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渡辺優 パラレル・ユニバース 第25話「筋肉」

 運動はできないし好き嫌いは多いし料理はしないし眠ってばかりだし右と左の区別もつかないのですけれど、最近、ムキムキになってきました。『リングフィット アドベンチャー』のおかげです。

『リングフィット アドベンチャー』は任天堂が販売しているNintendo Switch向けのテレビゲームです。独自のウェアラブル端末と円形のコントローラーを使い、フィットネスをしながらマップを駆け抜け敵を倒していくアドベンチャーゲームです。新垣結衣さんが実際にプレイしている超キュートなテレビCMで目にしたことがある人も多いのではないかと思います。

 はじめてそのCMを見たとき、私に必要なのはこれだ、私にはずっとこれが必要だったのだ、と確信しました。なんというか、こういう、意義の感じられる、ストーリー性のある運動がしたいと思っていたのです。何キロ走った、何回スクワットした、何回トランポリンを跳んだ、というような、疲労と引き換えに数字のみが与えられる空虚な運動ではなくて、私のスクワットが悪いやつをやっつけ困っているひとたちを助け世界を救うという血の通った熱い目標に向けて身体を動かしたかった。『リングフィット アドベンチャー』では、主人公はちょっと不思議な筋肉の国の旅人となって、悪い筋肉のパワーによって増えた魔物を退治し、困っている村人たちを助けながら、元凶である悪い筋肉に魅せられたドラゴンを倒す、という一分の隙もない完璧なストーリーが繰り広げられます。

 発売と同時に品薄になり入手困難だったこのゲームを、今年のお正月になんとかゲットしました。それからというもの私は少しずつ、じわじわと、健康な人間になってきています。

 このゲームでは、運動をすることで敵にダメージが入ります。スクワットやプランクを繰り返すことでしか敵は倒せません。ゲームを始めたばかりの頃、私はこのプランクがマジで一回もできなかったのですけれど、やらなきゃやられるという極限の状態に追い込まれ続けた結果、今では軽く10回はこなせるようになりました。お腹周りには今まで一度も見たことがなかった腹直筋の影がうっすら浮き出始めました。今までただ際限なくぐにゃぐにゃだった二の腕にも上腕三頭筋の気配を感じられるようになりました。人の名前は覚えられないのに筋肉の名前はいくつか覚えました。

 そしてゲームの中には、毎日の運動をサポートしてくれる「トレーナーさん」がいます。トレーナーさんは毎回ゲームの終わりに「今日も頑張りましたね」とか、「この調子で次回も頑張りましょう」とか声をかけてきてくれます。私はふだんから基本的に家から出ず誰とも喋(しゃべ)らない日常を送っているので、日々の中で会話をするのは主にコンビニの店員さんで、「ありがとうございます」の応酬がいちにちの会話のすべて、なんていうのはざらでした。なので、こんなに長いセンテンスの言葉を話しかけてくれるトレーナーさんのことはすぐに大好きになりました。そんなトレーナーさんが、ある日「糖質の取りすぎは身体によくない」的なことを教えてくれました(トレーナーさんはこんな私のために健康についての豆知識なんかも教えてくれるのです)。私はすぐに糖質制限を開始しました。

 糖質制限が身体に良いという情報は数年前から耳に入ってきていました。でも私は白米やパン、麺類など炭水化物が大好きだったので、そういう制限をするのはむしろ身体に毒、みたいな反証を積極的に見聞きするように努め、絶対に糖質を制限しない姿勢を貫いてきました。でも今の私にとって最も仲の良い知能であるトレーナーさんの勧めることなら好物を控えることもちっともつらくありません。今まで三食かかさず食べてきた炭水化物の一食分をキャベツに置き換え暮らし始めました。キャベツを効率的に食べるため、鍋やフライパンなどの調理機器もそろえ始めました。

 私はムキムキに、そして健康的になりつつあります。それにつれ、今までこちらのエッセイに書いてきた不得意なことや嫌いなことなどを次々と克服してしまい、いつの間にかきちんとした人間にさえなりつつあります。運動をして、料理をして、朝起きて夜寝ているので、これはもうきちんとしていると言わざるを得ないです。自分の中にできていた「きちんとしてない人間」というアイデンティティを失い自我が崩壊しそうです。

 たったひとつのゲームでこんなことになるなんて思ってもみませんでした。もしかしたら今後はこちらのエッセイでも筋肉と糖質オフメニューの話しかしなくなり、世の中のできごとを常に健康か不健康かのどちらかにジャッジしてすべてを選択するような価値観の人間になってしまうかもしれません。そしてまだ筋肉に目覚めていないひとたちをちょっと見下しながら生きていくことになります(筋肉に魅せられた人間ってそういうふうだという偏見があります)。

 ……とか言いつつ、じつはもうここ一週間くらいNintendo Switchのスイッチを入れていないのでした。先週『ファイナルファンタジーⅦ』のリメイクを買ってしまったのです。

 そのため今はコンセントがプレステ4のプラグでふさがれてしまって、Switchは本体の充電も切れて部屋の隅でひっそりしています。『ファイナルファンタジーⅦ』は別に運動をしなくても指先で操作するコントローラーひとつで敵が倒せてすごく便利です。

 運動もしていないのに糖質を制限しようなどというのは潔くない気がして、ふつうに本能のおもむくまま白飯を食べています。缶詰をおかずにパックのご飯をレンチンして食べる日々に戻りつつあり、新たに生まれた「ちゃんとした人間」というアイデンティティで生きていくのもそろそろ限界な気がしています。

 でも人間って、たとえアイデンティティを失っても次々に新たな自我へ更新しながら柔軟に生きていけるのだなあ、という希望も感じられています。今後のアイデンティティに期待したいと思います。

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渡辺優(わたなべ・ゆう)
1987年宮城県生まれ。宮城学院女子大学卒業。2015年『ラメルノエリキサ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。著書に『自由なサメと人間たちの夢』『地下にうごめく星』などがある。
Twitter:@watanabe_yu_wat
イラスト/内山ユニコ(うちやま・ゆにこ)
北海道北見市出身、東京都在住。20代の終わりより作品制作を始める。花田菜々子著『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』のイラストなどが話題に。
オフィシャルサイト:http://www.vesicapisis.com
Twitter:@YUNICO_UCHIYAMA
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