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【試し読み】千早茜 わるい食べもの 「モンバサのウニ」

ひとは誰もが、何かを食べて生きている――。
幼少期をアフリカで過ごし、デビュー作の『魚神』が小説すばる新人賞と泉鏡花文学賞をダブル受賞。文芸界のフロントを駆ける若手作家が、「食」をテーマに過去の記憶や日々のくさぐさをつづります。瑞々しい感性にひそむ、ほのかな毒気。あやかしの「千早ワールド」を、ご堪能あれ。
illustration 北澤平祐
※本連載は2018年12月に『わるい食べもの』として書籍化されました。

 朝、起きてまず思うのは「今日はなに食べよう」だと言うと、ちょっと小馬鹿にした目で見られる。悩みがなさそうだからだろう。

 悩みがないことはないけれど、食べたいものを食べられるというのは幸せなことだ。まず健康でなくてはいけないし、自分で好きに使えるお金もいる。大人になって嬉しかったのは食の選択肢が増えたことと、自分の食べるものを自分で決められるという自由だった。

 けれど、その自由も幸せも環境が変われば簡単に壊れる。戦争や災害が起きてしまえば、今のように簡単に食料や水や嗜好品が手に入らなくなるだろう。

 三十年ほど前、アフリカのザンビアに住んでいた。私が六歳から十歳くらいまでの話だ。当時は食べられるものが本当に少なかった。現地の人々が食べられても私たちには食べられないものがあったし、水も煮沸しなくては飲めなかった。

 私たち家族は首都のルサカに住んでいた。街中だったので市場もスーパーマーケットもあったが、日本の食料はほとんど手に入らなかった。やはり日本食が恋しくなるらしく、母は日本からにがりを送ってもらい豆腐を作ったり、日本の米に近いタイ米を探したりしていた。

 辛かったのは魚があまり手に入らないことだった、と両親はよく言う。ザンビアは海のない国だ。カーペンターという銀色の魚を見せられた記憶はあるけれど、味を覚えていないので食べていないのかもしれない。魚があったとしても衛生的に生食ができる国ではなかった。刺身が食べたいと親たちは言い、代用品としてアボカドをわさび醤油で食べていた。

 私はべつだん困らなかった。若干、潔癖なところがあったので、生ものを食べなくていいのはありがたいくらいだった。日本のお菓子だけが恋しかった。思えば、小学一年生の一学期までしか日本にいなかったので、美味なる和食をたいして知らなかったのだろう。おかかと米と味噌汁があれば、日本食への渇望は満たされた。

 ある時、家族でケニアのモンバサに旅行した。海があるとは聞いていた。アフリカに行くまでは北海道に住んでいたので、私の脳内にある海は岩肌を打つ荒れた灰色の波だった。あとは、ずっと小さい頃に九州の祖父と歩いた、冬の白い砂浜。

 モンバサの海はまったく違った。絵具を溶かしたように青く、人々が海水浴を楽しんでいた。水着をあてがわれ、海に入るぞと誘われた。なぜだか両親はいきいきとして声も身振りも大きくなっていた。ビーチを前にするとテンションがあがるという人間の生態を知らなかったので、幼い私は不信感を覚えた。

 父と母は海にどんどん入っていく。「おいで、綺麗だから。魚が見えるよ」と手招きしている。家のプールで毎日泳いでいたので、泳ぎは得意だった。妹も私も母よりずっと泳げた。けれど、砂浜で足が止まった。海には果てが見えなかったから。

 両親は笑い声をあげながら水飛沫を飛ばし、ざぶざぶ泳いでいく。父など、ときおり潜っては姿を消す。その頃の私は不幸な未来を想像する癖があった。もし両親が死んだら、という想像が最も頻発したパターンで、その時も両親は波にさらわれて死ぬかもしれないと思った。残されるのは嫌だ。家から離れているし、自分だけでは帰れないだろう。ならば一緒に死のうと、意を決して海に近づくと、遠くから青く見えた海は透明に水底をすかしていた。

 海の中は極彩色だった。赤やオレンジのイソギンチャクがうねうねと揺れ、色とりどりの小魚が泳ぎ、海藻がただよい、よくわからない生き物が海底にごろごろいた。そして、海水は肌につくとべたついた。ぞっとした。

 恐竜図鑑で見た原始の海を思いだした。アンモナイトや魚竜がうようよいるような。そんなものはいないとしても鮫はいるだろう。こんな薄着で生命力あふれる海に入れるかと怯えていたら、岩陰からウツボが顔をだし、カッと私を威嚇した。半泣きになりながら浜に逃げ帰り、遠くから両親を見つめていた。鮫がきたら叫ぼうと思っていた。

 そんな娘の心配は知らず、父は素潜りをくりかえしていた。やがて「ウニがいるぞ!」と歓喜の声をあげた。現地の人に食べる習慣がなかったのか、無数のウニが海底に転がっていたらしい。「これは食べられるやつだ」「ウニ食べたかったのよ!」と両親は真っ黒いウニを獲ってくると、岩場で殻を割りだした。岩でがつんがつん砕き、中腰のまま割れたウニに口をつける。生ものは危険って言ったくせに食べてる!と私は仰天したが、二人は「ああ、おいしい」「醤油を持ってくれば良かった」と、ずぶ濡れのまま夢中になって貪っている。長いこと海の幸に飢えていたから欲望が爆発したのだろう、じゅるじゅると割っては食べをくりかえしていた。

 正直、親たちは気が触れてしまったのだと思った。当時はなかった言葉だけれど、「ドン引きした」というのが最も近い心情だろうか。
 日本に帰ってから、美術の本であの時の光景にそっくりな絵を見つけた。
 ──フランシスコ・デ・ゴヤ作『我が子を食らうサトゥルヌス』
 スペインの鬼才ゴヤが晩年に描いた、人間の恐怖と狂気の絵である。
 私は酒が飲めるようになるまで、生のウニは食べられなかった。

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※本連載は2018年12月に『わるい食べもの』として書籍化されました。

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補となる。近著に『人形たちの白昼夢』『クローゼット』『正しい女たち』など、クリープハイプ・尾崎世界観との共著に『犬も食わない』がある。本書が初のエッセイ集。
Twitter @chihacenti

※この記事は、2017年11月15日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

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