第9話 立ち食いそばしか食べていない|宇野常寛「水曜日は働かない」
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第9話 立ち食いそばしか食べていない|宇野常寛「水曜日は働かない」

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 僕は中学生のころから「そば」が好きで「うどん」か「そば」かを自由に選べるときはほぼ100%そばを選んできた。特に「うどん」が苦手なわけではないのだけれど、僕はこのころ「そば」の、特に冷たい水で〆た「そば」を豪快にすするときの、香りを食べているような感じがとても好きになった。だから、真冬でも「ひや」や「ざる」を頼むし、夏場はそうめんも冷や麦も冷やし中華も食べない。せっかく冷たい麺がいちばんおいしい季節なのに、そばを食べないという選択はあり得ないのだ。
 ただ、僕が好きなのは関東風の甘辛いつゆで食べるそばだったので、京都に住んでいたころは苦労した。僕は醤油の味よりだしの味が強い関西風のそばつゆにあまりなじめずに、京都に住んでいた7年間はほとんどそばを食べなかった。

 そもそも関西は東日本に住んでいる人が想像する以上にうどんが幅を利かせている世界だ。
 びっくりしたのは、定食屋で味噌汁やスープの代わりにうどんがついてくることだ。一瞬、何を書いているのか意味がわからない人も(東日本には)多いだろうけれど、これが真実だ。僕が最初に就職した会社は京都の烏丸御池という街の中心のオフィス街にあって、昼休みはその近くの洋食屋のランチによく出かけていた。名物はご主人自慢のポークソテーで、僕はときどきハンバーグやカキフライに浮気しながらも、ここのポークソテーを食べるのを楽しみにしていたのだけれど、ひとつ納得がいかないことがあった。それは、定食を注文したときに「スープにしますか、うどんにしますか」と尋ねられることだ。はじめて聞かれたときは、一瞬質問の意味がわからなかった。ようやく、定食についてくる「汁物」として「スープ」か「うどん」を選ぶことができるという意味だと推測して、いや、さすがにポークソテー定食を頼んでいるのだからうどんは頼まないでしょうとスープを選択したのだけど、僕と同じカウンターに座っていた昼休みのサラリーマンたちはほぼ全員「うどん」を選択していた。山盛りのライスが、すべての定食についてくるにもかかわらず、それがさも当然のような顔をしてほとんどの客が「うどん」を選択していた。


 その後、東京に移り住んだ僕はまるで失われたなにか大切なものを取り戻そうとするようにそばを食べ歩くようになった。いわゆる、ちょっとしたごちそうとしての「おいしいお店」にも出かけていったのだけれど、じつはそれとは別に、ある時期から立ち食いそばをよく食べるようになった。

 それは東京に移り住んで3年か、4年ほどが経ち、ようやくこの街に慣れてこの街の「土地勘」というものが身につきはじめたころだった。このころ、僕はよく夜に散歩するようになった。
 きっかけは、僕はいわゆる「飲み会」がすっかり嫌になって、3人以上でテーブルを囲むような席にはほとんど出なくなったことだった。その少し前から僕自身がお酒を飲むこと自体をやめていたので、誰かと会うときはほとんど1対1で、相手はたいていの場合お酒を飲んでいたけれど、僕は1滴も飲まずに朝まで話し込むことが多かった。
 ただ、ここでひとつ問題が発生した。僕は「居酒屋」が苦手で、ほとんど寄り付きたくないと思っていた。まだバーのほうが耐えられるのだけれど、どのみちお酒を前提にした空間は基本的には居づらいなと思っていた。
 そうなるとどうやって東京の夜の街で「あそぶ」のか。僕が考え出したひとつの答えが、夜の「散歩」だった。
 この時期僕は友人たちを誘って、夜の東京をひたすら歩いていた。東京の数少ないいいところのひとつが、都心なら概ねどんな街を歩いても深夜まで開いているお店がたくさんあるので、夜の道もそれなりに安全に歩けることだ。僕は人混みが苦手で、休日に繁華街に出ることはほとんどないのだけれど、平日の夜の街なら比較的気持ちよく歩けた。
 僕たちはコンビニエンスストアで飲み物を買いながら、よく歩いた。寄り道しながら歩いて、どこか途中でバーに入ることが多かったけれど、気持ちのいい夏場の夜などは遠くまで足を延ばしてみることもあった。都内が大雪に見舞われた日は、神社の境内で雪景色を楽しんだ。歩きながら話すと、お店で話し込んでいるときとは違った方向に話が弾むことが多くて、それが楽しかった。偶然目に入ったお店の看板や、たまたま道で見かけた大きな木をきっかけに、そこに足を運ばなければ絶対にはじまらなかった会話がはじまる。その面白さに、僕は夢中になった。

 休日の昼間や、誰も捕まらない夜はよくひとりで散歩していた。

 この散歩中によく食べていたのが、じつは「立ち食いそば」だった。
 僕は10代のころから押井守というアニメーションの監督のファンで、彼の作品には「立ち食いそば」がやたらといっぱい出てくる。当時僕が住んでいた北海道の帯広や函館という街にはあまりこの立ち食いそばがなくて(なぜか、北海道にはあまりないと思う)、僕はいつか他の街に移り住んだら、この立ち食いそばというものを食べてみたいと思うようになっていた。その後、僕は札幌で浪人生活を送ったあと大学への進学で京都に住むのだけれど、先程書いたように京都のそばはあまり僕の好みではなかった。
 気がついたら僕は30歳になっていて、いつの間にか会社も辞めて、好きなときに仕事をして、好きなときに食べて、好きなときに散歩に出ることのできる物書きになっていた。そして、僕はこのとき京都から東京に移り住んでいた。そして、散歩が趣味になったこのとき、僕はふと思い出し、立ち食いそばを食べ歩いてみようと思い立ったのだ。

 もちろん単純に味だけを考えたら、立ち食いそばは普通のそば屋のおいしいお店にかなわないことが多いと思う。でも、この「味」以外の部分にも、僕はこの「立ち食いそば」の魅力はあると思う。
 まず、立ち食いそばは「なんでもあり」だ。たいていの立ち食いそばではコロッケが「タネ」として選べるのだけれど、これはよく考えると変な話で、立ち食いそば以外で「コロッケそば」なんてものを聞いたことがない。今でこそ豚肉や牛肉を茹でて載せる「肉そば」も珍しくないのだけれど、立ち食いそばではかなり昔からあったように思う。
 要するに、ファストフードの一種である立ち食いそばは、安くて、速くて、そしておいしければ「なんでもあり」の世界なのだ。そして、僕はそこにすごく「自由」なものを感じていたのだ。

 他にも、立ち食いそばには普通のそば屋にはないよさがある。まず、僕はお酒を飲まないので、いわゆる「普通のそば屋」のお酒とそのつまみを何皿か食べたあとに、最後に「〆」としてそばを少しだけ食べる、というそばの「流儀」というものがどうにも合わない。僕は「そば」という麺そのものが好きなので、〆にちょこっとではなく、おかずはあまりいらないから思う存分、たっぷりとそばそのものを食べたいのだ。
 しかしそもそも江戸時代のころから、そば屋は今で言う居酒屋のような使われ方をし続けてきた。だから僕のこうした文句は筋違いといえば筋違いで、もともとそば屋とは「そういうもの」なのだ。
 その点、「立ち食いそば」は僕のようなそば好きにピッタリだ。誰かと話し込むためではなく、単に空腹を満たすために立ち寄り、出されたそばをお腹いっぱいに流し込んで、そして去る。この無駄なものが一切ないシステムのおかげで、僕たちは5分から10分の短い間、何者に邪魔されることもなく出されたそばに全力で向き合うことができる。この時間が、たまらなく僕は好きなのだ。


 さてこの時期、僕が毎週のように立ち食いそばを食べ歩いたときに、好きになったお店について書いておこう。
 新宿の「かめや」も、秋葉原の「あきば」もとてもおいしかったけれど、僕がいちばん気に入ったのは日本橋と銀座にある「よもだそば」だった。
 僕は当時、有楽町にあるニッポン放送で深夜ラジオの「オールナイトニッポン0」という番組を担当していたので、よく東京の東側に足を運んでいた。そこで見つけたのがこの「よもだそば」だった。普段は冷たいそばしか食べない僕だけれど、ここに来たときは温かいそばを頼むことが多い。そしてこのお店ではカロリーのことを忘れて必ずかき揚げをつけることに決めている。このお店のかき揚げは、ひとつの天ぷらに玉ねぎをまるまる1個使っていてとても大きい。
 いったい何カロリーあるのかわからないその塊を目にする度に罪悪感が胃のそこから湧き上がってくるのだけど、それは同時にたまらない幸福感でもある。そして玉ねぎの甘みと衣の油が染み込んだ出汁を飲み干したとき、圧倒的な後悔と満足感に引き裂かれるのだ。だが、ここで終わりじゃない。よもだそばの真価はむしろ名物のカレーライスによって発揮される。そこで手を出したら終わりだよと、脳内でもうひとりの僕がささやくのだけどやっぱりいつも、どうせここまで来たんだからと結局半カレーをつける。そばの出汁を使っているのだろうか? 単に辛いだけじゃないカレーは、ご飯が進む。一見、無粋な炭水化物の二乗に見えるのだけど、かき揚げそばとの相性も玉ねぎの甘みとスパイスの辛さで悪くない。

 番組が終わったこともあり、いまではあまり東京の東側に足を運ばなくなった僕だけれど、日本橋を通りかかるたびに「よもだそば」のことがつい、頭をよぎる。


 そしてもうひとつ、僕の立ち食いそばの食べ歩きを語る上で外せない店がある。「いわもとQ」――歌舞伎町、西池袋、そして高田馬場のさかえ通りなど、都内でもあまりガラの良くない場所ばかりを選んで出店する立ち食いそばである。

 僕と「いわもとQ」の関係は、かれこれ8年前にさかのぼる。友人たちと歌舞伎町のバーで話し込んだ(当然、僕だけお酒を飲んでいない)とき、ある友人に「宇野さん、歌舞伎町であそんだら「いわもとQ」を食べないとダメだよ」と連れて行かれたのだ。それが「いわもとQ」の歌舞伎町店だった。そして僕はその夜をきっかけに、この「いわもとQ」のそばに夢中になった。「いわもとQ」の魅力は自社開発の麺と揚げたての天ぷらだ。工場の製法とキッチンでの段取りを工夫してこのころの「いわもとQ」は立ち食いそばとしては異例の新鮮なそばと、注文を受けてから短時間で揚げる天ぷらを提供していた。プロのつくったつくりおきよりも、素人のつくったつくりたてのそばのほうが美味い――とにかく速く、「できたて」を提供するしくみでつくられたそばこそが、いちばん「安い割においしい」そばになる。それが「いわもとQ」を運営する会社の創業社長・岩本浩治さんの考えだ。
 なんで、僕がこんなことを知っているのかと言うと、それはこの「いわもとQ」にすっかりハマった僕は、それからしばらくして自分の会社で発行しているメールマガジンで彼に取材を申し込んで、インタビューしたからだ。世の中には、お気に入りのお店に何度も通う人がたくさんいると思うけれど、ここまでやって味の秘密を探り出す人は、そうそういないと思う。
 当時担当していたラジオ番組でも、僕はこの「いわもとQ」について何度か取り上げたことがあった。一度がっつり話したときには、その週の売上げが普段より5万円ほど微妙に上がったりしたこともあったらしい(これも、社長の岩本さんから聞いた)。
 そして、ここまで通っておきながら、そして社長とも顔なじみになりながら、神保町店開店の際には花まで贈っておきながら、僕は「いわもとQ」においてあくまでひとりの客であり続けた。当時僕が週に2回から3回の頻度で足を運んでいた高田馬場店や歌舞伎町店の店員の中には、明らかに僕を個体認識していた人がいたと思う。しかし彼らは僕が誰であるかなどまったく気にしていなかった。せいぜい、単にあの人よく来るなとしか思っていなかったと思う。当然、僕も馴染みの店員と話しこむようなことを考えもしなかった。食券を渡して、数分待って、そして渡されたそばをものの5分ですすって、そして帰る。このどれだけ常連になっても、社長と知り合いになっても、放っておいてくれている距離感に僕は居心地の良さを感じていた。それが立ち食いそばという文化の暗黙のルールだった。そしてこのルールは、僕に一瞬の、しかし無限の自由を与えていた。
 日本橋の「よもだそば」に通っていたときも同じことを僕は感じていた。ビジネス街にあるあの店は昼間に営業していて、サラリーマンのランチ客が多かった。そんな中に、昼間からブラブラしている自営業者の(はずなのだが、傍目には無職的な何かにしか見えないであろう)僕のような中年男が、交じってそばをすする。これが同じ日本橋でもデパートの中のおしゃれなそば屋さんだったら結構浮いて見えたはずなのだけど、「よもだそば」のカウンターでは不思議と違和感はなかった。僕はそこに、居心地の良さを感じていた。立ち食いそばの「周囲のことは気にしない」「短い時間、眼の前のそばにだけ集中する」というルールのおかげで、そこはどんな人も受け入れてくれる場所になっていたのだと思う。当たり前のことかもしれないし、実際になんでもないことなのだと思う。けれど、そういうお気に入りの店、お気に入りの場所を自分の生活圏からちょっと離れたところに見つけ出せるようになったことが、ひどく嬉しかったのを覚えている。
 ちなみに、最近僕がよく行くのは飯田橋の「豊しま」なのだけど、もし僕を見かけてもそっとしておいて欲しい。それが立ち食いそばのささやかな、しかし神聖な「ルール」だからだ。

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連載【水曜日は働かない】
毎月1回・水曜日更新

宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。 著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(朝日新聞出版)。 石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)、『静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話』(河出書房新社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)など多数。 企画・編集参加に「思想地図 vol.4」(NHK出版)、「朝日ジャーナル 日本破壊計画」(朝日新聞出版)など。 立教大学社会学部兼任講師も務める。
Twitter:@wakusei2nd

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