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美男子ムンクは苦悩の中心で何を叫んだのか?|ナカムラクニオ「こじらせ美術館」第1話

本連載が書籍化します。

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ナカムラクニオ 『こじらせ美術館』
2021年5月26日発売

実らぬ愛や恋、ややこしい家族や友人……。画家の人間関係を知ると、美術鑑賞は100倍楽しめる! ルネサンスから現代まで、ムンク、フェルメール、ピカソ、クリムト、ミュシャ、バスキアなど大規模な展覧会がひかえる画家たちの作品と人生をわかりやすく解説。イラストたっぷりの楽しい美術コラムです。
illustration ナカムラクニオ

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血のように真っ赤なオーロラが浮かぶ空、フィヨルドのように歪んだ空間と苦悩する人物を多く描いたノルウェーの画家エドヴァルド・ムンク(1863-1944)。
名画「叫び」は、世界的に知られているが、彼の人生の苦悩を知っている人は少ない。ムンクは、いったいどんな叫び声から耳を塞いでいたのだろうか?

1863年、ムンクは、医師の息子として生まれた。彼は病弱で慢性気管支炎を患っていたため、引きこもりがちで叔母や家庭教師から教育を受けた。父からは歴史や文学を教わり、とくにエドガー・アラン・ポーの怪奇小説をよく読んだ。しかし、ムンクが5歳の頃、母が若くして結核のため亡くなる。さらに14歳の頃には一つ上の姉が同じく結核で亡くなるという不幸が続いた。父が医者であったのに次々と襲いかかる「家族の死」は、彼の絵画作品に大きな影響を与えることとなった。

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ムンクは、病や狂気をエネルギー源として絵画を描くようになる。本格的に画家を目指した彼は、クリスチャニアの画学校を卒業後、ノルウェー政府の奨学金でパリに留学した。憧れたのは印象派の画家たちだった。フィンセント・ファン・ゴッホの激しい筆致、トゥールーズ=ロートレックの画面構成から影響を受けつつ、不穏な色彩で線を描く独自のスタイルを作り出していった。また、極端に強調した遠近法は、ゴッホが好きだった北斎などの浮世絵から影響を受けている。
苦悩するイメージが強いムンクだが、実は身長も高くイケメンで女性にモテた。しかし、22歳の頃、親戚の画家フリッツ・タウロウが主宰する野外アカデミーに参加した際、フリッツの弟の妻ミリー・タウロウを好きになってしまう。彼にとって初恋の女性だったが、恋が実ることはなかった。
そして、追い打ちをかけるように、26歳の時に父が亡くなった。ますます、彼の描く絵画は、愛と死を扱ったものが増えていく。その後も妹が精神を病み入院することとなり、医者になっていた弟は肺炎で亡くなってしまう。

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ムンクは、家族の立て続けの死というショックから幻聴や幻覚、妄想に悩まされていたという説もあるが、その感情を絵画の制作にぶつけた。
ちょうど時代が、激しい筆致と色彩で描く「表現主義」の時代に移り変わるタイミングであったため、パリでの評価も次第に高まっていった。ムンクは、巨匠たちが絵画の中で感情を伝えるためにどのように色彩を用いていたかを徹底的に研究した。そして、フィヨルドの曲線とオーロラの原色で心の内面をえぐるような新しい象徴主義的な作風を生み出すことに成功したのだ。
そして、35歳になったムンクは、上流階級のトゥラ・ラーセンという女性と出会う。二人でイタリアに旅行するほど仲むつまじく交際していた。しかし、ムンクは幼少期からの不幸、虚弱体質、自身の不安定な精神状態に恐怖心を抱いており、家庭を持つ気にはなれなかったのかもしれない。

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そんななか、結婚をせまるトゥラと口論になってしまい、自殺すると言ってピストルを持つ彼女ともみ合ううちに、ピストルが暴発。ムンクは、左手中指の第二関節を撃ち砕かれる、という大きなけがを負ってしまったのだ。しかも、別れたトゥラは、その後ムンクの知人だった若い男と結婚し、さらに彼を苦しめた。アルコール依存症となり、生活は荒れ果てた。しかし、皮肉なことに作品はどんどん評価を高め、ベルリンで個展を開き成功をおさめることとなる。ムンクの精神的危機とは反比例するように画家としては成熟していくのだ。
その後、アルコール依存症を克服するため、デンマークの精神科病院に入院。回復した後は、画家としての評価も世界的に高まり、最後の約30年はオスロ郊外のエーケリーに土地を購入し、一人で過ごした。そして80歳の誕生日の後しばらくして、気管支炎を起こし、寂しく亡くなった。

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ムンクの名作「叫び」は、30歳の頃に描かれた代表作。橋の上で得体の知れない「自然の叫び」に耳を塞いでいる自身を描いたものだ。油絵、パステル、リトグラフ、テンペラでの同じ構図による作品を制作しており、5点以上の「叫び」が存在する。くり返し制作をするほど人気があったことを窺わせる。
もし美男子のムンクが、幸せな家庭に恵まれていたら、この「叫び」は生まれなかっただろう。幼い時から家族に次々襲いかかってきた病気と死が、ムンクの絵の具となり、彼の芸術に大きな影響を与えた。生と死、男と女にまつわる普遍的な苦悩が「叫び」となって、すべての観客の声を代弁する。これは、葛藤や苦悩が映し出されたみんなの「鏡」なのだ。


【参考文献】
J・P・ホーディン『ムンク 北欧の天才』佃堅輔訳(美術公論社)
J・P・ホーディン『エドヴァルト・ムンク』湊典子訳(PARCO出版)
ラインホルド・ヘラー『ムンク 叫び』佐藤節子訳 (みすず書房)
『ムンク』(新潮美術文庫)

【展覧会情報】
「ムンク展―共鳴する魂の叫び」
会期:2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日) ※終了しました。
場所:東京都美術館

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連載【こじらせ美術館】
更新は終了しました。

ナカムラクニオ
1971年東京生まれ。東京・荻窪のブックカフェ「6次元」店主、金継ぎ師、映像ディレクター、山形ビエンナーレキュレーター。著書に『人が集まる「つなぎ場」のつくり方――都市型茶室「6次元」の発想とは』『さんぽで感じる村上春樹』『パラレルキャリア』『金継ぎ手帖』『猫思考』『村上春樹語辞典』など。
Twitter:@6jigen

※この記事は旧サイトで2018年12月13日に公開した記事の転載です。

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