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第13話 肉塊を吸った白インゲン|金原ひとみ「デクリネゾン 」

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 どうせ飲むんだったらさ、今どこも八時までしかお店開いてないし、通し営業のお店でお昼から飲まない? 満足したらその時点で解散すればいいんだし。和香の提案に、まだ子供が幼くて一番自由の利かないひかりがいくつか日程を出し、日程が決まったところで私が通し営業をやっているお店をいくつか提案し、満場一致で老舗のフレンチビストロにしようと決まった後、「ちなみに私『スティル ドリーミン』観たいんやけどご飯前に観に行く気ある人おる?」とひかりが提案すると私も和香も「行く行く」となり、十二時開始の映画を観てからレストランに移動することになった。
「私女性作家と映画観に行くの初めてだな」
 待ち合わせていた映画館の入り口から三人でエスカレーターを上がる途中そう言うと、えっそうなん? 私こないだもゆりっぺと行ったで、とひかりが声を上げ、女性作家とは一回しか行ったことないけど大塚さんとか浅野さんとか、女性編集者と行ったことは何度かあるよと和香も同調した。皆意外に人付き合いをしている。私はそもそも女性と映画に行ったことが理子を除いては二度しかなく、最後が五年前、「不倫映画観たいんだけど他の友達には不倫映画観たいって言いにくいから一緒に来て」と数少ないママ友に誘われた案件で、その前は小学生の頃だったと思い出す。そして更に、私は編集者と会食や取材、打ち合わせ以外の個人的な付き合いをしたことが一度もないと気づいた。
「えっねえみんなそんなに編集者と個人的な関わり持ってるものなの?」
「子供生まれてからは減ったけど、担当外れた編集者とかもしょっちゅう飲み行ってたで。子供生まれる前はライブとかもよう行ってたしな」
「私は数人だけど今も連絡取ってたまに飲みに行く人はいるよ。皆年一とかだけどね」
「私誰一人として連絡取ってないよ。担当外れたイコールその人はもう自分の人生に一生関わらない、だと思ってた。それに同業の友達だってひかりと和香以外にはほんの数人しかいない」
「何ていうか、志絵は誘いづらいんちゃうかな」
「私は個人的に付き合いたいと思う人は結構いるんだけど、でも例えば元担当編集者が仕事上の付き合いがなくなったあと私から誘われたら、別に付き合ったところで仕事上のメリットもないくせに、向こうとしては軽く断りづらいじゃん? そもそも、仕事で嫌々付き合ってただけって向こうは思ってるかもしれないし。そういう微妙なパワーバランスの状態で誘うのはちょっと悪いかなって躊躇わない?」
 そう呟くと、一段上に立っていた和香が振り返って「志絵は恋愛以外のことに無関心だと思われてるんだよ。だから仕事以外のアポをとることに周りは躊躇う」と言い切った。そんなことないよと言いかけて、恋愛ばっかりしてるママといるのなんか違うなと思ってた、という理子の言葉を思い出す。思えばこれまでの人生の中でも、確かに何人かの男女の友人を恋愛によって喪失してきた。もっと言えば、私は常に新しい恋愛によって既存の恋愛をも喪失してきた。一体どういうことなのだろう。恋愛とは常に誰かとの断絶を引き起こしてしまうのだろうか。蒼葉と付き合い始めた時、行哉とは既に別れていた。だから恋愛による恋愛の破綻は起こらなかった。でも満たされていると思っていた生活はコロナによって崩れ落ち、家から出ていくと理子が意思を表明したのだ。飽きもせず私の胸には鋭い痛みが走る。恋愛というのはその人の生活や精神に大きな影響を与えるから、他のものを排除せざるを得ない状況が生まれやすいのだろう。もし理子に選択肢がなく三人で暮らすことになったとしたら、それはそれで家庭はうまく回っただろう。別に家庭が殺伐とするわけでもなく、それなりに仲良く生活できたはずだ。でも理子はそれよりも自分らしく、楽でいられる環境を、自分で選び取ったのだ。そして蒼葉は、私と付き合ったことで、私に会ったこともない母親と反目することとなり、一緒に暮らせなくなった。多かれ少なかれ、何かを切り捨てることによって恋愛はその人の生活にしっかり組み込まれるのだ。
 最近、要所要所で蒼葉の母親のことが頭を過ぎる。両親に対して一切の報告なしに婚姻届を提出した蒼葉に抱いている微かな懸念のせいだろう。思えば私も初めての結婚の時親に事前報告しなかった。かと言って今回もちゃんと報告したのかと言えば、両親と三人のグループLINEに結婚しましたと送信しただけで報告した気になって、「相手はどんな人なの?」と聞いてきた母親のメッセージを既読スルーしているのだから、それは世間一般の結婚とは少し違うのだろう。
「そう言えば私結婚したよ」
 エスカレーターから降りたところで報告すると、えーと和香もひかりも声を上げ、まじ? 何タイミングだったん? なぜ今? え、いつしたん? は? 一ヶ月も黙ってたの? てか志絵三回目かもはや結婚マスターやなっていうかマスターできなかったから三回目なんかな、え結婚式は? そうやで結婚式せんの? 相手初婚やろ? ていうか相手の両親には挨拶したの? と勢いの強いシャワーのように質問を浴びせられる。最後の方はまともに答えられず、「発券してる間にポップコーン買ってくるよ。みんなビール?」と確認して、カウンターに向かうとポップコーンMとビールを三つ注文した。
「へー、最近もう飲食OKなんやな」
「去年末に行った時はまだ飲食禁止だったけどね」
 言いながらトレーに手を伸ばす二人に「上映が始まるまで飲食禁止だって」と言ったけれど「黙って飲むよ」と和香はビールを取り上げた。大きな映画館は久しぶりで、その広大さに否応なしにテンションが上がっていくけれど、再びエスカレーターを上りながら、最後に一緒にここに来たのは行哉とだったと思い出す。行哉の趣味でクレイアニメの映画を観ながら、死ぬほど退屈だった記憶がある。
 婚姻届を出すため蒼葉と区役所に行った時、私は何となく既視感があるような気がして辺りを見回した。何度か来たことがある区役所だったけれど、通常の記憶とは違う別のボックスに入っているような不思議な感覚で、夢でも見たんだろうかと脳内を手繰っていると、未来への喜びと不安が入り混じった感情と共に行哉と連れ立って婚姻届を出しに来た時の記憶だと思い出す。実際に私と行哉は区役所には行っていない。これは私の脳内の記憶だ。私はあんなにも、行哉との結婚を想像し楽しみにし、心待ちにしていたのだと、他の男ときゃっきゃとはしゃぎながら書いた婚姻届を提出しようという時に思い知った。かつては信じていた運命や、特別な存在といったものが、歳を重ねるにつれて信じられなくなっていくのを最近感じる。この人と一緒にいるべきだ、いなければならない、私がそういう特別性を感じたのは、中学生の頃に初めて付き合った男と、吾郎と、行哉だけだ。でもその男たちとの関係は全て完璧に終わった。三回ともそれなりに凄惨な形で。そもそも、恋愛というものが自分の中で少しずつ形を変え、以前とは違うものになりつつあるのを最近感じる。私はもう、人間関係に於いて特別性に重きを置いていないのだ。元々、母とも父とも個々人として特別な深い関わりを持っているわけではないし、理子とも資質の違いが明らかになり離れて暮らすようになったし、特別だと思っていた三人の男とは別れ、大して特別性を感じない明らかに資質の違う蒼葉と、私はずっと一緒にいたいと願い結婚したのだ。自分の生活や環境が、特別でないものに占められていくというのは、不思議な感覚だ。これでなければならないと思うもので塗り固めていたものが少しずつ老朽化して剥がれ落ち、交換可能性が高いとは言わないものの、特に強い必然性を認められないもので今は周囲が満ちている。例えば和香やひかりとの関係もそうだ。強い必然性はない。それでも私たちはこうして緩やかに連絡を取り緩やかに会合を続けている。それはなければならないものではなく、あったらあったで楽しいかもねくらいのものだ。そうして、人は緩やかに幸福だったり、緩やかに不幸だったりする日々を構築していくものなのかもしれない。激しく幸福も、激しく不幸も、疲れるからだ。つまりこれも広義では老いなのかもしれない。
 それでも、そうした強い必然性がないものが自分の生活に影響を与えているのを感じるたび、それらが特別なものに変化していっているのも感じる。一回か、あるいは二、三回して、どちらからともなく連絡が途絶えがちになり何となくなかったことになっていくだろうと思いながら始まり、いつかはきっとどこかに巣立っていく迷い猫と束の間人生を共にするくらいの気持ちで育んでいた蒼葉との関係が、今では私の特別で、失いたくないものになっているのだから。

「やっぱり何よりも、弱者に寄り添ってる風な作りにしながら、作り手側のスノビズムが透けて見えるところに萎えたかな」
「確かにスノビズムは透けて見えたけど、それはあのテーマで撮る以上必要最低悪で、あれは俯瞰視点で撮る以上仕方ないと思う」
「いや、敢えてそう撮ってるなら分かるよ。でもあれは意図的なものじゃないと思う。最初からちょっと嫌だなと思いながらずっと何とか保ってたけど、遊園地のシーンで完全に冷めちゃった」
「計算内でしょ。あそこは分かりやすさを優先させたんだよ。無垢な主人公に、露悪的な周囲、最大公約数の人に届く作りにするために、ああいうコントラストをはっきりさせるシーンを入れたんでしょ」
 映画館からタクシーに乗り、千円の乗車料金を三百、三百、年長者だからとひかりが四百円払い、到着したレストランでああだこうだと相談しながら皆それぞれ前菜とメインを注文した後、映画に対して批判的な私と好意的な和香は互いに険しい顔のまま感想を口にし続けた。
「そもそもあの主人公のキャラで格差社会を風刺するっていうそのコンセプトに私は誠実さを感じられなかった」
「確かに、もう少し狡猾だったりあざとかったりする主人公の方が共感できるよな。でも泣ける映画にしたかったんやろな。ああいうわかりやすい要素がないと今の時代資金も集まらんやろうし」
「そうかな。リアルで、泣かせる仕掛けもないけど美しく成り立ってる良作はたくさんあるよ。方向性は違うけど、あの非現実的な設定は少年漫画の主人公みたいだよ。まるで共感できないし、共感できるっていう人はスノビズムから引き起こされる卑しい同情心を共感と呼んでるだけだよ」
「私たちは少年漫画の売り上げによって生き延びてるようなもんだよ? 誰が少年漫画をバカにできる?」
「そんな論点ずらし止めてよ」
「論点ずらしじゃない。私たちだって執筆する時に人が読むことを考えない訳じゃないでしょ。飽きさせずに読ませるには、共感してもらうにはどうしたらいいか、物語を作る人なら誰だって考える。そのためになされてる血の滲むような努力を、志絵は商業主義だって嘲笑うことができるの?」
「もちろん物語を作るためになされる努力を嘲笑うなんてことはしないよ。でもあれは、これ食べたら涙腺が緩んで泣けますよって薬を与えられて泣かされてるようなもんじゃん。お手軽ドラッグじゃん。まあドラッグを否定する気はさらさらないけど。でもお手軽感動ポルノと一枚のLSDなら私はLSDを選ぶね」
「私たちだって貴族じゃないんだから、日常的に大変な思いとか、惨めな思いだってするでしょ? もし主人公に対して共感を全く感じられないんだとしたら、それは志絵が恵まれた環境に生きてきたから、あらゆる圧に潰されていく人々の気持ちが分からないだけなんじゃないかな」
「気持ちが分かるからこそ、弱者をバカっぽく描くことに怒りを感じるんだし、作り手側の姿勢に共感できないんだよ」
「まあ、二人ともめっちゃ真剣に映画に向き合ってるやん。二人が言ってることは、根本的には一緒やと思うねん。二人とも世界としっかり向き合いたいって気持ちが籠ってるからこその対立やと思うねん。弱者を搾取したないって気持ちは両方とも同じやねん。ただそのアクセスの仕方がちゃうんやろうな。二人の小説読んでても思うんよ。あんたらってほんと表現の仕方がぜんぜんちゃうなって。二人の小説のテーマは結構近いところにあるものもある気もするんやけど、全然質感がちゃうねんな。作風あんだけちゃうねんから、そりゃ映画の感想も一致せんよ」
 菩薩のようなひかりのフォローが入ったところでパテ・ド・カンパーニュ、砂肝コンフィのサラダ、アーティーチョークとエビのマリネ、の三皿がテーブルに置かれ、完全にシェアで食べ始めると私たちは途端に語彙を失い「うまっ」「これヤバい」「まじか」と三人で唸る。この一皿を目当てに来るお客さんもいますと店員が豪語していた砂肝は、本当に夢に出てきそうなほど柔らかく香ばしく歯応えもあって、焼き鳥屋で食べる砂肝が記号化された「砂肝」であるのに対し、「今自分は鳥の内臓を食べている」という、砂肝というよりも砂嚢を食べている実感の伴う砂肝だった。映画も食べ物も、生に近いものが好きだ。生で食べられるものはできるだけ生に近い状態で食べたい。料理も小説も色々あって、生肉生魚生野菜のようなものから、元が何なのか分からないほど加工されたもの、シャーベット状にさせられたり泡にさせられたりスープ状にさせられたうえ板状にさせられるもの、何十時間も煮込まれるものもある。料理の世界にも、それはやってはいけないだろうというような倫理的批判はあるんだろうか。エンドロールが終わって開口一番、すごく良かったと和香が夢見るような顔で言うから、この作品の問題点を理解していないんじゃないかと危機感を抱いて批判的なことばかり言ってしまったけれど、正直観た後は清々しかったし、良い点と悪い点をしっかり皆と話し合いたいと思っていたのに、すっかり対立してしまった。きっと和香だって、私がここまで批判的でなければ、批判的な意見だっていくらかは口にしただろう。
「あ、そういや志絵、名字何になったん?」
「天野のままだよ。向こうが私の名字にした。彼は時間あるから名義変更とかすぐできそうだし」
「えっ、彼氏一人っ子って言ってなかった?」
「一人っ子だよ。でも本人は別に何とも思ってなさそうだったし、名前が変わるってなかなかできない経験だし、させてあげた方がいいかなって思って。私はもう二回名字変わった後自分の名字に戻るって体験してるし、理子も二回名字変わってるし。それに理子は今私の戸籍に入ってて天野姓なんだけど、もし彼が筆頭者になって私が彼の戸籍に入ったら、名字が違うと同じ戸籍には入れないから、筆頭者が抜けて理子一人の戸籍ってことになっちゃうらしくて」
「え、そうなん? 戸籍ってまじ謎いな?」
「まあ家庭裁判所に申し立てすれば彼の戸籍に入ることもできるけど、理子にとっては私の彼氏なんて縁もゆかりもないそこらへんの大学生みたいなもんだし、そこらへんの大学生の名字になるの嫌だろうからね。夫婦同氏制度もそうだけど、そもそも戸籍制度が今すぐ破滅することを望むよ。まあ個人的には名字なんてただの記号だと思ってるから何だっていいんだけど」
「そうなの? 私は滝岡にすごく思い入れあるけどな。自分は作家として旧姓で活動してるからまだいいけど、もし自分が専業主婦とかで完全に自分の旧姓名乗る場所がなくなってたら、すごく寂しかったと思う」
「別に私は名字が一とか二でもいいよ。名前だって数字でいい。名前なんてただ人を認識するための記号じゃん」
「志絵のその唯名論っちゅうんやったっけ? 記号に全く価値を置かない考え方、特殊よな。小説の登場人物の名前もめっちゃカブってんの自分で分かってる?」
「分かってる。あの小説とこの小説に出てくる同じ名前の人は何か関係があるんですかってしょっちゅう聞かれる。小説のプロット考えてる時名前考える時間が一番つまらないんだよね。だから、あんまり深く考えないようにしたんだよ」
「天野姓にしたこと、彼氏の親には言ったの?」
「言ってないどころか結婚の報告もしてないよ。私は一応話しておきなって言ったんだけど、会いたくないの一点張りだったから。まあもう二十二だし、別に親に許可求める必要はないんじゃない?」
 アーティーチョークは食べるたび「こんな味だったっけ」と思う。自分から好んで食べたことがないから、きっとそう思うのだろう。執着もなければ、嫌いでもない味。食べたいとも、食べたくないとも思わない味だ。でも意外と、そういう物こそが長い付き合いになるのかもしれない。その内、脂っぽい肉やこってりした味のものが食べられなくなる可能性はあっても、アーティーチョークが食べられなくなる日は永遠に来るような気がしない。
「まあでも、多分向こうの親からしたら志絵に誑かされたとしか思えないだろうね」
 和香の険のある言葉に肩を竦める。誑かされている的なことを言われたと、蒼葉自身も言っていた。二十歳を過ぎた子供を、意思と責任ある自立した存在として認められないのだろうかと不思議だったけれど、子離れのできていない母親にとっては息子の年上の彼女はネズミ講や新興宗教と同じくらい邪悪なものなのかもしれない。私だって、理子がDV男やギャンブル狂と付き合っていると知れば苦言を呈し、真っ当な判断力を身に付けられるよう導きたいと願うだろう。つまり、私は年上であるというだけで、ネズミ講や新興宗教やDV男やギャンブル狂と同等の禍々しさを負っているのだろうか。私には彼の母親と話す心算があった。向こうが不安に思うことに対して、いくらでも言葉を尽くして伝えようという意欲を持っていた。でも蒼葉は、あの人とは話が通じないと話し合いを拒絶した。この程度のことを伝える努力すら怠る蒼葉に、最初は共感できなかった。話せば分かるのにと思った。でも自分を理解しようとしない人と向き合うだけで、削がれていくものがあることも分かる。それに、伝わるにも伝わらないにもグラデーションがある。すべてが伝わらないなら意味がないと思う人もいれば、少しでも伝わればいいと思う人もいる。その感覚の差こそが、人と人との話し合いのハードルを上げてしまうのかもしれない。
「誑かされるっていい言葉よな。私小説内で誑かす、誑かされるって言葉書くたびテンション上がんねん。多分私、誑かされるのが好きやねん。騙されるよりも甘くて、欺かれるよりも怪しいっちゅうか。できるだけ多くのものに誑かされて人生を全うしたいって思うんよ」
 言う割に、ひかりはこの三人の中で最も堅実な人生を歩んでいるように見える。でも勢いよくスパークリングを飲み干すひかりは、もう既にスパークリングに誑かされているのかもしれない。誑かしと言うのは、嘘や騙しと違って、恐らく心の奥底で互いの同意があって行われるものだ。だからこそ、甘くて、怪しいのだろう。
「何に誑かされるのか、何と共犯関係になるのかによって、人生は大きく変わるだろうけどね」
「ちゃうで志絵。誑かされるなんて思ってもない時にいきなり、いつの間にか誑かされるからいいんやで。例えば小説読んでる時、普通に読んでたのに、いつの間にか小説に誑かされてた、って気づく時があるんよ。悪い意味やなくて、その世界に魅了されるってことやで。この嘘、フィクションにずっと身を委ねてたいって思えるものに誑かされる喜びは、ほんまに至上やねん。最近、私はあらゆる小説に誑かされ続けてここまで来たんやなって思うんよ。死ぬまで誑かされ続けたいって」
 夢見るように言うひかりに、私と和香は視線を合わせ、最後の砂肝どうする? いいよ食べな、いいよいいよ、え、いいの? いいいい食べて、という目と顎のやりとりがあって、最終的に私がフォークを伸ばす。何というか、ひかりにはこういうメルヘンなところがある。小説に対する愛や尊敬の念が、強くある。もちろん私にもあるけれど、もし私が小説と激しい殴り合いやセックスをしたい人だとしたら、ひかりは小説をとろけるほど愛し尽くして周囲を綺麗に飾り付けて祭りあげるみたいな愛し方をする人だ。和香は私ともひかりとも違う、もっと機械的でありながら丁寧に、あまり私情を持ち込まないよう気を付けながら適度な距離感で好意を寄せている感じだ。分かりやすい愛情表現はなく、そこには恥じらいと自重がある。考え始めると面白くて、知り合いの作家を頭に思い浮かべつつ彼らは小説とどんな関係性だろうと次々考えてしまう。
 メインはカスレ、マグレ・ド・カナールのロティの野菜添え、バベットステーキのフリット添えで、カスレにはどっしりとした鴨コンフィとラム肉が入っていた。マグレのソースはいわゆるバルサミコソースではなく、グレイビーっぽい味で、酸味はあるものの柔らかい。バベットは言うまでもなくでんとした「肉」感のある一皿で、私たちは次々手を伸ばし切り取っては自分の取り皿に載せていく。合いそうなやつくださいと適当に頼んで出てきたフランスのメルローはどっしりしていて、重厚四種盛りのようなメニューが少しずつ女たちに取り込まれていくのが爽快だ。カスレの白インゲンはふっくらしていて、肉から染み出した脂をたっぷり吸っている。完璧に逃げ場のないメニューだ。ここに一つくらい白身魚のソテーなんかがあったら、全然違っただろう。でも私たちは揃いも揃って肉を選んだのだ。この逃げ場のなさは、私たちの象徴なのかもしれない。
「メルローそろそろ無くなるね。どうする?」
 和香の言葉に、「やっぱり白飲みたいな、超辛口みたいなビリビリする白」と答えると、ひかりが「赤の後白って、ちょっと気が抜けへん? 張り詰めたものが緩む的な」とやけに形式的なことを言う。
「人生は後戻りできないんだから、ワインくらい後戻りさせてよ」
 大げさに肩を竦めて言うと、二人は笑った。ワインリストを持ってきてくれた店主の奥さんらしき店員にも聞こえたようで「後戻りでも足踏みでもいくらでもしてください。グラスワインも色々ありますし、試飲もできるので仰ってくださいね」と私に手渡した。結局私たちは三種類の辛口白を飲み比べた後、それぞれ一杯ずつ頼んで回し飲みした。
「そういえば、和香はその後どうなったの? 彼氏と別れて、もうそのままそれっきり?」
「この間別れてから初めて会ってセックスした。今はまだ彼との関係を評価できない」
 ひかりと私は同時に「へー」と呟く。それ以上和香が続けようとしないから、私たちは最近面白かった映画や小説の話に移った。同じフィールドで書き続けている小説家でも、創作物に対して意見が割れるのが面白い。昨今の社会的正しさに依拠した作品の多さ、それらが今後どういう受け取り方をされていき、最終的に古典として残るかどうかの話題になり、また和香と私が対立した。
「猫や犬のために動物愛護運動をする人はいるけど、ゴキブリのためにゴキブリ愛護運動する人はいない。つまり、自分が仲間と感じられる存在の救済を求めてるだけだよね。でもどこまでが仲間でどこからが仲間じゃないかって決めるのは誰の役割? 誰も味方にならない。誰もが死を望む。私も死ねばいいと思う。つまりゴキブリは究極のマイノリティだけど、ゴキブリの救済についての小説なんて生まれないよね?」
「ゴキブリよりももっと寄り添わなきゃいけない人はたくさんいるよ。そういう人たちに今の社会が寄り添いきれてないからこそ、今生きづらい人たちをフォローしていかなきゃって、良心ある人たちが試行錯誤してる。だって当然、レイプ犯の救済よりもレイプ被害者のセカンドレイプ問題の方が重大でしょ。悠長なこと言ってる場合じゃないんだよ。私たちにはまだまだ闘うべきものがたくさんある。世界平和とかそんな段階じゃない」
「つまり和香が言ってるのは、人にはランクがあるってことだよね。救済するべき人と、救済するべきではないとまでは言わなくても、後回しにしていい存在がいるっていうことだよね」
「誰だって、個人的な範疇ではあるでしょ? 何よりも自分の子供とか、夫とか、そういう人を救済したい、助けたいって思いはあるでしょ? 自分の子供とゴキブリと、どっちの命を助けるって聞かれたらそんなのすべての人が自分の子供を選ぶよ」
「もちろんそうだよ。誰だってそう。でも世界全体のことを考える時に、皆が自分の子供と家族とを救いたいってなったら、家族のいない人、親が死んでいる人は命が軽いのかって問題が浮上する。私情とか感情から逃げられない人は、突き詰めれば人の命にランク付けをする。だからそれぞれが考え続けて社会の規範を練り直し続けなきゃいけない」
「志絵の言うことも分かるよ。でも世の中そんな綺麗事じゃ回らないし、実際私は日本に死刑制度があって良かったと本心では思ってる。生き延びるべきじゃない人間はいる。死んだ方がいい人はいる。私は最低限のランクづけはするべきだと思ってる」
「自分の子が皆に死んだ方がいいと思われた時、和香にとっても我が子は死んだ方がいい人になるの?」
「自分の子でも、社会の規範から大きく外れた時、死ぬ他ないって思うことはあるだろうね。自然淘汰だよ。その社会の秩序を大きく乱す人っていうのは、虫とか動物にも存在するように人間社会にも存在してる」
 我が子をどうしても救いたい気持ち、それでも場合によっては我が子も死ぬべきと考える気持ちが共存することを認め、そこに疑問を抱いてなさそうな和香の言葉に軽く衝撃を受けた私は、それ以上の言葉を聞くのが嫌で口を噤む。私も昔、死刑制度がなければ社会が成り立たないと思っていた。でも歳を重ねる内、人の生や死について考えなければならない機会が増え、人の生き死にを当人以外の人が決めることを肯定できなくなり、次第に私は死刑制度を認められなくなった。これで正しいと思っていたことを信じられなくなり、ずっと疑心暗鬼のまま、何が正しいのか断言できないまま、私は判断保留で考え続ける他道はないと諦めたのだ。死刑制度を肯定していた時は、生きやすかった。善と悪で、物事を判断することができた。でもそうはいかなくなったのだ。この人間社会に於いては、命は平等だと考える人から、命にはランクがあると考える人、生死の自由があると考える人と生死の自由はないと考える人の間に巨大な差と分布が見られる。この世界を生きるのが辛いのは、そういう根本的なところでの同意を人と共有していないからなのかもしれない。静かに納得しながら、グラスワインを飲み干し、お代わりをした。
 結局八時ギリギリまで、私たちは飲んでいた。ワインを大量に飲んだ後、貴腐ワイン、カルヴァドスとフランス産のジンをストレートで飲み、クレームブリュレ、イチゴのタルト、オペラをデザートに頼み、エスプレッソまで飲んで八時少し過ぎに店を出た。JRに乗る和香と最初に手を振り、私とひかりはメトロに向かって歩いていく。夕飯の感想や最近暖かくなってきたことを話し、パスモの残高少なかったかもとかパスモアプリ入れると楽やでとかの適当な会話が途切れた瞬間、ひかりが唐突に私の肩を抱いた。
「なに?」
「私は志絵のことが好きやで」
「だろうね。私以上に人に好かれるべき人がこの世に存在するとは思えない」
「志絵の迷いながら考え続けるとこ、ええと思う。和香も真面目なんよ。でも志絵みたいに考え続けたら、あいつは多分破綻してしまうんよ。和香の発言はなんちゅうか、自分の信じる居場所を守るためやと思うねん」
 確かに和香は、私とは全く違うことを大切にして生きている。私は底なしに無力だから、何かを守ろうとは思えない。でも和香にはその力があるのかもしれない。だから、和香と私は平行線で言葉を交わしながらもずっと交わらないまま生きていく他ない。それはそれで、頑張ればいいと思う。
「ああいう意見の対立の仕方は、志絵にとってきついんちゃうかな思って。和香には拠り所があるやろうけど、志絵みたいな考え方の人には多分何もないやん」
 何もないのが普通だ。拠り所がないのが普通だ。きついのが普通だ。私たちは広大で、絶え間なく移り変わっていく世界の一瞬を生きる、本来は名前すら持たない存在だ。名前を与えられ、意味付けをされ、人間社会に投げ込まれ、繁殖したり労働したりはするけれど、それぞれはただの一つの肉塊だ。私は名前の意味も、意味付けされた意味も、繁殖の意味も、労働の意味も、全てそれなりにこなしながら一切分かっていない。肉塊、肉塊、肉塊、辺りの人々を見渡して思う。それらにそれぞれ名前があって親や子供がいたりして、名前を喪失したり名前を変えたり名前に執着したりして、それぞれ自分の思う幸福や充足を追い求めながら生きているなんて不思議だ。一つ一つの肉塊に、一つ一つの人生がある。そして肉塊だからこそ、私はやっぱり死刑制度には反対だ。全ての肉塊に、生きるべきも、死ぬべきもない。生きるべきも死ぬべきも、少なくとも肉塊が肉塊に押し付けるべきものではない。確信と混乱が襲ってくるのを感じて、立ち止まると踏ん張るようにして真っ直ぐ立つ。ちょうど自分の線の改札が見えて、「何もないまま何十年も生き続けるなんて、人間の設定バグってるよね。まあ、何かある人もいるのかもしれないけど」と立ち止まったまま言う。ひかりはぽかんとした表情を見せた後、唇の端を片側だけ上げて笑った。何もコメントして欲しくなくて、ひかりが口を開く前に「じゃあまたね」と笑顔で手を振ると、私はバッグを漁りながらひかりに背を向けた。財布を改札にかざしてピンポーンと大きな音と共に通せんぼをされると、ハシゴを外されたような気分で、残高少ないって自分で話してたのに何で忘れたんだろう私の人生は全くこんなことばかりだとうんざりしながら切符売り場に引き返した。

illustration maegamimami

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金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『アタラクシア』『パリの砂漠、東京の蜃気楼』『fishy』 等がある。『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」連載中。

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HB[エイチ・ビー]は、集英社グループの出版社・ホーム社の文芸サイトです。2017年11月にサイトを立ち上げ、2020年にnoteへ引っ越してきました。小説やエッセイを中心に、毎日をより楽しく過ごすための、さまざまなコンテンツをお届けします。