
野良猫みたいなキキとフジタの恋|ナカムラクニオ「こじらせ美術館【恋愛編】」第1話
画家の眠れる才能やアイデアは、モデルによって引き出されることがある。パリで活躍した藤田嗣治(レオナール・フジタ)とキキの関係も特別だった。日本からやってきた売れない画家のフジタは、駆け出しのモデルで自由奔放なキキと出会うことで、「世界のフジタ」となった。いったい、ふたりの間に何が起きていたのだろうか……?
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「彼女は華奢な小さい指を赤い口に当て、誇らしげにお尻を振りながら、全くこっそりと、はにかんで入って来た。コートを脱ぐと、彼女は真裸だった」
初めて会った日のことをフジタは、『モンパルナスのキキ』に寄せた文章「わが友キキ」でこんな風に書いている。さらに、夏も冬もキキはパンツを決してはかない。昼も夜も食べることしか考えなかった――とフジタは回想する。
狂騒の1920年代。キャバレーの歌手、モデル、画家としても活動したキキは、「エコール・ド・パリ」とよばれるモンパルナスの芸術家たちに愛された女神だった。本名はアリス・プランだが、「キキ」の愛称で呼ばれた(「キキ」はギリシャ語で「アリス」の意味)。彼女はブルゴーニュの貧しい家庭に私生児として生まれ、12歳でパリに出た。戦時下の軍需工場で靴などの仮縫いの仕事をしながら、16歳になると芸術家たちのモデルをはじめる。キスリング、モディリアーニ、スーティン、写真家マン・レイなどのモデルだったことで知られるが、最初の大きな転機はフジタとの出会いだった。
ふたりが出会った時、最初にキキがフジタの肖像画を描いた(実はキキも絵を描き、個展も開いている)。途中、歌ったり、叫んだり、カマンベールチーズの箱の上を歩いたりしながら、絵は完成した。そして、フジタにモデル代を払わせると、意気揚々と出ていった。もちろん自分が描いた肖像画も持って。そしてすぐにキキは、カフェで金持ちのアメリカ人コレクターに、フジタの肖像画を高い金額で売りつけた。
翌日には、フジタがキキを描いた。パリに来て初めての大作だった。キキの肌は牛乳のように白く透き通り、歯はキラリと光っていた。美しい歯を見せびらかすために、キキはよくバラの花を口にくわえていた。黒髪でおかっぱ、細い眉毛はマッチの燃えカスで描いていた。性格は自由で開放的、身体は豊満で官能的。日本からやってきた売れない画家のフジタは、その白さに魅了され、歌って、踊って、恋をした。
フジタはこうして、1922年に大作「寝室の裸婦キキ」を完成させる。
キキの白い肌を強調するためにベビーパウダーの「シッカロール」をこっそり絵の具に混ぜ、白い肌を際立たせる黒く細い輪郭線は、日本から持っていった極細の面相筆で描いた。当時の西洋人には見慣れない、美しい墨色の線だった。キキの細い眉毛からヒントを得たのかもしれない。キャンバスは、シーツのような目の細かい麻布を張って手作りした。喜多川歌麿の美人浮世絵のような、独創的な油彩画だ。フジタは、浮世絵を真似したのではない。キキの中に浮世絵を発見したのだ。
サロンに出品すると、あらゆる新聞、雑誌が大きく取り上げた。この大作は、8000フラン(現代の日本円に換算すると数百万円)で収集家が買い上げた。それまでフジタの絵は、どんな作品でも7フラン50サンチームでしか売れなかったというから、いきなり1000倍の値が付いたことになる。
これはフジタも不安になるほどの大金だったようだ。しかしフジタがお礼として相当な額をキキに渡すと、彼女はあんぐりと口をあけてよだれを垂らした。そして1時間後、キキは花で被われた帽子をかぶり、モード雑誌に出てくるような派手なファッションでフジタの元に現れた。こうしてキキはモンパルナス界隈の女性たちを嫉妬の渦に巻き込んだ。売れないモデルのキキは、フジタに描かれることでパリの美術界で有名になった。そしてフジタも、キキの白い肌を描くことで画壇のスターとなったのだ。
しかしその後キキは、警官を負傷させて裁判沙汰になったり、ドイツ占領下のパリで反ナチス運動のビラをまいたことでゲシュタポに追われたりと、波瀾万丈の人生を送る。さらに、陽気さを保つためか酒に溺れ、麻薬の密売で逮捕された。晩年、キキは安い白粉(おしろい)で顔を真っ白に塗って変装し、パリのカフェでトランプ占いをしながら生計を立てていたという。彼女は最初から最後まで「白をまとった人生」だった。「純粋」「無垢」などのイメージを持つ白は、同時に「死」「霊」など不吉なイメージも暗示する色だ。
1953年3月23日、アルコール依存症や薬物依存に陥っていた彼女は吐血し、パリのレネック病院に運ばれ、2時間後に息を引き取る。「モンパルナスの女王」は、52歳という若さで亡くなった。パリ中のカフェが彼女に花輪を贈ったが、ティエスの墓地まで棺とともに歩いたのは友人のドマンゲと、画家はフジタだけだったという。
それでもフジタは生涯、キキとは恋人ではないと言い続けた。「僕は主義としてモデルには決して手をつけないことにしているんだ。そうしないとあの連中は手に負えなくなるから……それに考えてもみたまえ、僕は三千人もの裸を描いているんだぜ!」
キキとフジタは、特別なソウルメイトのような、仲の良い野良猫のような関係だったのだろう。フジタはこっそり「キキの白い肌とマッチの燃えカスで描いた細い眉毛が僕を救った。ありがとう」と祈ったのではと想像している。
主要参考文献:キキ著、河盛好蔵訳『モンパルナスのキキ』(美術公論社)
連載【こじらせ美術館(恋愛編)】
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ナカムラクニオ
1971年東京都生まれ。東京・荻窪の「6次元」主宰、アートディレクター。日比谷高校在学中から絵画の発表をはじめ、17歳で初個展。現代美術の作家として山形ビエンナーレ等に参加。金継ぎ作家としても活動。著書に『金継ぎ手帖』『猫思考』『村上春樹語辞典』『古美術手帖』『チャートで読み解く美術史入門』『モチーフで読み解く美術史入門』『描いてわかる西洋絵画の教科書』『洋画家の美術史』『こじらせ美術館』など。
Twitter:@6jigen