第17話 闇に蠢く愛おしい生き物の破片|金原ひとみ「デクリネゾン」
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第17話 闇に蠢く愛おしい生き物の破片|金原ひとみ「デクリネゾン」

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 そうか闇営業の店は、高い店と雑な店に二分されているのか。闇営業のお店探しておきますと言われていたため、この間の一テーブル一サーバーの居酒屋のような店を想像していたけれど、さすがに出版社の会食だ。高級焼肉店の全体的に黒っぽい個室に案内されて席についただけでコロナ前に戻ったような気がして、不思議と心が穏やかになる。無観客配信ならいつもより上手く話せるかもという淡い期待が打ち砕かれたことへの陰鬱とした後悔と自責の念がすでに薄れ始めていた。
「焼肉店は換気がいいから結構儲かってるらしいですね」
「でも中央で肉を焼くから、喋ってる間に唾が飛び散りそうな気もしますけどね」
「それは最後に両面炙って消毒ですよ」
 中津川さん、吉岡さん、吉岡さんの三井出版の書籍担当の張本さん、の三人は口々にテンション高めで言い合う。四人での会食は久しぶりだ。なんとなく家族や同居者以外の人と四人で行動しているだけで罪悪感を抱く。そんなふうに一人一人の感覚や価値観、全ての前提をガラッと変えてしまうものなんだよなと、改めてコロナの影響を痛感する。それでも、もし良ければと張本さんに控えめに誘われ、会食をすると決まった時から最低限の人数でやりましょうとは言われていて、互いに一人ずつ担当を伴っての会食と相成ったのだ。
「では、吉岡さん天野さん今日はお疲れ様でした」
 張本さんがジョッキを掲げて言う。皆互いを窺うようにジョッキがぶつかる寸前のところで手を止め、静かな乾杯をしてから飲み始めた。すでに一人ずつ手元に出されたキムチとナムル盛り合わせをつつきながら、中津川さんと張本さんが次々に話すコロナ近況を聞く。二人とも会社で次から次へと感染者が出ており、第五波はちょっとこれまでとは比べものにならないという意見を一致させる。
「今年の四月くらいまでは身近なところではあんまり聞かなかったのが、コロナ出ましたの連絡が日常になってますね。社内でも担当作家でも出てるし、上の子の小学校でも生徒で何人か出て、休校にはならなかったんですけど、先月下の子の保育園で出て休園になって。園児が家庭内感染なら濃厚接触者だけ自宅で様子見になるんですけど、先生が罹ってプチクラスターになっちゃったみたいで。もう仕事どうしようって大慌てでした」
「どうやって乗り越えたんですか?」
「お互い在宅を織り交ぜて、義理の両親をちょいちょい、どうしてもの時はシッターさん頼んで何とか」
 張本さんは社内結婚で、奥さんは確か販促にいたはずだ。多分部署的には編集の張本さんの方が自由がきくはずで、でも何だかんだ奥さんの方に比重がかかって大変だったに違いない。と大して話したこともないのに四十代後半、重度の釣り好き、という情報だけで人の家庭内パワーバランスを勝手に想像してしまう。センマイ刺し、赤身刺し、ユッケの盛り合わせが出てきて、説明を受けるごとに皆が満足そうな表情を浮かべる。この料理の説明を受けている時の人の顔が好きだ。どうでもいい早く食べたいと思っている人、情報も口で味わうタイプの人、説明の間にさりげなくスマホで写真を撮っている人、大きく頷きながらも後でこれ何でしたっけと聞くと何にも覚えていない人、人格が出て面白いのだ。
「そういえば、吉岡さんもさっきトークショーの時、結構仕事が停滞したって言ってましたね。私もリアルイベントは減りましたけど、執筆の方ですか?」
 そう振った瞬間に薄切りタンが到着して沸き立つ。お店の人が全て焼いてくれるシステムのようで、焼け具合やタレのことを一切考えなくていいのが楽だなという気持ちと人がずっと傍に立ってんのちょっと話しにくくてウザいなという気持ちが入り混じる。
「子供の学校の休校中は、思うように執筆ができなくて参ったね。ちょうどそのちょっと前に恋人ができたんだけど、やっぱり付き合い始めだからテンションもキープしたいしできる限り会いたいんだけど、子供はずっと家にいて。まだ一人で好き勝手に遊びに行ける歳でもないし、学校のサポートも満足になくて、子供の遊び相手して勉強教えて家事こなしながら、それだけでも一日が終わるのに彼女とのLINEもこまめに返しつつ、たまに親とかシッターを頼ってデートして、合間を縫って締め切りも守らなきゃいけない。子供の友達と父親と先生、彼氏と作家と、何役もこなしながら心臓発作が起きそうでした」
「すごいですね。あの休校期間中、もしうちの子が小さかったらって考えて私もゾッとしてました」
「でも、本来だったら色んな段階を経て、ってなってたかもしれないけど、常に心拍も早くて倒れそうになってたから、結局割とすぐ彼女と一緒に暮らし始めたんですよ。育児要員みたいに思われたりしたら嫌だなとか、色々考えたけど、もう本当に限界なんだって伝えたら、彼女も僕がヘトヘトになってたのは気づいてたけど、自分から一緒に住もうとは提案しづらかったみたいで。それでまあ、正直に腹を割って話して、三人で暮らすようになったんです」
「まあ、割と小さい子を持つシングルファザーと付き合う段階で、付き合い始めカップルみたいな甘い期間が持てないことは込みで納得してたんじゃないですか?」
「まあそうなんだけど。実際僕も久しぶりの恋愛楽しみたいっていうのもあったし、予想外に急速に関係が変わっていくのが寂しくもあって。でもそう、一緒に暮らし始めてしばらくした頃に天野さんのインタビューを読んだんだよ。あの記事、すごく良かったよ。天野さん、娘さん、それから天野さんの彼氏、皆の価値観とか思いがピシッと真っ直ぐあって、それらに寄り添う判断を三人皆が下して、新しい形を試し始めた。僕の場合は二人から三人暮らしへ、天野さんの場合は二人暮らしから二人暮らしへ、だったけど、実際コロナっていうものを加味した世界線で、かなり自然な形に落ち着いたと思うんだよ。家族以外の人と会うことが、これからどういう意味を持つようになっていくのかまだ分からない時期に、お互いいい道を選べたんじゃないかな」
「そう、かもしれないですね。私も彼と結婚なんて、二年前には本気では考えてなかった気がします。何となく子供が大学生になる頃まで付き合ってたら結婚するかもなとか、ぼんやり考えてはいたかもしれないけど。娘が自分であらゆる判断ができる歳まで、私が彼女を育て上げるんだろうと無条件に思い込んでたんです。色んな意味で過信してましたよね。まず自分がそこまで生きると信じていたし、娘も必ずそれまで生きると信じていたし、コロナなんてものに襲われる世界を想定もしていなかったし、娘も私と居たいだろうと信じていたけど、残ったのは娘じゃなくて彼氏だった」
「彼氏がいない、一生結婚できない人だっているんですよ」
「そんなこと言ったら何も言えません」
 私は張本さんを睨みつけて言う。でも確かに、誰かに求められて当然だという思いを私は人生のどこかのタイミングから持ち続けていたのかもしれない。持たざる者としてのメンタルを身につけて生きてきたと思っていたのに、いつの間にか何かを所有してしまって、いや所有していると幻想を抱いていたのかもしれない。
 塩のハツとハラミが焼かれ、その歯ごたえと内臓なのにみっちりと詰まった旨味に皆から唸り声が上がる。
 少しずつ、コロナ禍での趣味、という話題になって、私はコロナ禍でもライブと映画だけは通っている話、中津川さんが大して自炊をしているわけでもないのに包丁を研ぐのにハマり始めた話、吉岡さんが最近生ハムを買って毎日削って食べているという話をしたところで、張本さんの釣り話が炸裂し、釣りなんて行くような奴は大概妻子を残して夜釣りや遠征をする自己満野郎だろうという私の偏見は覆された。彼はほぼ週一で休日に深夜三時に夜釣りに出かけ、魚を釣って朝帰宅。家族の朝ごはんを用意すると、すぐには食べない魚を開いて塩水につけ干物にするためベランダでネットに入れて干し、夕飯用に煮物を作り、午後は子供達と公園に遊びに行き帰ったら下の子とお昼寝。夜には適したものがあれば釣った魚を捌いて刺身にし、魚フルコースを出しているという。
「彼女に干物と煮物とお刺身以外の調理法はないのかって挑発されて、最近燻製機を買ったんですよ」
 奥さんのことを彼女と呼んでいることにも、何となく安心した。最近の女性は皆そうだと思うけれど男の人が「嫁」「うちの人」「奥さん」「妻」などと呼ぶとざわざわするのだ。細君とかパートナーとかもまた違和感が強すぎて落ち着かない。マジで何かそろそろもっとしっくりくる呼び方を設定してもらわないと人とスムーズな会話ができない状況に日本語話者は陥っているような気がする。広告代理店はこの皆のモヤモヤを解消するような言葉を何かの案件にかこつけて大々的に提言したらいいのにそうすれば時代の先駆者かつ開拓者になれるのにと最近よく思う。二十年前には何とも思わなかった言葉が、少しずつ時代からずれていき、完全に時代から取り残されこぼれ落ちる瞬間を日々目の当たりにしているのだと思うと、言葉が少し硬めのアメーバのようなものに感じられてくる。デビュー当時、校閲から指摘が入るたびウザいなと思っていた「看護婦→看護師に?」「スチュワーデス→キャビンアテンダントに?」「保母→保育士に?」などの指摘も、今思えば至極当然のことで、私も今は使わないし口語として耳にするとそれだけで相手に対する不信感を強める。そうした生物としての言葉を使っているのだという自覚を持たなければならないと、ことあるごとに自分に言い聞かせると同時に、腐敗した言葉、エイジングされた言葉の良さもそぎ落とし過ぎないようにしたいとも思う。世の中には腐敗したもの臭いもの、皆が顔をしかめるような珍味が好きな人だっていて、朝取れフレッシュグリーンサラダ(中山さんの畑で丁寧に育てられました)のような物を頂点に置く人ばかりではないのだ。
「釣りが好きって言うとちょっとよく分かんないみたいなことよく言われますけど、釣りは本当にすごいんですよ。今この世の中、全てが管理されてるでしょ? ルールと相互監視の社会で、ちょっと手足がはみ出しただけで叩かれる。特にコロナ禍では行動が激しく制限されてるし、給料に見合った生活をして給料に見合った物しか買えない。そんな中で、自分の意思と予想だけを頼りに何かを得ることができるんです。それでそれを自分の意思と手で捌いて、調理法を決めて食すことまでできてしまう。釣りっていうのは、全てが管理されて給料という自分の取り分が決まっていて、このレベルの生活、このレベルの学校、このレベルの会社、みたいなプリフィクスの人生から一時的に逸脱できる瞬間なんです。純粋な個に戻って、弱肉強食の世界を垣間見て、また自分もそこで己と向き合う。人によってはスポーツとか陶芸とか、そういうものを通じて世界や己と向き合うっていう話もよく聞きますけど、釣りもまた世界と、自分と向き合い、よりよく知るためのツールなんです」
 ビール二杯の後にワインを飲み始めた張本さんの釣り論をふんふん聞きながら、タレに移行したシンシンが焼かれていくのを見つめる。本当にこの焼肉屋の料理は全てが美しい。尻尾を振って帰りを喜ぶ犬や、リモワを邪魔する猫、氷を抱っこするラッコとか、愛すべき黒目の大きなものたちに抱く「食べてしまいたい」という気持ちを私はこの店の全ての肉たちに抱いていて、その思いがこのコースの間成就し続けているのだと思うと恐ろしくさえあった。
 ちょっと前に読んだSF小説で、昔の人は肉を食べていたっていうけど、全くどうしてそんなことができたんだろうと未来人たちが悍ましがるシーンがあった。でもよく考えてみれば、やはり悍ましいのだ。生き物を殺して食べるなんて、ここまで人権問題や動物愛護が進んだ世の中ではあまりに時代にそぐわないのではと最近頓に思う。動物が殺されるシーンを一瞬も想像もしないまま肉にかぶりつく、思考停止して生き物を食べる私たちは、動物を食べなくなった時代の未来人から野蛮人扱いをされ「全く理解できない」存在となるだろう。そしてその時代には肉と同等か、それ以上に美味しく栄養的にも優れた肉的なるものが開発されているのかもしれない。
 人類の変化について、時代の変化と連動する人々の価値観や倫理の変化について、コロナのこともあって最近考えずにはいられない。正しさが変わっていくというのは、その正しさを身につけ損ねている可能性と隣り合わせで生きるということで、それは背筋が凍るほど恐ろしいことだ。でも、どうして私は遊ぶように生きられないのだろう。なぜいつも怖がり、ゾッとしてばかりいるのだろう。不自由さを内包し続けるばかりで、自由の翼でどこまでも飛んでいくことができないのだろう。
 シャトーブリアンが一瞬網に置かれてほぼ炙りのような状態で、半分赤いままなぜかぐるぐる巻かれて出てきた。言われた通りタレをつけずそのまま一口食べあまりの美味しさに立ち上がりそうになり、二口目でタレをつけて食べたら分かっていたはずなのにまた立ち上がりそうになった。かなりサシが入っているけど、信じられないほど後味がさっぱりしている。赤身肉を好み、脂多めの肉が苦手な蒼葉にこんな肉もあるんだよ! と食べさせてやりたくなる。焼きしゃぶ一枚を経て、とうとう焼き物が終わったかと思うと、次はすき焼きが始まった。割下をさっと潜ったほぼ赤いままの肉と黄身、そしてスライスされたトリュフがふんだんにかけられ、終盤にきてのコッテリにさすがに胃が限界を迎えていることを知る。もし良ければ残った卵にほんの少量ご飯を加えて卵かけご飯にもできますよと言われ、さすがにそんな気になれなかったけれどトリュフ卵は飲み干した。
 三十年前くらいに旺志社の担当が月一で日本全国のすき焼きの名店に連れて行ってくれていて、今も忘れられないお店がいくつかあるという今では信じられない話を吉岡さんがして皆からため息が漏れる。年配の編集者なんかからはもっとえげつない、まさにバブルの頃イタリアの三つ星レストランでロマネコンティだとか、ファーストクラスでパリに行き作家のブランド品爆買いに付き合って荷物持ちをしただの、そこにとてつもない金が循環していたことがよく分かるエピソードを聞いたこともある。その頃と比べると今の出版業界は随分地味になった。爆売れする作品もあるけれど、一昔前のように出す本出す本ベストセラーという作家はほとんどいないし、全体的に本の売り上げは落ち込んでいるし、割とぎらついた編集者や出版ゴロなんかが蔓延っていた文学パーティなんかも、今は品行方正な人々とノリで行われる。そういうところで目立っていた編集者や作家なんかが、病気を機にお酒を止めただの、大きな病気で入院しているなどと聞くと時代の変化を痛感するし、いずれは自分の病気が風の噂として誰かの耳に入るような未来が訪れるのだろうと思うと、いくら干渉されたくないと言っても少しお酒を減らした方がいいと時々本気で掛け合ってくる蒼葉の言葉も少しは聞き入れようかなという気になってくる。
 昔文化部の新聞記者から聞いた、「割と多くの時間を、死にそうな文化人の訃報を書くことに使っている」という嫌な話を思い出す。八十歳を超えたら書くとかですかと聞くと、そんなに年配でない人でも噂で癌になったとか、闘病してるって話が入ってくると、とりあえず書いておきますねと答えが返ってきて私は眉間に皺を寄せた。こんな、有名人の訃報がニュースアプリの通知なんかで入る時代でも、新聞の訃報は大事なんですかと嫌な思いをさせないよう言葉に気をつけつつ聞くと、まあ他の新聞が書いてるのに自分のとこだけ落とすわけにはいかないってことなんでしょうねと、彼は自嘲的に笑った。そういえば数ヶ月前、あの彼から新聞社を辞めてライターになりますというメールがあった。会社に勤めている人に対して抱く「この人は色々なものに縛られている人だ」という思いが私の中にはぼんやりとあって、私よりも縛られていた人が私よりも縛られない人生をこれから送るのだと思うと、少しモヤっとした。私はどうしても、自分が小説を書く以外の仕事ができるとは思えないのだ。自分には転職という道が閉ざされていると私はどこかで思い込んでいて、だから会社の規則に縛られない代わりに福利厚生の恩恵も受けずに書き続けてきた自分が、少し惨めに感じるのだ。内定をもらった会社の中からどれにしようかうんうん悩んでいた蒼葉に、いつか転職してもいいんだし、今は目の前に道が複数あることの幸福を大切にしなよと軽口を叩いて、志絵がやってるのは志絵にしかできない仕事だけど、自分はいくらでも替えがきくからねと言われて静かに衝撃を受けたのを思い出す。私にしかできないからやっているのではなく、これしかできないからやっているのだ。会社の誰が死んでも会社は回るように、私だって締め切り直前に死ねば誰かの原稿が代わりに載るのだ。クリエイティブな仕事だからと神聖視しないでもらいたい。どんなに有名な作家やアーティストが死んでも世界は回り、代替不可能な人間などいないのだということを日々痛感し続けている。尊敬している作家、愛読している作家、ほとんど信仰心に近い思いを抱えている作家もいるけれど、そのうちの誰が死んでも私はさほど悲しくない。そもそもその作家たちのほとんどがすでに死んでいる作家だし、これから死にゆく作家もそのリストに入るだけで、もう新しい本は読めないのだとは思うけれど、彼らへの気持ちは一切変わらない。しかも長年読み続けている作家の小説は、突き詰めると「同じことを書き続けている」ことが多く、愛読者の方も必ずしも「これはこれまでとは全然違う!」という小説を求めているわけではないのだと私は自分の読書遍歴から痛感してきた。その上結局クリエイトとは一方的な作業で、仕事の上で人に会うことはあっても基本的には一人で完結した行為で、発表したらしたで好き勝手に批評や分析をされたり、誰とも関わらないのに一方的に尊敬されたり、毛嫌いされたり、SNSで罵詈雑言を浴びせられたりする、著者自身の生死はさほど関係ない、概念のような存在なのだ。もちろん私はそのあらゆる概念に救われ勇気づけられ生き延びてきたけれど、誰かと何かを成し遂げたり、誰かと何かを継続したり、誰かと物理的に寄り添いながら社会活動をすることに、憧れと自分がそこには存在し得なかったという羨みを抱いてもいるのだ。例えば雑誌編集部で毎号校了を迎えるたび全員でご飯を食べに行くとか、コロナ禍では大人数でご飯に行きづらいから手分けして有名店のテイクアウェイを調達して会議室で打ち上げをするとか、そういう話を聞くと私は自分が一人で砂漠に取り残され乾涸びたサボテンのような気がするし、これから蒼葉も同じ会社の人たちと企画やプレゼンやプロジェクトを切り盛りして成功させたり失敗して悔しさを分かち合ったりしていくのだと思うと、それだけで自分はもはや墓石のような存在に感じられる。でもそんなの、それを日常としている人々からしたら、個人で仕事をする人たちの幻想と思われるかもしれないけれど。
「そういえば、天野さんの旦那さんは就職先決まったの?」
 ちょっと前に吉岡さんからトークショーよろしくね的なLINEがきてやり取りをした時、結婚した話や彼が就活を終え就職先で悩んでいる話をしていたのを思い出し、決まりましたよと微笑む。
「家電メーカーにしました。最初からマーケティングにいけるっていうのと、大手だから転職に有利なのと、有給取得率と平均残業時間を検討して風通しが良さそうという理由で。私は総合商社を推してたんですけどね」
「なんで総合商社じゃなくてメーカーにしたんですか?」
「まあ、有給取得が少なくて、残業時間が多かったからですね。元社員のコメントでも、給料はいいけど、睡眠時間削ってガツガツ仕事をしたい人向けの会社っていう意見が多かったので、こんな会社で俺が生存競争に勝てると思う? って言われて、確かに彼は絶対に八時間寝たいし絶対に残業したくないタイプなので、もし入ったとしたら自分のペースを保てなくなるだろうし、自分のペースを保てなくなることに対して耐性がなさすぎるので、無理だろうなとは思いました」
「まあ、商社もメーカーも九時五時とかですもんね。そう思うと就職の意味が僕らとは全く違いますよね」
 中津川さんの言葉に、張本さんが大きく頷く。編集者という仕事に就くことで自分たちが享受しているものを、編集部を行ったり来たりしている彼らは忘れがちだ。とはいえもちろん、漫画やファッション誌の編集部なんかはもっと時間的にも縛られるのだろうが。
「最近の若い人は、ゆとりとかさとりとか言われるけど、自分のことをよく知ってる感じがするよね。自分にできることとできないことを分かってて、無理はある程度してるんだろうけど、これ以上は無理って上限値が分かってる感じっていうか。昔は頑張って頑張って潰れていったり壊れていったりする若手の編集者がたまにいたんだけど、最近は潰れたり、壊れたりする前に無理ですって、傲慢な感じだったり、申し訳なさそうな感じだったりそれぞれだけど、事前に言ってくれる人が多い気がする」
 最近の若いもの批判をするのかと思ったら、張本さんは穏やかな表情で言う。一昔前の編集者は自分たちの価値観を信じて疑わないタイプの人が多かったが、最近は柔軟に上からも下からも外からも学び続けるタイプの編集者が多いようにも感じるのは、やはり時代の変化によって他者との共存という課題を与えられているからだろうか。そのせいで、たまに時代にそぐわないタイプの作家や編集者に出会うと「すごく古い小説を読んでいる時の気分」を味わうことがある。この感じ、誰々の何々に出てきたあのシーンみたいだな、と思いながら、「古き良き」と「老害」の両面を感じる。私も新しいニュートラルさの方に惹かれてしまうけれど、それを醒めた目で見つめたり外面だけは普通に装いつつも「老害ww」と心の中で嘲る人たちにもう少し「古き良き」を伝えられたらいいのになと思わざるを得ない。でも結局、これからの時代を生きていく身としては、何にせよ自分たちだけの価値観とルールを採用しているのは愚かだという結論に達してしまう。今の若者は可哀想だ、こんな貧しくなった国で最盛期を送るなんて。などとバブル世代の人に言われたことがあるが、格差問題はあらゆる先進国で問題になっているし別に国から出たい人は出ていけるし国によっては永住権も取れるし最盛期ってなにいつのこと? 人によって最盛期違くない? と怒りが湧いたが、あれは今の若者は、これからの日本を生きる子供は、と主語を変えながら、「こんなクソみたいな国(世界)で生きている俺が辛い」と主張しているに違いない。若者たちからしたら、「散々空疎な豪遊をして虚無に打ちひしがれる俺」的なバブルアイデンティティなんてそう魅力的ではないのだ。
「現代の若者は検索機能を手にしているので、自分を相対化して考えるのが得意なんだと思いますよ。私の世代なんかは、目の前にいる人や又聞きした話なんかから、手探りでしか世界を把握できなかったけど、今の若い世代は世界中の人の話を聞けて、望めばかなり多くの人と対話することもできて、自分と照らし合わせることができる。だから自分を知っているように見えるんじゃないですかね。もちろんそのインターネットを介したコミュニケーションがパズル枠のように意外と狭い限界を持っているということも含めての話ですし、それで自分を知った気になることが正しいのかどうかは別の話ですけど」
 なんとなく、こうしてあらゆる布石を打つ自分が言葉に縛られ見えない網に捉えられているような気がして苛立つけれど、吉岡さんと中津川さんがすぐに「リモート打ち合わせやリモート取材の空虚さとつまらなさとそれでも大切にされる安全さ」について腐したように話し出して私は口を噤む。リモートの利点と欠点、いやそんなお題ではなく、人間関係なんてリモートでいいと言う蒼葉に食ってかかって喧嘩をふっかけた自分の行為を思い出さざるを得なかった。あの時は、俺はお前とは全く違う人間だと宣言されたような気分でもあって、私としては吉岡さん張本さん中津川さん、それ以外でも顔を合わせる編集者やライター、あるいは吾郎や直人だって話せば「だよね」と一瞬で合意を得て盛り上がる話を「何それ全然意味わかんない」と切り捨てられたような気がした瞬間でもあったのだ。私は誰よりも人との関わりを最低限にして生きてきた人だと自分のことを思っていたけれど、蒼葉は私なんかの比ではないくらい、人との関わりを求めていないのだ。リモート打ち合わせの相手がペッパーくんであっても伝えたい、知りたい内容さえやり取りできれば構わないといったレベルの人間を求めなさなのだ。そしてそれは蒼葉が言っていたように、本当に彼がペッパーくんとペッパーくんの会話みたいな感じで人と話しているからなのかもしれない。彼にはどこか、本質的な話を避けているような、あるいは本質的な話などというものの存在自体を信じていないような、あるいは彼自身に本質というものなどないかのような空疎さを感じる。彼は実際、リモートの世界で事足りているしそれ以上の人との関わりを全く求めていないのだ。私と彼との差は、もはや想像力では埋まらないのかもしれない。
「私、この間Zoomで打ち合わせして、スムースのタイアップの打ち合わせだったんですけど、企画を転送してくれた旺志社の担当と、スムースの企画担当者と、スムースの社内デザイナーの四人で話して、私旺志社の担当の顔を見るのがもう二年ぶりで、気分的にはうわあ久しぶり! だったんですけどスムースとはお初だったのでZoomに入った順番もあって向こうの自己紹介が始まってしまって、打ち合わせは形式的な挨拶から、四人ともそれなりに質問や説明を繰り返して、事務的な確認も滞りなく進んで、ではお疲れ様でしたって言い合いになって、私が一番気を使われる立場だったから私が一番に退室しないと誰も切れない状態だったんで、一番に退室したんです。つまり、旺志社の担当とは直接一言も言葉を交わさないまま終わったんですよ。二年ぶりに顔を合わせた担当と作家がですよ、元気でしたー? の一言もなく終わったんですよ。これって私がリモート慣れしてないのが原因なんですかね?」
 私の素朴な疑問に、三人が一斉に「そんなことないよリモートはほんと必要なことしか話せない」と言い切る。取材の時は一対一が多く、相手の質問に答える立場だからそんなに気にならなかったし、大人数の時はあまり喋る必要性のない打ち合わせばかりだったから気にしなかったけれど、一対一でも大人数でもなく、誰もミュートにしない四人という人数がリモートの難しさを浮き彫りにしたのかもしれない。なんだかんだ、結構気心のしれている友達であっても大して楽しくねえなというのが今の所リモート飲みの結論だ。
「リモート飲み会とか、飲み会の良さが七割減ですよね」
 しみじみ言うと、中津川さんがどうしてなんでしょうねと不思議そうに呟く。
「まず、人間は意外と、目の前にあるものの話をしてるんだよね」
 吉岡さんがもっともらしいことを言って、おお、と思う。確かにここに来てから、私たちは趣味の話や出版業界の現状、コロナ禍での文学賞選考会とパーティの在り方、若者の在り方の変化についてなど色々な話をしてきたが、それらが赤身だとしたら、ものすごく細かく入ったサシのように「ジョッキがキンキンだ」とか「次赤と白どっちがいいですか?」とか「冷製三種にユッケが入ってるとは……」とか「シルクロースってどこの部位ですかね?」とか「ほら包丁研ぎダコができたんですよ」などと、目の前にあるものの話が差し込まれていたのだ。そして、その何気ない言葉から、皆の頭の中で新しい話題が枝葉として伸びてゆき思いがけないような育ち方をしたりするものなのだ。
「あと、オンラインの微妙なタイムラグと電波の悪さが、一言でも聞き漏らしたら分からなくなるような複雑な話とか、絶妙な間を必要とする情緒のある話なんかを無意識的に遠ざける。つまり現状のリモート飲みでは、答えが欲しい相談だったり、何かへの愚痴や賞賛とか、同調か反対か、みたいな一か百かといった極端な話が生じやすい。でも大人は分かりやすい勧善懲悪の物語を楽しめないように、そんな極端な話を面白いと思えない」
 確かに、これまでの取材の経験を踏まえても、もちろんライターによって違うからなんとも言えないけれど、圧倒的にリモートよりも対面の方が深いところにまで切り込んでいるような気がしていた。例えば相手に対してこれを聞くかどうか悩むような質問が取材の中で浮上してきたとして、ややもすれば失礼にあたるかもしれないその質問を口にするかどうかを左右するのは取材対象者のちょっとした仕草や、語尾の温度だったりするのかもしれない。リモートは解像度が低いのだ。相手のことがよく見えないし、こっちから見えないのならば向こうからも見えていないだろうからと、自分のことを分かりやすく表現しようとしてしまう。結局その削ぎ落とされてしまうものこそが重要であると考える人は、リモートが苦手なのだ。「我々はかつてそんなに細かいことを気にする生き物だったのか?」人に会うことがなくなった未来人はそう笑い、そんな人間に生まれなくて良かったと胸を撫で下ろすだろうか。そうかもしれない。私だってこんな削ぎ落とされたものを捜し回るような人間に、生まれたくて生まれた訳じゃない。蒼葉から見えている大雑把な世界が見えない。私たちは別の世界に生きている。それが不安だった。
 デザートはほうじ茶かき氷で、もう入らないと思っていたけれど、さすがに元は水なので脂っぽい口の中を洗い流すようにしてザクザク食べ進められてしまう。そもそも普通に飲む時も外で飲む時は自分のペースを少し超えたペースで飲んでしまう悪癖があるのに、久しぶりの外飲みだから美味しいお酒を色々飲みたいという気持ちが相まって、意外なほど酔っ払っていた。

 長い時間を過ごしたような気がしていたけれど店を出たのは十二時で、もう一軒くらい行きたいけどねと口々に言って中津川さんと張本さんが何軒か近くの店に電話したけれどどこもやっていなくて諦めてお開きにすることにした。吉岡さんにお疲れ様でしたまた飲みましょうと手を振り、中津川さんとタクシーに乗り込む。またがいつになるのか、普段吉岡さんとは一年に一度程度しか会わないけれど、今回はほとんど二年ぶりだった。コロナ前、半年に一回か一年に一回くらいのペースで不定期に会っていた人たちが、今もっとも会わない層となっている。また今度と思っていたら、今日の四人のうち誰かが唐突に死ぬかもしれない。コロナという危機に瀕しているせいか、そんなことを考える。そんなの、コロナ前だってそうだったのにも拘わらず。
「そう言えば、新連載の原稿ありがとうございました。すごく良かったです。主人公の瑞々しさとあのコロナ禍の倦んだ雰囲気が、最初は違和感あるんじゃないかなって思ってたけど、少しずつ馴染んできてあの空気感は小説にしか出せないものなんじゃないかなって、すごく危ない橋を渡りながら成功している気がしました」
「そういう言い方やめてください。私そういうことを言われると書いている時に危ない橋を渡っている気がしてしまうんです」
 ははっと笑って、中津川さんは真っ直ぐ前を見つめる。さっきまで四つの顔が剥き出しで向き合っていたのが信じられない。運転手も私も中津川さんもしっかり鼻の上までマスクをしていて、その表情は読めない。
「一昨年、やっぱり吉岡さんとトークショーで一緒になって、終了後に皆で飲みに行ったんです。たしか、十人ちょっとだったかな。その時の記憶が今日飲みながら蘇ったんです。私たち、マスクとか外食自粛とか、色々なものを課せられてきたけど、それ以上に話す内容が変わったなって思って。あの時はもっと、皆が少し浮ついた感じだった。マズロー的にいえば結構頂点にいたんじゃないかなって。今の私たちはより、生きることとか、人と関わることの本質に直面してる気がするっていうか」
「皆が感染の危険を冒して集ってるからですかね。僕も、彼女との関係がちょっと変わったなって思ってるんです。コロナ禍でヨリを戻した時ほど、彼女を近く感じたことはなかった。家族かそれ以上に気を許して、受け入れられたんだって。皆つまり、本気度を試されてる時なのかもしれませんね」
 コロナ禍があまりに退屈で暇つぶしに手を伸ばされただけとも思えそうな状況なのに、中津川さんの楽観的な見解に少し笑って、良かったですねと呟く。長引く緊急事態宣言にうんざりしたように、コロナ禍に倦んできたという言い方をするけれど、実際にはコロナ前に私たちは行き着くところまで倦んでいて、今のコロナの倦みはまだ道半ばに思える。私たちはどんどん感染力を増し、致死率を高め続けるウイルスの傍で、これからも試され続けていくだろう。

illustration maegamimami

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連載【デクリネゾン】
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金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『アタラクシア』『パリの砂漠、東京の蜃気楼』『fishy』 等がある。『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」連載中。

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