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金原ひとみ デクリネゾン  第8話「ナイトタイムトラベル」

illustration maegamimami
「であるから、私は繰り返し、繰り返しいうが、原子は少々斜に進路を逸れるに違いない。」
『物の本質について』ルクレーティウス著 樋口勝彦訳 岩波書店

 半透明のグレーのガラスがテーブルとテーブルを緩やかに分け、半個室風の印象を与えるが、余裕を持ったテーブルの配置のせいか全くもって閉塞感はない。暗めの照明と小さめのキャンドルに照らし出される店内は過剰なまでにシックだ。料理も店員の態度や解説力も見ていないけれど、内装と雰囲気だけでシーフード専門店だというこの店を強烈に気に入っていた。
 普段こういうお店は仕事の会食以外ではほとんど来ないけれど、今度の私の誕生日にどこに行きたいかことあるごとに聞いてくる蒼葉にここを教えてあげたくなる。いやそれよりも私の誕生日のひと月先の蒼葉の誕生日に連れて来ようか。でも今の若い子は、こういう高級感のあるお店はブルジョワ趣味に感じられるかもしれないし、ウニとかフォアグラよりも焼肉とかラーメンとかが好きな蒼葉を連れてきても、こっちの趣味に合わせてもらう結果になるだけかもしれないと考えが巡って、結局私も何が食べたいかしつこく聞く未来が予想できた。
「お久しぶりです」
 案内されたテーブルに先についていた太田さんが笑顔で言うと、隣に座る中津川さんも会釈をした。中津川さんは今年始めに前任の担当者から引き継いだ書籍の担当編集者だった。初めて顔を合わせた時、仏文科にいたと話していたから、私の著書をフランス語に訳してくれたことのあるフランス人の翻訳者から聞いた、セリーヌの日本語訳が如何に根暗風に改竄されているかという、仏文科卒なら食いつくだろうと思って出した話題が「へえ」と「そうなんですね」という二言でほとんど流されてしまったことにそこはかとない物足りなさを感じ、不信感すら抱いていたけれど、これまでいろんな媒体で書いてきたエッセイをまとめて書籍にしませんかと提案を受け、オンラインと対面で何度か打ち合わせをする内、陰キャ気質でコミュニケーション能力低めな彼への不信感は徐々に好感に変わっていた。
 集めたエッセイは媒体も時期もバラバラで、時事、読書や映画、恋愛、食べ物、といったカテゴリー別に分けるか、それとも時系列で並べてしまうか話し合い、カテゴリー別に分けようとお互いの意見が一致したものの、どこまで細かくカテゴリーを分けるか、どんな順番で配置するか、時事は重いから中盤にさりげなく入れたい、小説風に書かれているものは小説というカテゴリーを作ってもいいかもしれない、全体を通して読んだ時に一つ一つのエッセイが個別に成立していながら、一冊を通して一つの総体的な作品として成立する並べ方にしたい、とこだわりを一方的に伝え何パターンか目次を提案してきた翌朝六時に「やっぱり全て時系列で並べましょう。構成し直してストーリーを作り上げるとどうしても歪になってしまいます。時系列で読み直していて、むしろ天野さんの経てきた時間という必然の物語がそこに存在していることに気づきました。入稿前に気づけて良かったです」とLINEを送ってきたその身勝手さにも打たれた。自分への評価や人の怒りを買うことよりも、自分の関わる本が完成度の低いものになることへの懸念を最も強く持っていて、だからこそ彼はここまで詰めてきて今更提案しづらいなどという発想には至らないのだろう。
「中津川が色々とご迷惑をおかけしているようで……」
 話を聞いているのか、太田さんが苦笑気味に言って、それに倣ったように中津川さんが頭を下げる。
「いえ全然。中津川さんとのやりとりは面白いですよ。何ていうか、若い頃を思い出させてくれる編集者だなと思います」
「僕もう三十二ですよ」
「編集者の三十二って、普通の会社員の二十五くらいって感じしません?」
 太田さんが声を上げて笑い、「編集者って出勤時間も自由だし、社内政治に関わってなければ社内の抑圧も少ないし、経費も緩いし、子供いなかったりすると特に、ずっと貴族って感じですよね」と腐した態度で言う。
「クリエイティブな仕事に携わる人は、暇を持て余した神々の遊び的な仕事への関わり方をしている方がいいと思いますよ」
 言いたいことは分かるけど、作家にも編集者にも納期はあるし、暇を持て余した神々がうふふクスクスと笑い合って手を合わせて離したらその隙間から名著が誕生するなんて奇跡はないわけで、大抵の創作物は作り手の泥臭い不安と逡巡と何が売れるのかなんて分かんねえよという苛立ちといつか依頼がなくなったらどうしようという恐怖と、まあ評価なんか気にしてたら書けねえよなという開き直りによって創られているはずだ。それでも、事実中津川さんは神々的な感じで仕事をしていそうだったし、その様子に励まされるところもあった。
 あくせく働いている人たちの美徳を否定するわけではないが、現在の日本では優雅に生きることが軽視、いやむしろ敵視されているような気さえするのだ。私は実際には優雅な生活などしておらず、ほとんど這々の体で生きていると自認しているけれど、生きとしいけるもの必死に働くべしといった根性論的なものに加担しないためだけに、歯を食いしばって優雅さを気取ることがあるくらいだ。
 店員から料理の説明を受け、一押しだというタスマニア島産の生牡蠣をいくつ食べるべきか店員にどのくらいの大きさか聞き太田さんと相談している時も、中津川さんは「僕は生牡蠣は一生食べないって決めてるんです」と宣言してメニューを見つめていた。アラカルトで生ウニとホタテのミルフィーユ、ホッキ貝のガスパチョ、渡り蟹と季節野菜のムース、オマール海老のブラックビーンズソース、バフンウニにリゾットを添えて、といった名前だけではビジュアルの想像がつかないメニューを注文すると、スパークリングワインで乾杯する。
「中津川さんとお酒を飲むのは初めてですね。最近若い人は飲まない人が多いから、何となく飲まない人かと思ってました」
「中津川は意外と酒豪ですよ。でも酔うとかなり毒吐くんで、一緒に会食行くと気が休まらなくて……」
「そういう人、一昔前はよくいたけど、最近あんまり見なくなりましたよね。お酒が苦手な人が飲まなくていい社会になってきたのは喜ぶべきことだし、なるべくしてなったと思うけど、お酒を交えたコミュニケーションが失われることである種のジャンルの付き合いがなくなってしまったことを最近痛感します」
 同年代の太田さんは大きく頷いて、いかに最近の若い社員がお酒もタバコもコーヒーも飲まないか熱弁をふるい始めた。
「天野さんとか、私たちの年代の作家たちは気にしないんでいいんですよ。でもちょっと年配の作家だと、お酒飲めない編集者を物足りなく思う人もいて……」
「それは、出版社の経費で銀座のクラブとかに行きたい作家が、担当が酒飲めないとクラブに連れて行ってもらえないから困るだけじゃないですか?」
 中津川さんはそう言うと嘲るように笑った。確かに彼と一緒に会食に行くと、気遣うべきことが多そうだ。結局二個ずつ頼んだ生牡蠣にはレモンのみならずカクテルソースとニンニク風味のクリームソースがついてきて、迷わず二つともレモンをかけてつるっと食べた。全然食べれますね、後二個くらいいきますか? とほとんど私の気持ちと同じ言葉をかけてくれた太田さんにいきましょうと答え、すぐに追加注文をした。
 白ワインをボトルにするかグラスで色んな種類を飲むか話し合いながら、コミュニケーションからお酒を排することで損なわれたものとは何だろうと考える。私は一緒に暮らすようになってから全くお酒を飲まなくなった蒼葉を見るたび、なぜこんなにも疎外感を抱くのだろうと不思議だったのだ。それは、私に対してあまり快く思っていないであろう「だらしなさ」を完全に否定されているような気がするからなのかもしれない。例えば、理子と二人で食事に行き、ワイン三杯目くらいで「飲みすぎないでね」と嫌悪を剥き出しにした態度で釘を刺された時と同じような気分だ。この十年ほどで喫煙者と非喫煙者の間に高くそびえ立つ壁ができたように、お酒を飲む人と飲まない人の間にも高い壁が構築され続けている。そして根本的な分かり合えなさに直面するたび、この人はどうして私のことを好きになったんだろうという疑問に立ち返る。
 ひかりと和香を連れて帰った日、リビングに出ると飲み散らかしたグラスや缶や酒瓶を片付けていた蒼葉に謝り、自分も手伝おうとした瞬間「いいよ、俺がやるから」と向けられたいつもよりも冷たい目が忘れられない。自分の冷たさに気づいた様子の蒼葉が「まだ寝足りないでしょ? お水飲んでもうちょっと寝たら?」と無理やり手繰り寄せたあり合わせの優しさで提案してくれても、体の芯は冷え切ったままだった。
 一緒に暮らし始めてから、私たちの関係のある一部分は冷めた。一緒にいる時間のために無理してきたことを無理しなくて良くなった私たちは、会っている時の瞬間的な興奮や障害があることによる興奮を失い、互いの違い、特にどうしても受け入れられない違いを日々認識し、冷静になり始めていた。夏休みに入って以来何もすることがない蒼葉と、大体常に仕事に追われている私というシチュエーションも、私たちの断絶を強化しているように感じられた。彼はどんな課題も余裕を持って完成させて提出するタイプで、いつも締め切り前にカオスに陥る私の性質も「だらしない」と思われている気がしてならない。
 子供が通う保育園のコロナ対策の過剰っぷりと、コロナのせいで大好きな韓流アイドルのライブに行けない苦しみについて、東日本大震災とコロナが文学に与える影響の違いについて、太田さんが表情豊かに語りきる。太田さんは優等生的なキャラの割に、自分の得意ジャンルに関しては的確な言葉選びと媚びないセンスであらゆるエピソードをほとんど小噺のような完成度で披露してくれる。中津川さんはコロナへの反応によってその人の寿命が分かるという嘘みたいな割にさほど面白くない話をした。
 二本目のボトルワインが底を尽きそうな時、今エッセイ集を進行している状況で忙しないお願いになってしまって申し訳ないのですが、と太田さんが切り出した。
「『リテラズ』での連載も後僅かというところかと思うんですが、終わりましたら弊誌で連載を検討してもらえないでしょうか。もちろん、構想などは十分に考えてもらってからで構いません。開始時期も連載期間もお任せします」
「連載ですか。実は、秋口までと考えていた『リテラズ』の連載が少し長引いてしまいそうで、後五回くらいかかりそうなんです。それと、やっぱり『リテラズ』が終わったあとにということでもう一つ連載の依頼がきていて、そっちは一回の枚数が十枚程度なので並行して連載も可能かと思うんですけど、ちょっと開始までに時間がかかってしまうかもしれません。内容については何か考えていたりしますか?」
「天野さんにお任せしたいと思っていますが、個人的には家族を巡る物語を読みたいなと思っています。天野さんのように自由な生き方をしている人にとっての家族観が見えるような物語にして頂きたいなと。『ファムXXファム』っていう映画、観られましたか?」
「いえ、予告編しか観てないです」
「アメリカの女性同士の夫婦が子供を養子に迎えて、自分たちの家族や親戚なんかを頼りながら子育てをしていくっていう話で、まあ月並みな感想なんですけど、その家族がすごく風通しのいい、新しい家族を築いてるなって思ったんです。主人公二人の家族っていうのがまあ曲者揃いで、どうしても人を上から見て君臨したがってしまう母親とか、アル中の兄とか、受け入れてはいるんだけどどうしても娘がレズビアンだということに罪悪感を抱いてしまう父親とか、でも皆それぞれの問題に意識的で、話し合ったり内省したりしていくんです。テーマは重いけど、コメディタッチなんで軽快に話も進んでいくし、もしよければDVDお送りします」
「じゃあ、お願いします。どうしてタイトルがフランス語なんですか?」
「主人公たちの迎える養子の子がアフリカ系で、フランス語圏に住んでたんです。それで、引き取る前の面会にきた彼女たちを見て『ファムとファム?』って言うシーンがあるんです」
「なるほど、家族や友人の関係の多様性がテーマになっている作品は、日本では海外ほど書かれていないかもしれないし、割とシリアスになりがちな印象がありますよね。もう少し軽いノリのものがあってもいいだろうとは思います。中津川さんはこの映画観ました?」
「観ました。僕はポリコレ的な匂いが強くてちょっと拒否反応出ちゃいましたね。あざとさというか、今こういうことやるとウケるでしょ感が鼻につくというか」
 ポリコレやフェミニズム問題を扱った作品の中でもこの作品がいかに斬新か、我が子がレズビアンで意識高い系であることを過剰に誇っている母親を滑稽に描いているところなどなどまさにそういう拒否反応が出る層に向けたシニカルな表現じゃないかと太田さんは珍しく強い口調で言い切る。その反論は、まるでこの反応を見越して用意していたかのような滑らかさだった。
「そうやって、どんな批判も跳ね返せるようにガチガチに理論武装してるところも、あの作品の必然性に疑問を抱く原因になってるんですよね。結局のところ、あの作品が生まれた動機っていうところに僕は共感できなかったんじゃないかと思います」
「それぞれの邪悪さを持った人々にそれぞれの人生があるっていうことを伝える必然性があったんですよ。作品内でそれぞれの問題は解決はしないけど、現代社会に向けて巨大な壁を提示する問題提起になってる。これは監督にとって大きな冒険だったはずだよ」
「そうですか? 既に大きな権力に守られた社会的正しさを盾にして、家庭内にごちゃごちゃっと波乱を起こして激情の中で正しいこと言わせてみた、くらいの作品に見えましたよ。そもそも小説に求めるべき価値は、社会的正当性のない言葉を如何に伝えられるか、だけですよ」
 中津川さんの言葉に「はっ」と思わず鼻で笑ったような声を漏らしてしまったけれど、鼻で笑ったわけではなくて何らかの衝撃を受けて出た、それこそお腹にジャブをくらって出たような声だった。これまでずっと、自著の書評やレビューを読みながら「何か違う」と思ってきた違和感を、中津川さんは言葉にしてくれた気がした。何でこんなことを問題にするんだろう、趣旨はそこじゃないのにどうして敢えてそこを批判するんだろう、という疑問の中で悲しみを持て余してきたその原因は、私たちが「小説に何を求めているか」が違うからなのだ。私は圧倒的に、中津川さんの言葉に共感していた。
「何だか、中津川さんの言葉に、ほっとさせられました。何となく観なくても大体のことは分かってしまったような気もしますけど、一旦二人の感想を排除して観てみます。きっと観終えた時、二人が大切にしているものの違いが見えますね」
 感想お待ちしてます、と太田さんがどことなく不満げに言う。自分がその作品を観ている時に設定していた視点よりも俯瞰した視点から出た感想に出会うと、大抵の人は気分が良くないだろう。でも実際、中津川さんがその物語に埋没してその視線で映画を観ることができなかったのだという事実もまた、覆しようのない事実ではある。同じ文芸編集者であってもここまで感想に開きが出るのだから、何を書いても文句が出るのは当然のこととも言えるだろう。
 連載の依頼を受け、時期は明言はせずとも受ける方向の答えをしてしまったことへのプレッシャーにどっと体が重くなる。連載は短くとも一年程度は続き、寝ても覚めてもそのことを考えざるを得ない手のかかるパートナーとなるだろう。がむしゃらに依頼を受け続けたデビュー当時を経て、理子が生まれる前後には常に携わる小説を一本に絞り仕事をセーブし、理子の成長に合わせてまた少しずつ仕事を増やし、ここ三年ほどはデビュー当時と同じくらいかそれ以上の仕事量に戻していた。新年号の締め切りが重なる十月前後になると、ほとんど遊ぶ時間もなくなるため、去年の九月頃には珍しく蒼葉と喧嘩になったこともあった。完璧に、自分は一人だと感じた。プレッシャーとストレスの狭間で苦しんでいる時、寄り添ってくれていると思った人が掌を返すように自分を責め出す時の孤立感は異常だ。
 理子が中学受験を控えていた頃、離婚して世帯収入が減ったこともあり、塾費用と学費を計算して漠然とした「稼がないとな……」という使命感に襲われ、受ける仕事を増やしてきた。今は十分な収入があるけれど、来年には仕事が減るかもしれないという不安がずっと拭えないのだ。じゃあいくら貯金があれば安心なんだよと自分に対して突っ込みたくもなるが、どこかで「老後」という言葉も無視できなくなりつつあった。いつか吾郎に言われた「自分勝手な恋愛を経ていつか孤独死」という言葉が胸の奥に巣くっているのだ。あの言葉には、奇妙な信憑性があった。いつか一人になる、という強烈な確信が自分の中にあって、それを言い当てられたようですらあって、それを付き合いの長い吾郎が指摘するということは、きっとそうなるに違いないと確信が強く塗り固められた気分だった。だからこそ、寄り添って欲しいのだ。絶対に離れていかない誰かに。だったらどうして不倫なんかするのか。二人の夫と離婚し、とうとう理子も出て行った。私は訳がわからなくて不快だ。圧倒的に不快な存在だ。いつも、お金のことを考えると不幸になる。暇を持て余した神々なんて、全く縁のない話だ。
 あらゆる甲殻類が美味しすぎて「絶対食べとかないと!」と満場一致で追加注文した焼きタラバガニを食べて唸りながら、気分が落ち込んでいくのを止められなかった。
「もう一軒行きますか?」店を出たところで中津川さんに聞かれて、どうせ今日はもう仕事しないし「じゃあ行きましょう」と答えると、太田さんが「私はちょっと」と申し訳なさそうに言う。
「明日保育園の送り私が担当で……」
 全然いいですよと言うと、じゃあ連載の件考えておいてください、DVDすぐにお送りしますね、また頃合いを見計らってご連絡させていただきます、とそれなりに酔っているだろうに太田さんはしっかりと言うべきことを言い切って頭を下げた。

 宝塚歌劇団の舞台みたいだ、広めのバーに入った瞬間そう思う。バーテンダーがきっちりしたタキシードを着て、背面のお酒とグラスの棚が煌びやかにライトアップされていて、まるでバーカウンターの向こうが舞台で、カウンターに座る私たちは観客のようだった。時間が早いためかお客さんは私たちだけで、思わずじっくり二人のバーテンダーを見つめる。煙草が吸えるか聞くと大丈夫ですと灰皿が出され、ジントニックを頼むとすぐに煙草に火をつけた。恋愛相手や家族などと別れたり離れたりすると悲しみはあんなにも長くじくじくと継続し、化膿して悪化したりもするのに、煙草が吸える店がほとんどなくなってしまった喪失感はさほど続かず、改正健康増進法の全面施行から二ヶ月もすれば慣れてしまったのが不思議だった。システムの変革には感情が絡まないから引きずらないのだろうか。いろんな人とお店で煙草を吸いながら過ごした膨大な時間の中で、あらゆる感情が引き出され振り回され、叩きのめされてきたというのに、今はもう吸うこと自体を期待してない。Twitterなんかでいつまでも煙草が吸えないことへの怒りを呟いている人を見ると、強い共感と共に「でも今更喫煙可の時代には戻らないだろうし」とも思う。私はもはや欧米に旅行に行く時レストランやホテルで煙草を吸うことを想定していないし、その範囲が世界中で拡張しているというだけのことだ。そもそも生きているだけで不自由なのだから、こういう表面的な不自由さは目に見えるだけまだマシにも感じられる。
「天野さん自身は、どんな家族を築いてるんですか?」
「二回離婚をして、一人目の旦那との子供が一人います」
「じゃあ、今はお子さんと二人暮らしですか? 帰るの遅くなって大丈夫ですか?」
「もう中学生です」
「あ、そんなに大きいんですね」
「担当するにあたってWikipediaとか見ないんですか?」
「Wikipediaは嘘の情報もありますからね。前に天野さんと同じくらいの年齢の男性作家と打ち合わせした時に、お子さん三人もいるんですよね、って言ったら嘘情報だったみたいで、ムッとされたことがあったんですよ」
 思わず笑って、誰かに恨まれることでもしたんですかねと言うと、「結構女遊びが激しい人みたいだから、そうかもしれないですね」と中津川さんも煙草に火をつけた。
「女遊びが激しいって、どういう基準ですか? 浮気をする人? それとも三股以上くらい? あるいは、一人の人と長続きしなくて次々と色んな人と付き合う人?」
「うーん、というより、恋愛を遊びと思っているかどうか、じゃないですか?」
 なるほどと答えつつモヤる。
「実際恋愛を遊びだと思ってる人って、そんなにいるんですかね」
「結局、どこに実存を感じられるかだと思うんですよ。人って、それぞれどこかしらに依存してるものじゃないですか。仕事、恋愛、趣味、友達、みたいな要素に、それぞれ実存を委託してる。分散してればどれかがなくなっても平気だし、友達とか趣味とかはそうそう消えるものじゃないけど、恋愛とか仕事とかに偏りすぎてる人はそれがなくなると鬱になったり生きることが辛くなってしまう。恋愛に実存を委託してないけどガンガン恋愛するって人が、異性遊びが激しい人、になるんじゃないでしょうか」
「なるほど、それとは別に、どこにも委託してない本来的な実存を強く持ってる人もいますよね。私の最初の旦那がそれを強く持ってる人で、リストラされたり恋人に振られたりしても、自分の存在は宇宙に祝福されているって確信できてるような人でした」
「それは幸せな人だし、そういう人が多ければ多いほど健全な社会になっていくでしょうね」
「そういうナチュラルボーンな自信を持ってる人って、LINE一通返ってこないだけで嫌われたんじゃないかとかもう終わりだみたいな不安に襲われる人の気持ちが分からないんですよね」
「分からない方が健康だけど、実際LINEが返ってこない時は向こうがこっちにあまり興味がない時ですよね」
「ですよね。でもナチュラルボーンは無敵だからそんなこと思いもしなそう」
「無敵かもしれないけど、そこにはあんまり文学が介入する余地がなさそうですね。天野さんはナチュラルボーン力はないんですか?」
「私はないですね。仕事三恋愛四家庭三、って感じですかね。ナチュラルボーン要素は一もないですね。中津川さんはどうですか?」
「まあ、仕事趣味六、恋愛二、あとはナチュラルボーンなのかな、いや、なんていうか、無なんじゃないかなと思います」
「むって、ないの無ですか?」
「ないの無です。常に余白があって、そこに何でも入れるようにしてるというか。常に代替可能なものをそこに設置してるというか」
 器用ですねと笑うと、そんなことないですよと中津川さんは可笑しそうに言う。器用ですよともう一度言うと、「多分倒れないようにコントロールしてるんです。免震構造みたいなもんで、倒れない術ですよ」とマッカランのソーダ割を飲み干した。
「天野さんと僕はそこまで歳が違うわけじゃないけど、やっぱり若い世代になればなるほど、何にも依存できなくなっていくんですよ。どんどんあらゆる幻想が機能しなくなってるってことなんでしょうかね」
「でも、その幻想なしに立ってられるってことは、やっぱりそれはナチュラルボーンな自信があるってことなんじゃない?」
 違います、ナチュラルボーンじゃありません、と頑なに認めようとしない中津川さんが面白くて、もしかしてボンボンですか? ご実家は旅館とかですか? 生まれてから今まで食うに困ったことないですよね? とからかうと、次何飲みますかと話を逸らされた。普段だったらジンライムにいくところだけれど、中津川さんが二杯目に頼んだマティーニが、何だか随分凝った手順で作られていたのが気になって私もマティーニをと頼む。
「さっき、子供はもう中学生だから遅くなっても大丈夫みたいな言い方しましたけど、今一緒に住んでないんです。私の彼氏と一緒に住むことを提案したら、父親のところに行きたいって言い出して、それ以来戻ってきません」
「そうなんですか。住む場所の選択肢なんて子供には基本ないから、選択肢があるってことは幸せなことだと思いますよ」
 特に詳細を聞かずに利点だけを口にした中津川さんにほっとした。何をどう聞かれて、何をどう説明しても綻びが生じてしまいそうで、だからこそ私もこのことに関してあまり語りたくなかったのだ。仕上げにオレンジの皮をしならせて香り付けされたマティーニを飲みながら、まだ新婚だった頃、ハワイの空港でトランジットを待ちながら吾郎とマティーニを飲んだ時のことを思い出す。思えばあの頃が一番、暇を持て余した神々に近い生活を送っていたかもしれない。失うもののない私たちは、大して多かった訳でもない貯金をはたいて人里離れた有名ホテルのコテージを予約し、十二月のハワイを楽しんだのだ。こうしてお酒を飲むことで蘇る思い出を、蒼葉とは作れないのかと思うと寂しかった。そんなのたかがシステムの問題で、禁煙の店に慣れたように、いずれ慣れるのだろうか。
 二人とも三杯飲み中津川さんがお会計をしている途中、スマホを見ると珍しく吾郎からLINEが入っていた。少し前に期末テストの結果が散々で補習を三科目も受けることとなったため、話し合いの結果塾に行かせようと一致した意向を理子に伝えたところ猛反発され、一向に折れそうにないという内容だった。「理子まだ起きてる?」と入れると、会計を終えた中津川さんと店を出た。帰り道なんで送って行きますよと言う中津川さんに続いてタクシーに乗り込み、運転手に住所を伝えたあとスマホを見ると「起きてるよ。話す?」と入っていて、思わずホーム画面に戻して時間を確認する。夏休みとは言えあまりに緩すぎる。湧き上がった憤りは、この離れた生活では管理しようがないという現実的な諦念によって一瞬で萎む。
「すみません、やっぱり茗荷谷の駅まで行ってもらってもいいですか?」
 運転手にとも中津川さんにともなく勢いで言うと、一瞬自分に言われたのかどうか悩む間があってから「了解しました」と運転手が答えた。
「元旦那さんのところですか?」
 さっき二駅隣に住んでいると話してしまったことを思い出して、そうですと答える。中津川さんには深く聞くつもりはなさそうだったけれど、一瞬カーナビの方を見やったその仕草から、時間を確認したのが分かって罪悪感に駆られる。彼氏との同居をすることによって理子の責任者が元夫となり、そのせいで元夫が私と理子を繋ぐ命綱的なものになってしまったという事実を、私もひしひしと感じていた。天野さんは自由ですね、という中津川さんのお門違いな言葉が、何故か悲しかった。

 どうしてこんな時間まで起きてるの? 夏休みにしたって生活リズムがひどすぎる。それに塾に行かないってどういうこと? テストの点が上がらなかったら塾に行くって話だったでしょ? 
 深夜に母親がやって来て突然責められ始めた理子は面食らった様子で、点数上がった科目もあったよと的外れなことを言う。
「自分が置かれた状況が分かってないんじゃない? このままの成績取り続けたら留年だってあり得るんだよ」
「中学では留年はまずないって内部生の子が言ってたよ」
「それがもし本当だとしても、問題を先延ばしにしても解決なんてしないよ。今ついていけないのに高校に入ったらついていけるようになるの? どうしてそんなふうに思えるの? 理子の思い描いてる未来をちゃんと説明して」
 こんな風に追い詰めたら今自分のことで精一杯の思春期の子供は反発するに決まってるし、嫌うという方法でしか私の存在を処せないだろう。正論という刃を向けて脅すのは間違っているし、理子がさらに私から離れていく未来しか見えない。それでも止まらなかった。意識の薄さを叱責し、叱責されている態度にも文句を言う。こんなに矢継ぎ早に言葉を紡ぐ私は、もしかしたら自分が彼氏との生活を取ったと理子に責められるのが怖いのかもしれなかった。それなのに理子が何を聞いても答えないことに腹を立てる。黙ったまま延々と批判する私を睨み付ける理子を見ながら、悲しかった。家を出て行き、それ以来家に寄り付かず、私へほとんど連絡をしてこないどころかどんどん対応がおざなりになっている理子がずっと悲しかった。
「夏休みは毎日遊びまわって、勉強もしないし塾も行きたくない、自分の欲望を満たすことだけを目的に生きてるの?」
 楽しいだけが女の子の全て、みたいな歌詞が理子が流しているYouTubeのMVから聞こえてきて、そこまで低俗な曲は耐えがたいと苦言を呈した時のことを思い出す。あの時も理子は反抗的な態度で「別に歌なんだからいいじゃん」と文句を言いながらYouTubeを消した。
「十二時過ぎまでだらだら起きて、吾郎もちゃんと言ってよ、だらしない生活させるためにここでの生活許したわけじゃないんだよ」
「ママ、酔ってるでしょ」
 酔ってない! と声を上げた私は多分酒臭くて、私が飲んで帰ると敏感な嗅覚でお酒臭い、と嫌な顔をした幼い理子が頭に蘇る。
「一旦ママとパパで話し合うから、理子はもう寝な」
 吾郎がそう言うと、怒りを滲ませた表情で理子は居丈高に踵を返し寝室のドアを強く閉めた。化けの皮が剥がれた、そう思った。私はこれまで理子に何かを押し付けたりすることのないよう、自制しながら彼女と関わってきた。でも化けの皮が剥がれて、結局上から物を言って力でねじ伏せようとしたのだ。私はDVに近いことをしたと言えるかもしれない。
「あの年齢の子にあんな言い方しても反発するだけだよ」
 分かってると言ったきり言葉が出なかった。今言葉を口にすればしただけ、私は醜態を晒すだろう。ちょっと飲む? と出されたのはやっぱり赤ワインで、黙ったまま頷いてテーブルにつく。
「ごめん、突然来て、激昂して」
「俺も話したいと思ってたんだよ。あんな感じだったけど、別に志絵に対して反発してるわけじゃないから大丈夫。赤ちゃんの頃から同じだよ。理子は疲れてる時と眠い時苛々する。今日は友達と遊園地行ってきて、すごく疲れてたからだと思う」
「眠いなら寝ればいいのに」
「泣き喚く理子を抱っこしながら、俺も志絵もずっとそう思ってたじゃない」
 締め切りが迫っている原稿がどれもうまく進まないことも、もう開始時期が決まっている連載のプロットどころかテーマさえ決まっていないことも、仕事の滞りが蒼葉のせいのような気がしてしまうのも、仕事が立て込んで生活リズムがめちゃくちゃになってしまっているのを蒼葉に責められているような気になってしまうのも、理子が連絡をくれないのも、理子の生活を全く把握できないことも、息抜きもしたいしと会食の予定を入れると必ず蒼葉が少し嫌そうな顔をすることも全てがストレスで、もういっぱいいっぱいなんだと吐露して赤ワインを呷ると、吾郎は黙ったままボトルを差し出した。
「懐かしいな。昔酔っ払った志絵によく絡まれてたのを思い出すよ。あの頃は不満の原因が俺だったから心穏やかではいられなかったけど、今は全く心が揺れないね」
「吾郎には一生分からないと思うけど、私は助けて欲しいだけだった。それをただの絡みと思われて流され続けたから、私は吾郎と一緒にいられなくなったんだよ」
「俺は別に志絵を蔑ろにしてた記憶はないから謝ることはできないよ」
 謝れなんて言ってない、と呆れて笑いながら答える。もう結婚していない、付き合ってない人と話すのは気楽だ。お互いに何も求めていないからだ。私は蒼葉に救済してもらいたいと思っていて、だから蒼葉に手を取ってもらえない不満を募らせている。私の仕事をただの自分たちの関係に於ける障壁と捉えている様子の蒼葉に、苛立っている。ふと、白い合皮ソファの上で号泣している自分の姿が蘇る。まるで映画のように、俯瞰視点から撮られている映像だ。最近全然二人で過ごす時間がない! 家にいる時も部屋にこもって仕事してばっかり! どうして一緒にいられるのに一緒にいてくれないの? 会食ばっかり! 土曜に会食ってどういうこと! 吾郎と住んでいた頃日常的に怒鳴りつけていた言葉だ。蒼葉はそんな風に私を責めることはしないけれど、彼の気持ちに最も共感できる資質を持ち合わせているのは、私のはずだった。吾郎はこんな気持ちだったんだろうか。私は吾郎を見ながら、十年以上前の吾郎に思いを馳せる。思わずふっと口を歪めて笑う。
「なに、怖いな」
「吾郎が上司にキャバクラ連れて行かれた時、キャストの女の子の名刺燃やしたよね」
「燃やしたね。あの頃はいつもどこかで志絵が死ぬんじゃないかと思ってたよ」
 離婚とかいろいろあったけど、志絵が生きてるだけでほっとするよ。ずっといつか死ぬって思ってた。吾郎の言葉を聞きながら、でも死んだ方が良かったんじゃないかという疑いが拭えない。
「絶対に死なないでほしい」。いつかの吾郎の言葉が蘇った。老後資金について考えてるような女に、そんなことを言ってくれる人はもう現れないだろう。私は老いた。失うものがない人間ではなくなった。あらゆる勢いを喪失した。全てが虚しい生の経過を私に知らしめる。鼻で笑うと、吾郎は唇を歪めて笑った。

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