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食べものの重み|千早茜「こりずに わるい食べもの」第13話
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食べものの重み|千早茜「こりずに わるい食べもの」第13話

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 数日前から右肩が痛い。首がうまくまわらない。肩はあがるが、重いものを持つとピーンと糸が張ったようにひきつる。ああ、恐れていた日がやってきてしまったと暗澹あんたんたる気分になっている。ついに、体と胃袋の足並みが揃わなくなったのだ。

 一人暮らしになってから、食べものが重くなった。心理的なことではなく、物理的に重い。食材がひたすら重い。第三話で果実食を試してみたとき、果実のあまりの重さに断念したと書いたのだが、果実でなくとも重量を感じる。そもそも、葉物野菜よりは根菜、パンよりは米(パンも食パンやヴィエノワズリーよりは断然どっしりしたハード系を好む)、肉は塊と、重い食材が好きなのだ。買い溜めはしないタイプなのに、ほぼ毎日、肩にエコバッグを食い込ませてスーパーから帰っている。

 帰宅して調理台やテーブルに買ってきたものを置いて、ふうっと一息つくとき、その量にときどきびっくりする。一人で暮らしているのだから、自分だけが使う食材だ。人と住んでいたときは、男性はやっぱりよく食べるなあ、と責任転嫁ができたが、今はまぎれもなく私が食べたいものしか買っていない。これがすべて自分の体におさまると思うと、人間一人が生きていくごうのようなものを感じずにはいられない。

 旅行するときも菓子が重い。舌と胃袋の容量が合う友人がいるのだが、彼女と旅するときが最も重い。夜にえんえんと茶会をするので、大量の茶や菓子を持参するのだ。彼女は「旅先でなにかあればいいや、なければコンビニや道の駅なんかで調達しよう」という軽やかなスタイルなのだが、私はついつい「せっかくの旅行なんだから失敗はしたくない」と慎重になり、自分のお気に入りの美味を揃えてしまう。クッキー缶は必須、チョコレートは欠かせない、間に挟むしょっぱいものも欲しい、お風呂上りにひんやりした生菓子も食べたいと途中で買い足し、旅行鞄より大きな紙袋を抱えてホテルや旅館にチェックインすることになる。部屋のテーブルやちゃぶ台を埋める菓子に、毎度やりすぎたと反省するが、次の日にはきれいになくなっている。宿に入るときにあった確かな重みは、体の中に入ると無になる。旅行するたびに、人体の不思議を実感する。

 とはいえ、よく食べるのは昔からだ。近年、食べものが重いと感じるのは加齢によるものだろう。不惑を越え、体力も筋力も二十代の頃とは比べものにならないはずだ。それなのに、食べる量が減っていないから重く感じるのだろう。いや、むしろ二十代の頃よりも食べている気すらする。体と胃袋が釣り合っていないのだ。
 薄々そんな気はしていたが、なんとなく見ないふりをしていた。しかし、数日前、待ち会があった。「待ち会」という言葉を小説家になってから知ったが、文学賞の選考会などがあるとき候補者が編集者たちと結果を待つために催す会のことをいう。私は結果を待つという行為が嫌いで、とにかく「待っている」という状態をなるべく避けたいと思って生きてきた。そのため、いままではお断りしてきたが、さすがに作家デビューをして十年も越えて担当編集も年下ばかりになり、我を通すのも馬鹿馬鹿しくなってきたので、K書店の甘味好き担当女性たちと待ち会をすることにした。

 当日、私は早起きをして電車に乗り、いそいそと人気パティスリーの行列に並んだ。甘味のために待つのはまるで苦ではないのだ。極上の美味が約束されている名店なら尚更である。かねてからやってみたかったことがあった。列が一人、二人と減っていく、三十分ほど並び、ようやく私の目の前に光り輝くショーケースが現れた。その日のすべてのケーキが揃っている。開店前から並んで、本当によかった。すっと顔をあげる。ショーケースを指して、こう言うつもりだった。
「端から、端まで、ぜんぶ」
 しかし、一瞬たじろいだ。もう一度、ショーケースを眺める。ケーキは二十種類。焼き菓子もチョコレート菓子も買いたい。持てるか……? と疑念がよぎった。崩れやすいケーキは持ち運ぶのに細心の注意が要る。三個でも肩が凝る。菓子の入った紙袋を床に置くことは絶対にしたくない。一度も休憩せずにすべてのケーキを「待ち会」へと運ぶ自信がなかった。

 結果、私はショーケースの半数のケーキしか頼めなかった。一度家に帰り、状態を確かめ、保冷剤を替えた。担当編集者たちご所望の中国茶と茶器の用意をして、和の菓子を欲した場合に備え羊羹も一本入れた。それらすべてを大きな袋に入れ、肩にかけた途端に電流が走るような痛みを覚えた。うっと思ったが、ケーキを気遣ってそろそろと下ろした。肩はじんじんと疼いている。運べないかもしれない……と嫌な汗がでた。悩んだ末に、私はケーキと菓子を少し減らした。その作業中に選考結果をしらせる電話が鳴ってしまい、もう待たなくていい「待ち会」に行くという非常にとんちんかんなことになってしまった。

 ケーキはとても美味しかった。減らしたくらいで量もちょうど良かった。けれど、数日経った今も肩はまだ痛く、ちょっぴり心も傷ついている。選考結果にではない。それは私の実力不足なので、精進する他はない。ショーケースのケーキを端から端まで買って自力で持ち帰ることができないという事実に打ちのめされている。歳を取ったらいままでのようには食べられなくなるよ、と年配の友人知人からよく注意を受けていた。胃が受けつけなくなることかと思っていたが、運べなくなるという意味もあったのだろうか。

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illustration 北澤平祐

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連載【こりずに わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『さんかく』『ひきなみ』などがある。
Twitter:@chihacenti

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