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クワガタ|渡辺優 パラレル・ユニバース 第21話

 こちらのエッセイの十九回目で過去のバイト先についての文句を書かせていただいたのですが、それが大変懐かしい気持ちになり、他のバイト先への文句もいろいろ思い出したのでまたぐちぐち書きたいと思います。
 ちなみにこちらの話にはたくさんの虫が出てくるので苦手な方はお気を付けください。

 大学生のとき、仙台の繁華街近くの古いビルの地下にある、紅茶専門のカフェーで働いていました。クラシカルな内装に素敵な制服。紅茶と焼き菓子の奥深く甘い香り。そこは私の思い描いていた「憧れのカフェー」を具現化したような素敵なお店で、客として訪れた際に見つけたアルバイト募集の広告に私はすぐさま飛びつきました。採用が決まったときは本当にうれしかったです。

 そのお店はお客様の前で一杯一杯紅茶をお淹(い)れするスタイルで、アルバイトの初日は専門の道具の使い方や茶葉の種類などを学びました。二日目には、お客様にお味を尋ねられたときに答えられるよう、ケーキや焼き菓子等の試食をさせてもらいました。三日目には実際にお客様の前に出て、お茶をお出しするようになりました。
 先輩のスタッフたちは皆頼りがいがあって優しく、老舗(しにせ)のデパートが近いという立地から客層はお金にも時間にも余裕がありそうなマダムたちがメインで、店内にはいつも優雅でゆったりとした時間が流れていました。時給はたしか八百円程度とお安めでしたが、当時仙台の飲食店の時給はその程度がふつうだったのです。めちゃくちゃ環境いいしお菓子まで食えるし紅茶も飲めるし最高のバイトだな! と私は無邪気に喜んでいました。その、三日目の夜までは。

 夜、閉店後の店内の掃除を行っていると、開け放した出入り口の扉の向こうに、一匹の虫がおりました。そのビルの地下フロアには他にもいくつかの飲食店が入っていて、そこは共同の廊下にあたるゾーンです。地下のこんなところに虫がいるなんて珍しいな、と思いました。その虫はコオロギのように見えました。
「先輩、虫がいます」と、私は近くで掃除をしていた先輩に報告しました。先輩はすっと目を細め、「ああ、あれはGokiburiです」と答えました。
「え! Gokiburiってあの、東京にいるやつですか」
「はい。このビルにもGokiburiが出るのです」
「まじですか」
 私はGokiburiとは東京以南にしか生息しないものだと思っていました。実際、仙台ではGokiburiの出るスポットはだいぶ狭いものと思います。そしてその個体も、東京に出没する、goki-jetなどのパッケージによく描かれているような禍々(まがまが)しいビジュアルではなく、それよりはやや弱そうな、「G第一形態」的なささやかな姿をしていました。
「こちらの敷地内に入ってきたら殺します」と、先輩は冷静に告げました。

 ところで、Gokiburiという呼称そのものに恐怖を感じるという人も少なくない世界かと思います。私もそのひとりです。なので便宜上、ここでは以降Gokiburiのことをクワガタと表記させていただきたいと思います。

 先輩はクワガタの出現にまるで動揺していないようでした。ふつう、テレビドラマなんかでは、「クワガタが出た!」となるとその場の全員がわーわー叫んで大パニック、的な様子が描かれることが多いように思います。それがクワガタに対する正常なリアクションなのかと思っていました。しかし先輩はじっとクワガタを見つめその動向を静かに探っているようでした。その冷静さが私には逆に恐怖でした。

 やがてクワガタが入店しました。
 先輩は店のカウンターの奥に一瞬だけ消えると、すぐに手にgoki-jetをもって戻ってきました。そんなものがこの素敵なカフェーの一体どこに隠されていたのか……と衝撃を受ける間もなく、私は紅茶の蒸らしかたやティーストレーナーの扱い方を教えてくれた素敵な先輩が無駄のない仕草で一瞬でクワガタを殺すのを見ました。
「goki-jetの残りが少なくなってきたので、ビルの倉庫から持ってきてもらえますか」
 あくまで冷静な先輩にそう言われ、私ははじめてテナントを統括しているビルの倉庫へと足を踏みいれました。
 お客さまが決して立ち入ることのない、フロアの奥の奥に位置する倉庫。その中には、壁一面に並んだ棚があり、そこには何段にもわたりぎっしりと、goki-jetの新品の缶が箱で並んでいたのでした。
 それはまるで、信頼していた友人の家のクローゼットに爆弾を発見してしまったような衝撃でした。
 優しい神父さんのいる教会の地下で黒魔術が行われていたとか、慈善事業を手広く行っている製薬会社がウイルス兵器を製造していたとか、大好きな田舎のおじいちゃんおばあちゃんが広大な畑で大麻を栽培していたとか、そういう、闇の裏稼業を知ってしまった! という衝撃。素敵な紅茶専門カフェーは裏でクワガタを殺しまくっていたのでした。店に戻ってカウンターの下の扉を開いてみると、そこにはgoki-jetのストックがまだ三本ほどあって、いったいどんなペースでクワガタを殺しているんだ……と私は恐れおののきました。

 それからというもの、私の業務内容にも「クワガタを殺す」が加わりました。
 クワガタは、主にひとの気配の少ない開店前や閉店後に現れることが多いです。朝、開店準備をしながらクワガタを殺し、何食わぬ顔でお客様をお迎えします。紅茶にケーキ、クラシックやオペラのBGMが流れる贅沢(ぜいたく)なひと時を過ごし、夜、クワガタを殺します。
 クワガタを大量に殺しているのと同じ手で上品な奥様に紅茶をお淹れしていると、自分がマジでヤバい裏稼業の隠れ蓑(みの)として営業しているカフェーの店員になった気分になりました。棚の裏に銃火器を大量に隠し持ち、内密に殺しを請け負っているヤバい紅茶屋。
 ふつう、飲食店ってこうなのでしょうか。すべての飲食店がこの裏の仕事に手を染めつつ営業しているのでしょうか。私はその現実に耐えられず、やがて店の外にいるときもクワガタの気配に常に怯(おび)え、クワガタを殺す悪夢で目が覚めるようになりました。

 許せなかったのは、アルバイトの面接を受けた際、業務内容に「クワガタを殺す」があるなんてひとことも説明を受けなかったことです。そんな説明がされていたら、八百円なんていう割に合わない時給で働こうなどと決して思わなかったはずなのに。クワガタ1キルあたり千円くらいいただかないことには、決して。

 クワガタが怖いので辞めます、と告げたとき、店長は「あなたには向いていると思ったのだけれど」、と残念そうに言いました。それは裏と表どちらの仕事についてだろう、と今も考えています。
 数年後、その店はビルごとなくなり更地になっていました。クワガタを殺しきれなくなったのかな、と思いました。

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渡辺優(わたなべ・ゆう)
1987年宮城県生まれ。宮城学院女子大学卒業。2015年『ラメルノエリキサ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。著書に『自由なサメと人間たちの夢』『地下にうごめく星』などがある。
Twitter@watanabe_yu_wat
イラスト/内山ユニコ(うちやま・ゆにこ)
北海道北見市出身、東京都在住。20代の終わりより作品制作を始める。花田菜々子著『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』のイラストなどが話題に。
オフィシャルサイト:http://www.vesicapisis.com
Twitter@YUNICO_UCHIYAMA

※この記事は、2019年6月4日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

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