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第12話 ウイルス騒動が終わって世界がふたたび動き出す――そして語るのはまた自殺の話ばかり――ライブの依頼|佐藤友哉「青春とシリアルキラー」

 東京は、哀しい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行に書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。

 これは太宰治が終戦直後に書いた短編、『メリイクリスマス』の冒頭だが、緊急事態宣言が明けた5月末の東京も、似たようなものだった。れいのウィルスは完全に消えたわけではないというのに、そこにあるのはいつもの日常だった。
 僕はその日、新宿の街を猛ダッシュしていた。
 道に迷ったのである。
 僕はもともと方向音痴で、目的地と逆方向の電車に乗るくらいわけのない性質を持っているのだが、この日は、ひさしぶりの外出ということもあって、方向感覚を完璧にうしなっていた。新宿駅から伊勢丹方面に歩いていたはずなのに、なぜだか東京モード学園が見える。
 スマートフォンが鳴った。
「もしもし? 今どこです? 収録こないの?」
「道に迷ってます」
「……わかった。僕がよろしくやっておくから、近くにきたら連絡してください」
 電話の相手はつき合いの長い担当編集者で、僕が致命的な方向音痴なのを知っていることもあり、話は早かった。担当が時間を稼いでいるあいだ、僕は地図アプリをたよりに走りつづけた。
 なんとかスタジオに到着すると、当たり前だが僕以外の全員が集まっていた。
 担当はスタジオに入ってきた僕を見つけるなり、ややオーバーな動きでぴょんぴょん跳ねながら、
「ちょっともー、遅いですよ! 大丈夫だった? どうしたの?」
「本当にすみません! 道に迷ってしまって!」
 僕も彼にならって、ややオーバーな動きでぴょんぴょん跳ねながら言った。
 この猿芝居をどのように受け止めたのかはともかく、スタッフ陣はすぐさま作業に移り、2人の演者たちも表面的には気分を害する素振りを見せず収録ブースに入った。
 2人芝居の脚本を書いたので、その収録に立ち会うというのが仕事の内容だった。小説家というのは案外、いろんなことをするのである。
 サブコントロールルームに入ると、事務所の社長に挨拶された。
「あー先生、ごぶさたしてます。あいかわらず方向音痴ですねー」
「すみません。はじめてのスタジオだったもので……」
「いやいや、前にもきたことあるでしょうに」
「え。そうでしたっけ。本当に記憶にないんですけど」
「んー先生、ちょっと太った?」
 そうなのだ。ただでさえ家から出ない僕は、緊急事態宣言がもたらした新文化、ステイホームによって完全にひきこもりと化し、昼夜問わず酒を飲んだり子供とケーキを焼いたりしていたら、あろうことか、すくすく育ってしまったのである。
 担当は、「ステイホームの期間中、みんな太りましたよ」と笑っていたが、僕よりも年上の彼らはしかし、以前とまったく変わっていなかった。
 体重トークはすぐに終わり、収録スタート。2人芝居というシンプルな構成もあって順調に進み、残すは歌入れだけとなった。
 物語のクライマックスに古い流行歌が出てくるので、それを演者に歌ってもらうのだ。
 収録ブースには若い女性の役者とギタリストがソーシャルディスタンスを保って入り、果たして歌がはじまった。
 僕と担当は、可憐な歌声をうっとり聴いた。
 端的に言って感動した。
「うわ……めっちゃいいですね。なにこれすごくいい」
「ねえ。いいねえ。あー腰にも効くわ。腰痛が治る!」
 そして僕たちは、どうしてこんなにも感動したのかを、ほぼ同時に理解する。
 ここ数ヶ月、生演奏を聴いていなかった。
 ウイルスパニックで世界の多くはロックダウンし、そのあいだ、人の移動は停止した。ライブも演劇もコンサートもできなくなった。
 それは僕にとっては意外なものだった。
 よもや国家が、こんなにも人命を大切にするとは思っていなかったし、国民がロックダウンをこうもあっさり受け入れるとも思っていなかったのだ。
 みんなあんなに、個人情報や監視社会に文句をたれていたくせに、ロックダウンに素直にしたがい、さらには、「国民を管理するのが遅すぎる!」と怒ったりするなんて、まあひどく錯乱していたのだろう。
 そんなわけで僕たちは、生の音楽に長いこと触れていなかった。そして今もまだウイルスが跋扈(ばっこ)しているため、音楽イベントなどという贅沢はゆるされておらず、そのような状況下で聴く極上のアコースティックサウンドと、ひさしぶりに耳にする若い女性の歌声というのは、いい年齢になった僕の心をはげしく揺さぶった。
 ものすごく誤解されるようなことを書くと、「老いらくの恋」を感じた。
「老いらくの恋」というのは、老歌人が弟子といけない恋愛をして、挙げ句に自殺未遂までやったというスキャンダルから生まれたことばだが、しかし人間、年を取れば取るほどに、その気があるのかはべつとして、生と性に執着してしまうものだ。僕はまだ老人と呼ばれる年齢ではなかったが、その歌声は、ギターの音色と歌詞による作用もあって、その種の感情を喚起させるにはじゅうぶんだった。
 隣で歌を聴いている担当は、僕よりも10歳近く年上だが、彼は今、どんなことを考えているだろう? 僕には小説という代償行為があるけれど、ふつうはそうもいかないから、援助交際や不倫に走ったりするわけで、一般の人たちがどのように感情を処理しているのか、いつも気になっている。ステイホーム中は外に出られなかったわけだから、彼ら彼女らの欲求不満は今、沸点を越えようとしているはずだ。世界レベルで淫らなことが起こる予感がした。
「このあと時間ある?」
 アフレコが終わってスタジオを出ると、担当がたずねた。
「全然オッケーですよ。今日はひさびさの外出なんで、子供は嫁さんに見てもらってますから」
「じつはね、書いてもらいたい企画があるんだよ」

 なにしろ緊急事態宣言が明けたばかりということで、店のほうが困惑しているようだった。テイクアウト営業のみとか、常連客しか入れないとか、座席数を減らしているため満席になっていたりとかで、店に入れないのだ。大都会新宿で店にこまるというのは、はじめての経験だった。
 僕と担当は新宿をうろつき、雑居ビルの前にそっと看板を出しているエスニック店をようやく見つけた。入ってみると客はなく、僕たちはたいそう歓迎された。
 グラスを合わさずに乾杯すると、担当が切り出した。
「こんどアンソロジーを作るので、ちょっと短編を書いてほしいんですよ。錚々(そうそう)たるメンバーを集めました。まだ言えないけどね」
「アンソロジー? 恋愛短編集とかですか?」
「そんなの僕が作るわけないでしょ。ミステリーのアンソロジーです」
「ってことは、推理小説」
「そう。ちょっと無茶振り、場合によっては不謹慎と糾弾されかねないテーマなんだけど……」
「小説なんてみんな不謹慎でしょうに」
 僕の暴言に担当は笑いながら、
「じゃあ話を進めるけどさ、ステイホームをテーマとしたミステリーを書いてほしいんですよ。知ってます? ステイホームによって、新しい殺人の動機がたくさん生まれたことを。陽性患者を隔離したホテルに放火しようとしたり、ずっと家に閉じこもってることで、仲のよかった家庭内で殺人事件が起きたり」
「はあ。テレビで観ました。ああいうのって、ピアノの騒音や、タバコのトラブルが殺人に発展するのといっしょですよね。暮らしが変わったことで、新しい殺しの理由が出てくるみたいな」
「ウイルスがこのまま消えてなくなるのか、第2波がやってくるのかはだれにもわからない。でも、どっちにしても、僕たちがあのステイホーム期間中に見聞きしたいろんなできごとを物語として昇華するのが、文芸の役割だと思うわけ。僕はね、あの非日常の中に、人間の本質があったんじゃないかと思っているんだ。『ロミオとジュリエット』も『デカメロン』も、どちらもペストの脅威から生まれた作品だけど、ペストそれ自体をあつかったわけじゃなくて、疫禍のできごとについて語って、それが成功してるわけでしょ? 非日常の中から否応なく立ち上る『なにか』を、みなさんには書いてほしいんですよ」
 つまり形式としてはミステリーだが、彼が本当に求めているのは、そこから生み出される文学性ということだ。僕は担当の企画力に感心するとともに、編集者というのはいろんなところにアンテナを張っているのだなと思った。
 担当はつづけて、
「今回のステイホームで、だれもがちょっと足を止めたと思う。そして自分の人生について、あらためて考え直したと思う。僕はね、そんな異常で不思議なあの時期を、ミステリーという、死と直結した領域で語ることに意味があると思ってるんだ。ジャンルの強みだよ。そしてそれは、ジャンルという概念を無効化してしまう文学にはできないことでもある。どうかな?」
「うーん……。いい企画ですね」
 僕が言うと、担当は真顔でうなずいた。
「企画ってのは、だれに向けて書くべきか、だれの気持ちを逆なですれば勝ちなのか、そういうことを考えて作るものなんです。というわけだから、もしかしたら不謹慎だと怒られるかもしれないけど、でも絶対、多くの人に届くと思うんだ。無理強いはしないので、企画に賛同してくれるなら書いてほしい。あとこれは、いいわけするつもりじゃないけど、売上の何割かを赤十字に寄付するつもりです。寄付金は弊社で出すので、みなさんの原稿料はきちんと支払います」
 今回のウイルスをエポックメイキングと判断した日本の各出版社は、文芸誌で特集を組んだり、特設サイトを作ったりして、ウイルスやステイホームについてさまざまな角度で語っていたが、そのどれもが僕にはしっくりこなかった。それは企画力の弱さもあったし、「こんなときになにを書けばいいのかわからない」という、一部のクリエイターがおちいる臆病風のせいもあったが、実際、心に響く文章はあまりなかった。そして僕自身も、なにを書くべきか決められなかった。
 ステイホームにまつわる殺意や殺人を、ミステリーという形式を使って書くという今回の依頼は、そんなふうに不満足だった僕の気分にぴたりとはまった。これなら書けるかもしれない。いや、書いてみたい。これもまた代償行為なのかもしれないが、とにかく書いてみたい。
 僕は言った。
「絶対やりますよ。書かせてください」
「ありがとうございます。といっても、締切は結構タイトで……」
 担当の説明を聞きながら、ふと思う。
 こうやって仕事のオーダーを受けて、小説を書いたり書かなかったりする人生。
 あれほどのことが終わったばかりだというのに、またあの、『何の事も無い相変らずの「東京生活」』がはじまろうとしている。
 太宰治はそれに耐えられず心中したわけだが……。

 現実は、殺人者よりも前に自殺者が出てくるものだ。
 今ある苦しみから逃れるためには、ふつうはまず自殺をこころみるわけで、他人を殺すほうが例外だ。
 6月初旬、男子高校生が拳銃自殺を図ったとみられるできごとが発生した。
 それがニューヨークやジュネーブならともかく、東京で起こったのであれば異常事態と呼べるだろう。なぜなら日本は銃のない社会なので、子供たちは一般的に、首を吊ったり飛び降りたりして自らの生命を絶つからだ。
 報道を見るかぎり、拳銃の入手経路は不明で、どうもいろいろキナ臭い話があるようだが、しかし彼が自殺した理由だけははっきりしている。
 学校に行きたくなかった。
 自殺した彼は高校1年生で、今春から私立高校の通信制学級に所属し、週3日の登校が義務づけられていたらしく、緊急事態宣言が終わって登校が再開した1週間後に自殺を図ったとのことだった。
 今回のステイホームがもたらした数少ない福音の1つに、リモートを使えば学校に行く必要がないということが立証されたわけだが、その事実を知ってしまったうえで登校するというのは、ふつうの不登校の生徒が苦しむ以上のストレスがあっただろう。この苦痛は子供にかぎらず、僕たち大人にも当てはまるもので、ステイホーム中はリモートですんだ会議をするために出社したり、ハンコを押すためだけに満員電車に揺られたりしているうちに、これまでなんとなくがまんできていたことががまんできなくなってしまう。こうした不満はやがて物理的な暴力に発展し、その多くは自殺という結果をもたらす。
 自殺した高校生が、どうして拳銃を持っていたのかはわからないし、最後まで謎のままかもしれないが、そんなことはどうだっていい。重要なのは拳銃がそこにあったということだ。拳銃という非現実的な存在が、彼の自殺願望にブーストをかけたのは確実だろう。
 自殺願望……この世から消えたいという考えは、じつはちっともめずらしいものではない。
 ではなぜ多くの自殺志願者が実行をまぬがれているのかといえば、自殺というのは痛かったり怖かったり面倒くさかったりするからだ。
 彼の手元には拳銃があった。それは自殺に最適なアイテムで、一瞬で人生を終わらせることができる。弾をこめ、引き金に指をかけて、バン。それだけでいい。もし彼が拳銃を持っていなければ、今もまだ日常をつづけていたかもしれないが、しかしここで問題なのは、拳銃があれば高校生が自殺をえらんでしまうこの世界状況そのものだ。
 ウイルスの脅威がとりあえず落ち着いた現在、世界は日常を取り戻そうとしている。
 それは日常を恋い焦がれていた人々のがんばりによるもので、もちろん社会的には正しい行動なのだが、いっぽうで、日常なんて戻ってきてほしくなかったと考えている人だっている。それが証拠に、緊急事態宣言が発出された4月の自殺者数は少なかったではないか。おそらくこれからまた自殺者数は平均値まで戻り、やがて増加するだろう。休校。テレワーク。ステイホーム。さまざまな名前がつけられた拘束期間が一気に解除され、そこに乗れない人たちがぼろぼろと脱落していくのはあきらかだった。
 とはいえ僕は小説家で、そして小説家というのはリモートワークの代表格みたいなものだから、ステイホームがあろうとなかろうと、生活はあまり変わらないので問題はなかった。僕に問題があるとすれば、それは「生活」そのものだった。
 そう、ステイホームという強制によってだれもが否応なく味わった、あの「家庭の幸福」だ。
 僕は今もなお、「家庭の幸福」がつづいたままである。
 息子の小学校は再開したもののまだ様子見で、ちょっと授業を受けただけですぐに下校となる。僕は朝食を作ってやったばかりの息子に昼食を作り、そして外出自粛がつづく彼のためにテレビゲームやオセロなんかをいっしょにやる。平和な暮らしだ。しかし平和な暮らしが終わらないというのは、それはそれで考えものだ。
 なぜなら仕事をするにあたって、「家庭の幸福」というのは邪魔だからだ。
 育児がいそがしくて、依頼されたミステリーを書くひまがない。
 もうほんとにむり。プロットを考える余裕もない。仕事をしたいけれど、とにかく時間がたりない。
 これを読んでいるみなさんの中にも、今までのように仕事ができずにこまっている人が多くいるだろう。
 なので、本来ならここで、テレワークのプロフェッショナルである僕が、悩める子羊たちにアドバイスをすべきなのだが、もうしわけないことに僕も打開策を見出せていない。家の中ではたらくというのは本当にむずかしいのだ。むしろヘルプなのだ。もしテレワークに順応できたという人がいたら、どうかその方法を教えてほしい。
 そのときふと、本当にひさしぶりに、阿南(あなん)さんのことを思い出した。
 毎月のように打ち合わせをしていた阿南さんと、もうずっと会っていない。
 阿南さんが勤務している出版社の親会社から感染者が出たため、打ち合わせが禁止され、業務もしばらくテレワークとなったというメールが、緊急事態宣言の最中に届いたが、ならば阿南さんはずっと自宅で仕事をして、奥さんや子供たちといっしょに暮らしているわけだ。
 阿南さんが今、なにを考えているのかを知りたかった。
 ひょっとしたら案外うまくやっていて、「家庭の幸福」の中で生きる方法を見つけているかもしれない。
 ビデオ通話でもしてみようかと思ったが、すぐにその考えを打ち消す。もし阿南さんとリモートで話したら、絶対に笑ってしまうだろう。奥さんや子供たちの声を背景にして、阿南さんがいつものように神だの哲学だのについて説明するところを想像するだけで笑えてくる。ああいうのは居酒屋やレストランで話すからこそ機能するもので、自宅で話す神学論や哲学論ほど滑稽なものはない。

 6月も半ばをすぎても、ミステリーは書けないままだった。
 それなのに、世界はいつものペースを取り戻しつつある。
 自分の棺桶を引きずるように生きる者にとって、世界が順調に回復していくさまを見せつけられるのはつらい。
 ウイルスによって世界が不活発におちいったとき、僕の心はきわめて安らかだった。世界の最先端に立っている気分だった。ステイホームによって右往左往する人たちを見ながら、「今さらそんなことで悩んでいるの?」と上から目線で笑っていた。それがこうして、あの日常というやつが戻ってきたとたん、また自殺のことばかり考えている。べつに自殺するつもりはないが、ほかに考えることがないのだ。
 僕がパソコンに文字を書いたり消したりしている横で、子供はテレビを観ながら宿題をやっていた。遅れていたカリキュラムを取り戻すべく、彼の通う学校はたくさんの宿題を出していた。
「今を生きる楽しさを!」
 子供がいきなり言ったので僕はおどろいた。
「え、なにそれ」
「ジャパネットだよ」
 テレビに目を向けると、ジャパネットたかたという有名な通信販売会社の番組が流れていた。
 ステイホーム中に、子供は通販番組の楽しさに目覚めたらしく、切れ味抜群の包丁や、焦げてもすぐ綺麗になるフライパンの実演を見て、すごいすごいと盛り上がっていた。それは疑うことを知らない無垢から発生した娯楽だった。
 CMがはじまり、『「今を生きる楽しさ」を!』という文章が流れた。どうやらそれはジャパネットのキャッチコピーらしい。なるほど、今を生きる楽しさか。まさかジャパネットにはげまされるとは思わなかった。
「パパ、おなかすいた」
 息子が言った。
 僕は原稿を切り上げて夕飯の支度をはじめる。
 カレーを作ろう。カレーは正義だ。なにも考えなくても調理できる。
 キッチンにしまっていたワインの栓を開けて、ぐいっと飲んだ。
 今回のロックダウンで、アルコール依存症になった人が世界的に増えたというニュースを見たが、そりゃそうだろう。外にも出られず、家の中のさまざまなことを処理しながら、先の見えない毎日に打ちのめされつづけているのだから、それはつまり世界全体が僕のような生活をはじめたのだから、酒を飲むほかに気をまぎらわせる方法などない。
 カレーを作るために食材を刻んでいると、宿題をすませた子供はゲームをはじめた。これまでゲームは1日置きというルールだったが、緊急事態宣言がはじまってからはその決まりもいつのまにかなくなった。友だちと遊ぶことも旅行することもできないため、子供もまた「家庭の幸福」を持てあましているのは理解できるから注意はしなかった。だいたい小学生なんてものは、勉強と遊びくらいしかやることがないのだ。そして僕にはそれさえもなく、毎日料理をするしかないのだ。
 小説も書けず、朝から晩まで子供のために食事を作るだけの僕は、家庭の中にいるのに孤独だった。
 料理の途中だったが、なんとなくスマートフォンを手に取る。新着メールはない。ニュースを見ても心をときめかせるものはない。SNSにも僕の話題はない。それは当たり前のことだった。昨日なかったことが今日あるはずもなく、今日起こらなかったことが明日起こるはずもない。わかっている。ただときおり、ふとなにかの拍子に、この胸をかすめるのだ。ここではないどこかに行きたい。しかし僕の居場所はここだけ。どうすればいいのだろう。だれか教えてくれないだろうか。

 私の経験でいうと、こうして綱の切れた風船状態の時には、親しい人に会いたくなるのだ。いったいにメランコリイの状態には、親しい人には会いたいが、親しくない人には会いたくなくなるものだ。親しいといって一様でなく、又、マサツと関係もあって、その親しさには相当の個人差があるけれども、ハッキリ云えることは、一番親しいものではないということだ。一番親しいものは病気の原因の中にいつも含まれているのだから。だから、一番親しい女房や子供は病因の一つに含まれており、彼らの力だけでは病人をひきとめることはできない。

 いきなり引用をはさんだが、これは坂口安吾の『孤独と好色』という短編で、いまだに自殺説や陰謀説が飛び交っている未解決事件、下山事件の犠牲者である国鉄総裁・下山定則が、どのような気分で死んでいったのかを推測するという奇妙なスタイルで書かれている。僕は下山事件にさほどの興味もないが、死にゆく者を描写した文章として第一級の作品である『孤独と好色』を、心がしんどくなったときの治療薬としてよく服用していた。
 安吾の説によれば下山総裁は失踪時、睡眠薬を常用するほどの「鬱病」「メランコリイ」の状態がついに限界を超え、その結果、「綱のきれた風船のように、フラフラとさまよ」ったとしている。事実、下山総裁はこのとき、GHQやストライキといった数々のプレッシャーに苦しめられ、精神が弱っていた。こうして発作に近い状態で失踪したが、これといったあてもなく、そのうちに、彼がかつて可愛がっていたタイピストの女性に会いに行こうとしたのではないかというのが安吾の見解だ。
 ふたたび引用文。

 下山氏の綱がきれてフラフラさまよいだした時、この娘のところへ一目会いに行こうと思うのは、彼の精神状態の場合には、甚しく自然である。何かに、すがりたい。何か、親しいものに会いたいのだ。彼が何より怖れているのは孤独なのである。(略)彼と娘との間に恋愛関係などなかったに相違なく、又、そのような関係がある必要はないのである。彼のメランコリイは職域に於けるカットウや絶望感などが主因となっていたようであるが、そのような彼に風船の綱がきれたとき、最も強く思いだしたのがこの娘であるというのは、完璧なまで当然すぎるというキライがあるほどだ。(略)彼が綱のきれた風船となって漠然と自分の心をさがしたとき、この娘に一目会いたい、そして、それが、何か力のタシになるように激しく渇望されたのは、あんまり適切な人間がいすぎたものだというぐらい、うまく出来すぎているのである。

 だが下山総裁はタイピストに会わず、旅館に向かった。女将の証言によれば、下山総裁らしき男が、「女はいるか?」とたずねたそうだが、それはまだ彼を支配し、同時に彼を生かすために機能していた「肉慾の遂行」が漏れ出たものだと安吾は断言している。結局、下山総裁はそのまま旅館を出て、時刻は夜となる。彼を悩ませる問題はなにも解決していない。そしてとうとう事件現場の線路に到着した。自殺か他殺かほかの原因によるものかはともかく、彼の命はここで終わる。
 安吾の書いていることがどこまで真実をかすめているのかはわからない。ひょっとしたら全然ちがっているのかもしれない。だとしても、そこに書かれている下山総裁の気持ちが僕には痛いほどよくわかるのだった。
 僕が自分の生活に絶望しているからと言って、どこかの女性にすがりたいとは考えていないし、おそらく下山総裁だって、そのときがくるまではそんなことを考えていなかっただろうが、だからこそ、「そのとき」がやってくるまで想定すらしていなかった感情がみごとに説明されているからこそ、『孤独と好色』はある種のリアリティをもって迫ってきた。僕はこうして「家庭の幸福」を浴びて生きているが、それでもあるとき、綱のきれた風船のようにフラフラとどこかに行ってしまうかもしれない。
 だけど死にたいわけではない。
 自分をつなぐ綱がとけたからといって、それは決して死に向かって進んでいるのではない。
 安吾もまた、『孤独と好色』に、このように書いている。

 ままよ、まさかの時は死ねばすむことさ、ぐらいの気持はあっても、自殺しようという意志はほとんどなく、むしろ、なんとかして生きる力をもとめ、強く生きなければ、もっと意力を恢復しなければ、ということを考えているものだ。

 僕だってずっと自殺のことばかり書いているが、だからといって死にたいわけじゃない。ドアノブやハンガーパイプの強度をいつも確認しているが、だからといって死にたいわけじゃない。僕はただ、僕自身の気持ちに自覚的なだけ。そしてこの自覚という状態は、生きるのに大切な要素でもあった。
 生きるための自殺願望というものがあるのなら、僕はまさにそれ。
 今にも死にそうなことがわかっているから、だからこそ生きる方法を模索している。
 死にたい死にたいと騒いで本当に死ぬなんて、そんな寒いこと、自意識過剰の僕がするわけがないのだ。
 リビングからゲームの音が聞こえて我に返った。
 顔を上げると、ゲームに熱中している子供の背中があった。
 ちょっとばかり猫背気味だが、リラックスしているように見えた。
 まさか子供も、自分の父親がカレーを作りながら、こんなことを考えているとは思っていないだろう。
 それでもいつかは坂口安吾くらい読むだろうし、自分の父親と似たような問題に直面することだってあるかもしれない。そのときはどうか、絶望に最後まで屈することなく、ジャパネットのキャッチコピーを胸に、今を生きる楽しさをわすれないでいてほしい。
 カレーができたので、子供といっしょに食べた。
 僕の作ったカレーは、どこの家庭にでもある、「おうちカレー」の味がした。

 6月が終わった。
 結局、依頼されていたミステリーはちっとも進まず、さらには、『青春とシリアルキラー』の締切まで破ってしまった。阿南さんから連絡はなく、僕もまた連絡しなかった。
 ここ最近は、ウイルスのニュースを送ってくるだけだったLINEの通知があったのはそんなときだ。
 それはバンドのメンバーからの通知だった。
 バンド!
 なんと懐かしく、甘やかな響きを持つことばだろう。そういえば去年の夏ごろ、自分の人生を回復させるためにバンドを組んだのだった。ウイルス騒動のせいで、そんな設定はすっかりわすれていた。
 そのLINEはドラム担当、Pさんが送ったもので、まだウイルスが収まっていないこの状況下においては、なかなか思い切ったことが書かれていた。

 みなさんごぶさたしてます。7月末にバンドのライブの依頼がきたんですけどやりますか?

(つづく)

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佐藤友哉(さとう・ゆうや)
1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』等がある。
Twitter:@yuyatan_sato

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