愛とトラウマのロートレック、運命の女神ヴァラドン| ナカムラクニオ「こじらせ美術館【恋愛編】」第5話
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愛とトラウマのロートレック、運命の女神ヴァラドン| ナカムラクニオ「こじらせ美術館【恋愛編】」第5話

 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの絵を飾っていると、日本美術のように感じることがある。構図のせいなのだろうか? 世紀末のパリで活躍したロートレックは、浮世絵のような大胆な構図とシンプルな色彩で斬新なポスターを数多く手がけた奇才だ。
 そんなロートレックが愛した女性は、洗濯婦のマリー。後の画家シュザンヌ・ヴァラドンだ。ロートレックに導かれ、彼女自身も画家となり、モンパルナスの伝説となった。ふたりの芸術家の間には、どんな化学反応が起きていたのだろうか?

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 ロートレックは1864年に、南フランス有数の伯爵家の長男として生まれた。しかし、13歳の時に椅子から転倒して左脚を骨折、さらに翌年には道の溝に落ちるという事故により右大腿骨を骨折し、以後、両脚の成長が止まってしまう(先天的な骨格の病も患っていた)。
 家族からは「小さな宝石」と呼ばれて可愛がられたが、彼は孤独を味わっていた。家に引きこもりがちだったロートレックは、次第に空想と絵画にのめり込んでいく。そんな彼を受け入れてくれたのは、キャバレーやサーカスであり、娼婦や踊り子たちだった。

 22歳を過ぎた頃、濃い眉毛と鋭い目つきをした洗濯婦の美少女と恋に落ちる。それがマリー・ヴァラドンだった。彼女は、貧しい家庭で生まれ、サーカスで働いたが、空中ブランコから転落して負傷。洗濯婦であった母の仕事を手伝いながら、著名な画家たちの元に洗濯物を配達する仕事をしていた。ピュヴィ・ド・シャヴァンヌから誘われ絵のモデルもするようになった。大酒飲みで自由奔放、恋多き女だった彼女は、友人たちから「恐るべきマリア」と呼ばれていたという。
 ヴァラドンは18歳の頃、未婚のまま、息子のモーリス・ユトリロを産んだ。父親はルノワールだとも噂されたが、定かではない。彼女は息子を母に預けながら、モデルと洗濯の仕事を続けた。女手ひとつで母と息子を養っていたのだ。

 ロートレックは、そんな状態で子どもを育てているヴァラドンを深く愛した。初恋だったとも言われている。彼は、自分の恋人となってからもヴァラドンがシャヴァンヌやルノワールのモデルをやめないことに嫉妬し、旧約聖書(『ダニエル書』)の中で2人の老人に水浴を覗かれる女性「シュザンヌ」の名でヴァラドンを呼ぶようになった。ところがヴァラドンはこの名前が気に入り、「シュザンヌ・ヴァラドン」と自ら名乗るようになる。

 しかし同棲をはじめると、情熱的なヴァラドンはロートレックに結婚を迫り、狂言自殺まで図った。この事件以降、純朴な青年ロートレックは女性不信となり、ふたりは別れることとなる。彼は生涯、誰も愛せなくなってしまうのだった。

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 ロートレックは女性不信のトラウマをバネにして、娼婦や踊り子のような夜の世界の女たちの生活ぶりを描いた。パリのムーラン・ルージュなどのダンスホールや酒場に入り浸り、退廃的な生活を送る。ついには娼館の中にアトリエを作ってしまうほどのめり込み、次々と傑作を生み出していった。

 しかし画家として成功したのも束の間、アルコール依存症になり、幻覚症状に悩まされるようになる。いるはずのない蜘蛛に向かって発砲したり、警察に追いかけられる妄想に取り憑かれ、友人宅に逃げ込んだりもした。
 そして、最期は母の住むマルロメ城で脳出血によって亡くなった。36歳、夭折した天才ラファエロや親友ゴッホよりも1歳若い死だ。なんと生き急いだ人生だろうか。

 一方、ロートレックにその才能を認められたシュザンヌ・ヴァラドンも有名な画家になった。息子のユトリロは10代でアルコール依存症になって苦しんだが、ヴァラドンは、ロートレックやドガの支援のおかげで画家として高く評価されるようになった。激しいタッチを特徴とした表現主義的画風だが、どこかロートレックの影響を感じさせる。
 ヴァラドンはその後も恋多き自由奔放な人生を送った。そして、72歳で死ぬまで独自の力強い画風で描き続けた。

 ロートレックとシュザンヌ・ヴァラドン、運命的に惹かれあい愛し合ったふたりは、2年の交際を経て結局は別れたが、ロートレックにとって初恋の人ヴァラドンはインスピレーションの源泉。ヴァラドンにとって彼は、画家になるよう自らを導き、名前までつけてくれた恩人なのだ。お互いが欠かせない存在だったことだけは間違いない。ロートレックはこんな言葉も遺している。
「人間は醜い。けれど人生は美しい」

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主要参考文献:
・クレール・フレーシュ、ジョゼ・フレーシュ著、千足伸行監修、山田美明訳『ロートレック 世紀末の闇を照らす』(創元社)
・杉山菜穂子著、高橋明也監修『もっと知りたいロートレック 作品と生涯』(東京美術)


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連載【こじらせ美術館(恋愛編)】
不定期・火曜日更新

ナカムラクニオ
1971年東京都生まれ。東京・荻窪の「6次元」主宰、アートディレクター。日比谷高校在学中から絵画の発表をはじめ、17歳で初個展。現代美術の作家として山形ビエンナーレ等に参加。金継ぎ作家としても活動。著書に『金継ぎ手帖』『猫思考』『村上春樹語辞典』『古美術手帖』『チャートで読み解く美術史入門』『モチーフで読み解く美術史入門』『描いてわかる西洋絵画の教科書』『洋画家の美術史』『こじらせ美術館』など。
Twitter:@6jigen

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