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#8 はま寿司と〈無敵の人〉 宇野常寛「ラーメンと瞑想」

※このエッセイは、小説的な内容を含みます。登場する人物と団体は、基本的に架空のもので実在のものとは関係ありません。ただし、取り上げているお店はどこもとても、とてもおいしいのでオススメです。
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design:Kawana  Jun


1.「ラーメンと瞑想」最大の危機

 「膝を怪我してしまいました」
 ある水曜日の朝、いつもの待ち合わせのカフェに着くと先に来ていたTが唐突に告白を始めた。
 曰く先週、いつも通っている武道の稽古中にうっかり膝を痛めてしまったということだった。腫れや痛みはなかったが、膝に違和感があったので翌日すぐにMRIで検査したところ、靭帯を損傷していた、と。これから四ヶ月は装具をつけた状態で過ごし、一日の歩行制限は三千歩になる。そしてリハビリを経て再び稽古やトレーニングができるのは、さらに四ヶ月後の八ヶ月後、だそうだった。
 僕はただただ驚いた。僕は暇になるとなんとなくTに「何かエキサイティングなことはありましたか?」とLINEのメッセージを送るのだけど、この一週間はそういえば僕のこうしたLINEに何も返ってこなかった。
「色々と大変なときに呑気にエキサイティングなことはなかったかなどと尋ねてきて、本当にムカつきましたよ」
 Tは笑っていたが、僕はなんだか本当に悪いことをしたような気分になってしまった。
 そして、落胆もしていた。僕たちはゴールデンウィークに三浦半島から鎌倉まで歩いたように、この夏もどこかに出かけて長距離を歩こうと相談していた。したがってこのタイミングでのTの怪我は、楽しみにしていた計画が実行できなくなってしまったことを意味したからだ。
「まあ、怪我は仕方がないので都内で楽しみましょう。なにかうまいものでも食べに行きますか」
 僕は気を取り直して提案したのだけど、Tはそれに対して「実は、それも難しくて……」とさらに申し訳無さそうに言った。
「以前より医者から血圧やコレステロールの高さが指摘されていたのですが、今回身体との向き合いかたを考え直すにあたり、食生活など今自分にできることから見直すことにしました」
 そして、なぜかニヤニヤとしながら付け加えた。
「なので、しばらくはタンパク質と野菜中心の食生活を心がけようと思います」
 曰く、すでにサバ缶とトマトジュースを大量に注文し、外食でも脂質を制限しているという。
「え、じゃあ『ラーメンと瞑想』はどうなるんですか? 食べ歩きエッセイというコンセプトが……」
「それは宇野さんが独りで食べに行ってもらえたら問題はありません。どうせ独りで食べにいっても変わらないようなものしか、取り上げないじゃないですか」
 それはその通りだったが、ではこの毎週水曜の「朝活」後の食事はどうなるのだろうか。僕は逆に、この「朝活」後の昼食時には「Tが食べたがっているから」と自分に言い訳して、一円一キロカロリーを超える、かなりこってりガッツリ系の昼食を取るのを楽しみにしていたので、なんだかはしごを外された気分になってしまった。
 僕は少し考えた。この状況をむしろ「活用」して、楽しむ方法はないか。Tには悪いが、彼の身体のコンディションが変化したからこそできることはないか。
 しばらく思考をめぐらせたあと、僕はTに提案した。
「じゃあ、久しぶりに寿司でも行きますか?」

2.回転寿司屋のデッドヒート

  僕とTの寿司をめぐる攻防は、かのコロナ禍のころにさかのぼる。
 当時のTは健康に無関心、というか自己の健康に絶対的な(僕からすれば、しかし無根拠な)自信を持っており、加えて寝ているとき以外は基本的に飲酒をしていた。この毎週水曜日の「朝活」のときも、夏場はランニング後にストロングゼロの五百ミリリットル缶を飲み干すことも珍しくなかった。酒に滅法強い体質らしく、それでもまったく泥酔しないことが彼の深酒に拍車をかけているように思えた。
 そしてそこに、コロナ禍が訪れた。当時の僕たちは、僕のオフィスの近くにあるチェーン店の寿司屋でランニングと瞑想後の昼食を取ることが多かった。すっかり常連になっていた僕たちは調子に乗って『美味しんぼ』の山岡士郎の真似をして、カツオのタタキにマヨネーズをつけて食べたいとリクエストして店員のお姉さんを困惑させたりもしていた。
 ところがコロナ禍になると「自主規制」の一環として、その寿司屋がアルコール類の提供を中止したのだ。今思うと、この種の自主規制が感染予防にそれほど寄与するとは思えないのだが、当時はそれが当然のことだとされていた。その結果Tは、寿司屋に通うことを嫌がりだした。曰く「酒抜きで刺し身や寿司を食べるのは拷問に近い」とのことだった。

  やがて、コロナ禍は収束に向かった。僕たちが通っていた寿司屋はその間に閉店し、同じ場所で今は焼肉ライク高田馬場店が営業している。そして僕はこの店のひとり焼肉……ではなくテイクアウトの弁当にハマっていくのだが、それはまた別の話だ。
 この寿司屋が閉店した結果として、僕たちは毎週水曜日にはランニングと瞑想の後に早稲田通りのはま寿司に行くことが多くなった。昼時はごった返すこの店だけれども、僕たちは十一時台の開店直後に行くことが多く、テーブル席でのんびり話しながら昼食を楽しむことができた。

  そもそも僕は回転寿司が若い頃から妙に好きだ。ときどき休日等に出かけると家族連れが多すぎてウンザリするが、やはり、好きなネタを好きなだけ食べられるその「自由さ」は捨てがたい。
 最初に回転寿司にハマったのは、今から二十年以上前のことで京都で暮らしていた頃のことだ。この頃、僕は実質的に無職だった時期もあるのだけれど、当時の回転寿司はデフレーションの営業で低価格競争が激しく、一皿百円を打ち出しているチェーン店が多かった。僕がよく足を運んでいたのは右京区の「京都ファミリー(というショッピングセンター)」のそばのかっぱ寿司で、そこには久世橋のブックオフや京都ファミリーに入っている大垣書店に行った帰りに寄っていた。特に冬場に牡蠣やあん肝といった季節のネタを集中的に食べるのが好きだった記憶がある。
 二回目に回転寿司にハマったのは上京して数年後のことで、そのときは『孤独のグルメ』で紹介されていた天下寿司のタイムサービスの大トロをよく食べていた。そのころ僕は会社員生活から、フリーランスの物書きになったばかりで、昼下がりの飲食店が閑散とする時間に遅めの昼食を食べることに充実感を覚えていた。
 そして四十代も半ばになった現在では、寿司はもっとも低カロリーで満足度の高い食事として愛している。食べるネタもコストパフォーマンスに優れた安くておいしいものというよりは、大手のチェーン店の仕入れ力に感心しながら珍しい季節のネタを食べることが多いのだが、ここで一つ問題が発生した。

  再びTは寿司屋に行くのを嫌がりだしたのだ。理由はよくわからない。この連載の初回で触れたように、Tはこの数年で食に気を遣うようになり、武術師範の影響で喫煙をやめ、酒量も抑えていた。それはヨギまたは武道家としての判断なのだろうと思った。これはあくまで僕の推測だが、もしかしたら以前ほど酒を飲まなくなった結果として、刺し身や寿司を好まなくなったのかもしれなかった。
 毎週火曜日の夜に、僕とTは明日何を食べるのかLINEで議論をするのだけれど、この時期には僕が寿司を提案すると「冗談でしょう」とか「ここは寿司の存在しない世界線だ思ってください」といった反応が返ってくるようになった。
 最初はそのうちTもまた寿司が食べたくなるだろうと思って、さほど気にしていなかったのだけれど、Tの寿司への拒否は気がつけば一年以上にも及ぼうとしていた。別に嫌がる人を無理やり連れて行く必要もないのだけれど、そのことに気づいた僕はある時期からあえてとりあえず「寿司」を水曜日の昼食に提案するようになった。するとTは「(ダイエット目的というのであれば)炭水化物を取ることになり、むしろ太る」とか「寿司は女性と行くものです」とか、よくわからない理由を返信してくるようになった。若干のコント性を感じるようになった僕は、ますます毎週の相談の際に最初は寿司を提案するようになったのだが、その意図に気づいたのかやがてTは僕が寿司を提案しても無視して、代わりに別の店のグーグルマップのリンクを送ってくるようになった。

  これはもう、Tは僕と未来永劫寿司屋に行く気はないのだな……と半ば諦めていたのだが、そこに舞い込んだのが彼の怪我と、そして食事制限だった。

3.ランチタイムの縛りプレイ

「寿司……ですか?」
「Tさんの足の状態を考えると、遠出はできません。そして血圧の状態を考えると、ラーメンやカレーや揚げ物はふさわしくないでしょう。したがって、早稲田通りのはま寿司が妥当だと思います」
 Tは少し考えて、「わかりました」と答えた。まだどこか嫌そうだったが、「たしかに血圧やコレステロールを下げ、タンパク質を多く摂取できるネタを選んで食べるといいかもしれません」と自分に言い聞かせるように言った。
 そして僕たちは以前から度々足を運んでいた、早稲田通りのはま寿司に向かった。
 休日は行列ができるこの店だが、平日の開店直後はガラガラだ。僕たちが受付機に二名のテーブル席を希望する旨を入力すると、すぐにレシートが出て席番号が指定された。
 卓上のタブレットを起動すると、Tが「とりあえずビールをお願いできますか」と言ってきた。僕は一瞬ためらったが、こういうときに余計な干渉をしないのが僕たちの暗黙のルールだった。僕はTのために中ジョッキを注文し、自分用にノンアルコールビールととん汁を注文した。Tがトイレに行ってくると席を立ち、僕はその間に「とりあえず」の数皿を注文した。

  僕は近年、回転寿司屋に来るととりあえずその店の「おすすめ」を食べる。それもなるべく季節の、旬のものを注文する。こうした大手の回転寿司チェーンの武器はそのスケールメリットを生かした「仕入れ」にある。だから、店側が「いま、これを食べてほしい」と推すものは仕入れのレベルで成功した、つまりいいものを大量に買い付けて安く提供できるものが多いのだという。
 そもそも僕は寿司屋で自分があまり知らないネタを食べるのが好きで、出張に出かけるとかなりの確率で、その土地の気軽に入れる寿司屋に行く。そしてあまり知らないネタを優先的に食べるのだ。
 これはもしかしたらあまり認識されていないことかもしれないが、マグロやハマチといった定番のネタ以外は、土地によって食べられているものが結構違う。
 僕は昭和の終わり頃に九州から北海道に引っ越しているのだけど、生ホタテがここまで日常食として普及していることに普通に衝撃を受けた記憶がある。まあ、これはかなり昔の、それも極端な例だが、近年で言えば鹿児島や沖縄に出かけたときは、まず東京では出てこない魚が並び驚いた。あと、西日本の人は逆に驚くかもしれないが、東日本と西日本では穴子の食べ方がかなり違う。東日本ではあのしっかり焼いて身が引き締まった穴子はあまり食べないし、ときどき出てくる穴子の生寿司もほぼお目にかかることはない。同じ関東圏でも、房総半島の漁港あたりに出かけると名前も聞いたことのない白身魚だけでバリエーションが無限にあり、どれもしっかり味や食感(特に後者)が違う。
 そして大手の回転寿司の楽しさとは、ときどき「九州フェア」とか「北海道特集」とか、おそらくは仕入れの状況で決定された企画が定期的にあり、この種の「地魚」に近いものが東京にいながら気軽に楽しめることにある。
 僕はその日もTがトイレに行っている間に、店側の「おすすめ」に表示されていた鯵と金華さばの生寿司を注文していた。
 Tが帰ってきた頃には、僕の眼の前には飲み物に加え、とん汁の椀と鯵と金華さばの皿がすでに並んでいた。
「相変わらずペースが速いですね」
 Tはテーブルの状況を見て、苦笑した。こういう店に入ると、僕はぱぱっと豚汁と数皿を注文して満足し、対してTは一皿一皿しっかりと吟味しながら組み立てていくのがいつものパターンだった(そして最終的にはTの方が多く食べる)。
 そしてこの日のTはいつも以上に慎重だった。
「高血圧にとって、塩分は大敵です。したがって今日の僕は醤油をつけなくてもいいものを選びます。それは結果的に素材そのものの味に僕を直接的に向き合わせることになるでしょう」
 Tがまず最初に選んだのは釜揚げしらすだった。次にしめさばを選び、そして納豆とおくらの軍艦巻きを注文していった。たしかにそれは、ちょっとした知的なゲームとして楽しそうで、そしてどのネタもしっかりおいしそうだった。
 僕は思った。Tはいま「回転寿司」というゲームの「縛りプレイ」をしているのだ。はま寿司のメニューは膨大だ。しかし中高年の胃袋には限界がある。大食漢のTだったが、その彼さえも今、血圧という枷を与えられている。その結果彼は「醤油をつけなくてもうまいものだけを選ぶ」という「縛りプレイ」を実行している。そしてそのことで、回転寿司という体験は店側が与えるものではなく自らが築き上げるものになるのだ。

4.女たちのスーパーロボット大戦

  このとき僕がゲームの比喩を思いついたのは、この直前の瞑想でちょうど、かつてTと交わした「縛りプレイ」についての議論が脳裏に浮かんでいたからだ。

獣の世界に物語はなく
神の世界に幻想はなく
獣と神の世界には、過去も未来も演劇性もなく

 「以前から不思議なのですが、宇野さんはあまりゲームをやりませんね?」
「僕は常にコンピューターゲームには独特の徒労感を覚えるところがあります。特にRPGなどにそれを覚えます。結局のところ、これは開発者の与えた適度なストレスが解消される刺激-反応モデルでつくられた装置を複雑化したものではないか、という疑いがその徒労感をもたらすのだと思います。有名なRPGの物語の多くが、それだけを抜き出したときはとてつもなく陳腐で、安易なものだと感じさせるはずです。しかしモンスターを倒し、レベルを上げ、アイテムを探すという段取りが、プレイヤーに達成感を与え、その結果としてプレイヤーはこれらの陳腐で安易な物語に感動することになります」
「では、宇野さんはアクションゲームのようなものしかやらない?」
「それが、そうではありません。そこで僕は『縛りプレイ』を導入します。これはゲームをプレイするときに自ら制約を設けるものです。例えば僕は『第4次スーパーロボット大戦』を女性パイロットのみでクリアする、という縛りプレイをよく行います。これは『ガンダム』シリーズや『マジンガーZ』など、さまざまなロボットアニメのキャラクターが登場するゲームのシリーズの一つです。プレイヤーはこれらのさまざまなアニメのロボットが所属する軍隊を指揮して、いくつもの戦場を『攻略』する『戦術シミュレーションゲーム』にあたります。そして昔のロボットアニメの登場人物には男性が多いので、この『縛り』ではかなり使用できるパイロットが限定されることになります」
「僕が子供の頃に放送されていたロボットアニメの主人公は少年ばかりでした。ロボットという表象が少年の攻撃性を体現していたのでしょう。しかし、その縛りプレイでは題材となるアニメの主人公がほぼ使えなくなるということですね?」
「はい。アムロもカミーユも兜甲児も、ショウ・ザマも使用できなくなります。特に序盤で使用できるのはこのゲームオリジナルの性別をプレイヤーが選べる『主人公』と、『マジンガーZ』の弓さやか、そして『機動戦士Zガンダム』のエマ・シーンと、ファ・ユイリィの四人だけです。シナリオが進むと、『超獣機神ダンクーガ』の結城沙羅、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のケーラ・スゥ、『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』のクリスチーナ・マッケンジー、『重戦機エルガイム』のファンネリア・アムといったパイロットが使用可能になります。彼女たちは総じて『脇役』であり、主人公の男性パイロットよりは低い能力評価を受けています」
「それで攻略は可能なのですか?」
「このゲームでは同じ作品に出てきたロボットには、原作の描写を無視して乗り換えることができます。したがって、この『縛りプレイ』では彼女たちを、主役の男性の乗っていた強いロボットに乗せることになります。具体的にはエマをZガンダムに乗せたり、さやかをマジンガーZに乗せたりすることになります。
 そのためこの『縛りプレイ』でのエースはオリジナル設定の『主人公』を除けば、『重戦機エルガイム』のガウ・ハ・レッシィです。同作のロボットは後半の主役メカであるエルガイムMk-Ⅱ以外の能力評価が厳しいですが、パイロットのレッシィの評価は主役のダバと同等で彼女をこの機体に乗せることで後半は主人公とツートップを張ることになります」
「もはや、別のゲームですね」
「この『スーパーロボット大戦』シリーズは原作の追体験を重視し、プレイヤーの思い入れのあるロボットとそのパイロットをゲーム内で活躍させるところに快楽の中心があります。しかし『縛りプレイ』で能力の高い主役たちの使用を禁止することで、むしろ戦術シミュレーションゲームとしての本質が露呈します。具体的には、後半は『マップ兵器』と呼ばれる反撃を受けずに広範囲の敵を攻撃する兵器の使用に特化した戦術が有効になります。これはこのゲームでは全体的に攻撃力がインフレし防御側が不利に設計されているのと、ターン制であるにもかかわらず行動ユニット数の上限がないために先制攻撃で最初に会敵したターンに撃墜できるだけの敵機を撃墜することで絶対的に有利になるためです。しかしこうしたゲームバランスが、主役級の人気キャラクターの活躍を追体験することに最適化された通常のプレイで露呈することはありません」
「通常プレイから外れることで、はじめてそのゲームのシステムの本質に触れることができる、ということですね」
「もっと言ってしまえば、『縛りプレイ』とはゲームそのものを『つくる』行為に等しいということです。僕たちはゲームを『縛る』ことで、同じシステムを用いた別のゲームを自らつくり出します。それは些細な工夫かもしれないですが、確実にそこには創造性が発揮されることになります。大事なのは、ゲームをどう攻略するかではなく、ゲームをどう縛るか、です。そうすることで、プレイヤーはより深くそのゲームの本質を知ることになります。そして深く知るための一番の方法は、同じシステムを用いて別のゲームを『つくる』ことだと僕は思います」 

 気がつけば、一時間以上も過ぎていた。店はいつの間にか混みはじめ、近くのオフィスに勤めていると思われるサラリーマンや、退職後と思われる高齢者たちの姿が増え始めていた。
 そして僕たちのテーブルの上には、僕たちがこの一時間強の間に食べ散らかした皿たちがうずたかく積まれていた。僕の眼の前の皿は、あれから三皿しか増えていなかった。僕はその後インド洋産の中トロと、九州産のうなぎの皿を注文していた。そしてデザートに輪切りのパイナップルを注文した。「回転寿司屋でそんなものを頼む人がいるんですね」とTは僕がこの種のデザート皿を注文するたびに嘲笑し、この日もいつもと同じようなコメントを加えた。僕は意に介さずに、とん汁から始めてパイナップルで〆るという僕なりに探求してたどり着いたコースを堪能した。そして、卓上の粉末緑茶を濃いめに入れて、食後のまどろみの中にあった。

 しかし問題はTのほうだった。Tの前に置かれた皿は、僕のものよりも多かった。これはいつものことなのだけど、前もって注文のイメージトレーニングを行っておいて、入店と同時に注文し、またたくまに平らげる僕に対して、Tはその日のメニューと腹の具合を吟味しながら少しずつ注文する。そして大抵の場合は、僕よりも多く最終的には食べる。その日も「縛りプレイ」をしているにもかかわらずTの食べた皿は僕よりも、そしていつもよりもだいぶ多く、さらにその脇には彼が飲み干したジョッキと、焼酎割りのグラスが合計四杯分並んでいた……。

5.〈無敵の人〉へ

 たしかに、Tは「以前に比べれば」飲まなくなった。しかし、それはあくまで過去の彼と比べたときの話だった。そして恐るべきことに「縛りプレイ」で寿司のうまさに、それもこれまでとはまったく異なる体験として目覚めたTは明らかにいつもよりもたくさん食べ、そしてそれ以上に「飲んで」いた。そう、「縛りプレイ」の面白さは彼にむしろ食を進ませたのだ。その結果としてやむを得ず寿司屋に来ていたはずのTは普段よりかなり多く「飲む」ことになったのだ。そしてたとえどれだけ醤油を使わないネタだけを選んでいたとしても、昼間からこのペースで飲酒することが身体の状況を改善する……どころかむしろ悪化させることは想像に難くなかった。

  僕は思った。これはさすがに指摘したほうがいいのではないか、と。

 このTともかれこれ十五年ほどの付き合いだが、暗黙の了解としてお互いの行動に干渉しないというものがあった。互いの行動について、意見は述べるが決してこうすべきだとか、こうしてはいけないだとか、そういったことは言わない。それが僕たちの関係だった。Tとの関係に限らず、僕は人間間の関係はそうあるべきだと考えているのだけれど、徹底してそう考えてくれる人間はなかなかいない。その意味において、Tは僕にとって非常に接しやすい人間なのだが、僕はこのとき初めて……ではなく、十年以上前にあまりにもそのキャラクターが固定化されているので、一度リセットしたほうがいいのではと提案したことがあったのだが、そのときに続いて二回目の越境をこのときしようとしていた。

「Tさん」
「はい」
「こういうことを僕は他人に言うのは好きじゃないですし、普段なら絶対言わないのですけれど、さすがに僕くらいしか指摘しない、というか指摘できる情報を得ていないと思うし、なんというか万が一のことがあったら一生後悔すると思うので、やっぱり言うしかないと思っているんですが」
「なんですか? 早く言ってくださいよ」
 と、言いつつTはタブレットに手をかけた。画面をスワイプしたその指は迷わずドリンクのページが表示されたところで止まった。僕はその一瞬を見逃さなかった。迷うことなく動いていたその指が止まったのは、彼が迷ったからだ。飲むか飲まないかではなく何を飲むかを、Tは迷ったのだ。
 僕はタブレットを取り上げて、言った。
「飲み過ぎです」
「大丈夫ですよ」
 Tは笑って、タブレットを自分に戻すように手の動きで訴えた。
「Tさん、失礼ですが直近の血圧の数値は……」
 Tは数値を口にした。さすがに具体的な数字はあげないが、Tの血圧は上も下も、僕の二倍以上あった。僕が自分の血圧を覚えていたのはむしろ血圧が低いことを健康診断のときに医者に注意喚起されたからなのだが、僕の話はまあ、いいだろう。
「なんでそんなに高いんですか」
「なんでそんなに低いんですか」
「いいんですか? 脳の血管が破裂して、半身不随とかになりますよ」
「僕はいま装具をつけ、歩行制限もありますが、それによって多くの新しい気づきの機会を得ています」
「新しい気づき?」
「これまで筋トレを積極的にしたことはなかったのですが、ジムに入会して、膝を使わないトレーニングを始めるようになりました。普段はしない動作を行うことが多く、そしてこれまでとは異なった部位の筋肉を、異なった方法で使用しています。そうすることで、僕はいま自己の身体をこれまでとは異なった角度から、それも極めて深く理解しつつあります。宇野さんが縛りプレイによって、プログラマの設計した体験の追認から、自らゲームを創造しているように僕もまた、身体を縛られることでそもそも身体とは不自由なものだということに気づきました。今日僕が身体の問題を抱えながらもつい節制を忘れてしまった理由も同じです」
「つまり塩分を自ら剥奪し、不自由さを与えることでむしろ新しい味覚に目覚めたということですか?」
「最近、脱社会化した犯罪者を〈無敵の人〉と呼ぶことがありますが、脱身体化した人間の無敵さもそれに似ています。つまり……」
 そしてTは目を伏せて結論した。
「僕もまた、いま〈無敵の人〉に近づいているのです」
 そう言って、Tは僕の手からタブレットを取り上げて、慣れた手つきでハイボールのジョッキを注文した。
 僕はTがある日倒れ、そしてそのまま帰らぬ人になったときのことを想像した。おそらく、彼の子供たちは僕に父のことを尋ねるだろう。そのとき、僕はこう答えようと思う。君たちのお父さんは、「無敵の人」になったんだよ、と……。そう、心の中で誓いながら僕はTの隙をついてタブレットを奪い返し、無言で「会計する」ボタンを押した。

 (#9に続く)

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連載【ラーメンと瞑想】
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宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生まれ。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)、『水曜日は働かない』(ホーム社)、『砂漠と異人たち』(朝日新聞出版)、『ひとりあそびの教科書』(河出書房新社)、『チーム・オルタナティブの冒険』(ホーム社)など。立教大学社会学部兼任講師も務める。

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