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きっと、いたずら|村山由佳 第37話

「え、マジで?」
 と、背の君と私の声が揃(そろ)う。
 いないって……三匹目はどこへ行った?
「念のために、レントゲンも撮ってみていいですか?」
「お願いします」
 休診日の静かな診察室で、まだ目の開かない子猫たちがころんころん不器用に転げるのを眺めながら待つことしばし。
 やがて奥から戻ってきた先生は、私たちに向かって頷(うなず)いた。
「やっぱり、お腹(なか)にはもう誰もいませんでした」
 それを聞いたとたん、ほーっと肩から力が抜けた。
「すみません、ご心配をおかけして。エコー検査だけですと、どうしてもこういうことが起こってしまって……。ごめんなさい」
 ひどく申し訳なさそうにおっしゃる。
「いやいやいや、ええねんええねん」
 と、背の君が慌てて言った。
「そんなもん、お腹開けて見るわけちゃうねんから当たり前やがな」
 そう、まったくその通りだ。だいいち、こうして休日にまで検査をしてもらえたおかげで、どれほど安心できたことか。良くないことが起こっていたわけではないとはっきり知ることができたのだし、当の〈お絹(きぬ)〉も、生まれてきた子猫たちも、みんなすこぶる元気なのだから万々歳じゃないの。

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 再びバスケットを抱えての帰り道、インチョ先生から電話がかかってきた。検査結果をさっそく聞いたとのことで、こちらが申し訳なくなるくらいの平謝りだった。
「いや、でも、もしかしたら間違いじゃなかったかもしれませんよ」
 と私は言ってみた。
「昨日の朝、二匹目は私の気づかないうちに生まれてたくらいですし、残りのもう一匹もそうだったのかも。その子が死産だったりしたのなら、母親が本能で始末したっていうことだってあり得ますし……」
「ええ、その可能性も考えはしたんですけど、敷いてある布に何の痕跡もなかったわけでしょう? やっぱり、エコー検査の時に私がダブって数えてしまったんだと思います。ほんとうにごめんなさい。最初から三匹じゃなくて二匹だってわかっていたら、ムラヤマさん、少なくともゆうべはベッドで寝られるはずでしたのに」
 思わず、吹きだしてしまった。
 それは確かにそうかもしれないけれど、添い寝している間じゅう、私は最高に幸せだった。暗がりの中、お絹の優しい吐息や、生まれたてほやほやの子猫たちを丁寧に舐(な)めてやる気配や、彼らの小さなちいさな爪が敷布にひっかかる音や、乳首を懸命に吸い立てる湿った音などに耳を澄ましていると、今まさに宇宙と生命の神秘に触れているのだとわかって、荘厳な心持ちになった。我が家の猫事情と自分の残り時間とを考え合わせれば、あんな経験はおそらくもう二度とできないだろう。

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「先生がいて下さらなかったら、この二匹は生まれてないんですよ」
 と、私は言った。
「〈もみじ〉の時もそうでしたけど、先生は我が家にとって、何重の意味でも命の恩人なんです」
 電話を切って目をあげると、道は、来た時よりもだいぶ空いていた。
 ようやく帰り着き、ここで気をゆるめてはならじと、寝室の隅にバスケットをそうっと下ろす。しばらくの間、話しかけながら撫(な)でているうちに、お絹はもとのお絹に戻り、横たわって子猫たちにお乳をやり始めた。
 三匹目については、きっと心配してくれている人たちがたくさんいるはずだ。ツイッターを立ち上げ、とにもかくにも報告をした。
 そしてそのあとに続けて、こう書いた。
〈お絹ちゃん、早く産め産め言ってごめん。この上は、早くウンチ出しなさい。レントゲンに山盛り写ってたよ〉
〈皆様、ご心配をおかけしました。改めまして、お絹と二匹のチビをよろしくお願い致します〉
 それぞれの呟(つぶや)きに、その日のうちに二千を超える〈いいね〉と祝福のリプライがついた。二千といったら、生前のもみじ並みだ。
「いつのまにやら大人気やのう、お絹。ええ?」
 と、背の君が笑う。お腹がへこんだせいでひときわ小柄になった新米の母猫が、バスケットの中からゆっくりとまばたきを返してよこす。
 ちなみに、リプライには多くのひとが、奇(く)しくも同じ言葉を寄せて下さっていた。
 ──〈三匹目〉はきっと、もみじちゃんのいたずらだったんですよ。
 私もそう思う。

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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter @yukamurayama710

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※この記事は、2020年6月12日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

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