす言葉をメモしました。「おだいてって」とか「ひねつくついたら、もいじーる」とか……自分の世界の中で話している言葉を。創作では絶対に出てこない言葉って、確かにあるんですよね。
 とはいえ、手放しに「お母さんありがとう」ではないです。この部分は感謝するけれど、この部分は今でもやっぱりひどかったと思うよ、と冷静に書けるようになった。少し違う地平に出たのだと思います。

幼いころ、母との1枚(本人提供)

また自分を「作家の偽物」だと思わないために

──その新たな地平で、今後どんな作品を書いていかれるのでしょうか。
 
村山 以前だったら、海外でも国内の地方でも、とにかく題材を求めて外へ外へ行きたかったんです。でも今は地に足の着いた愛おしい暮らしがあるから、なるべく家に帰りたくて。家でたっぷり時間がとれるので、今は歴史ものにじっくり向き合うことができていますね。
 次に出る本は、阿部あべさだを主人公にした伝記的小説『二人キリ』です。『風よ あらしよ』の伊藤野枝のえは自分との共通点があると思えたんですけれど、阿部定は本当にわけがわからない女で。恋愛の絶頂のところで相手の男を絞め殺して、おちんちんを切り取って持って行っちゃうんですから。でも彼女をひもといていくと、あんなに突飛に見える行動も、彼女にとってはものすごく自然なことだったのだと思えてくる。何かしら普遍的なものが見えてくるんですよね。阿部定の場合はかなり詳しい調書が残っていて、そこで語られている言葉が非常に鮮烈なので、それを創作で超えるというのはすごく難しい挑戦でした。創作ではとても出てこないようなひと言が、現に調書に残っているんですもの。苦労しましたが、先日、なんとか連載最終回を収めたところです。

──作家として30年走ってこられました。この先また30年あるとしたら、どんなふうに歩んでいかれるのか。何かイメージはありますか。
 
村山 いろんな意味で、いつまで書けるんだろうとは考えますね。祖母も母も晩年は同じようなぼけ方をしたので自分もそうなるんじゃないかとすごく不安で、少し前に検査を受けたんです。アルツハイマー病の遺伝子は無いとのことで、そこはほっとしました。でも別の要因だってあるでしょうし、気力、体力、本の売れ行きなどいろいろな面で不安はあります。それに、以前は自分の中の引き出しがいっぱいになっていないと書けなくなるんじゃないか、という不安や焦りがありました。でも、最初にお話ししたように私は編集者や周りに恵まれているので、彼ら彼女らがこうやってその都度、挑戦しがいのある題材や提案をくれるんです。
 
──自分ひとりで引き出しをいっぱいにしておかなくてもいい、と。
 
村山 そうですね。こうして依頼をいただける間は、期待以上のもので応えていきたいと思います。期待通りじゃなくて、期待以上。でないとまた、自分のことを作家の偽物だと思いそうな気がするから。

聞き手・構成=高梨佳苗/著者撮影=露木聡子/ヘアメイク=加藤志穂(PEACE MONKEY)
(「青春と読書」2023年11月号掲載のインタビューを元に再構成)

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〈もみじ〉画像を長押し→「画像を保存」や「写真に追加」を選択して保存(※機種やブラウザによって異なります)
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