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プールサイドのハンバーガー|千早茜 第27話

またいつか、ジム飯」で書いたジムが再開し、週一回ほど通っている。いろいろなレッスンが受けられる。ここのところ続けて受けているのがトランポリンのレッスンだ。トランポリンといっても直径一メートルほどの、大太鼓を横にして平たくしたような小さなものだ。その上で、音楽に合わせて跳ねながら踊る。

 まったくできない。音楽は普段は絶対に聴かないようなアップテンポの洋楽だ。振りつけには髪をかきあげる仕草なんかがある(おかっぱなのに)。合わせられるわけがない。おまけに足場はトランポリン。バランスは取りにくいし、高く飛びすぎるとテンポがずれる。焦ると、吹っ飛んでトランポリンから落ちる。先生に「お腹に力を入れてー」と声をかけられても、私は軟弱な体幹をふにゃふにゃさせながらボヨンボヨヨンとリズムに乗れずに跳ねている。

 汗だくのレッスンを終えトランポリンから降りると、ずんと空気がのしかかってきたような感覚になる。重い。うまく跳べていなかったくせに、弾まない身体が急に不自由なものに感じられ、また乗りたくなる。

 この感覚を知っている、と思う。懐かしい。なんだろう、なんだろうと思いながらジムを出て、ハンバーガーのチェーン店を見かけて思いだす。プールだ。さんざん泳いでプールからあがったときの身体の重さが、トランポリンを降りたときの感じと似ているのだ。そして、ハンバーガーショップを見かけると、私の頭の中にはプールサイドがよぎる。

 アフリカに住んでいた子供の頃、家にプールがあった。深いところは青緑色で足が届かない、けっこう大きなプールだった。私は妹と暇さえあれば水に飛び込み、唇の色が変わるまで何時間も泳いで過ごした。自然、泳ぎはうまくなる。帰国した後、水が恋しくなって市民プールで泳いでいたら、水泳教室の大人や老人たちに「イルカだ」「河童の子じゃあ」とざわめかれたくらい、私も妹も水に馴染んでいた。

 当時はアメリカンスクールに通っていた。日本人のクラスメイトはおらず、友人はカナダ人だったりドイツ人だったりした。彼らの家にも立派なプールがあった。遊びに行くと、彼らの親たちはプールサイドにバーベキューセットをだした。我が家でも庭でバーバキューをすることがあったのでめずらしいものではなかったが、プールサイドで焼くのはスペアリブや野菜ではなかった。水着姿の大人たちはソーセージやミートパテ、そして、パンを焼き、ホットドッグやハンバーガーを作っては、子供たちにおやつとして振る舞ってくれた。友人たちは濡れた身体のまま思い思いにケチャップやマスタードをかけ、かぶりついていた。甘い炭酸をぐびぐび飲み、またプールに戻ってくる。

 差しだされたハンバーガーにたじろいだ。プールサイドでものを食べることに抵抗があった。水に満ちたプールは、私の中では浴室と同じで、浴室でものを食べることは親から禁じられていたからだ。湯船に浸かってアイスを食べようとして怒られたことがあった。「風呂場は汚い。大腸菌だらけだ。ものを食うところじゃない」と理系の父は言ったが、よく考えると、じゃあなぜそんな汚いところで身体を洗うのか。汚いところできれいになれるものなのか。プールは身体を洗う場所じゃないからいいのか。いや、でもプールからあがったらシャワーを浴びなさいと言われている。それって、プールが汚いからじゃないのか。混乱したまま、ハンバーガーを受け取った。軽く焦げ目が入ったバンズをめくり大きなケチャップを絞る。マスタードは入れなかった。齧ると、ぬるくなった胡瓜のピクルスがぐにっと潰れて酸っぱい汁をだした。肉のパテはつなぎなんかないんじゃないかというくらいに肉そのものだった。身体が冷えているので温かいものは嬉しいが、水面で反射した太陽光に目がちかちかして味がよくわからない。ぎゅっぎゅっと噛んで飲み込み、なんとか平らげた。

 食べ終えて、手を洗わなくていいのかと悩んだ。友人たちは誰もそんなことを気にしていない。陽気な声をあげ、ケチャップを口の端につけたままプールに飛び込んでいく。あ、と思ったが、止める間もない。仕方なく自分もプールに戻ったが、水から顔をだす度、焼ける牛脂の匂いが鼻をくすぐる。だんだん、薄く水に溶かしたハンバーガーの中で泳いでいるような気分になってきた。身体が冷えていてうまく消化できないのか、水圧のせいか、ハンバーガーの匂いのげっぷが込みあげる。水中の浮遊感に、ハンバーガーを詰め込んだ胃だけが馴染めないでいる。結局、私は気持ちが悪くなり、お腹を下した。

 どうして他の子は平気で飲み食いできるのか不思議だった。プールの後、着替えてからおやつを食べたりジュースを飲んだりするのは平気だったが、泳ぎながらハンバーガーやホットドッグをぱくつくことはどうしても身体が受けつけなかった。いまだに、海でバーベキューやスイカ割りをしたり、ホテルのプールサイドでカクテルを飲んだりする人に驚きを隠せない。健啖家だと思われているが、スポーツのさなか、身体に意識がいっているときに、胃腸や肝臓を働かせられる屈強さは私にはない。水辺で旺盛に飲み食いができるなんとなく派手な人々に引け目を感じ、羨望を覚える。

 ジムが習慣化すると、運動後の暴食はしなくなった。トランポリンの後は重い身体をひきずって搾りたてのジュースを買いにいく。ハンバーガーを食べてみたいな、と思うが、ビーフジャーキーで我慢する。家に戻り、ひと息つくと、ことんと寝てしまう。穴に落ちるような眠りはやはりプールの後の昼寝によく似ている。

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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。 
Twitter:@chihacenti


※シーズン1は『わるい食べもの』として書籍化されました。こちらで試し読み公開をしています。


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