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うちの子に|村山由佳 第19話

 背の君の顔をじっと見る。
 彼のほうは、微妙に目をそらして別のところを見やっている。
「いざ挨拶に行ってみて、Yさんがもしももしも、ええて言うてくれはったら……ほんまにあの猫、軽井沢(かるいざわ)へ連れて帰ってええかなあ」
 すると彼は、こちらにかからないように顔を背けて、ふうう、と煙を吐いた。
「俺に訊(き)くなよ」
「他の誰に訊いたらええのよ」
「お前がどうしてもそないしたい言うねやったら、したらええがな。お前の猫やねんし」
 お互い、頭の中には同じことを思い浮かべていたと思う。
 じつのところ、〈もみじ〉が逝いってしまって以来、彼がこのセリフを口にするのは二度目なのだ。

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 年が明けた頃だったろうか、私は、たまに覗(のぞ)く里親サイトで、もみじに目もとのよく似た三毛猫を見つけた。七歳になるまでご夫婦で可愛(かわい)がってきたのだけれども、どうしても揃(そろ)って海外へ赴任しなくてはならず、連れてはいけない。心から可愛がってくれる人がもしいるなら、どうかこの子を幸せに……といったような事情だった。
 飼い主と離ればなれになってしまう猫が不憫(ふびん)でならず、他に誰も見つからないのなら我が家へ来たらいいんじゃないかと思った。飼い主と別れなくてはならないその猫と、もみじと別れなくてはならなかった私とで、案外うまくやっていけるんじゃないか、と。
 しかし背の君はその時、なかなか賛成してはくれなかった。お前の気持ちはようわかる、けど、もみじに似てるから惹(ひ)かれるだけなんとちゃうか。もみじの代わりはおれへんぞ。ほんまにようよう考えろよ。──そんなふうにくり返した後で言ったのが、今と同じ言葉だった。
〈どうしてもそないしたい言うねやったら、したらええがな。お前の猫やねんし〉
 私は、迷いに迷いながらも、飼い主に問い合わせメールを送ってみた。
 でも結局、その三毛猫がうちの子になることはなかった。ご夫婦でさんざん相談した末に、海外へは旦那さんが単身で赴任することになり、猫と一緒の留守番を選んだ奥さんから丁寧なお礼とお断りのメールが届いたのだ。
 残念と思うよりも、安堵(あんど)のほうがはるかにまさっていた。猫にとっては、いや飼い主にとっても、それがいちばん幸せにきまっている。
 しかし今回は、はたしてどうなのだろう。あの子がいくら私を慕ってくれるにせよ、今いる環境の中でだって充分幸せそうなのだし……。
 相変わらず目を合わせようとしない背の君に向かって、私は言った。
「あのな。『お前の猫や』て言わんといてほしいねん」
 膝に両手をのせ、自分の物言いが懇願になってしまわないように努めながら続ける。
「もみじは、さいごの五年間、うちら二人で大事にだいじにしてきた猫やったやんか。可愛らしなあ、ほんまに可愛らしなあ言うて、毎日撫(な)でくりまわして、寝る時も一緒に寝て……。できることなら、今度のあの子も、そんなふうにしたりたいねん。私一人がどんだけあの子を欲しい思たかて、賛成してもらわれへんねやったらやっぱり嫌や。二人で、思う存分、可愛がりたいねんもん」
 背の君は煙草(たばこ)をふかしながら、部屋の隅、父が使っていたパソコンデスクのあたりを見やって黙っていた。

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 やがて、口をひらいた。
「わかったから。とにかくまあ、花持って、訊いといでぇや。日ぃ暮れてまうぞ」
「……うん!」
 ぱあっと霧が晴れたような心持ちで、私は張りきって立ちあがった。
「うん、ちゃうわまったくー」
 ぼやきながら、背の君が吸い殻をもみ消す。
 用意してあった白い花束をかかえ、兄夫婦と姪(めい)っ子夫婦に「ちょっと行ってくるね」とだけ言い残して外へ出た。
 いつもの私道が果てしなく長く、Yさんの家までが遠く思える。胸の裡(うち)で、どうか、どうか、とくり返し祈りながらあたりを見回すのだけれど、あの猫の姿は見えない。
 門を入り、思いきって呼び鈴を押すと、ドアが開き、奥さんとお姑(しゅうとめ)さんが二人して出てきて下さった。早番のお仕事が終わって帰ってみえていたらしい。花束を渡すと、奥さんは泣き笑いのような表情で受け取って下さった。
 ──さて。何と切りだすべきか。
 迷ったのは一瞬だった。奥さんのほうから先に切りだして下さったのだ。
「あのう、猫のことなんですけどね」
「はい」
 心臓をばくばくさせながら見つめる私に、奥さんは言った。
「相談してみました。もし、まだお気持ちが変わってなければ、よかったら、どうぞお連れ下さい」
「ほ……ほんとですか」
 声がかすれて裏返る。
「ほんとにいいんですか? ほんとうに?」
 隣に立っているお姑さんが、うん、うん、と微笑(ほほえ)んで頷(うなず)く。
 いきなりどっと涙が溢(あふ)れてきて、私はうろたえた。母が死んでも一滴の涙もこぼれなかったのに、猫一匹もらえる、あの子がうちの子になる、そう思っただけでこんなに泣けてくるなんて。
「ありがとうございます、ありがとうございます、きっと可愛がりますから」
 泣きじゃくりながら鼻の下を拭っている私に、
「今日、連れて行かれますか?」
 と奥さんが言う。
「はい。できれば」
「じゃあ、ケージか何かあったら持ってきて頂くといいんじゃないかしら。いま奥で、うちの主人がどこへも行かないように見てますから」
 よかった、ちゃんと家にいるのだ。〈すぐ後から行くから、おうちで待っといて〉と言ったのを聞き分けてくれたんだろうか。
「わかりました、いま持ってきます」
 急いで踵(きびす)を返そうとした時だ。
 白っぽい毛のかたまりが、開いている玄関からぽぉーんと飛び出してきた。お姑さんと奥さんの足もとをかすめ、私のそばも通り過ぎてしまいそうになってから、慌てて急停止して引き返してくる。
 猫はこちらを見上げ、おっそーい、おっそーい、というふうに鳴いた。両手をのばすと自分からしがみつき、よじのぼってきて、硬いおでこをぐいぐい私のあごに押しつける。
「あらあら、まあまあ」
 驚きあきれ、笑いながら顔を見合わせた奥さんとお姑さんが、かわるがわる手をのばして猫の頭を撫でた。
「たくさん可愛がってもらいなさいよ」
 と、奥さん。
「この子、性格はいいんだけど、顔がちょっとこわいのよねえ」
 と、お姑さん。
 目の上が一直線だからか、たしかに三白眼ならぬ三碧眼(さんへきがん)に見えなくもないのだけれど、そんなことはちっともかまわなかった。こちらから探していた間は、やはりどこかにもみじの面影を求め、顔の白い子がいいとか、三毛ならもっと嬉(うれ)しいとか思っていたのに、いざこうして出会ってしまったら、そんなことは本当にどうだっていいのだった。
「名前は何て?」
 と訊いてみると、奥さんが言った。
「うちでは〈大福(だいふく)〉って呼んでましたけど……何か可愛い名前、考えてやって下さい」
 ――大福。体がお餅(もち)で、顔がアンコということか。思わず笑ってしまう。それも可愛い。
「ありがとうございます。きっと一生、大切に可愛がりますから」
 心の底から約束をして、私は、何やらずいぶんと上機嫌な猫を抱きかかえ、来た道を歩いて戻った。

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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter @yukamurayama710

村山由佳さんの猫三部作

※この記事は、2020年2月7日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

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