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やんなった|千早茜「しつこく わるい食べもの」第15回

※本連載が書籍化します。千早茜『しつこく わるい食べもの』2021年2月26日発売

 去年の年の瀬のことだ。仕事用のパソコンが壊れた。
 予感はしていた。数ヶ月の間、調子が悪い……と気づいていながら騙(だま)し騙し使っていたのだ。パソコンというものは一番壊れて欲しくないときに限って壊れる。そういう風に作られているとしか思えない。よりにもよって師走に、とすぐさま専門業者に連絡した。

 送ってください、と言われた。アナログな私はモニターやら複合機やらハードディスクやらを繋(つな)いでいる線をどう外せばいいかわからない。外したが最後、二度と元の状態に戻せない気がする。電話口の相手に確認しながらひとつひとつ外していく。ようやく終了し、ハードディスクを梱包(こんぽう)しようとしたが、ずっと仕事机の下にもぐっていたので足がすっかり痺(しび)れていて、見事な尻餅(しりもち)をついてしまった。転がるハードディスク、散らばる部品、「うああああ!!」と焦る私。電話の相手は笑いを噛(か)み殺している。いや、しっかり笑っていたと思う。

 なんとか梱包を終え、よれよれになりつつも夕飯の支度をしようとすると、続けざまに宅配便がきた。知人や親戚からのお歳暮のようだ。すべて「食品」とあるので、とりあえず開封しなくてはいけない。ぽんかん、日本酒、干し柿……ああ、正月の用意をしなくてはいけないな……菓子、健康茶、加賀蓮根に丸芋……。
 丸芋!? 二度見する。初めての食材だった。真っ黒で、赤子の頭くらいあり、おがくずに包(くる)まれている。おがくずで守られている芋は見たことがない。ずんぐりと硬そうで、芋を軽視するわけではないが(私は大の芋好きだ)、芋は新聞紙でよくない? と思ってしまう。どう保存したらいいかわからなかったので調べてみる。ああ、まったく夕飯の支度が進まない。パソコンが壊れた日に未知の食材に向き合いたくないんだよ、とため息がもれる。

 丸芋は高級食材のようだった。山芋の一種で大変粘りが強く、すりおろしたものを箸でつまみあげることもできる、とある。ならば、夕飯の一品に加えるか、とラップを剥(は)がすと手が滑った。落ちる! 高級食材! と慌てて手を伸ばし、床すれすれで掴(つか)んだ。感覚的には球技のイメージだった。が、丸芋は見た目はボールだが、砲丸並みに重かった。中指の爪がミキッと嫌な音をたてた。刺すような痛み。恐る恐る手を見ると、剥がれかけた爪から赤い血がつうっと流れた。台所の床に散乱するおがくず。まだ米すら炊けていない。
 一瞬、叫びそうになった。すっと息を吸って、その衝動を抑え、そろりと息を吐いた途端に身体からがっくりと力が抜けた。もう、なんか、やんなった。

 段ボール箱もおがくずも食材もそのままにして、台所をでて、自室のソファで膝を抱えて座る。本当はベッドに入りたかった。なにもかも投げだして不貞寝(ふてね)してしまいたい。
 料理は好きだ。でも、さすがにこれはしんどい。もう台所に行きたくない。中指の先が火がついたように熱くてとても怖い。そのとき、ふっと、だて巻き事件を思いだした。

 だて巻き事件。それは、実家にいたころ、師走になると家族の間でひっそりと語られるある年末の出来事だった。
 母は真面目な性分だ。器用で、手際も良く、複数のことを同時にできるタイプだった。その自負もあったと思う。物事を完璧にこなそうとする彼女にとって、正月はその手腕の見せ所だった。元日の我が家はどこもかしこも清潔で、縁起物の花が飾られ、テーブルにはずらりとご馳走(ちそう)が並んでいた。重箱にはお手製のお節が三段きっちりと詰まっていて、雑煮の餅も家で作ったものだった。新年の挨拶をしたら、朱塗りの盃のお屠蘇(とそ)とお年玉をもらい、食後は菓子を食べながら年賀状を眺める。

 そんな華やかで長閑(のどか)な正月を迎えるためには、相当の準備が必要だということを小さい頃の私は知らなかった。ただ、年末は母が妙にぴりぴりするな、とは思っていた。
 ちなみに、近所のスーパーでは年末が近づくと「お正月用品ご準備リスト」なるものが置かれる。そのリストの凄(すさ)まじさたるや、「野菜・果物」の項目だけで二十種類、「調味料・乾物」の項目にいたっては三十五種類ある。ご丁寧にも、大根はふつうのものと「雑煮大根」の二種類が書かれているので京都だけかもしれない。もちろん「白味噌(しろみそ)」も書いてある。祝い箸や鏡餅、ポチ袋なんかを入れると九十三種類だった。一家庭で九十三種類! それを購入し、家に運び、加工したり盛りつけたり飾ったりする……気が遠くなった。そもそも家庭用冷蔵庫に入る気がしない。結果、私は、やーめた! と正月は自由に食べたいものを食べることにした。

 しかし、団塊世代の主婦であった母は真面目にお節を作っていた。私もなます用の野菜の千切りや栗きんとん用のさつまいもの裏ごしなどは手伝っていた。しかし、そんなもの正月準備の中の氷山の一角だ。大掃除や年賀状書きだってあるのだから。そして、なにより正月準備に割(さ)いている間も日常は存在する。黒豆をことこと煮たりしながら、掃除洗濯をし、普段の食事も作らなくてはいけないのだ。私が遊び半分にお節を手伝っていたとき、母がやけに「レシピちゃんと見て。分量を間違えないでね」と言っていたのは、失敗するとその分の材料をまた買いにいく手間がかかるからだった。

 お節なんて一年に一回しか作らない料理だ。ふだんの食卓に昆布巻きとか田作りが並ぶだろうか。失敗するに決まっている。それでも、大晦日の前日、母は持ち前の真面目さと器用さで一品一品美しく仕上げていった。しかし、台所での作業が長くなるにつれ疲弊してきたのだろう。だんだん鼻歌も聞こえなくなり、騒ぐと叱られるようになったので私と妹と父はそれぞれの部屋で静かに過ごしていた。夕飯が遅れているのに気づいていたが誰もなにも言わなかった。外はもう真っ暗。そんなとき、台所から母の絶叫が聞こえた。

「もう、いやー!」
 あとに続く言葉にならない泣き声まじりの叫び。なんだなんだと台所にいくと、巻きすの上には棒状になった玉子焼きらしきものがいくつか。母は床に突っ伏している。棒状の玉子焼きはだて巻きのようだった。だて巻きはきちんと作ると手間がかかる。白身をすり、裏ごしをして卵液と混ぜ、焼き、まだ熱いうちに巻かなくてはいけない。かたく焼きすぎたのか、冷めてから巻いてしまったのか、巻こうとしたときにメキッメキッとだて巻き(巻かれていないから、だて?)が折れていくつかの棒状になってしまったようだ。「こんなになっちゃったら巻けない!」「もう市場もやってないのに!」と母は泣きながら叫び、よろよろと居間に行くとソファでぐったりとしてしまった。
 もう、やんなっちゃったんだな、と思った。

 正直なところ、正月にだて巻きがあってもなくてもどちらでもよかった。しかし、巻けなかったことでこんなにも意気消沈してしまった人の前でそんなことを言っても慰めにならない。そのとき、ザ・理系で合理主義の父が言った。「味は変わらないだろ」。ああ……と天を仰いだ。私だったらこの一言でお節に対する情熱は失われる。
 その後どうなったかはよく覚えていない。けれど、あまりに根を詰めすぎると良くない、と諭(さと)すときに「だて巻き事件」は家族の間でそっとささやかれた。しかし、母のお節に対する情熱は失われず今も年末には作り続けている。昔ほど無理はしなくなったが。

 私は私生活では真面目ではないし、家事を完璧にこなそうとは思ったことがない。家のことは仕事の息抜きとして、わりと楽しくやっている。それでも、なにか不慮の事態が続いて、ふだんならできることがすっかり嫌になってしまうことはある。欠かすことのできない食事なだけに、考えたり準備したりするのが「やんなった」ということは多々起こり得る。そんなときに「ピザでもとろうぜ! いえーい!」みたいな空気を変える提案をするのが、一緒に暮らす家族というものの役割なんじゃないかなと大人になった今は思う。

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illustration 北澤平祐

連載【しつこく わるい食べもの】
更新は終了しました。

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。
Twitter:@chihacenti

※この記事の初出はHBの旧サイトです(2020年2月26日)。


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