第12話 汚辱にまみれて生きられない|宇野常寛「水曜日は働かない」
見出し画像

第12話 汚辱にまみれて生きられない|宇野常寛「水曜日は働かない」

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

 気づいたときは既に手遅れだった。それも、決定的に。その日の朝、僕と友人T氏はいつものように高田馬場のカフェに集合した。僕たちは毎週そこでブレンドコーヒーを一杯飲みながら、前の水曜日から今日まで何があったかを報告し合う。そして、30分ほど経ったところで、そろそろ走ろうと腰を上げる。ただ、この日は少しだけ、違った。その店はちょうどそのころ、夏に向けてメニューの衣替えをしたばかりで、レジの前には「おすすめメニュー」として小松菜バナナスムージーのポスターが張り出されていた。僕はこの種のスムージーが大好物で、そうか、今年もこの季節になったんだなと思いながらウキウキと注文した。久しぶりに口にするこのお店の小松菜バナナスムージーはツンと冷たくて、そしてちょっと甘すぎて、朝の目覚めには結果的にちょうどいい塩梅だった。これはいいランニングになる。そんな予感がした。

 軽く準備運動をして、僕たちは走り始めた。と、いっても実際に自分の足で走っているのは僕だけであり、T氏は自転車で並走しているだけだ。近所の公園から出発して、明治通りを南下して新宿を通り過ぎる。北参道の交差点を東側に曲がって、あのいわくつきの新国立競技場の前で引き返し、往復10キロメートルを走るのがいつものコースだ。その間、僕たちはさまざまなことを話した。最近T氏が習い始めたヨガのこと、『スーパーカブ』というアニメの主人公が急に同級生相手にマウントを取り始めたこと、陰謀論を信じる人々の実存が何を求めているのかという問題……。僕たちのランニングはこうしてさまざまな話題を経由して、いつも最終的にはこのあと早めの昼食をどこで摂るべきかという議論にたどり着く。行程としては、だいたいの場合は復路の途中、残り2.5キロメートルの地点の付近でこの話題になることが多い。ちなみに僕はその日、どうしても回転寿司屋に行きたいと考えていた。しかし、T氏がこの提案を嫌がることは想像がついていた。このとき都内は既に2度目の緊急事態宣言下にあり、多くの飲食店が東京都の要請でアルコールの提供を自粛していた。そして、アルコール抜きで寿司を食べることは蛮行に等しいというのが以前からのT氏の主張であり、僕には彼のこの主張を覆す算段はついていなかった。しかし今思えば、それは幸福な悩みだった。その後に僕を襲う危機的な状況と比べた場合、そのような次元で悩むこと自体が平和と安定の証左であり、平時の思考だった。

 それは、突然襲ってきた。ちょうど新宿三丁目の交差点を渡っていたときのことだった。僕は先日、ランニングの帰りに伊勢丹の地下1階の食品売り場で昼食用の弁当を買おうとしたところ、人の多さに閉口したということを話して、T氏はそれに「死ぬことの唯一の利点は、二度と人に会わずに済むことです」と答えた。そして、彼のリリカルな感性に軽く感銘を受けたそのとき、僕は猛烈な腹痛に襲われていた。原因は分からなかった。今朝飲んだ小松菜バナナスムージーかもしれないし、昨晩風呂上がりに食べた夏みかんかもしれないし、そのさらに数時間前に食べたひじきたっぷりのサラダそばかもしれなかったし、何かもっと別のものかもしれなかった。しかし、原因の探求などそのときの僕にはまったく価値があるものではなかった。僕がこのとき必要としていたのはすぐに駆け込めるトイレ、それだけだった。

 そして不幸なことにそこは新宿であった。読者の多くは、都心なら少し走ればコンビニエンスストアが点在しているはずで、そこでトイレを借りればいい、そう考えるはずだ。しかしそれは魔界都市〈新宿〉を過小評価している。国内有数の治安の悪さを誇るこの新宿──特に歌舞伎町を擁する東口のエリア──のコンビニエンスストアは防犯上の観点からトイレの貸出しを行っていないのだ。僕は下腹部の苦痛に全力で耐えながら、同時にその頭脳も全力で回転させていた。コンビニエンスストア以外で、駆け込めるトイレでもっとも近い場所はどこか、と。そして僕は一つの結論にたどり着いた。花園神社の境内には公衆トイレがあったはずだった。いま、明治通りの伊勢丹の真横を通りすぎた僕たちにとって、そこは目と鼻の先だった。僕はT氏に自分が置かれた状況について手短に告げると、一目散に花園神社の境内に駆け込んでいった。しかし、この判断は誤りだった。残酷にも僕が駆け込もうと思っていた神社の境内のトイレの入口には「閉鎖中」の張り紙があり、そしてご丁寧に封鎖用のチェーンまでかけられていた。僕は常日頃から神仏の加護を必要としないことをモットーに生きていて、御朱印集めに凝っていた一時期を除けばほとんど参拝というものをしたことがなかった。しかしこのときは流石に神罰が下ったような気がした。僕は絶望した。

 そしてその絶望の中で、僕の中にある記憶が蘇ってきた。それは2年ほど前のことだった。その日の朝、僕は韓国のソウルの街を走っていた。前日にマンガやアニメ、ゲームといった日本のサブカルチャーについての講演と、いくつかの雑誌取材やトークイベントへの出席を過密なスケジュールでこなした僕は、その日の午後には別の仕事の関係で帰国しなければならなかった。はじめて訪れたソウルの街をほとんど観光することができなかった僕は、せめてこの街を走ることで体感しようと考えて早起きして走りに出た。しかしこのときも、5キロほどの短いランニングの後半で急激な腹痛に襲われた。前日の夜に辛いものが苦手なのにせっかくだからと思って食べた真っ赤な韓国料理の類が原因だったのではないかと思っているが、真相は不明のままだ。僕はまず目についたコンビニエンスストアに駆け込んで、大学生くらいの年齢に見える女子の店員に向かって「Please lend me a toilet」と叫んだ。彼女はキョトンとしたが、僕の蒼白な顔を見ておおよその状況を把握したらしく、無言でバックヤードにいざない、そこから店外に設置されたプレハブづくりのトイレに案内してくれた。こうして、僕は異国の地で九死に一生を得た。しかしそれは第1波に過ぎなかった。再び走り始めた僕は、宿泊しているホテルの1キロほど手前で、2度目の腹痛に襲われた。今度こそダメだと思ったが、そのとき目の前に小さなホテルがあった。僕は夢中でそこに飛び込んだ。フロントには線の細い、色白な若い男性がいて、僕はそのホテルマンに向かってさっきとまったく同じ片言の英語を叫んでいた。
 間一髪で、僕は救われた。異国の地で、生き延びることに成功した。あらゆることに決着をつけ、奥のトイレからロビーに帰還した僕はフロントの若いホテルマンに「Thank you」とおそらくは自分でも信じられないくらい屈託のない笑顔で告げた。彼もにこやかに笑っていた。そして飛び込んだときはまったく気づかなかったが、そのロビーにはアラブからの旅行客だと思われる家族が出発の準備をしていた。おそらく、いくつかの部屋に分かれて泊まっていた家族が、出発前にフロントで待ち合わせているところのようだった。そして、僕はそこでムスリムの老人と目が合った。白くて、チリチリしたひげを20センチほど生やした男性だった。年齢はたぶん、70代だと思う。僕がここに飛び込んできてからの一部始終を見守っていたであろう彼は僕と目が合うと微笑んで、無言でうなずいた。「大事に至らなくて、本当に良かった──」彼の目はそう語っていた。おそらくは激動の20世紀史を、艱難辛苦を乗り越え生き延びてきたであろう彼の瞳が、僕の危機を見守ってくれていたのだなと思った。「神の加護のあらんことを──」僕は心の中でそう唱え、老人にうなずき返すと再び走り始めた。

 だから僕は、ここで諦めるわけにはいかなかった。ここで諦めたら、僕はソウルで出会ったあの老人の気持ちを裏切ることになる。僕は最後の思考力を振り絞って、付近の町並みを思い出した。少し遠いが、東新宿の相鉄フレッサインのロビーのトイレを借りることは可能なはずだった。そこのトイレを保険に、全力で明治通りを北上し、それ以外になにか目に付けばとりあえずそこに飛び込む。そう算段をつけて、僕は走り出した。僕がたどり着くのが早いか、それともすべてが決壊するのが早いか。それは僕の最後の賭けのようなものだった。僕は死を覚悟して、明治通りに再び飛び出した。すると、すぐそこにベローチェがあった。僕の人生を賭した闘いは、あっさりと終わった。

 こうして、ランナーとしての僕が迎えた過去最大の危機は回避された。心配していたT氏も、ほっと胸をなでおろしていた。僕たちは高田馬場に戻るために再び走り始めた。話題は少し遅れたがいつものように、この後の昼食のメニューをどうするかというものに移行していった。T氏は案の定、アルコール抜きで寿司を食べるのは拷問であるという持論を展開していった。僕はどうにかT氏の論理の穴を見つけて反駁を試みようとした。しかし、その思考に僕は集中できなかった。

 たしかに僕はこのとき危機を回避したことに安心していた。しかしその一方でこうも考えていたのだ。もしあのとき、間に合わずにすべてが決壊していたら、どうなっていただろうか、と。おそらく僕は明治通りと靖国通りの交差点あたりで倒れ、そして想像を絶するレベルの惨めな姿をT氏と大衆の前に晒していたことだろう。その恥辱と汚辱は、僕の社会的生命を絶つレベルのものに達していただろう。そして僕は思った。もしこのレベルの決定的な恥辱と汚辱にまみれてしまったら、自分は変われたかもしれない、と。いや、変わらざるを得なかったはずだ、と。たしかに僕は危機を回避した。そのことによって社会的生命と、市民として尊重すべき公衆衛生とを守りきった。しかしそのために僕は、自分が決定的に変化する、これまでとはまったく違うなにかに変身する機会を逸してしまったのではないか……そんな思考がこのときの僕を支配していたのだ。

 T氏にこの考えを話すと、「いや、それは僕が気まずいのでやめてください」とあっさりと返された。それどころか「宇野さん、少し疲れているんじゃないですか?」と心配された。T氏の回答が不満だったので、僕は後日個人的に参加しているある勉強会の席でそのことを話した。その勉強会には「チェックイン」と呼ばれる儀式がある。会のはじめに、数十人が参加する勉強会を数人のグループに分けて、近況を報告したりその会に臨む意気込みや目標をシェアするのだ。そのチェックインで、僕は一連のことを手短に話した。すると、完全にドン引きされた。いや、もちろん僕もこのような感情が広く共感を得るとは思っていなかった。しかし何人かの集まりで話したら1人くらいは共感してくれたり、共感してくれないまでも知的な興味をそそられて食いついてきたりしてもらえるのではないかと考えていたのだが、全員がドン引きしているのがZoomの画面越しですら伝わってきた。メンバーのうち、僕が特に尊敬している某氏──某外資系大手コンサルティンググループで、グローバルの経営メンバーとしてアジアのテクノロジーグループを統括し、その後は大臣補佐官としてIoT・AIの社会実装の政策立案と実行に従事していたこともある人物──は「すげぇな」と苦笑していた。完全に、完全に僕は失敗していた。僕は自分で思っているよりも、孤独な人間だった。

 この勉強会のチェックインは、なぜか各グループでシェアした話を、もう一度全員が集まって1人ずつ話すというルールになっている。だから結構時間がかかる。そして僕はこの間に、さっき数人に話してドン引きされた僕の内面の葛藤の告白を再度シェアするべきかどうか悩んだ。ここで僕が、この内面の葛藤の告白をシェアすることをためらったら、また同じことを繰り返してしまうのではないかと。そして僕は確信した。ここで、仲間たちにドン引きされることを恐れている自分は、あの日路上に倒れることを受け入れることのできなかった自分でもあるのだと。そこで、恥辱と汚辱にまみれることを恐れていては、自分は一生変わることはできないのだ、と。
 そして、気がつけばチェックインは進行し、僕の番が回ってきた。僕は深く息を吸い込んで、そして手元にあった本を取り出してZoomの画面に向けて話し始めた。「先日、西條剛央さんの出版した『クライシスマネジメントの本質』という本を読んだのですが、とても示唆に富んでいました。これは東日本大震災の津波被害で多くの犠牲者を出した大川小学校の事故を再検証したもので……」

 僕は小賢しい嘘をついて、自分を守った。僕は結局、変わることを恐れていた。そして恥辱と汚辱にまみれては生きられない人間だった。

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

連載【水曜日は働かない】
毎月1回・水曜日更新

宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。 著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(朝日新聞出版)。 石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)、『静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話』(河出書房新社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)など多数。 企画・編集参加に「思想地図 vol.4」(NHK出版)、「朝日ジャーナル 日本破壊計画」(朝日新聞出版)など。 立教大学社会学部兼任講師も務める。
Twitter:@wakusei2nd

更新のお知らせなど、最新情報は編集部のTwitterで発信しています。ぜひフォローしてください!

うれしいです!
HB[エイチ・ビー]は、集英社グループの出版社・ホーム社の文芸サイトです。2017年11月にウェブサイトを立ち上げ、2020年にnoteへ引っ越しました。小説やエッセイを中心に、毎日をより楽しく過ごすための、さまざまなコンテンツをお届けします。