
北澤平祐 ぼくとねこのすれ違い交換日記 第8話「チェシャねこのようにわらう/Grin like a Cheshire cat」
【ぼく】8月21日
夏の終わりに驚天動地なことが起きた。フランスの大手ファッションブランドから、香水パッケージ用のイラスト依頼が届いたのだ。もちろんはじめは迷惑メールを疑ったけれど、依頼内容が具体的だったし、関係者がわざわざ東京まで会いに来てくれるということだったので、こかりに相談してみた。ぼくがアート美人局的な詐欺を心配していることを伝えると「それだったら、もっと有名なイラストレーターを狙うかな」と、にこにこしながら言うので少しムッとした。でもたしかに一理あるので、とりあえず会いに行ってみることにした。
結論から言うと、それは詐欺でも陰謀でもなく、本物の、夢のような仕事依頼だった。
その日の最高気温は体温に近かった上に、着込んでいった唯一のマイスーツが冬物だということもあって、滝のような汗をかきながら指定されたホテルに向かった。最上階のラウンジで会ったフランス人のアートディレクターや取締役たちは、口々に「お会いできて光栄だよ」と言いながら、強めのハグで歓迎してくれた。着慣れないスーツを着込んでガチガチのぼくに対しても、ちゃんとリスペクトを持って接してくれたのがうれしかった。
依頼内容は6種類の香水のパッケージイラストで、それぞれの香りをイメージして自由に描いてほしいという素敵なご依頼だった。おまけに、提示されたギャランティーは、過去2年間に稼いだイラスト料の合計よりも上だったので契約書にサインする手が震えた。
最後に、どうしてぼくに依頼をくれたのかと聞いた。一番気になっていたことだ。すると、ぼくがカリフォルニアから帰ってきてはじめてできた親友、イフジくんのために描いたCDジャケをたまたまウェブで見つけ、気に入ったからだと言うので驚いた。日本は良くも悪くも実績重視だ、駆け出しのフリーランスにこんな大きな仕事なんてまず来ない。彼らの柔軟さや「良いものは良いから」と言ってくれる言葉に涙が出そうになった。しかし、ご縁って面白い、まさか友人のために無償で描いた絵がまわりまわってこんな仕事を運んでくれるなんてね。今度イフジくんにビールでもごちそうしよ。
ホテルを出て、にやにやしそうになるのを抑えながら仕事中のこかりに電話すると、「ね、絶対うまくいくって言ったでしょ?」と言って、喜んでくれた。あれ、そんなこと言ってくれてたっけ? でも、帰りにこかりが30分も並んでさとうのメンチカツを買ってきてくれたので、福を招いてくれたホワンにも高級缶詰を振る舞い、みんなでお祝いをした。
【ミー】August 29th
あたまがいたい。ブレインがエクスプロードしそうだ。なぜだかはわかっている、タイラーがさいきんパフュームをつかうせいだ。ダンスパーティーにでもさそわれたのか? ニューなガールフレンドでもつくろうとしているのか? コカリにいいつけるぞ。
コカリも「あたまがいたくなるから」とミーとおなじリーズンでつかわないのに、なぜかうちでいちばんアンファッショナブルなタイラーが、まいにちパフュームをスプレーしては、クンクンとスニフしている。そして、「これは、うみのかおり。なみ、かいがん、かいがら、ひとで…」などとつぶやきながら、らくがきをしているのでとてもスケアリーだ。
さいきんはミーにもまったくかまわず、パフュームあそびをつづけているので、パフュームボトルをこっそりすてることにした。しかし、テーブルにのったモーメントに、タイラーがシュッとスプレーしたせいで、ミーのボディーはフラワーのかおりに。タイラーは「あはは。おフランスがえりのオシャレねこになった」と言って、へらへらわらうので、あたまをバイトしてやろうかとおもった。でも、まずは、このいやなスメルをなめとろうとしたら、タイラーが「だめだめ、どくだよ」と言いながらミーをバスルームにつれていくと、いきなりコールドシャワーをあびせてきたのだ。「おぼれる! くるしい! しぬ!」と、ありったけのボイスをふりしぼってあばれたが、タイラーはミーのボディーをおさえつけてゴシゴシとウォッシュしつづけた。
シャワーがおわり、ふるえているミーをタオルでくるむと「あはは、けがぺたっとすると、ずいぶんやせて見えるね、ねこのシャワーダイエットだ」とか言って、またおおわらいした。ミーは、スキをみてタイラーのみみをがぶっとバイトすると、「いたいいたいいたい!」とおおさわぎするタイラーのアームズからエスケープして、ウエットなままはしりまわった。ルームがプールになっているのを見て、ちょうどかえってきたコカリがタイラーにスクリームしていたので、ミーはすこしハッピー。
ねこようせいによる「ねことわざ」解説
Grin like a Cheshire cat
(チェシャねこのようにわらう)
『不思議の国のアリス』にでてくるチェシャ猫のような、得体のしれない笑いのことを言うんだって。ゴールデンリトリバーとか、笑っているように見える犬はいるけれど、猫が笑いだしたらちょっと怖いよね。化け猫みたい……なんて言ったらホワンちゃんに怒られそうだけれど。今回香水パッケージを描く間、たいらくんが聴いていたアルバムは、Tahiti 80とPhoenixというフランスのバンドなんだって。フランスのお仕事が来たからフランスのバンドを聴くっていつもながら単純だよね。
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北澤平祐(きたざわ・へいすけ)
イラストレーター。東京都在住。アメリカに16年間在住後、帰国しイラストレーターとしての活動を開始。
多数の書籍装画や、花王、東京ソラマチ、渋谷ヒカリエなどのキャンペーンビジュアル、ファミリーレストランCOCO'Sのメニューイラストや、洋菓子のフランセ、キャラメルゴーストハウス、KENZO Parfumsの商品パッケージ等、国内外の幅広い分野でイラストを提供。
オフィシャルサイトwww.hypehopewonderland.com
Twitter@nevermindpcp
※この記事は、2019年10月15日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。
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