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ふたたび「わるたべ」|千早茜 第1話

偏屈爺と呼ばれても、己の道を突き進むほかないのだ――愛する「食」のためならば。各メディアをざわつかせ、驚愕と共感の声が渦巻いたエッセイ「わるたべ」待望の新シーズン。
illustration 北澤平祐

 先日、友人と甘味はしごをした。フランスのバターは永遠に食べていられると豪語する彼女はアクセサリー作家で、私以上に仕事人間であり、私以上にひきこもりだ。買いつけ以外の旅はしないという彼女と、取材以外の遠出はほぼしない私が、会うとなるとこれでもかと食の欲望に走る。

 ケーキ屋、ジェラート専門店とはしごして、喫茶店に入ったところで「イメージと違うって言われない?」という話になった。作品展示会などで実際にお客さんと接すると、そう言われることがあるそうだ。つい「あった! あった!」と鼻息荒くなってしまった。

 彼女のアクセサリーは美しい。私もいくつか持っているが、パーツへのこだわり、つける人への配慮、なにより彼女自身のアクセサリーへの愛と願望が詰まっている。彼女の作品からは強さを感じる。自らの体を飾ることを全力で肯定してくれている気がするのだ。
 そんな彼女はアクセサリー制作や梱包に一日の大半の時間をかけていて、それ以外のことはなるべく省きたい。「家でなに飲むの?」と訊けば「水ですね。お湯わかす時間も惜しい」と即答する潔さ。格好良い……! と私は唸ってしまうが、お客さんからはときどき「もっと繊細な人かと思ってました」と言われるそうだ。

 彼女のアクセサリーは間違いなく繊細だ。しかし、だからといって、なぜ作り手の性格まで繊細だと思うのか。いや、繊細だ。繊細で器用でないとできない仕事だということは作品を見ればわかる。要するに、そう言った人は彼女を「繊細でない」と決めつけているのだ。

 去年の暮れに初めてのエッセイ『わるい食べもの』を刊行してから、私も「小説のイメージと違った」と言われることが増えた。
 小説は私の作品で、私ではない。彼女のアクセサリーも彼女の作品で、彼女本体ではないし、彼女が繊細だろうが豪快だろうが、購入したアクセサリーはなにも変わらない。
 それに、イメージって個々人のものだ。全人類のイメージに合わせることなんて不可能だ。どうしようもないんじゃあ、なにして欲しいんじゃあ、と彼女は三個目のパフェを、私はナポリタンをぐるぐるしながらぼやいた。おかげで味をよく覚えていない。

 エッセイを書くまで、私はこんなぼやきとは無縁であった。小説に関しては「読んだ人がどう感じようと自由」と思っているので、どんな感想を目にしてもさほど響かない。そうか、そう読むのかふむふむ、と思う。ネットにあがる感想も自主的に読むことはほとんどない。
 けれど、エッセイとなると違う。仕事関係の知人に「千早さんは美食家だと思っていたのに」と残念がられたりすると、「あなたにとっての美食の定義ってなんですか」と詰め寄りたくなる。ネットの感想を見て「めんどくさそう」とか「一緒に住んだら大変そう」とか「食べすぎでひく」と書かれているとカチンとくる。よく読め、偏屈だって書いてあるだろうが、いやいや一緒に住む可能性とかないから、金銭的に迷惑をかけてない人に食べすぎとか言われてもな……とくさくさする。最終的には「知らんがな」と思うが、小説の感想より乱されることは明らかだ。
 これは一体なんなのか。エッセイが苦手で、エッセイがわからない、と悩みながら連載を続け、本をだし、ますますわからなくなっている。エッセイ、お前は、なんなのだ。

 私はエッセイに嘘は書かないが、すべてを書いているわけではない。だから、ここに書いていくことは私の一面やひと欠片にすぎない。二十四時間暴食しているわけでもないし、自分も知らない顔を持っていたりもするだろう。でも、エッセイというものは小説とは違う場所で書き手に繋がっているのかもしれない。ちょっと目の届かない、触れられると頭よりも感覚が反応してしまう敏感な場所に。

 エッセイ本をだして変わったことはまだある。食の体験談を語られるようになったことだ。「実は○○を△△して食べるのが好きなんです」「鍋ドン、うちもしています」「私も給食の牛乳を憎んでいました」「食にいっさい興味がないんです」偏愛、嫌悪、告白、共感……食という毎日欠かすことのできない行為だけに誰もが語る物語を持っている。それを打ち明けてもらえるのは純粋に面白い。今まで知っていた人の違う一面を知ることができるし、こんな嗜好があったのかと驚かされもする。

「イメージと違う」って本当は彩りだと思う。イメージ通りの人生はどこかで見たような景色を見続けるようなもので、きっとつまらない気がする。生物としても弱くなるんじゃないだろうか。素晴らしく美味しいチョコレートや料理にめぐり会えたとき、「永遠に食べていたい……」と口にしてしまうが、本当にそれが叶ったら数日で飽きてしまうことは目に見えている。イメージ通りの人間や人生だってそれと同じだ。飽きて倦(う)んで灰色になった世界に予想もつかない驚きが色をつける。鮮やかかもしれないし、濁った色かもしれない。けれど、「イメージと違う」その色は新しい色には違いないのだ。

 そういうわけで、私はまた得体のしれないエッセイというものに食を通じて向き合おうと思う。担当T嬢からは「われわれの闘いのゴングが鳴るときは、もうすぐそこですぞ……!」という意気天を衝かんばかりの原稿催促のメール。初めての方も、ふたたびの方も、お付き合いいただけたら嬉しい。


第2・4水曜日更新
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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。
Twitter @chihacenti

※この記事は、2019年7月24日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

※シーズン1は『わるい食べもの』として書籍化されました。こちらで試し読み公開をしています。


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