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もみじのおかげ|村山由佳 第22話

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 家に帰り着いた頃には午前三時を大きく回っていた。
 休憩をとった上里(かみさと)のサービスエリアから後、ここまで、〈お絹(きぬ)〉はバスケットには戻らず、後部座席で爆睡していた。〈もみじ〉そっくりのぬいぐるみ(鼻の横にお醤油(しょうゆ)ジミがあって目つきが悪い三毛猫)のすぐ隣に丸くなった彼女は、道がどんなにカーブしようが、隣の車線を大きなトラックが追い越していこうが、めったに目をさまさなかった。
 長旅を終えた車を、背の君が家の前までバックで入れる。荷物を下ろすのなんか明るくなってからでいい。とにもかくにもお絹を抱いて寝室へ連れていき、そうっと床に下ろしてやると、ドアの外ではいつもと違う気配を感じ取った他の猫たちが早速そわそわと中の気配をうかがい始めた。
〈銀次(ぎんじ)〉を筆頭に、〈サスケ〉〈楓(かえで)〉〈青磁(せいじ)〉。留守の間のことはいつもお世話になるキャットシッターさんにお願いしてあったので何も心配は要らなかったけれど、それでもやっぱり寂しかったろう。かわるがわる抱き上げて、ひとしきり、それぞれの労をねぎらう。
「おう、銀。みんなの監督、ごくろはんやったなあ」
 背の君が言うと、うんるるっ、と鳴いて銀次が彼の膝に乗る。図体(ずうたい)はでかいが、声はいちばん可愛(かわい)らしい。
「あいつらがやんちゃせんように、ちゃんと見といてくれたんか?」
「『うん、オレ見てた!』」と、横からアフレコする私。「『ちゃんと見ててねって言われたから、オレ、ずっと見てた!』」
「見てただけかいー」

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 他の三匹はともかくとして、銀次は誰に対しても穏やかな猫だから、新入りともすぐに馴染んでくれるだろう。それに関しては何の心配もない。
 でも、すぐに一緒にするわけにはいかなかった。まずはお絹を病院へ連れていって検査してもらい、猫特有の病気に感染していないことがはっきりわかるまで、他の子たちとは接触を避けなくてはならない。彼女の後ろ足のかかとには、よその猫に咬(か)まれたような傷が小さなかさぶたになっていて、そんなことまでが心配でならなかった。母親が何かの病気に感染していたら、お腹(なか)にいる子猫たちまで危ないのだ。
 一方、当のお絹はといえば、寝室をぐるっと歩いてまわり、急いで用意してやったトイレの砂も含めて適当に匂いを嗅ぐと、あとはくつろいだ様子で毛繕いを始めた。
 これまで半ば外猫だったところを、おそらく生まれて初めて車に乗せられ、こんなに遠くまで連れてこられて、見ず知らずの部屋にポイと放されたのだ。もうちょっとくらいはこう、警戒するとか緊張するとかないものだろうかと思うのに、あたりの様子など気にも留めず、私と背の君がそれぞれ歯を磨いて寝間着に着替えている足もとにまとわりついては、すこぶる上機嫌で喉を鳴らしてばかりいる。
 呑気(のんき)というのとも、度胸が据わっているというのともちょっと違って、ただここにいるのが当たり前みたいに馴染んでいるのが不思議だった。
「ソファでもどこでも、好きなとこで寝たらええんやで。ションベンやらババやら、したなったらそこでしぃ」
 私たちはベッドに横になり、数時間ぶりにたっぷりと手脚を伸ばした。ふうううう、と背の君が長い溜(た)め息をつく。
 運転していない私まで、控えめに言って、くたくただった。一昨日はラジオ収録と打ち合わせのあと高速バスで千倉(ちくら)へ向かい、母の死顔と対面し、昨日は家じゅうの片付けをし、そして今日は自宅葬と火葬を済ませて、その足で軽井沢(かるいざわ)まで帰ってきたのだ。いや、日付が変わっているから葬儀はもう昨日か。
 それだけじゃない。ようやくインターを下りて碓氷峠(うすいとうげ)を越えようとしたとたん、あわや大惨事という思いを味わったのだった。

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 以前、父が亡くなった後で青磁を乗せて峠越えをした時、それまで静かだった彼が鳴きだしたことがあった。きっと急な気圧の変化で耳がきぃんとなったのだろう。後部座席で寝ているお絹がそうなっては可哀想だと、背の君はものすごくゆっくりゆっくり、登坂車線を走っていた。
 おかげで助かったのだ。下りの急カーブを曲がったすぐ目の前に、大きな鹿が三頭たむろしていた。間一髪でハンドルを切り、反対車線に飛び出すかたちでよけたけれど、いつものスピードであれば確実に轢(ひ)いて、フロントガラスは大破していたはずだ。
 急ブレーキをかけて止まり、鹿たちが崖を駆け上がっていくのを見送ったあとで、私たちは後部座席をふり返った。大丈夫かお絹、怖かったなあお絹、と声をかける私たちに、奇跡的に転げも落ちもしなかった猫は、寝ぼけ顔で、はぁ? と応えた。
 そして彼女はいま、ベッドに上がってきて、これまた当然のように私たちの真ん中に寝そべっている。
「おおきになあ、お絹。あんたが守ってくれてんなあ」
 撫(な)でながら私がそう言うと、背の君は首を振った。
「いや。もみじのおかげやろ」
「あ……。そっか、そうやわ」
「そうやで。きっと、あれもこれもぜぇんぶそうやで」
 二人して、足もとのチェストに飾ってあるもみじの写真を眺めやる。
 どの写真の中からも、何やら得意げなもみじが「へへん」とこちらを見つめ返してくるのだった。

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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter @yukamurayama710

村山由佳さんの猫三部作

※この記事は、2020年2月28日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

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