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東山彰良×金原ひとみ「越境する身体、越境する言葉」──東山彰良『越境〈ユエジン〉』刊行記念対談

東山彰良氏のエッセイ『越境』(二〇一九年七月二十六日ホーム社刊)は、日本と台湾、そして中国という境界を越えて生きてきた個人の視点から書かれている。東山氏は台湾に生まれ、五歳で日本に渡り、その後、台湾と日本を行き来しつつ暮らしてきた。特に台湾、中国、日本を一つの世界として捉えた小説世界には独特の魅力がある。
一方、金原ひとみ氏は、東日本大震災による原発事故後、岡山に避難し、やがてフランスへと渡り、二〇一八年に帰国。小説『アタラクシア』(二〇一九年五月二十四日集英社刊)、ホーム社の読み物サイトHBで連載されたエッセイ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』(二〇二〇年春ホーム社刊予定)では、やはりパリと東京が緩やかな繫がりの中で描かれている。
構成=髙木梓/撮影=坂田智昭

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1 境界の消えていく世界で

東山 実は自分が越境している感覚って、あまりなかったんですよね。小さいときのことだったので。
 日本と台湾は、人々の見た目もそんなに違わないし、子供だったので、すぐに日本語ができるようになりました。自分から名前や出自を言わなければ台湾人だとはわからない。
 細かい手続上の問題はいろいろあるんですが、今でも僕は台湾に国籍を残したままなので、在留カードの携行を義務づけられていたり、永住者といえども何年かに一回、切りかえに行かなければいけなかったりとか、制限はあるんですけれども、それ以外は越境しているという感覚は、あまりないんですよね。
 初めて中国へ行ったときのほうが越境した感覚がありました。母方も父方も両方、中国大陸出身なので、身近に中国があるなとは思っていたんですけれども、でも、初めて中国に行ったときは、それはやっぱりふるさとに帰ったような感覚ではなく、外国感があったんです。

金原 国籍や血筋といったものよりも、実際にその国に暮らしていた経験、時間がその人のホーム的なものを構成していくものなのかもしれませんね。パリはとても移民が多くて、ぱっと見ただけではどこの人かわかりません。アフリカ系の人とか、ロシア系の人とか、たくさんいるんですが、国籍はフランスだったりします。つまり出身地と国籍が一致していない人が、普通に多かったので、何人という意識はないまま、ただ身近にいる人たちと仲よくなっていくんですよね。

東山 その感覚ってコスモポリタンな感じがします。『アタラクシア』にも、そういう感覚にちょっと触れるところがありましたね。お姉ちゃんの友達がセネガルの人。そうしたら、彼はフランスで生まれ育ったんだというやりとりがあって、そういうのって、やっぱりご自分で生活して実感したところなんだろうなと思った。

金原 何人ですか、というような聞き方はあまりしないですね。ナイーブな問題でもあるし、二世、三世の人たちも多く、ヨーロッパや中東では二重国籍を認めている国も多いので。子供たちも学校に行っていろいろな人種の人と交わりながらも、フランスで生まれているからフランス人かな、みたいなノリでいました。そのふわっとした感覚を目の当たりにしていると、え、彼女は何人なの? と子供の友人に会うたび何の気なしに聞いてしまう自分が小さい人間に感じられましたね。私もパリでは日本人というよりはアジア人くくりされていたと思います。

東山 その点、台湾とか中国だと、もっと忌憚がないんですよね。「何人?」とはっきり聞いてくる。おまえは自分をどっちの人だと思っているんだとか。例えば中国では初対面の人でも、「結婚していますか」とか、「月収幾らですか」とかって聞かれたりすることがありますよ。

金原 (笑)そこまでいくと清々しいですね。パリにも中国の方がとても多かったんですが、彼らのバイタリティ、ナチュラルに圧が強いところは日本人に最も欠如している部分だなと感心することが多かったです。

東山 台湾ではそこまではないですけれども、中国では何度も聞かれたことがあって、向こうは別に失礼な感覚はないんだけれども、やっぱり見た目が似ているからこそ、出自をはっきりさせておきたいみたいなところもあって「何人?」と聞くのかもしれないですね。
 僕らの祖父の代は、抜け切れない差別意識みたいなものがあるんです。それを言って大丈夫かなというようなことを平気で言いますし、多分、中国系ってそれがわりと強く出る。
 僕らが小さい時とか、例えば水をバシャッとこぼしたりすると、身体障害者を引き合いに出してののしられてました。でも、それは本当はいけないことなんだと、ひどいことなんだと後になってわかるけれども、わりとそんな社会でした。
 フランスやニューヨークとかもそんな感じなのかな。

金原 ニューヨークは都会だからそうかもしれないですね。フランスでも、田舎のほうに行くとちょっと違ってきます。やっぱりアジア人は珍しい感じで扱われることもありました。でも、子供の頃短い間住んでいたサンフランシスコでも、パリでも、ひどい態度を取るような人はたくさんいましたが、人種差別と感じるような態度を取られたことはありませんでした。

東山 中国大陸だと、僕は限られた知識しかないのですけれども、出稼ぎ労働者が大都市に集まってきます。でも、なかなか差別感覚はなくならないんですよ。
 きちんと線引きがされていて、あの人たちはああだから近づくなとか、言うんですよね。僕が中国にいた二十年以上前はそんな感じでした。

金原 ここ十年くらいで日本も少しずつ変わってきたなと思うところもあるし、今行ったら、また違う印象を持つかもしれないですね。

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金原ひとみ(かねはら ひとみ)
1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『アタラクシア』等がある。現在『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」を連載中。

2 自然体で越境する

金原 『越境〈ユエジン〉』の中で印象的な話がありました。東山さんが台湾の大学の校内誌の取材を受けた時、「僕は自分のことをどこの国の人間だとも思っていない」と答えたら、その記事に「バナナ人間の悲哀」と見出しをつけられたという。自分は悲しくないのに、「悲しい」とレッテルを貼られてしまったという話です。

東山 社会は僕たちにいろんなレッテルを貼ります。小説を書いていると、こんな長い文章を書くエネルギーはどこから来るのかと、時々聞かれませんか。それに対してみんな異口同音に似たようなことを言います。例えばある人にとっては、それは怒りであったり、ある人にとっては劣等感であったり、ある人にとっては言葉にできないどろどろしたものであったりと、色々な表現をするんですけれども、当然そういうものがあるから我々は書いていけるんですよね。
 我々が仕事をするエネルギーって、高校球児が甲子園を目指すエネルギーとは違うような気がするんです。もっと陰にこもっていて、一人で暗くやるような仕事だと僕は思っているんです。そのエネルギーは、劣等感とか怒りとかを煮込んだようなどろどろしたものだと思うんです。
 僕の場合、それは自分にレッテルを貼ろうとする力です。それは結構子供のころから感じていて、例えば台湾にいると、日本で暮らしたことがあるから、「日本人、日本人」と言われてみたり、台湾から日本に来ると、日本人ではないので、「台湾人、台湾人」と言われてみたり、中国大陸に行くと、またいろいろな政治的な問題が絡んできて、「おまえは自分を一体どこの人間だと思ってるんだ」と聞かれるんです。ですから、僕はわりと小さいうちから他人と違うことを受け入れちゃったんですよね。
 要は、自分の中で決着がついている問題を周りがほっとかない、何かそういうのにいら立ちを覚えていたような気がします。
 今回のこの本は『越境〈ユエジン〉』というタイトルがついているんですけれども、編集者から提案されて、とてもいいタイトルだなと僕が思ったのは、僕は意識的に越境にまつわる何かを書こうと思っていたわけではないのだけれども、タイトルを聞いた後で読み返すと、確かにそういう切り口で読める。自分でも意識していなかったのに、型にはめられた不自由さみたいなのが出ていたのでしょう。
 それをもうちょっと広く考えると、我々の周りにはほんとうにいろいろな境界線があって、例えば男として生まれた人間が、性の境界を越えて女として生きたいというのも一つの越境のように思えるし、逆もそうです。女性として生まれた方が性別を越えて、境界を越えて男性として生きることも一つの越境で、そういう何かを越えていくような感覚が鮮明になったような気がしているんです。

金原 後書きで書かれていた、自分にとっては小説を書くことも越境だったという話は腑に落ちました。例えば私が子供の頃親の仕事でアメリカに行ったことや、東山さんが台湾で生まれた後日本に来たことなど、そういう自分の意志ではどうしようもない力によって結果的に越境してしまう経験もあれば、自分の中の表現したい、変わりたい、などの内的な衝動によって小説を書き始めたり留学したり性別を変えたりして、自ら越境していくこともある。東山さんが意図せず書いたエッセイの中に越境の要素がちりばめられていたというのも、外的越境と内的越境という両方の形を経験することによって越境耐性のようなものが身についていたからかもしれませんね。境界を意識せず、自然体で越境しているというのは、非常にナチュラルで新しい形の越境だと思います。

東山 『アタラクシア』もそうだったと思うんですけれども、フランスと日本を当たり前のように越えていく場面がありました。東京で話していたかと思ったら、回想シーンでフランスに飛ぶし、フランスの話が当たり前に出てくる。僕も今書いている小説はそんな感じです。日本と台湾をほぼ一つの共同体のような感じで、日本の場面の次には既に台湾にいる。その間の細々としたことはもう書かない。飛行機に乗ったこととかどうのこうの、僕は福岡に住んでいるんですけれども、福岡から東京に行くぐらいの感覚で最近は書いていっています。

金原 パリの場合は飛行機が十二時間かかったので、そこまで近い感覚ではありませんでしたが、なんというか飛行機がパリと東京を繋ぐものとして存在していたという感覚はあまりありませんでしたね。東京に戻るためには映画を五本見て、まずいご飯を二食食べなきゃいけない、パリに戻るためには本を一冊と映画を二本見てやっぱりまずいご飯二食、という感じで。飛行機に乗る時間は映画と本と食事の時間でしかなかった。行き来を繰り返せば繰り返すほど、飛行機や移動といったものの意味が薄まっていったなと思います。

東山 その場所にいることはおそらく何らかの意味があるんですけど、移動するということに関して言うと、大したことではないのかもしれない。

金原 境界が薄れていってるのは、SNSの影響もありますね。私がフランスにいる間に爆発的にLINEがはやったんですが、メールでこれまでやりとりしていたような人たちが、普通に「元気?」みたいに軽く声をかけるように、やりとりできるようになりました。
 昔はテレフォンカードをどこどこで買うとちょっと安いからと買いに行って、すごい早口でしゃべっていたりしたのが、ここまでフラットにただでみんな話せるようになったのは大きな変化だと思います。

東山 距離感というのは、いろいろな指標で測れますからね。実際の空間距離もあるし、経済距離もあるし、時間距離もあって、ある場所からある場所に行くのに必要な時間が短くなれば、実際の距離は変わらなくても近くに感じるし、ある場所からある場所まで行くのに値段がぐっと、例えば十分の一ぐらいになれば、また近く感じると思うし、その意味でSNSは、時間距離をぐっと縮めてくれた。

金原 その点、政治的な視点からだけで距離を測ろうとすると、実感よりも遠く、対立的に見えてしまうような気がします。帰国直後、批評家の宇野常寛さんに夫が『腹ぺこフィルのグルメ旅―テルアビブ篇』という番組を薦められて、私も一緒に観てたんですが、本当にイスラエルのテルアビブに行ってただおいしいものを食べるだけなんです。
 イスラエルやテルアビブと聞くと、まず民族、宗教対立のイメージが浮かびますが、食という視点から眺めた時、全く違う姿が見えてくるんです。例えば多くのイスラエル料理は、周囲の様々な他の文化が組み合わさって出来ている事が分かります。テルアビブには「アラブ人とユダヤ人は敵対しない」と書かれたTシャツを着たアラブ系職人のいるベーカリーがあったりします。そのベーカリーのパンが美味しいという点では敵対しないからです。番組の最後に「メディアは紛争にばかり焦点を当て、過激な意見のみを声高に伝える。それが国や人に対する安易な先入観につながっている。訪れれば、真のイスラエルが分かる。街を歩き、人と会い、食事をすればいい」という言葉があって、非常に腑に落ちました。政治的視点は周囲との対立点、違いを際立たせますが、料理は周囲との類似点を発見させてくれるんですね。

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東山彰良(ひがしやま あきら)
1968年台北市出身。2002年『逃亡作法 TURD ON THE RUN』が「このミステリーがすごい!」大賞の銀賞・読者賞受賞。2009年『路傍』で大藪春彦賞、15年『流』で直木賞受賞。16年『罪の終わり』で中央公論文芸賞、17年『僕が殺した人と僕を殺した人』で織田作之助賞、18年同作で読売文学賞、渡辺淳一文学賞受賞。

3 越境者を支える場所

金原 『越境〈ユエジン〉』では、越境することに伴う喪失感にも言及されてますね。

東山 自分に確固たる根っこがないとは、ずっと思っています。そこで生まれて育ったような揺るぎないものがないんです。
 例えば台湾ですと、僕らのときは兵役があったので、ある年齢になれば、みんな兵役のことで頭がいっぱいになって、それが後々になって彼らの一体感が作られます。あの時代は一緒だったみたいな。例えば僕は中国語しか話せないけれども、ほとんどの人たちは兵役に行っている間に台湾語も学んでくるんです。兵役なんかみんな行きたくないんだけれども、行ったら行ったで、やっぱり何か支払うべきものを支払った感覚があるんですよね。
 それに僕は台湾には国籍はあるけれども、日本に住んでいるので、投票権はないんです。選挙権はないんです。

金原 どこの国の選挙権もないんですか?

東山 日本でも選挙権はないです。友達を見ていると、そういう部分では羨ましいと思うところはありますね。揺るぎないものがあるなという。それが自分にはない。

金原 私は普通に日本で生まれ育ってきましたが、それでも確固としたものは全くなくて、子供の頃から常に疎外感、喪失感に悩まされ続けていて、それが自分の小説を書く動機にもなっていると思うんです。
 なので、人に納得されるような理由は全くないんですけども、何か自分を留めてくれる枠みたいなものがないという感覚は昔から持っていて、でもそれは、ある種の人々にとっては、条件にかかわらず根づいているものなのかもしれないと、最近思います。

東山 人種がたくさんいる大都会って、公共の場では、色々ルールがあって、お互い傷つけないようにしているけれども、おそらく、そういう喪失感を抱えている人は存外に多くて、だからこそ家族、あるいは自分が所属するコミュニティを皆さん大事にするのだろうと思うんです。

金原 確かに移民ほど家族や同世代間で強くつながっている印象ですね。私の知る移民系の家族も、色々あっても簡単には離婚しなかったり、同郷の人たちとの繋がりが保たれていたりする傾向がありました。
自分も一種の移民としてフランスに暮らしていたのですが、私の場合、家族がそこまで自分を留めてくれるものにはならなかったんです。自分の生まれ育った家庭も自分の居場所として捉えられなかったですし、自分達で作った家族であっても、そこに結びついているという実感は薄く、どこかしら浮ついているような気がしてるんです。
 やっぱり自分が自分でいられる場所は小説という場所なのかな、それは周囲からの疎外感でもあるのだけれども、そこで生きていくしかないんだろうなと最近思い始めています。どこにいても逸脱してしまうようなところを、小説だと拾って言葉にすることが出来るので、避難場所になっているんですね。そこが自分にとってかけがえのない場所だというのは、デビューから十五年たってようやく諦めがついたという感じです。

東山 その感覚はわかります。僕も自分が憧れているコミュニティでは、おそらく生きていけないんですよ。
 あるコミュニティに憧れて、そこに入りたいんだけれども、多分、入れてもらってもそこで生きていけないというのが自分でわかっているから、小説を書いているのかもしれない。僕が本当に憧れているような人たちって、多分、小説なんか全然読まないような人たちなんですよ。読まなくても、しっかり価値観があって、揺るぎないんです。
 そういう人たちと一緒にいると、自分もその一員になりたいなと思うんだけど、多分、僕はもうちょっと頭でっかちというか小賢しいところがあるから、受け入れてももらえないし、実際に受け入れてもらっても生きていけない。ただ憧れるだけなんです。
 で結局、小説を一人でコツコツ書いているのが、格好いいとは全く思えないんだけど、それしか出来ない。自分の居場所はここにしかないんだろうなという感覚は常にあります。

金原 例えばどんなコミュニティに憧れるんですか?

東山 母方の祖父は軍人なんですが、父方の祖父はどちらかというとやくざ者気質で、食べられない時代に人の面倒を見たり、あるいは誰が味方、誰が敵というのを決めるのに、食べさせてくれたか、くれなかったかというような分かり易い基準があるんです。
 その気質を僕の父親の世代は受け継いでいて、うちの父親は大学で先生をやっているんですけれども、息子の僕から見ても、そういう気質に憧れているところがあるんです。自分の親にやくざ気質があって、昔、無茶なことをしていたと誇らしげに話す。
 僕もそういうところはあるんです。僕が中国でとても好きなお兄さんたちがいます。本なんか全然読まないし、単純なんですよ。受け入れたら、例えば僕のためにだったら何でもしてくれるというのがわかるんです。
 刹那的に生きているせいか、話も凄く面白いですし、いつ死んでもおかしくないような生き方をしている人たち。喋っていて、どんな人なんだろうなと思っていたら、刑務所から出てきたばかりだったり。

金原 『僕が殺した人と僕を殺した人』(二〇一七年五月 文藝春秋社刊)にも、そういう刹那的に生きている人たちが出てきますね。こんな世界、今の日本ではあり得ないし、書けないだろうなと思いました。あの小説を読みながら、自分が誰とも持ち得ない人間関係やコミュニティを垣間見て胸が苦しくなる感覚は、東山さんが入りたくても生きていけないコミュニティに対する思いがあるからこそのものだったのかもしれません。

東山 そういう世界に憧れがあるんですが、どんなに憧れても、支払うべきものをちゃんと支払わないと受け入れてもらえないし、僕にはそれを支払う用意がない。それを支払わずにお客さんとして受け入れてくれるかもしれないけれども、それは本物じゃない。
 それに実際に僕がその世界で生きていけるかというと、多分、生きていけないんですよ。昔グルーチョ・マルクスという人が、「僕は自分を入れてくれるようなクラブのメンバーにはなりたくない」みたいなことを言っていたそうです(笑)。そこに入りたいんだけど、入れないから入りたいんですよね。

金原 私も、どんなコミュニティに入ってもすぐに排除されてしまう気がしています。文芸業界にいながら文芸業界にいない。小説家ではあっても小説家ではない感じです。そこに安住出来ていないので、外側から見る視点がないと息がつまるんですね。結局、自分が常に個人対個人の関係しか持てないのはよく分かっていて、小説を書いていて、ある視点で見ている自分自身をまた別の視点で見てしまう自分がいたり、どこまでも自分と一体化してこの世界を見ている気持ちになれないという、言葉を使っているからこその悲しさみたいなものはあります。それに対して身体感覚中心で生きている人間って解離性が少ないじゃないですか。

東山 僕も憧れますね。そういう矛盾がないものに。好きと言われたら、きっとほんとうに好きなんだろうな。裏表があまりなく、曖昧な言葉を使わない。猛獣だと咬みつくのとなめるのとでは全然違う。ほんとうはなめたいのに咬むというのはないので、そういう単純さに憧れるんです、僕自身がそうじゃないから。だから、そういう人たちと一緒にいると、本を書いている自分がすごく小ざかしく思えます。

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4 台湾の屋台、フランスの冷凍食品

東山 作家だけでは食っていけないので、ずっと大学で中国語を教えていたんです。大学にジムがあるので、休み時間にただでウエイトが出来た。でも今は大学をやめちゃったので。二年ぐらい行っていない。
 最近のスポーツジムって、器械はいっぱいあるけど、意外とベンチプレスとかなかったりする。僕は大学でベンチプレスとかが落ちてきたらけがをするような環境でやっていました。そっちのほうがいいんですよね。緊張感を持ってやれるから。

金原 私もスポーツでもやったら、若干、解離性がその瞬間だけでも減るかなとは思うんですけれどもなかなかやる気にはなれなくて。でも一冊本を出すと、少しデトックスというか、忘れていく感じはありますね。ああ、終わったみたいな感じで、ほんとうにずっとそこにどっぷりつかっていたものをバーッと出して新しいものに挑んでいけるというか。
 最近『ストロングゼロ』(「新潮」二〇一九年一月号)というタイトルの小説を書いたんです。ストロングゼロでアル中になっていく女の子の話を結構どっぷりと。

東山 ストロングゼロというのがいいですね(笑)。ちょっと荒っぽい地域に行くと、スーパーにストロングゼロが積んであると聞いたことがあります。

金原 今、どこにでもあって、よくコンビニの前で飲んでいる人を見ます。日本も来るところまで来たな感がある。

東山 僕は酔っぱらいたくはないんです。酔っぱらうのが目的だったら安くていいんですよ。僕はおいしいやつが飲みたいので、自分的にはアルコール依存にはならないと思っています。少し高い酒を飲みます。高いやつを飲んでいるうちは、そんなにガバガバ飲まないんですよ。
 フランス料理では何が好きですか。

金原 エスカルゴとか好きでしたね。日本ではフランス食材を売っているお店もあるし、フランス料理屋さんも多いのでいつでも食べられます。でもやっぱりフォアグラとかは高くて、フランスにいた時みたいに気が向いたら買ってきて家でソテー、みたいなことはできない。最近、近所にピカールというフランスの冷凍食品屋が出来て、エスカルゴを売っています。

東山 そこのお店は冷凍食品を出しているということですか。

金原 レストランではなくて冷凍食品だけを売ってるスーパーなんですよ。もうフランスパンからタルトからエスカルゴ、鴨肉とか、普通にブロッコリーとかラタトゥイユのための野菜ミックスもあるし、とにかく全て冷凍で売っているんです。フランス人の女性はみんな働いているので、夕飯もそこで買って帰って、オーブンで焼くだけみたいな。でも向こうの値段を知っちゃっていると、高いな……って思っちゃうんですよね。
 台湾の料理はどうですか。

東山 僕はあまり高いものではなくて、よく朝食の屋台に食べにいきます。朝の数時間しかやっていないんですよ。例えば六時から、せいぜい九時とか十時ぐらいまでです。わりと町じゅうありますね。日本円にしたら、多分、二百円、三百円ぐらいで片づいちゃうようなものです。でも、それはおそらく福岡にはないので。東京でもどうかわからないですけど。台湾に帰ると、だから朝起き出して散歩がてら食べにいくみたいな感じなんです。そういうのはいつも懐かしい揚げパンと豆乳です。

金原 揚げパンと豆乳のエッセイ、ものすごくくすぐられました。すごい想像を(笑)。でも、確かにそういうものほどなさそうですね、日本には。

東山 わざわざ食うほどのもんじゃないんですね(笑)。ソウルフードと言っちゃうとちょっと安っぽく聞こえるかもしれないけれども、ソウルフードというのは味ではないので。

※この記事は、HBの旧サイトで2019年8月29日に公開した記事の再掲載です。

本サイトにて、現在、金原ひとみさんの小説が連載中です。



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