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第10話 あの豆乳ヨーグルトはもう食べられない|宇野常寛「水曜日は働かない」

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 僕は子供の頃からヨーグルトが大好きだった。そして大人になって、自分が好きなときに好きなものを食べられるようになってからはほぼ毎日、ヨーグルトを食べるようになった。そしてある時期からはフローズンヨーグルトに夢中になって随分と食べ歩いたりもした。しかし、それらはすべて遠い過去の話だ。なぜか?


「宇野さん、コレステロールが少し高いですね……」
 僕は30歳を過ぎたあたりから(あまりそう見えないかもしれないけれど)かなり健康には気を使っていて、酒もやめたしよく運動もするようになった。にもかかわらず、40歳近くになってから、ときどき健康診断でコレステロールの数値が高いと医者に指摘されるようになった。他の数値(体脂肪率とか、血圧とか、そういうもの)は完璧に近く、コレステロールの数値さえなければ、僕の健康診断結果はオールAだった。それだけに、僕はコレステロールが高いと言われたことがショックだった。


 僕は医者に相談した。どうしたらこの数値は改善しますかー、と。僕より若い、丸メガネをかけた線の細い男のお医者さんは、いくつか僕に質問して、こう結論した。「食生活に問題があるのだと思います。お肉とか乳製品の量を減らしてみてください」
 肉はともかく、乳製品にはものすごく心当たりがあった。僕はこの時期、ヨーグルトだけでなくチーズも好きでほぼ毎日食べていた。そして、僕は決意した。乳製品の量を減らそう、と。しかし、チーズはともかくヨーグルトはほんとうに大好きなのでなかなかやめられそうにない。そこで僕が目をつけたのが豆乳ヨーグルトだった。
 そして、ここからが重要なのだけど、僕はこの健康上の理由でやむを得ず食べ始めた豆乳ヨーグルトに結果的に「ドハマり」した。




 そもそも僕がヨーグルトに求めているのは、まろやかな口当たりとさっぱりとした甘酸っぱさで、そのためどちらかというと僕はこってりとした、乳脂肪分の多いヨーグルトは苦手だった。
 そして、仕方なく食べ始めた豆乳ヨーグルトこそが、僕がヨーグルトに求めている「すべて」を備えた食べ物であることに、僕はこのとき気づいた。要するに豆乳ヨーグルトこそ、僕が長年ヨーグルトに求めていたまろやかな口当たりとさっぱりとした甘酸っぱさとの両立を実現した理想の食べものだったのだ。豆乳ヨーグルトの特徴である(そして多くの人々に苦手に思われる原因でもある)「豆臭さ」も、僕はむしろ好きで、ほどよいアクセントになっていると感じた。こんな身近に、簡単な「答え」があったのに、なぜ自分は40年間これを見逃していたのだろうと、心底後悔した。
 それから僕は近所のスーパーマーケットで、目につく豆乳ヨーグルトをことごとく買いあさり、毎日1個ずつ食べていった。
 そして巡り合った雪印メグミルクから出ていたある豆乳ヨーグルト――「恵 megumi ガセリ菌SP株 豆乳仕立て」――を、2016年から18年ごろまで約2年間、毎日食べ続けていた。いろいろ食べ比べた結果、この豆乳ヨーグルトがいちばん、さっぱりとした口当たりと甘酸っぱさ、そして豆臭さの3つの要素のバランスが取れているように見えたからだ。おそらく、僕の住んでいる高田馬場の某スーパーマーケットのスタッフのあいだでは、毎週この商品をあるだけ買い占めていく僕について「あいつまたこの豆乳ヨーグルト買い占めていったよ。好きすぎだろ」とか、噂されていたのではないかと思う。
 この豆乳ヨーグルトはここ数年で間違いなく僕がいちばんハマった食べ物で、その素晴らしさを世界に訴えようと、自分が担当していたインターネットのニュース番組で紹介したことすらあった。しかし、残念なことに僕以外にそれほど支持されていた商品ではなかったらしく、ほどなくこの商品は廃番になってしまった。いまでは仕方なく、2番目に好きだった別の豆乳ヨーグルトに乗り換えているのだけど、いまでもときどきスーパーマーケットやコンビニエンスストアで、似たパッケージのヨーグルトを見かけると、あの豆乳ヨーグルトが再発売されたのではないかと思って手にとってしまう。そして、そのたびに裏切られる。一度廃番になった食品はそう簡単には再発売されない。知識としては理解しているのだけれども、人間はつい、願望で現実を歪めてしまう。人間はそういう弱い生き物だということを、そのたびに痛感させられるのだ。


 そしてここ数年、豆乳ヨーグルトと並んでもう一つ、僕がこだわっているものがある。それは「ゼロカロリー」の食品や飲料だ。僕は甘いものが好きで、事務所に出版社や放送局からおみやげに貰ったお菓子があるとすぐ食べてしまう。お風呂あがりに果物やヨーグルトを食べるのも大好きだ。だから、すぐ太る。そこでどうしているかというと、食べすぎないように「口が寂しい」ときはダイエット食品をよく食べるようにしている。世の中には、ほとんど身体に吸収されない人工甘味料というものがあって、これを使った食品がたくさんある。それが、ゼロカロリーゼリーであり、ゼロカロリー寒天であり、ゼロカロリーこんにゃくだ。僕はほぼ毎日こうしたダイエット食品を食べている。
 そんなに太りたくないのなら、そもそも食べなければいいのではないか?と考える読者も多いだろう。かつては、僕もそう思っていた。そして繰り返し、繰り返し失敗してきた。そこで僕は誘惑に打ち勝つのではなく、誘惑に負けてもノーダメージにする作戦に切り替えたのだ。誘惑されるのは、その欲望を自分が抱いているからだ。そして欲望というものは無理やり押さえつけても、どこかで無理が出てしまって別のかたちで噴出してしまうことが多い。だから僕は食欲を無理に押さえつけるのではなくて、身体が吸収するカロリーを減らすことにした。
 しかしここに一つ、大きな問題があった。たいていのダイエット食品、特にゼロカロリー食品は「おいしくない」のだ。それは考えてみれば当たり前の話で、最初から身体に吸収されない特別な人工甘味料しか使えない、なんて厳しい条件があったとき、なかなかおいしい味付けは実現できない。
 では、どうしたのか。僕はあらゆるゼロカロリー食品をひたすら食べ歩いて、食べ比べたのだ。
 その結果として、僕がたどり着いたのはたらみの「カロリコカロリカ」というゼリーのマスカット味を「凍らせて」食べることだ。そのまま食べると、ちょっと甘みが強すぎてベタッとするこのゼリーだけれど、凍らせて食べるとその強い甘みがほどよいアクセントになるし、凍らせると食感はアイスキャンディーと変わらなくなる。僕はこの「正解」にたどりつくまでに、2年間ほど試行錯誤を繰り返していた。Amazonの「ダイエット食品」のカテゴリーを定期的に調べて、気になる新商品は必ず注文した。最近のお気に入りは、同じたらみの「おいしい杏仁」だ。これは中華料理屋で出てくる杏仁豆腐と、ほとんど変わらない味と食感が楽しめるすぐれもので、僕はこの商品に出張で訪れた新潟県の山奥のファミリーマートで出会った。長い間Amazonで品切れだったのだけれど、この文章を書くために正式な商品名を調べようと検索したら再入荷されていたので、いま、この瞬間に注文した。僕の探訪はこうしているあいだも、続いているのだ。


 ちなみに僕は飲み物についても、かなりゼロカロリーのダイエット飲料を飲んでいる。酒を飲まない僕は、代わりにお茶やコーヒーをよく飲む。ただ、僕はお茶やコーヒーに砂糖やミルクを入れるのが苦手で(お茶やコーヒーそのものの味がよくわからなくなるので、絶対に入れない)、甘い飲み物がほしいときはゼロカロリーのダイエット飲料を飲むことになる。
 そして、ここからが重要なのだけど、ゼロカロリーの世界は食べ物よりも飲み物のほうが進んでいる。食感を気にしなくてもいいせいか、ゼロカロリーの飲み物はゼロカロリーの食べ物と比べても同じくらいおいしいものが多いのだ。
 僕はダイエットを始めた10年少し前から、ゼロカロリーのコーラをよく飲んでいたのだけれど、本格的にゼロカロリー飲料の世界に足を踏み入れたのは、9年前(2012年)に留学中の友達を訪ねてロサンゼルスに旅行したときのことだ。
 日本に比べてアメリカはダイエットに対しての意識が高く、スーパーマーケットに足を運ぶと無数のダイエット飲料が並んでいた(僕は海外に旅行に行くと、観光地ではなく現地のカフェやスーパーマーケットに行く。そこに住んでいる人たちの生活に興味があるからだ)。
 そこにはコカ・コーラやペプシコーラだけではなく、たくさんのメーカーがさまざまな銘柄のゼロカロリーのダイエット飲料を発売していた。ゼロカロリースプライト、ゼロカロリードクターペッパー、ゼロカロリーマウンテンデュー、ゼロカロリーセブンアップ……日本でも知られたあの銘柄のゼロカロリー版がそこには並んでいて、僕はそれを一通り買いあさり、5日間の滞在中毎日それを少しずつ飲み比べていった。
 特に気に入ったのが、ゼロカロリーマウンテンデューだ。マウンテンデューは緑色のパッケージで日本でも親しまれている炭酸飲料でシトラスに近い甘酸っぱい味のする飲み物なのだけど、このときロサンゼルスで飲んだゼロカロリーマウンテンデューは、日本で飲んだカロリーありのマウンテンデューの身体に悪そうな味をほぼ完全に再現していた。


 日本で販売しているゼロカロリー飲料では僕はポッカサッポロの「あじわいフルーティオ」という商品がお気に入りで、ある時期まで毎日飲んでいた。これはピンクグレープフルーツの果汁が少し入っているのになぜかカロリーゼロという飲み物で、最初は成城石井で見つけて、2年くらいAmazonで箱買いしていたのだけれど、やはり何年か前に廃番になってしまった。
 いまは、サントリーの「のんある気分」を箱買いしている。これはソルティドッグや、ジンライムなど有名なカクテルをアルコールとカロリーをまったく入れずに再現した飲み物で、仕事や運転の関係でお酒が飲みたくても飲めない大人が代わりに飲むものとして販売されている。この「のんある気分」は甘すぎないので、食事にもよく合うし、定番のいくつかの味に加えて季節限定でいろいろな味が出てくる(冬にはりんご味が、夏には夏みかん味が発売される)ので、まったく飽きが来ない。
 しかし、それでもたまに普段は入らないスーパーマーケットやコンビニエンスストアの棚で似たパッケージを見かけると、「あじわいフルーティオ」が再発売されたのではないかと思って思わず手にとってしまう。僕は「のんある気分」によって救済されたはずなのに、それでもまだときどき「あじわいフルーティオ」の亡霊に悩まされている。
 ちなみに僕はいわゆる「オーガニック」なものにはほとんど興味がない(別に抵抗もない)。ゼロカロリーを実現する人工甘味料については、実に多くの否定的な言説があるが、ほとんど科学的な根拠のないものばかりだ。むしろ僕が興味があるのは人工甘味料を軽蔑し、オーガニックなものを持ち上げることで、何か別のものを得ようとしている人々の心理だ。スローフードというイメージを消費し、実際に口に入れるものの具体的な成分については一切科学的なアプローチを拒否するタイプの人々をうまく動員することによって成立している産業があるのだなと、痛感させられる。
 かように人間は弱い。だからこそ、豆乳ヨーグルトやゼロカロリー飲料を必要とする。そして雪印メグミルクの「恵 megumi ガセリ菌SP株 豆乳仕立て」やポッカサッポロの「あじわいフルーティオ」の亡霊に悩まされ続ける。しかしそれでも、僕は理想の豆乳ヨーグルトと、ゼロカロリー飲料の追求をやめないだろう。なぜならば僕は飽くなき、そして永遠のダイエッターなのだから。そして、それでも自分の口に入れるものに一切の妥協を許さない……そう、心に固く誓って生きているからだ。

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連載【水曜日は働かない】
毎月1回・水曜日更新

宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。 著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(朝日新聞出版)。 石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)、『静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話』(河出書房新社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)など多数。 企画・編集参加に「思想地図 vol.4」(NHK出版)、「朝日ジャーナル 日本破壊計画」(朝日新聞出版)など。 立教大学社会学部兼任講師も務める。
Twitter:@wakusei2nd

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