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第15話 サルでも書けるミステリー教室──隠れて生きろ──ウイルスで幸せになってもいいんだよ|佐藤友哉「青春とシリアルキラー」

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 8月になっても、ステイホームをテーマとしたミステリー小説は書き上がらなかった。
 ちなみに9月発売である。
 まずいのである。
 とはいえ僕が遅筆なのはいつものことだし、まずいまずいと云いながら毎度なんとかなっているので、まあ大丈夫だろう。すでにプロローグ部分は終わらせて、担当編集者に送ってある。あとはラストまで駆け抜ければいい。最初が書ければあとは楽勝。それがミステリー小説だ。
 ミステリーは形式美。
 お約束によって成り立っているジャンルだ。
 まず事件が起きる。すると必ず謎がある。犯人はこの中にいる。探偵が捜査をする。謎をあばく。犯人を見つける。名探偵ばんざーい! めでたしめでたし。
 馬鹿にしているのではない。
 この世にあるすべてのミステリー小説は、どんな突飛な内容であろうと、この流れから逃れることはできないのだ。
 宇宙や電子空間が舞台だとしても、主人公が犯人だったとしても、隠し部屋が100個あったとしても、それでもやっぱり事件は起こるし、そこには必ず謎があるし、どうせ犯人はこの中にいて、探偵が謎をあばいて、真相が明かされて証明終了(Q.E.D.)だ。
 要点さえ押さえておけばミステリーはだれでも書けるし、絶対に書き上がる。
 ちょっとばかり時間はかかってしまったが、すでに冒頭は書いたし、犯人とトリックも決めてある。大丈夫。不安になるな。ミステリーは構造なのである。ミステリーはかんたんなのである。さっさと完成させて次の仕事にとりかかろう。
 というのも、ミステリー小説に手間取っているせいで、『青春とシリアルキラー』の原稿がやばいことになっていた。
 もう少しで連載も終わるというのにまったく着手できず、さらにはラストもまだ思いつかない。
 どうやって終わらせればいいのかわからない。
 それもそのはずで、主人公の「僕」を最後に幸せにしなければならないのだが、僕自身がこんなふうに、書けないとか死にたいとか騒いでいる状態で、ハッピーエンドに持っていくためのプランが思いつかなかった。
 きちんと「僕」を救わねば。
 でもどうやって?
 なんてふうにぐるぐるしていると、担当編集者から電話がかかってきた。
 締め切りをすぎてからかかってくる担当の電話ほど出たくないものはないが、ここで逃げても意味がないことは知っているので通話をはじめた。
 向こうも慣れたもので、「原稿まだですか?」とか、「早く書かないと間に合わないよ!」とかいった言葉は使わず、
「冒頭ありがとうございます。読みましたよ。いい感じじゃないですか。この調子で書いちゃってください」
「いい感じでした? よかった……」
「ステイホームっていうテーマの使い方が、少しひねった感じになってるのがいいですね。設定もSFっぽいから、時代も舞台もまだよくわからなくて、このあとが気になるし」
 褒めそやされた僕は調子に乗って、
「今回のアンソロジーは、テーマや設定がかぶっちゃうのが心配だったんですよ。だってどうせみんな、ステイホーム中に事件が起きて、犯人の動機はステイホームと関係があるんでしょ? なので物語の主軸をできるだけずらしてみました」
「そうなんだよ! 僕さ、依頼してから気づいたんだけど、お題が、『ステイホームにまつわる殺人』だから、どうしても似通っちゃうんだよね。もちろんみなさん、内容は全然ちがうんだけども」
「あの、わかってて依頼したんじゃないんですか?」
「気づかなかった」
 おそらく本当だろう。この人は策略家のわりに天然なところがあった。
 担当は話題を戻して、
「とにかく原稿、いい感じです。僕さ、ちょっと甘く見てた。やっぱ才能ありますよ!」
「そう云ってもらえて安心しました。わかりにくいかなと思って心配だったんで……」
「わかりにくいとは思うよ」
「え?」
「SFっぽいし、設定もちょっと特殊だから、理解できない読者もいるかもしれない」
「それだとこまるんですが……」
「わかりにくいのはいつものことじゃないですか。僕らだけが楽しんで、読者はぽかーんとしてるなんてのは。まあでも、これ傑作の予感がするので、ちゃちゃっと完成させてくださいね。じゃがんばって。どうも失礼しますー」
 電話が切れた。
 わかりにくいのはいつものこと。
 そうかもしれないが、それだとこまるのだ。
 飽きたんだよそういうの。
 いやべつに、売れる本が書きたいなんて色気づいたわけじゃないが、それでも一部の好事家だけが喜ぶようなものを書くのは飽きた。
 自分の作風に飽きた。
 そう思うようになったのは、ひょっとしたら今回のウイルス騒動がきっかけかもしれない。
 世界がこんなにも激変しているというのに、僕の生活はいつも通りで、さらには作風まで変わらないのなら、実家から持ってきて今は寝室にある目覚まし時計といっしょではないか。こいつはもう20年近く、朝にジリリリリと鳴るだけの仕事しかやっていないが、しかし目覚まし時計と僕のあいだに違いなんてあるのか? 僕も目覚まし時計も、ただひたすらチクタクやっているだけじゃないのか? そして時計を描写する際に、「チクタク」なんて擬音を持ってくる物書きは終わっているんじゃないのか? こんなことでは、そのうち時代から完全に取り残されて……なのにそれに気づくこともなく、最先端に立っていると自分だけが思い込んでいる……いわゆる「老害」となるだろう。
 冗談じゃない。
 自覚のない老害なんて、そんなの、物書きとして最低じゃないですか。チクタクバンバン!
 ちゃんとやろう。
 素朴にそう思った僕は、ミステリー小説に集中した。とにかく必死に書き進め、さらには、わかりにくいと云われた設定をあれこれいじり、8月某日、デッドラインぎりぎりで、なんとか完成させた。
 できあがってみるとそれは、これまでの自分の小説とはやや違うものに仕上がっていた。
 生き返ったような気がしてうれしかった。

 仕事もウイルスも一段落つき、ひさしぶりに阿南(あなん)さんと打ち合わせをすることになった。
 電車は空いていたが、町には人混みが復活しつつあった。
 歩道から人がこぼれ落ち、飲食店の明かりもまぶしく、有名ラーメン屋にはマスクをした人々が列をなしている。
 緊急事態宣言中の静かな日常が恋しくなったが、こればかりは仕方がない。東京に生きる以上、たとえ爆弾が降ろうと、毎日元気に動き回らねば粋じゃないということは、先の大戦が教えてくれている。
 そもそも国というのは、つねに活動しているから国として成り立っているわけで、止まってしまえばそれがどんなに巨大でも死んだ恐竜といっしょ。そして首都は国におけるエンジン部分なのだから、ストップするわけにはいかないのだ。
 待ち合わせの場所の毘沙門天に行くと、すぐに阿南さんを見つけた。ぞっとするくらい目立っていた。
 マスクをしていないのだ。
 東京の、それも上流階級の人々が暮らす町でマスクをしない阿南さんは、ちょっとしたパブリックエネミーに見えてわくわくした。やはり執筆に詰まったときは、非常識な人間と会うにかぎる。
「マスクしてるのか」
 阿南さんは僕を見るなり、意外そうな口調で云った。
「当たり前じゃないですか」
「俺はどうにも苦手でな。先日、空手の道場が再開したんだが、マスクをして稽古する決まりになってしまって、苦しくてかなわん。とりあえず店に入ろうか。きみが気に入らなかった居酒屋でいいか?」
 気に入らなかったことをおぼえているのなら、どうしてべつの店にしないのか意味不明だったけれど、阿南さんに正論を云っても無意味なので店に入った。僕はこういう感じの……風情はあるけど風格はゼロ、手書きのメニューと古いポスター、焼き鳥は2本セット販売、冷やしトマトが人気です……みたいな居酒屋に、なんの感慨も覚えないのだが、かしこまった店を嫌う阿南さんはお気に入りらしい。
 僕たちはビールを注文して、グラスを合わさず乾杯した。
「お変わりないようで」
 僕はいくらかの皮肉をこめて云った。
「ああ。出社はできるようになったよ。基本はテレワークだし、打ち合わせもグレーゾーンなんだが、そんなことを気にしていたら仕事にならんからな。きみのほうは?」
「問題ないです。小説家ってテレワークみたいなものですから」
「いや、そういう話じゃなくて、パンデミックが原因で書けなくなったりしていないかと聞いたのさ。なにせ、原発がメルトダウンしただけで、『こんなときになにを書けばいいのかわからない』と騒ぐ輩(やから)がいるからな」
「まさにそのことなんですけど、ステイホームのミステリー小説、やっと書き終わりました。締め切りを破っちゃってすみません」
「いいさ。書けなくて締め切りを破ったわけじゃないのなら」
「…………」
『青春とシリアルキラー』のラストが思いつかないという話を切り出すタイミングをうしなった。
 阿南さんは僕の動揺に気づくことなくビールを飲みながら、
「人類はこれまでも、大疫病や大戦争を経験してきたが、書くのをやめたことはなかった。ボッカッチョは当時大流行していたペストをヒントに『デカメロン』を書いたし、コナン・ドイルはいくつもの戦争に参加している。物書きたるもの、むしろ混乱からインスピレーションを得るくらいじゃなければな」
「はあ……。インスピレーションって話なら、僕はウイルスよりも、その次のほうが気になりますけどね」
「その次とは」
「もちろん、ウイルスがいなくなったあとの時代ですよ。僕としてはそっちのほうがスリリングです。もう絶対このあと、シリアルキラーが出てくるじゃないですか」
「絶対なのか?」
「絶対です。だって、作用と反作用じゃないですけど、ここまでおかしくなった世界がもとに戻るときには、それなりの反動があるだろうし、そしてそれは、シリアルキラーくらい出てこないと収まりがつかないレベルだと思うんですけどね。戦争から日常に戻るまでのあいだにも、いろんな凶悪事件があったじゃないですか」
「小平事件や帝銀事件のような?」
「そうです、そういうやつです」
 小平事件は強姦殺人、帝銀事件は毒物殺人とカテゴリーはべつだが、どちらも戦中戦後に発生した殺人事件で、やはりどちらも戦争の匂いが立ち上っていた。
 戦争。
 それは死体から靴や時計をはぎ取ったり、人命より米粒のほうが価値があるという、圧倒的に倒錯して、残忍で、麻薬的で、官僚的で、人の命がきわめて安い時代。
 食糧や就職口を求める女性を言葉たくみに誘い出し、ひたすら犯して殺した小平事件。
 犯人の腕に巻かれたニセモノの腕章に気圧されて、被害者たちが毒を飲んだ帝銀事件。
 この2つの事件を知ったとき、僕はまだ幸いにも体験したことのない、いくさ場の匂いをたしかに嗅ぎ取った。
 教科書風に云えば、日本は1945年8月15日に終戦をむかえて、民主主義国家となりました、という表現で次のページに進むのだが、この時代をリアルタイムで生きた人々の気持ちは、そうかんたんに切り替わるものではなかったはずだ。戦争によって心身を破壊し尽くされたあとに、終戦、民主主義と云われても、べつにだれも自主的に戦争をしていたわけではないし、飢えと焼け野原の荒廃しきった暮らしが変わるわけでもないのだから、人々にとっては終戦も民主主義も、ただの言葉にすぎなかったはずだ。
 戦争が終わっても、人々の意識は後遺症のように戦争をひきずっていたに違いない。
 そのような中で起こった小平事件の犠牲者たちは、野菜のヘタでももぎ取るようにして強姦されたあとに殺され、帝銀事件の犠牲者たちは、役所からやってきたという犯人の言葉にしたがって毒を飲んだ。
 人間を殺すこと。
 権力に屈服すること。
 この2つの事件には、ただひたすらにそれだけを教え込まれた戦争というものの影響が、まざまざと反映されているのだ……というのは僕の説であり、本当かどうかは知らない。
 僕には、シリアルキラーと時代をセットで語る癖があった。
 シリアルキラーは数字と相性がよく、これまで男女比や人種別構成比といったものが算出されているが、出現率と時代性との因果関係にかんする数字を僕は知らないし、なにより連中はただ殺しているだけだ。だから僕の云っていることなんてあまり信じないほうがいい。そこまでわかっていてもなお、無責任な僕はつい、シリアルキラーは「時代を映し出す鏡」だと考えてしまうのだった。
 なので、ひきつづき無責任に云えば、世界レベルのパンデミックというこの現状は、未来のシリアルキラーを生み出す下地になっていると思うし、そしてこんどは責任を持って云えば、次に現れるシリアルキラーにかんする文章は、きちんと誠意を持って書こうと思う。だってそれは僕の役割なのだから。

「俺はその手の小悪党に興味はないが……」
 阿南さんは煙草(たばこ)を取り出したが、店の壁に貼られた『禁煙』の文字を見つけると、少し考えてからポケットに戻した。ちなみに僕はもっと前から気づいていたのだが、阿南さんのことだから店の都合など考えずに喫煙するかもしれないと思ってだまっていた。今年の春に東京都受動喫煙防止条例が施行されてからというもの、東京のほとんどの店から灰皿が撤去されていた。
 阿南さんは仕切り直すようにおしぼりで手を拭き、「俺はその手の小悪党に興味はないが」とくり返してから、
「しかし、彼らのような小悪党がずっと減らない理由はあきらかだ。今は、成熟した大人になるのがむずかしい時代だからな」
「成熟した大人?」
「社会の構成員にふさわしい人間のことさ。理想社会のイメージができなくなっている中で、そのような大人になるのは大変だよ。そしてなぜ理想社会のイメージができないかといえば、主権国家が壊れつつあるからだ」
 またむずかしい話がはじまろうとしている。
 とはいえ連載のオチが浮かばない僕としては、なにかしらのヒントが得られるチャンスかもしれないので、「主権国家ってなんですか?」と話をうながした。
「ざっくり云えば、国がひとつの人格のように、ほかの国と喧嘩したり、仲直りしたりできる政治体制のことだ。ちなみに主権国家の原型は16世紀、ジャン・ボダンが『国家論』に書いたのが最初らしい」
「全然知らないです」
「邦訳されていないからな。なにせ魔女狩りのバイブル、『デモノマニア』の作者だ。人気がないのだろう。ちなみにジャン・ボダンはペストで死んでいる」
「それはそれは」
「かつてのヨーロッパは皇帝が支配していた。しかし印刷技術の発展によって聖書が広まり、力を持ったプロテスタントとのあいだに宗教戦争が起こり、皇帝の時代から王の時代となる。これによって国は、各地の王たちが領土にもとづいてまとめるものとなったわけだ。きみ、絶対王政は知っているか?」
「さすがに知ってますよ。『朕は国家なり』ですよね」
「だが18世紀に入るとルソーが現れて、国は国民のもの……すべての国民が、『俺が国家だ』と云えると書いた。その後、各国で発生した市民革命の結果、それぞれの国がそれぞれの人間のように人格を持つ国家像が完成した。皇帝や王族にしたがうのではなく、国土と国民にもとづく生命体になったわけだ。それが俺たちの生きている主権国家だが、それも終わろうとしている」
 阿南さんはそこで言葉を区切り、煙草を喫(す)う代わりのようにおしぼりで口をぬぐって、
「国を国たらしめているものは土地と暴力とカネだが、20世紀後半、ヨーロッパの国々は植民地をうしなうことでカネがなくなり、それまで国のもとで管理していた仕事を、民間企業に手放さざるを得なくなった。代表的なものは民間軍事請負会社だ。『テロとの戦い』のように、敵さえも主権国家ではなくなったわけだな。さらには多国籍企業の台頭が追い打ちをかけた。日本の自動車を労働賃金の安い中国で作るとか、日本で利用するYouTubeから税金を取れないとか、多国籍企業と規制緩和は、労働市場さえ国家の枠を超えてしまった」
「なんだかちょっと、むずかしい話になってきたんですけど」
「主権国家の要である人格が薄れたために、愛国心もへったくれもなくなったというだけの話さ。富裕層は資産を他国に移し、母国に嫌気が差した国民は国籍を変え、ハプスブルク家の代わりに、アップルやグーグルといった大企業がごろごろ出てくる。そのような中で主権国家など空虚な幻想にすぎない」
「そうですか? あいかわらずフランスはフランスだし、アメリカはアメリカですよ」
「もちろん国は今でも最大の権力だが、すでに人の心を国民という意識でまとめる力はなくなったし、にもかかわらず国を信じる連中がまだ残っているからこそ、かえって分断が進んでいるとも云える」
「うーん……」
「昔の日本人にとって、国とは藩のことだっただろ。ウイルス関連の政策に対して、政府の命令を聞かない町が出てきたが、それなんかは先祖返りした感じだな。そしてこのような中で、国というものを認識するのはむずかしく、自分がそこに属する大人になるというイメージも困難になってきている」
「で、つまり?」
「きみが云うように、このパンデミックが終わったら、シリアルキラーが跋扈(ばっこ)するかもしれないということさ」
 阿南さんは云った。
 僕は阿南さんほど学はないし、適当なことを書き散らすだけの山師だが、それでもちょっとした未来予測をさせてもらうと、ウイルスで打撃を受けた世界はこれから、ゆっくりと下降していくだろう。もっと云えば、下降していくことが悪ではない時代になるだろう。でもそのとき、下降に耐えうる精神と余裕を手にした大人なんて、果たしてどれだけいるのだろうか? 政治家も国民もいっぱいいっぱいになって、だれもが混沌に呑まれるような気がしてならない。
 そして混沌の世界で主導権をにぎるのは、やはりシリアルキラー。
 結論。
 未来は暗い。
 でも明るい未来なんてこれまでにあっただろうか。
 阿南さんはしばらくだまっていたが、短く息を吐くと、
「このような世界で美しく生きるには、エピクロスではないが、隠れて生きるしかないだろうな」
「あ、知ってます。エピクロスってあれですよね、エピキュリアン……快楽主義の元ネタになった人」
「そうだ」
「やっぱりあれですか。快楽主義ってのは酒池肉林な感じなんですか?」
「全然ちがう。なんだ、きみも誤解しているクチか。快楽主義にまつわるそうした低俗な誤解は、キリスト教によるネガティブキャンペーンの結果だ。快楽主義の提唱者であるエピクロス自身は、『水とパンがあれば自分は満ち足りる』と豪語するほどにストイックな人間だよ」
「え。それのどこが快楽主義なんです?」
「身体の健康と、心境の平静。こうした自己充足が必要だとエピクロスは説いた。まあつまり、苦しんだり怖がったり欲求不満になったりしなければそれこそが快楽であるという意味だ。飢えないこと。渇かないこと。寒くないこと。この3点が満たされていれば、自分は幸福にかけては神に勝てるとまで云っている」
「なんかそれ、不幸じゃなければ幸福だって云ってるみたいにも聞こえますけど。あとそれだと人生の成功とか、野心とか、六本木ヒルズとか、そういうのになんの価値もなくなりますけど」
 僕がそう云うと、阿南さんは小さく首を振って、
「価値がどうこうではなく、その手の充足は不快になるからやめればいいという話だ。贅沢な食事とか、美しい女性とか、最大の富や尊敬などいくらあったところで、それに随伴していやなことが起こるから唾棄しろというのが快楽主義の原則なのさ」
 ずいぶん極端な意見だが、納得できる部分はあった。不倫や麻薬による一瞬の快楽が世間にバレた結果、すべてが終わってしまうというのは、芸能人のスキャンダルを見るまでもなくあきらかだし、カネや性に依存した快楽は、「カネがなくなった!」とか、「モテなくなった!」とかいうだけで消滅するどころか、これまであったものがなくなってしまうストレスにやられるのであまり重視しないほうがいいという価値観は、僕自身の中にもなんとなくあった。
 国というかたちが薄れ、成熟した大人として国に属することがむずかしくなってきた現代において、エピクロスが提唱する快楽主義……ひきこもりのいいわけみたいなやりくちは、たしかに有効だろう。
 でもそれは、
「人生を降りちゃってますよね」
 すると阿南さんは、「まさに」と認めて、
「快楽主義の主張を一言でまとめた言葉こそが、『隠れて生きろ』だ。国家や世情に心乱されることなく、安らかな状態を維持することが最上の快楽であると説いたエピクロスは、実際に小さな土地を買い、そこで仲間たちと庭園生活をおこない、生涯を終えるまでそこを離れなかったらしい」
「あの、僕の知り合いの知り合いが、山奥でニートたちだけで暮らしてるんですよ。その人はインタビューで、テレビやネットで見る外の世界は非現実にしか感じられないし『お金のかからない暮らしをしていると、お金をかけただけ楽しまなければいけない、という概念から逃れられた』って云ってました。でも僕、だからって山奥に引っ込むのはいやです」
「東京でも、不快にならない暮らしはできるさ。家の中で、家族と静かな生活を送るとかな」
 阿南さんの言葉によって、まだ息子が赤ん坊だったころを思い出す。
 泣き止まない息子を何時間も抱っこしたり、ミルクを飲ませたりしながらスマートフォンをいじっていると、だれかが大きな文学賞を獲ったとか、だれかの小説が映画化されたとかいうニュースが飛び込んできて、僕はそのたびに深いため息を吐(つ)いた。べつに小説家としての野望なんて昔からなかったし、育児も好きでやっていたし、子育てしながら仕事をしている人もたくさんいたが、それでもため息をストップさせることはできなかった。
 あのときの僕は、赤ん坊の世話を楽しみつつ、しかし不快に属する生活をつづけていたのだろう。
 今はどうだ?
「阿南さんは幸せですか……」
 僕は自分自身と向き合うかわりに質問した。
「妻と娘たちに囲まれた生活をしているという意味では、まあ、幸せだ。きみがそうじゃないのだとすれば、まだどこかに、きみを不快にさせる要因があるのだろう」
 これ以降、とくに話題は広がらず、長時間の打ち合わせもご時世的にアウトなので、打ち合わせはお開きとなった。
 会計をすませて外に出ると、阿南さんが僕を見て云った。
「きみ、ダンテを忘れるなよ。俺たちの目的は、この東京の中で天国を見つけ出すことだ」

 夏のあいだはウイルスも静かで、政府もGoToキャンペーンなる経済政策を打ち出して、多くの人が国内旅行に出かけて、ひとときの日常を楽しんでいた。いっぽうの僕は、れいのアンソロジー本がぶじに出版され、サイン本を大量に作ったり、無観客配信イベントをやったり、出版社と新作の打ち合わせをやったりと、こちらもまた日常をいそがしくすごしていた。あいかわらずマスクは手放せないし、みんなで集まってワイワイ酒を飲むこともできないが、よく考えたらひきこもり体質の僕には、どちらもあまり関係のないことだった。
 そんなとき、アンソロジー本を作った僕の担当が、インターネット上でトークイベントを開くことになった。
 僕はノートパソコンを開いてYouTubeをのぞいてみた。
 画面に映る担当は、アンソロジー本をぱらぱらめくりながら、それぞれの作品をネタバレに配慮しつつ、あれこれ褒めまくっていた。
 そして僕の小説の番になったとき、担当の口からとんでもない言葉が出てきた。
「これはですね、すごい作品で、一皮むけたって感じがするのでぜひ読んでみてください。でもね、この話、最初はもっとSFっぽい設定だったんだけど改稿で削られて、それが僕にはちょっと残念だったんですが……」
 はあ?
 ふっっっっざけんな。
 おまえがわかりにくいって云うから直したんじゃねーかよ!
 僕は怒りまかせにノートパソコンを閉じた。しかし怒りは長くつづかず、それどころか、自分の反応がおもしろくて、笑い出しそうになる。やれやれ。ウイルスの脅威が去ったわけでもないのに、本を書いたり人に怒ったり、すっかりいつもの東京生活ではないか。9年前、原発がメルトダウンを起こして日本中が大混乱におちいっているさなかに、運転免許の試験に挑戦して合格したのだが、そのとき、「なんだ。まるで平和みたいじゃないか」と思ってはっとした。それと似た感覚だった。
 そんなことをしているうちに季節はすぎ、北半球に冬がやってきた。
 12月。
 冬の到来とともにウイルスはふたたび活発になり、アメリカの死者数は30万人を突破し、イギリスでは変異種が猛威をふるい、日本でも感染者が増えはじめ、とくに都市部の状況は深刻で、2回目の緊急事態宣言が発出されるのではという話まで出てきた。
 世界が緊張していく。
 そうして緊張すればするほど、世界のスピードはゆっくりしていく。
 これが僕の実感だった。
 もちろんウイルスの被害は致命的で、世界中のあちこちで人々は職をうしなったり死んだりしていたが、しかし飢えたり死んだりするのはこれまでもずっとそうだったし、ワクチンを接種するくらいしか人類に打つ手はないのだから、やれることといえば家でのんびりするくらいで、そしてそれは僕にとって、心の休まるものだった。ふたたび自粛ムードがただよい、忘年会もクリスマスも正月の帰省もなくなった東京で、僕はひっそりと暮らした。
 そういえば今年はまだ、クリスマスソングを聴いていないし、イルミネーションも見ていないし、ケンタッキーフライドチキンの予約もしていない。僕に物心がついてから、山下達郎・竹内まりや夫妻が前に出てこない年末をすごすのははじめてだ。しかし皮肉にも、この冬、日本の天候は大きく崩れ、クリスマスの当日の関東地方は、雨は夜更けすぎに雪へと変わるだろうという予報が出た。
 クリスマスが終わるころ、町は静かになった。
 去年読んだ、カミュの『ペスト』を思い出す。
 魅力的な登場人物が多く活躍する『ペスト』の中で、僕がとくに気に入っているのは、コタールという男だ。コタールはこれまでの悪事で逮捕寸前で、自殺騒ぎを起こすほど追いつめられていたが、ペストの出現で町が死ぬのと同時に鬱が晴れ、まわりがドン引きするくらい元気になった。
 日常が機能していたとき、コタールの精神は逼迫(ひっぱく)していた。不快の中にあった。それがペストという災害がやってきて、あらゆる人々に等しく不快が降り注いだことで、逆説的にも快楽を獲得したのだ。
 はっきり云います。
 コタールの気持ちはよくわかる。
 今、世界はウイルス禍で、だれもが不安と不満を抱えていて、生きるのに難儀しているし、これまでマイノリティの代弁をしてきた文化人や知識人、文芸誌にものを書く作家先生なども、この現状が不快であると云い切っていて、一刻も早い日常の回復を祈っているが、本当にそう? と思う。
 僕は楽だよ。
 花見もゴールデンウィークもない春が、海も野外フェスもない夏が楽でたまらなかったよ。
 こうした感覚で生きているのは、僕だけではないはずだ。己の無能さをつねに認めなければならない状況にあり、自分のもっとも見たくない部分を、つねに目の前に突きつけられてやりきれない毎日を送っているような者にとっては、世界全体が停滞している今こそ幸福の時代である。……こう書くと罪悪感が出てくるが、いかなる苦しみの中にあっても、その隙間をこじ開けて幸せを見つけようとする作業はけっして悪ではない。嘘じゃないよ。

 僕は文学のことをよく知らない。
 それでも文学というのは、もっとも弱い立場にいる者の側に立つことだと信じている。
 ならば僕は、だれも云わないのなら、不快から快楽を得てもいいんだよ、ウイルスで幸せになってもいいんだよと云ってやりたい。

 むろん、不快を快楽に置き換えるなんて倒錯しているし、いつどんなかたちになるかはともかく、このウイルスは必ず収束するから、かつての日常は必ず戻り、いつもの現実と向かい合わなければならないときはやってくる。ペストの襲来とともに元気になったコタールは、死者数が減少するのと反比例するようにふたたび鬱になり、町からペストが消え去った日に発砲事件を起こして逮捕された。コタールはおろかだし、まちがっていた。しかし彼はペストのあいだ、たしかに幸せだった。
 さて、『ペスト』の世界からペストはなくなったが、僕の世界はまだウイルスで満ちている。
 それは事実。

 子供は冬休みに入り、妻も仕事納めとなった。
 家族だけですごす年末がやってきた。
 そして次の回で、『青春とシリアルキラー』は幕を閉じる。「僕」を幸福にするオチはまだ思いつかない。
(次回最終回)

illustration Koya Takahashi

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連載【青春とシリアルキラー】
毎月更新

佐藤友哉(さとう・ゆうや)
1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』等がある。
Twitter:@yuyatan_sato

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