
【皐月】五月病と、ある嘘の風景(後編) 村山由佳「記憶の歳時記」
歳を重ねたからこそ、鮮やかによみがえる折々の記憶。12の季節をしっとりつづる、滋味深きおとなのエッセイ。
[毎月第2・4金曜日更新 はじめから読む]
結局のところ、黒い子犬はその警備員さんが面倒を見てくれることになった。
子ども好きで、登下校時など私たちともよく話すその人は、許可を得て小学校の外階段の下にしっかりとした金網を張りめぐらせ、中に立派な小屋を入れて、子犬の居場所を作った。
名前は、牝だったけれどもかまわず〈クマ〉──名付け親は私だった。
チビ犬一匹であっても、とくに夜間の見回りの際など一緒にいればずいぶん心強かったんじゃないだろうか。私は私で、学校へ行けばクマに会える、休み時間には撫でてやれる、そう思うことでいつのまにか例の五月病から立ち直っていた。
学校じゅうのみんなに可愛がられながらすくすくと成長したクマは、雑種とは思えないくらい尻尾のきりりと巻いた素敵な犬になり、けれど翌年、自分よりもかなり色の薄い子犬を一匹だけ産み落としたかと思うと間もなく、不慮の交通事故で逝ってしまった。子犬に呼ばれて急いで道路を渡ったためだと聞いて、みんな泣きながら悼み、花壇の隅のお墓に花やお菓子を供えた。
やがて小学校を卒業した私たちが、続いて中学や高校に通う間じゅう、後を引き継いだ〈二代目クマ〉は毎日毎晩、警備員さんとともに同じ敷地内をパトロールしてくれたのだった。いつもごきげんで、母譲りの尻尾がきりきりと巻いていた。

今となっては長らく猫としか暮らしていないけれど、子どもの頃から私は、犬も猫も同じくらい大好きだった。
あのころ家で飼っていた犬はどちらも雑種で、やはり柴系の〈与太郎〉と、スピッツ系の〈ルル〉。当時の多くの犬猫がそうだったように、避妊や去勢手術などしておらず、時々どこかの犬の子を孕んだり、どこかの犬を孕ませたり、そして生まれ落ちた子犬たちは私の知らない間に揃ってどこかへ消えてしまったりしていた。少なくともそういう点に関しては、今のほうがずっと良い時代になったと言えるのかもしれない。
与太郎は、兄と私が公園へ遊びに行った帰り道、ドブ板の下でほわあ、ほわあと鳴いていたのを拾い、哺乳瓶で育てた犬だった。生涯一度として人に吠えることがなく、番犬には不向きだったものの、無類の甘えん坊でほんとうに愛らしかった。庭の桜の下で迎えた最期も、兄の袖の端っこをくわえて眠るように逝った。

これまで関わり合ったいのちを思い返すと、別れの多くは三月か四月に、出会いのほうは五月に集中している。春の風に吹かれれば自動的に切なくなり、緑が濃くなり始めるとあれもこれも懐かしく感じられるのはそのせいだ。
父との突然の別れが、四月の初め。愛猫〈もみじ〉を看取ったのが翌年の三月下旬。私と〈背の君〉の結婚記念日となったのは彼女の誕生日でもあった五月二十六日で、さらに翌年の四月には母を見送った。
そしてその葬儀に前後して、すでに身重だった〈絹糸〉を見つけて連れ帰り、難産の末に二匹の子猫が夜をまたいで生まれてきたのが、元号が令和に改まった五月一日と二日のことだった。
さらに鴨川時代にまで遡れば、猫嫌いだった旦那さん一号と暮らしていたログハウスにとつぜん二匹の子猫が迷い込んできたのも、やはりこの季節だった。
そのあたりの顛末は、これまで『晴れ ときどき猫背』に始まる一連のエッセイに何度か書いてきた。黒っぽいキジトラの〈ダイちゃん〉と〈ショーちゃん〉。一匹が亡くなり、残った片割れが〈こばん〉と名付けられて、ムラヤマ家歴代の猫の始祖となったわけだ。

でも──この際、思いきって、ずっとひた隠しにしてきた真実を打ち明けることを許して頂けるだろうか。
当時は、私の原稿に逐一目を通していた旦那さん一号の手前ほんとうのことが書けず、以来わざわざそこだけ改めることもできないまま今に至ってしまったのだけれど、あの時の子猫たち、ダイちゃんとショーちゃんは、じつはどこからか迷い込んできたわけではなかった。私自身が、車に乗せて連れてきたのだった。
千倉の実家で飼っていた〈ユズ〉という猫が産み落とした二匹。まだ頭も身体もピンシャンしていた母が、ある日とつぜん電話をかけてきて、
「あんたンとこで飼われへんねやったら、もう保健所へ電話して取りに来てもらうわ」
あまりにも簡単に言うので慌ててジープを駆って迎えに行き、とりあえずログハウスの床下に住まわせて内緒でカリカリを与えた、というのが事の真相だ。
あれが最善の策だったとは、今も思っていない。一匹は結局死なせることになってしまったじゃないか、という後悔は、いまだに硬くて黒い石のように凝って私の中に沈んでいる。
それでも、残った片割れのこばんがきっかけで、旦那さん一号が長年の猫嫌いを返上することになり、やがて〈真珠〉が生まれ、その真珠から〈もみじ〉を含む四姉妹が生まれて……といった流れを思い返すと、あらためて、あの時二匹を連れてきたのが運命の分かれ道だったように感じられてならない。

さらに言うと──ここからはこじつけと思われるかもしれないけれど──今はもう住む者のいなくなった千倉の実家周辺の猫事情を考えてみるにつけ、あの時あのあたりを闊歩していたユズと、それから二十年くらい経って同じ場所で出会った絹糸こと〈お絹〉とは、もしかしてもしかしたら、うんと遠くで血がつながっていないとも限らない。何しろ田舎の猫の世界は基本的に自由恋愛だから、そんな可能性もゼロとは言い切れない。ユズのひ孫として我が家に生まれてきたもみじと、お絹との間に、時を超えて同じ遺伝子が息づいているという奇跡だって絶対にあり得ないとは言えないんじゃないか……。
もちろん、そんなことを本気で信じているわけではない。というか、別にどちらだってかまわない。ただ、お絹との出会いがあまりにも劇的だったものだから、ついつい想像してしまうだけの話だ。もしくは血のつながりじゃなく、魂レベルの生まれ変わりなのかもしれないなあ、などという具合にも。
ちなみに、ないとは思うものの万が一にもこの文章を旦那さん一号が読むようなことがあったなら、今からでも謝りたい。
──ごめんなさい。
──あのとき私は嘘をつきました。
そのあと彼に対して重ねた幾つもの噓に比べれば、罪のないものだったかもしれないけれど。

連載【記憶の歳時記】
毎月第2・4金曜日更新
村山由佳(むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞、09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞、21年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。『放蕩記』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『命とられるわけじゃない』など著書多数。
Twitter:@yukamurayama710