【試し読み】金原ひとみ パリの砂漠、東京の蜃気楼 第1話「カモネギ」
illustration Shogo Sekine
※本連載が書籍化しました。
金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』2020年4月23日発売
何度目かの正直で最後の最後の送別会を友人に開いてもらって二時に帰宅し、荷造り掃除をできるところまでやり一時間仮眠をとって早朝友人宅に子供たちを預け、五つのスーツケースを二往復してホテルに運び込み、二日酔いか胃腸炎かとにかく二度ゲロを吐き、ぐったりしたまま二時間に及ぶエタドリウ(不動産屋立会いの退去確認)を終え、スーツケースに入りきらなかった二箱分の荷物を郵便局から送付し、友人の家に子供を迎えに行った瞬間なぜか次女の靴が突然完全に壊れ、友人に次女を抱っこしてもらったまま探し回ってようやく見つけた靴屋で我的子供の靴に出していい値段の倍近いバレエシューズを買わされ、ホテルにチェックインしようとすると部屋の準備ができていないからバーで待ってろと言われ一時間半待たされ、人生の中でモストと言い切れる身体的危機を感じていた。二週間まともに寝ていなかった。二週間、寝ても覚めてもやることがあった。トランプで作ったタワーのように、風が吹けばこの身は一瞬で崩壊しそうだった。
十時間寝たい。二週間ずっと思っていた。十時間寝れなくても十時間ベッドにいて眠っていない間は何も考えないでいたかった。この二週間、目を見開いたまま延々巨大台風のなか高速のメリーゴーランドに乗っているような気分だった。ただ無事に飛び立つことだけを考えていた。飛び立ってしまえば、そのあとのことは、そのあとのこと。
フランス生活最後の晩餐は六年間週に一度か二度通い続けた大型スーパーモノプリの惣菜だった。最後だからと気が大きくなって「もうちょっと厚く……いや、もうちょっと厚く」と分厚いフォアグラのテリーヌを切り分けてもらいながら、ここの惣菜屋でフォアグラを買ったのは初めてだと気付いた。フォアグラと適当な惣菜、ジャンクフードとワインを買っただけだったのに、会計は一万を超えていた。ホテルに戻ってすぐフォークがないことに気がつき、コーヒー用のマドラーでフォアグラを切り分けバゲットに載せて頬張り、タパスのような惣菜とポテトチップを手で貪った。W杯準決勝イングランド対クロアチア戦を見た後の記憶は忽然と消えたまま二度と戻ってこなかった。
パスポート、財布、スマホ、パソコン、最低限それだけ無事に持って帰国できればいい。そう思っていた私は、その旅路でKindle Fireを失くした。友達との連絡手段がKindleでのスカイプだった長女は落ち込んだが、帰国早々私のiPhoneを受け継ぐと即座にスカイプとミュージカリーとスナップチャットをインストールして、Kindleのことはすっかり忘れたようだった。航空会社にKindleのことを問い合わせても該当する忘れ物が見当たらないと言われ、Amazon.frのアカウントとKindleの連携を絶った。その一連の手続きは、自分とフランスとを繋ぐ細い糸がまた一本断ち切られたような気にさせた。
帰国から三日後には実家に預けていた家具と段ボール箱七十箱が新居に搬入され、その翌週にはフランスから船便で送った段ボールがやはり七十箱届いた。その暴力的な存在を無心のまま選別し、四十五リットルのゴミ袋三十袋を一気に捨て、段ボール四箱分の本をブックオフに送った。
家電量販店で半ば投げやりに選んだ冷蔵庫がリビングのドアを通らず、猛暑日が続くなか再搬入には一週間を要すると宣告され、やはり投げやりにネット注文したベッドが通らず別のベッドを再検討しなければならなくなった私は完全に思考と感情が停止し、永遠にこの新居に幽閉され片付けをし続けなければならないのではないかという強迫観念に駆られ、先延ばしにしていた役所手続きをしようと家を出た。
一月前一人で一時帰国をした際、自分だけ実家の住所に転入届けをしていたため約一時間かけて地元に赴き、汗だくになりながら市役所の外にある喫煙所で煙草を吸っている途中、フランスの友達からLINEが入った。涼しさのおすそ分け。という言葉と共に朝露の載った花の画像が添付されていた。天気アプリの37度という表示をスクショすると彼女に送り返し、市役所に入り手続き書類の記入欄にがりがりとボールペンを走らせる。市役所内の人口密度は異常で不安になるが、どのくらいかかるか聞くと転出でしたらそこまで時間はかからないはずですと受付の女性は機械的に言った。
隣の席に座っている五歳くらいの男の子が大声でぐずり、それを母親が窘めるが、彼女も進捗しない手続きに苛立っていたのか、もういい加減にしなさいと彼を突き放しどこかに行ってしまった。彼はそれでも泣き止まず、今度は祖母と姉らしき女の子に向かって帰りたいもう嫌だと泣き叫ぶ。聡明そうな十歳くらいの姉は読んでいた本に栞を挟み、おいでと彼を抱き上げ膝に座らせようとするが、彼はぐにゃぐにゃと体をくねらせ終いには暴れて姉を何度か蹴りつけた。思わず声を上げそうになったが、姉は慣れた様子で蹴られた跡を手で払っている。祖母はいいわよ放っておきなさいと姉に冷たい声で言った。私は唖然とする。こんなに大声を上げるそれなりに歳のいった子供を母親と祖母が黙らせることもせず何とかしようとする少女に対し放っておけと言うなんて、信じられなかった。
子供が騒ぐのなら注意して黙らせるべきという私の考えは、自分が親の言ったことをある程度守る性質を持ち合わせた子供を持っているから生じているものなのだろうか。彼らからしてみれば、いくら言っても聞かないのだから仕方ないという認識なのだろうか。でも一、二歳の子供ならまだしも、言葉の通じる年齢の子が公共の場で長時間泣き止まない状況はフランスでは見た記憶がなかった。無表情でじっと見つめていた私と目が合った男の子は、姉と祖母の間に座りぐずぐずとごねながらも叫び声をあげることを止めた。
フランスの子供は、退屈に慣れているのかもしれない。親と子は寝室が別だし、ヌーヌー(ベビーシッター)に連れられ公園に行ってもヌーヌーはヌーヌー仲間とくっちゃべっていたりするし、家族で食事に来ても親はすっかり会話に夢中で、ため息でもつきそうな顔で退屈そうにしている子供をレストランではよく見かけた。大人は自分を楽しませる道具ではない。大人の仕事や楽しみを邪魔してはいけない。彼らは子供の頃からそう認識させられているのかもしれない。日本の子供がこういうシチュエーションで「自分が退屈であること」を大問題にするのは、常に大人を自分たちの不快さを取り払うべき存在だと信じているからなのかもしれない。
でもだとしたら、この母親と祖母のほったらかし具合は何なのだろう。私は改めて男の子を見たが、彼は祖母の膝の上でもう泣き止んでいた。もしも我が子があんなぐずりかたをしたら、私は呆れ果て悲しみに暮れ、顔も見たくないという嫌悪を隠さず少なくとも数日は口をききたくないと思うだろう。それくらいのぐずり方だったにも拘わらず、もう平然と、祖母も姉も、手続きを終えたらしき母親も彼と普通に接していた。その光景はただひたすら怖かった。私には彼らの関係性が恐ろしかった。
108番の番号札をお持ちの方、アナウンスに顔を上げて書類を受け取ると、私は再び電車に乗って新居近くの駅に戻った。七割方取れていたマツエクを全オフして付け直し、一ヶ月と十日ほったらかしにしていたネイルを新しくするため訪れた同時施術可能な新居近くの新規の店はそれなりに感じが良かったが、CカールからJカールに変更したマツエクは物足りなく、ネイルもあまりに分厚すぎる気がした。マツエクもネイルサロンも次からは前の店に戻そうと思いながら店を出て、次は転入届けのため出張所に向かった。
ぎりぎりの時間だったけれど受付さえしてしまえば何とかなるだろうとタカをくくっていたが、手渡されたのは所員が苦笑するほど大量の書類だった。信じられない量の書類に、住所電話番号名前生年月日といったほぼ同じ内容を心を無にして延々記入していく。
「すみません、手続き上の問題で、先に日本に転入されてた奥様を世帯主とさせていただいても良いでしょうか?」
途中掛けられた所員の言葉に困惑して、何かそのことでデメリットがあるんですか? と聞くと、「いえ、特にはございません」と言われ、「なら問題ありませんけど?」と疑問を込めて答えると彼はほっとしたような表情で「ではそのようにお手続きさせていただきます」とにこやかに言った。そもそも世帯主がどちらであるかということが問題になる場面があるのだろうか。気になったけど、何だか相手を嫌な気にさせそうで聞かなかった。手続きの途中で出張所のシャッターは閉まり、辛気臭い出張所内により重苦しい空気が漂う。ようやく転入や年金や健康保険や児童手当や医療証やらカードの発行やら全ての手続きを終えて非常出口から出ると、私は入り口にあった自動交付機で住民票を発行した。このカードを作れば交付機で発行できますし料金がお安くなりますと言われて申し込んだカードだったが、どこで発行できるんですかと聞くと「区役所や出張所です」という渋い答えが、住民票以外に発行できる書類はあるんですかと聞くと「印鑑登録証明書です」というやはり渋い答えが返ってきた。
初めての自動交付機で住民票をプリントすると、私が世帯主になると聞かされていたのに、世帯主のところに夫の名前が記載されていた。彼が何か勘違いしていたのか、私が何か勘違いしていたのか、あるいは実際に一度私が世帯主になったが、その後夫の転入手続きとともに世帯主を入れ替えたのだろうか。確認した方がいいだろうかと振り返ったが、固く閉じたシャッターをこじ開けさせ何故私が世帯主じゃないんだと詰め寄るクレーマーにはなりたくなくて、住民票を乱暴にバッグに押し込むと自動ドアをくぐって出張所を出た。
目的も定めぬままずんずんと歩みを進めている内に、帰国して以来見ていると思いながら意外に見て見ぬ振りをしてきたのであろうあれこれが津波のようになってここまで保ってきたあれこれを飲み込んでいくような気がして、思わず奥歯を噛み締める。まだまだメリーゴーランドは止まらない。台風のなか高速のメリーゴーランドに乗り続ける日々はいつまで続くのだろう。このまま家に帰りたくなくて、ふと目に付いたワインバーに入ろうとして禁煙だと気づき、一瞬悩んだ挙句また歩き始める。休める店を探しながら、生まれてからこれまでに経てきた引っ越しを数えてみる。思いつく限りで十五回、アメリカとフランスと岡山以外は日本関東圏が主な引っ越しの数々を思い返し、結局自分がここだと思える場所がどこにもなかったという事実に唐突に心細くなる。皆が「ここだ」と思える場所を持っているのかどうかなんて分からない。それでも十五回経てきた「ここじゃない」は、これからも「ここだ」が見つからない予想へと繫がり、別に安住の地など求めていないしという諦念にしか辿り着かない。
あそこは確か早い時間からやっていたはずと思っていたバーに入ろうとしたら「18h~25h」という看板が目に入り、ドアに伸ばしかけていた手を下ろす。18hまであと二十分あった。家に帰ろうかなと思ったその瞬間、通りの向こう側にノボリを見つけて無意識的に足を踏み出す。カランカランと音をたてて入ったのは、昔所沢に住んでいた頃バイトしていたファミレスの姉妹店だった。ちょっと油っぽいメニューもテーブルに貼り付けられた期間限定メニューも緑色の灰皿も店員のただ伝達にのみ使われる無感情な声も、楽しそうな学生、今にも死にそうなサラリーマン、話が止まらない女性たち、恐らく常連の老人、何だかよく分からないけれどスマホやPCで何か仕事かゲームをしているらしき人たちといった客層も、全てが懐かしくいらっしゃいませと声を上げにこやかに電卓を打っていた高校を中退したばかりの十六歳の日々を思い起こさせる。
「レモンサワーください」
私の言葉に機械的な「かしこまりました」を発した店員を見上げた瞬間、グシャンと鈍い音が蘇り、あのバイトの間自分が続けていた二股生活を思い出した。バイト先の浮気相手とバイト上がりにデートをして、バイト先に停めていた自転車で帰宅する途中、彼氏が帰宅する前に帰らなきゃと焦っていた私は赤に切り替わったばかりの横断歩道に飛び出し軽トラックに撥ねられたのだ。自転車はひしゃげたけれど、私は無事だった。叫び声の一つも、涙の一つも出ず、ただ静かに私は道路に投げ出されたまま、浮気相手の元にも彼氏の元にもどこにも帰りたくないどうして私は死ななかったんだろうと思っていた。それでも結局、帰宅時間が遅れた理由が作れたとどこかでほっとしながら、軽トラの運転手に大丈夫ですと呟くと路肩に自転車を放置し半ば森に近い道を四十分かけて歩いて帰り、事故に遭って帰るのが遅れたと彼に言い訳をした。体に痛みはほとんどなかったけれど、背骨がずれているような違和感があって、車体と接触したハンドルを握っていた右手がずっと痺れていた。
ハンドルを握る手から血が出そうな寒さの中人っ子一人いない外灯もまばらな道で自転車を飛ばし隠蔽工作に勤しんでいたあの頃の自分の果てに今の自分がいるなんて信じられないと思うと同時にそれ以外にこうなる道筋なんてなかっただろうという気にもなる。ふと横を見ると壁にはめ込まれた鏡に自分の充血した目が映り、目を瞬かせながら立て続けに何度も振動しているスマホを手に取る。スマホに浮き上がったのはユミからのLINEで、ずっと疑っていた旦那の浮気の確たる証拠を掴んだという報告で、その証拠のスクショも送られてきていた。
「私が帰国して早々こんな面白い展開になるなんてな」と入れると、「ほんまやで何で帰国したん」と入ってきて、立て続けに「家出るわ」と続いた。今はバカンス中で頼れる友人たちはほとんど旅行に出ているはずだ。「どこ行くの?」そう入れると、「分からん。どこでもいい」と返ってくる。今のパリはホテルもかなり埋まっているのではないだろうか。でも彼女はどこかに行くのだろう。どこかは分からなくてもどこかに行かなければならない時なのだろう。土地からも人からも重力が消え宇宙にたゆたう屑になったような気分、それはでも、ずっと彼女が求めていたものだったのかもしれない。一通りやりとりをした後ユミからLINEで通話が掛かってきてしばらく話を聞いていたが、簡単には終わりそうになく、適当に相槌を打ちながらお会計を済ませ店を出た。暗くなった道をゆっくり歩きながら、彼女の話を聞きながら、メリーゴーランドが少しずつ速度を落としていることに気づく。ここでの生活が回り始めているのだ。そう思ったら少し気が楽になって、うちの隣の隣が今度空くらしいよとユミに伝える。帰国しよっかなーといつもの調子で言うユミが、いつもの調子を装っていることに気づいているけれど、そこに触れたら彼女が崩れそうで触れられなかった。
一時間弱の通話を終えると、私は徘徊を止めポケモンGOをやりながら家に向かう。日本限定ポケモンのカモネギを見つけて一瞬テンションが上がったが、ゲットしてしまえばカモネギはただのポケモンだった。日本に住み始めた。その事実を象徴するカモネギにどこか虚しさを感じながら、私はカモネギをクルクル回して隅々まで観察し、ため息をついてから家のドアを開けた。
【本連載が書籍化しました】
金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『クラウドガール』等がある。現在『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」を連載中。
※この記事は、2018年11月1日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。
※金原ひとみさんの小説連載「デクリネゾン」が始まりました。