夢の食事|千早茜「こりずに わるい食べもの」第17話
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夢の食事|千早茜「こりずに わるい食べもの」第17話

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 私はものすごく静かに眠るらしい。寝返りもほとんど打たず、呼吸もしているかしていないかわからないくらいひっそりと眠るので、床を共にした人に「死んでいるんじゃないかと思った」と怯えられる。友人と旅行をしても同室に泊まると心配をかけてしまうので、人より先に眠らないようにしているくらいだ。

 そんな私が先日、眠っているときに「ゔ―!!」と唸り声をあげたらしく、恋人が仰天して目を覚ました。急な体調不良かと思い「どうしたの⁉︎」と声をかけると、私はひどく不服そうな顔で「鰻が食べられなかった」と呟き、また眠ったそうだ。

 その晩みた夢は、幻の鰻屋を目指して山道を登るというものだった。ようやく辿りついた山小屋には偏屈そうな爺さんがいて、私の姿を見るや、薄鈍うすにび色の細い包丁をすらりと手に取り、黙ったままシャーシャーと鰻を捌きだした。かまどで米を炊き、山小屋の裏へまわり七輪で炭をおこす。私はかたい板の間に正座し、鰻が焼きあがるのをじっと待った。やがて、こうばしい匂いが流れてきた。醤油と鰻脂が焦げる、気も狂わんばかりに旨そうな匂いだ。口の中が涎でいっぱいになる。偏屈爺がしかめ面のまま片手に鰻丼を持ってやってきて、どんと目の前に置いた。白米から湯気がたっている。こんがりと焼けた鰻の表面で脂がてらてらと輝いている。気がいて、なかなか割り箸を紙袋からだせない。もたもたしていると、ぐにゃっと視界が歪んだ。ああ、起きてしまう。ひとくちも食べられないまま目が覚めてしまう。嫌だ、私の鰻! と抗っても夢はどんどん壊れていく——
 そこで、唸りながら起きてしまった。ただ悔しさよりは怒りが強かった。なぜなら、いつものことだからだ。私は夢で食べられたことがない。

 昨夜も食べられなかった。
 森の中を歩いていると、甘い匂いが漂いだして、樹々のうろの中で林檎のケーキが焼きあがっていた。暴力的なバターの香り。きっとかえでの樹なのだろう、メイプルシロップのこっくりした匂いもする。ケーキは樹の蜜と飴色になった林檎でじゅくじゅくだった。どうやって樹の中でケーキが焼けるんだと思われるかもしれないが、そこは夢なので気にしないでもらいたい。夢の中の私もなんの疑問も抱かず、うわあ美味しそう! 食べ放題だ! と小躍りし、すぐ傍の樹に飛びついた——と、そこでまた覚醒。またかよ、と夜明け前の暗い部屋でくさくさした。

 一体どうして食べられないのか。夢に色はある。匂いもしっかりとある。迷惑なことに痛覚まであって悪夢をみたときは体力と気力を削られる。手ひどく傷つけられる夢をみると、くっきりと目の下にくまができる。基本的に、異様に夢がリアルなのだ。なのに、味わうことだけがどうしてもできない。食べようとすると起きてしまう。
 一度、ラーメン屋に行く夢を見た。寝る前に恋人がラーメンの話をしたせいだろう。カウンターに置かれた醤油ラーメンらしきものには渦巻きのナルトとメンマと焼き豚と葱がトッピングされていた。私の脳が作りだしたラーメンのイデアのようなラーメンは無個性で、食品サンプルじみており、さして食欲を刺激されなかった。しかも、無臭であった。おそらく私がラーメンをほとんど食さないため、脳内にラーメンの嗅覚情報がなかったのだ。夢の中では、知っている匂いしか作れないようだ。ちなみに、一応食べようと試みたが、やはり麺の一筋たりとも口に入れることはできなかった。

 多分、味覚を再現することが夢では不可能なのだ。これは私だけの現象なのか気になってまわりの人に訊いてみたが、そもそも夢の内容を覚えている人が少なく、夢の中でも食べてやろうと躍起になっている人はもっと少なくて、参考になるような答えは得られなかった。
 昔、臨死体験を扱った特集で、人の脳は死の間際の恐怖から逃れるために夢のようなものをみせてくれるのだと書いてあった。私はずっとそれを信じていて、死の間際に自分の脳が作ってくれる光景を非常に楽しみにしている。それこそが誰とも共有することのない私だけの世界だ。

 しかし、このままでは最高の美味を用意されながら、食べられないまま逝ってしまう可能性が高い。「ゔ―!」と、怒りの唸り声をあげながらこと切れるのは悔しい。なんとか夢の精度を上げて、ちゃんと食べられるようになりたい。そうしたら、私は食においては無敵になれる気がする。好物の味を夢で再現できれば、もうなくなってしまった店の料理も、なかなか手に入らない菓子も食べ放題だ。胃袋の限界もない。財布にも優しい。もう一段階進んで、夢をコントロールできるようになれば、病気や加齢で思うように食べられなくなったとしても、食の満足感を得ることが可能なのではないか。

 とはいえ、夢の精度が上がるということは、味以外の感覚もいま以上に鋭くなるはずだ。悪夢もよりリアルになってしまう。今以上にリアルな夢で事故にあったり暴力にさらされたりしたら、と思うと怖くて心臓がばくばくしてくる。やはり夢は食べられなくて悔しいくらいがいいのかもしれない。

illustration 北澤平祐

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連載【こりずに わるい食べもの】
毎月第2水曜日更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『さんかく』『ひきなみ』などがある。
Twitter:@chihacenti

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