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もみじのしわざ|村山由佳 第23話

 背の君と二人して何度その顔をのぞきこんでみても、〈お絹(きぬ)〉と出会ってからまだ一週間ほどしかたっていないなんて信じられなかった。
 彼女が初めて千倉(ちくら)のあの家を訪れたのが、前の週の四月四日、私が風邪っぴきで仕事をしていた日の午後だった。布団や洗濯ものを干してある、光あふれるベランダのサッシのところから部屋の中を覗(のぞ)いて、私たちと軽く挨拶を交わした。あの日は、父の三回忌にあたる命日のすぐ翌日でもあった。
 施設にいる母にまた来るからと言い置いて一旦帰る途中、兄の家へ寄って婚姻届に証人のサインをしてもらい、そのすぐ翌日に母の容態を報(しら)せる電話があり、兄夫婦が駆けつけ、九日の未明に母が亡くなり……。
 そのことを伝えに出向いたYさん宅の前で、まだ〈大福(だいふく)〉だったお絹と再会して抱き上げたのは、四月十日。偶然と言うにもささやか過ぎることだけれど、〈もみじ〉を亡くしてから初めて夢を――「いつでもまた帰っておいで」とベランダへ続くサッシを開けてやり、眩(まぶ)しい光の中へ送り出すあの夢を見たのが、前年の四月九日だった。
 一年が、たったのだ。

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 うんと正直なことを言えば、母との別れよりもお絹との出会いのほうが私にとっては大事件だったが、それでも、葬儀がなければお絹との再会もなかっただろう。次に訪れるときには子猫もとうに生まれていたろうし、母猫となった彼女は(かつてもみじたちを産んだ〈真珠(しんじゅ)〉がそうだったように)子別れをして、どこかへ姿を消してしまっていたかもしれない。
 何より、たまたま千倉の実家に滞在していた私たちのもとへ、お絹自身があそこまで必死になって何度も通い、アピールしてくれなければ、私だって里子なんて話を切りだす気持ちにはなれなかったろう。そんなふうにつらつらと考えれば考えるほど、あらゆる物事が、ここしかないというタイミングで起こっているように思えた。
 ぜんぶ後付けなのも、こじつけなのもわかっている。それでもやっぱり不思議な偶然には違いなくて──その不思議を、何の不思議もなく納得しようと思うと、私と背の君の間では結局のことろ、〈もみじのしわざ〉に行き着くのだった。
 ベッドサイドの明かりを消そうとしてふと思い直し、白い毛布の上でふにゃふにゃに寛(くつろ)いでいるお絹の写真を撮る。
 ツイッターを立ち上げ、その画像を添えてつぶやいた。

  幸せ過ぎて泣けてくる。
  説明はまたあらためて。
  ひとまず、おやすみなさい。

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 常夜灯のぼんやりとした光の中、お絹が立ち上がり、にゅうっと背中を弓なりにして伸びをすると、三つ並んだうちの真ん中の枕に乗って、これまた当たり前のようにそこで丸くなった。まるで、持ち場を引き継ぎましたとでもいうように。
 目をつぶる頃には、窓の外はすでにうっすらと明るくなり始めていた。疲れきってはいたけれど、彼女のお腹(なか)を決してつぶすまいと眠りの中でも気をつけて、起きたのが朝の九時過ぎ。
 びっくりした。腕の中にお絹がいたのだ。
 私の左側に寝そべり、小さな頭を腕にのせて、彼女は健やかな寝息をたてていた。まるまるとふくらんだお腹をそうっと撫(な)でてやると、脚を気持ちよさそうにぐーんと伸ばし、腕の内側におでこを押しつけてくる。
 押し当てられた鼻の冷たさ。
 私の腕をしっかりと抱きかかえる力の加減。
 むこう向きの、後頭部から肩にかけてのまぁるいライン。
「何なん、この子……」
 思わず、呻(うめ)くような声が出た。
 隣で寝ていた背の君が目をさまし、うん? と体を起こして覗き込んでくる。
「どした?」
「見たってよ、これ。なんで? なんでこんなにそっくりなん?」
 誰に、と、もちろん彼は訊(き)かなかった。私の肩越しに手をのばし、お絹の頭や、ぴんとはねたヒゲや、なめらかな毛並みを撫でてやる。
 それから、引き返す手で、ついでのように私の髪をくしゃりと撫でて言った。
「……よかったな」

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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter @yukamurayama710

村山由佳さんの猫三部作

※この記事は、2020年3月6日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

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