恋と「サッポロ一番」|千早茜「こりずに わるい食べもの」第15話
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恋と「サッポロ一番」|千早茜「こりずに わるい食べもの」第15話

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 新年の抱負を決めなくなって久しい。
   もともと神仏には祈らない主義だ。初詣にも行かないので、新年への意気込みを自らに問いただす場もない。身近な人と年越しをして、「今年もよろしくー」「健康でいようね」「仕事がんばろう」と言い合うくらいだ。

 それでも、三十路になるまでは「いい女になる」という馬鹿っぽい抱負を口にしていた年もあった。「いい女」がなんであるかは、恐らくまったくわかっていなかっただろうし、今もわからない。そもそも、男とか、女とか、で人を判断することは時代に合わなくなっている。

 専業作家になったのも三十路に突入した頃で、小説家デビューしてからはたくさんの恋多き女性に出会った。幾つになっても恋心を忘れず、大人の所作に剥きだしの感情を併せ持つ女性たちは、私の目には「いい女」に見えた。「男は声よ」と言い切る、三十以上も歳上の表現者が「閉経したら楽よ。セックスしても妊娠の心配はないんだから」とあっけらかんと笑う。彼女たちはいつまでも女で、そういう女性たちを形容する言葉はやはり「いい女」以外に見つからない。それは私が前時代的な人間だからなのだろうか。
    ただ、彼女たちと接していると歳をとることが怖くなくなる。同時に、どうしたって恋よりは食に人生の有意義さを感じる私は、彼女たちのような「いい女」にはなれないだろうなとも思った。

    当時からの愛読漫画に『きのう何食べた?』がある。献立を考える際、T嬢と恋愛話をする際(登場人物たちにあてはめて関係性を考察する)、大変お世話になっている日常食漫画だ。登場人物たちがちゃんと歳をとっていくのがいい。
    ちょうど三十歳になった頃だと思う。三巻がでた。「サッポロ一番」の話がある。ラーメンにまるで興味のない私ですら食べたことがある、お手軽なインスタントラーメンだ。主要登場人物のケンジは忘年会を切りあげて、好物の「サッポロ一番」を作って一人楽しく年越しをしている。そこに恋人のシロさんから電話がかかってくる。けれど、「サッポロ一番」がのびるのでケンジは電話を無視する。一人で過ごすのは淋しかろうと思ってかけたのにとシロさんは怒るが、「サッポロ一番作って食べてた」と言うと、「……サッポロ一番じゃ仕方ねーな」と納得する。

 そのシーンがずっと残っていた。年越しの度に「サッポロ一番」を思いだした。恋人からの年越し電話よりインスタントラーメンを優先することが、安泰なのか枯れているのか判断できなかった。おまけに、ケンジはどちらかといえば恋する乙女キャラだ。どうした、ケンジ。最終的に、三十路の私は、彼らのような四十路になればそういう境地に至るのかと結論をつけた。

 ちなみに、「サッポロ一番」は「塩」派である。セロリの葉が余ると、いそいそと買ってきて、セロリの葉でだしを取り、溶き卵とトマトを入れて、ちょろっとナンプラーをたらし、パクチーを散らして食べるのがお気に入りだ。誰かに作ってあげるような代物ではないので、「なにその、食べ方」と言われても気にしない。けれど、好きな人に「食べてみたい」と言われれば、少し嬉しい自分もいる。

 ずっと、断固として「塩」派だったが、近年、スープ作家の有賀薫さんのレシピでトマト豚汁に出会ってからは「みそ」も買うようになった。トマト豚汁を大量に作り、二日目の具の少なくなった汁に「みそ」味を投入してバターを落とすと、大変にわるい・・・旨さになり、すっかり味を占めてしまった。アレンジがきくというのも、「サッポロ一番」の大きな魅力だろう。四十路になり、わずかずつ偏屈も和らいでいっている気がする。

 そして、実際に不惑を迎えてわかったのは、四十路になればシロさんとケンジのようなインスタントラーメン優先の境地に至れるわけではないということだ。年齢は関係なかった。
 ささやかな個人の幸せやこだわりを理解し、共有できるかどうか。円満な恋愛も日常もそれなくしては成りたたない。「いい女」も、「いい男」も、相手を尊重できるかどうかなのだ。

 今、気づけば周りには人の食べ方をとやかく言う人はいない。友人も恋人も食べるのが好きで、私が羊羹を正方形の分厚さに切っても、パフェに夢中で会話を忘れても、一切咎めない寛容な人たちばかりだ。「サッポロ一番」の最中に電話を無視しても、気を悪くするような人はいないだろう。気の向かない会食は断り、嫌なものは嫌と言い続け、偏屈を貫いた結果だろう。

 子どもの頃から、尊重されたいと思っていた気がする。言葉として認識していなくとも、小さなこだわりを認めてもらえたら、と願っていた。私が私のままでいることを、尊重してもらいたかったのだと、言葉を使う職業に就いてやっと気づいた。そして、私が憧れた「いい女」とは、奔放さではなく、自由を獲得している女性たちだった。 
 けれど、自由なだけでは足りない。自分も身近な人の「サッポロ一番」タイムを尊重できるような人でありたいと思う。

illustration 北澤平祐

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連載【こりずに わるい食べもの】
毎月第2水曜日更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『さんかく』『ひきなみ』などがある。
Twitter:@chihacenti

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