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甘えんぼ|村山由佳 第11話

 なはーん、あんっ、なははーん。
 猫というよりは小鳥みたいに高くて細い声で鳴きながら小走りに近づいてくると、しゃがんでいる私のジーンズに頭をこすりつけ、撫(な)でてやれば身体(からだ)をくねらせる。
 どうやら妊娠しているらしい。水を詰めた風船みたいに重たげなお腹(なか)をまさぐれば、指先に乳首のつぶつぶとした感触が触れる。
 後肢で立ちあがって私の膝に手をかけるので、そうっと抱き上げてみると、彼女はますますごーろごーろと喉鳴りを大きくしながら茶色い鼻面をぐいぐいこすりつけてきた。小柄なのにたいそうな力で、
「え、なになに、どうしたん」
 思わずそう訊(き)いてしまうほどの激しさだ。
 お腹の子をつぶさないよう気をつけながら抱きしめる。
 ──ああ、あったかい……。
 うっかりすると泣けてきそうだった。我が家にいる他の四匹だって甘えることは甘えるけれども、ここまで激しくは私を求めない。〈もみじ〉を喪(うしな)ってから一年と二十日、ずっと身体の真ん中に穿(うが)たれたままだった空洞を、ちょっとでも埋めてもらった気がして胸が温(ぬく)もる。
 ひとしきり甘えまくった後、猫はすとんと地面に下り、しゃがんだ私の脚の間にぴったりおさまるように、こちらへ背中を向けて座った。祠(ほこら)に納まるお地蔵さんみたいだった。
 何なんだろう、この子は。
 あっけにとられて、ミルク色した頭のてっぺんを見おろす。ほとんど見も知らぬ人間にこんなに身も世もなく甘えて、それどころかいきなり背中を預けちゃって大丈夫なのか。しかし本人は、ごーろごーろ、ぐーるぐーると喉を鳴らしながら、そろえた前脚で小さく足踏みしている。めっちゃゴキゲンらしい。

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 ずっとこうしていたいけれど、そういうわけにもいかない。そもそも何をしに来たのだったかを思い出し、最後に猫をひと撫でしてから立ちあがって、Yさん宅の呼び鈴を押した。
 父の時は警察や救急車が騒がしく出入りしたから、ご近所の方たちはこちらがご挨拶にうかがうより前に察していらしたが、母は施設での生活が長かったので、出てきたお姑(しゅうとめ)さんに話すとずいぶん驚かれた。
「明日が葬儀で、自宅でのささやかな家族葬なんですが、それでもいろいろお騒がせしてしまうかと思うんです」
 ごめんなさい、と謝る私の足もとに、猫が寄ってきて身体をすりつける。お姑さんはそれを見おろして苦笑しながら、いえいえ、と首を振った。
「そうでしたか……。でしたら明日は、御出棺の時にお見送りだけさせて頂きますね」
「ありがとうございます。母も喜ぶと思います」
 玄関先の池に頭をつっこむように水を飲んでいる猫を見やり、
「可愛(かわい)い子ですねえ。甘えんぼさんで」
 私が笑って言うと、お姑さんもにっこりした。

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 てっきりそこでお別れかと思ったのに、門を出た私の後を、猫は走って追いかけてきた。
 歩みをゆるめた私のふくらはぎに体当たりをし、8の字に脚の間をすり抜けてはこちらを見上げて鳴く。歩こうとしても、前へ出す足の一歩一歩に顔をすりつけ、何ごとかを訴えながら膝から腿(もも)へとよじ登ろうとする。
「ちょ、どうしたん?」
 なひゃん、あ、あーん。
「なによ。もっと? もっと撫でるの?」
 なひゃーん、あ、あん。
「行きますよ、ほら。危ないってば……歩けません。歩けませんってば……何なん、可愛いなあもう」
 思わず本音が口に出た。
 可愛い。ああ、なんて可愛いんだろう。こちらにとってもほとんど初対面の猫なのに、こんなにもまっすぐ、心の内側にまで愛(いと)しさが刺さってくるのはどうしてなんだ。
 とうとう、実家へと続く私道の入口までついてきた猫を、再びしゃがみこんで撫でながら、私はスマホを取り出して電話をかけた。
「ん、どないした?」
 五十メートルばかり先に見えている家の中から、背の君が応える。
 私は言った。
「こないだの猫がおんねんけど」
「どこに」
「私の足もと」
「ええ? どこやねん、今」
「私道の入口んとこ。Yさんちからずっとついて来よって……可愛らしでぇ、めっちゃ甘えんぼやねん。な、ちょっと見にけえへん? たぶんこの子、逃げへん思う」
 俺は別にええわ、とか言うかなとも思ったのだが、背の君の返事はひと言、
「今行く」
 だった。
 まもなく、玄関ドアが開いて閉まる音がした。間に遮るものがないので、はっきりと耳に届く。
 こちらへ歩いてきた彼は、あと二十メートルくらいのところまで来ると歩調を落とした。ゆっくりゆっくり近づいてくる男を、猫は私から少し離れ、茶色の耳をぴんと立てて注視している。
 さっきの私くらいの距離をとってしゃがむと、背の君は、
「よう。久しぶりやの」
 これまた私と同じことを言って、そっと人差し指をさしだした。迷う様子もなく猫が走り寄り、その指先に鼻面から全身をこすりつける。
「何ちゅう名前?」
「わからん。聞いてない」
 母猫と呼ぶには小柄すぎる猫を、お前がまだ子どもやんけ、と背の君が目を細めて見おろす。両手で撫でくりまわしてもらった猫が、また私のほうへ戻ってきて鳴き、膝に、肩に、必死でよじ登ろうとする。
「なんなん、こいつ」
「な、甘えんぼやろ?」
「うーん」
 背の君は、半ば困惑したように首を振って言った。
「甘えるとかそういう域、超えとるわ」


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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter@yukamurayama710

村山由佳さんの猫三部作

※この記事は、2019年12月6日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

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