第4話 ヒデさんのオートバイ 宇野常寛「チーム・オルタナティブの冒険」
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第4話 ヒデさんのオートバイ 宇野常寛「チーム・オルタナティブの冒険」

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その夏、「僕」はある地方都市に暮らす高校生だった。
愛すべき仲間たちとの変わり映えのない、退屈な、しかし心地よい閉じた楽園が、ある事件をきっかけにゆるやかに崩れていく。
「これは想像力の必要な仕事だ」──それは、世界を変える魔法の呪文。冒険のはじまりを告げる、狼煙のような言葉。
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 カバパンが由紀子を連れてきたその日から写真部は──いや、僕たちのグループは──あの二人を中心に回り始めた。
 まずカバパンはその翌日の昼休みから、不穏な動きを始めた。僕たちが部室に顔を出すと、そこには予告どおりカバパンが居座っていた。そしてあの僕たちが放課後によく食べているあのヤキトリ弁当の、それも大盛りを食べていた。僕たちと目が合うと、カバパンは例によって尋ねてもいないのに話し始めた。
「この学校の教師たちは、だいたい、昼休みはみんな学食の、入院患者が食べる病院食みたいに味の薄いカレーライスやラーメンを食べるか、自分で弁当を持ってきて職員室で食べている。学食のメシは何度か試したけれど、とても食えたもんじゃない。そして職員室でご飯を食べると、俺は隣のデスクで毎日弁当を食べている依田先生の世間話に付き合うことになる」
 依田先生というのは、世界史の担当でこのとき僕たち2年生を教えている教師だ。悪い人ではないけれど、昔見た映画のあらすじを話すのが好きなくせに説明が下手でよく分からないのと、前から二列目までに座る女子が風邪でもないのにマスクをするくらい口が臭いのが少し残念な人だった。決して側にいて愉快な人ではなかったけれど、そこまで毛嫌いするのも不自然だった。だから僕はこの人は依田先生が苦手なのではなく、そもそも職員室の雰囲気に馴染めないのだと思った。
「そのヤキトリ弁当、どうやって手に入れたんですか?」
 仲間の一人、駒沢が尋ねた。駒沢は僕たちの中では社交的な性格で、グループの外にも友達が多い奴だった。こういうときに、率先して大人と話すのが彼の役割であるのは、暗黙の了解だった。そして駒沢の口にした疑問は僕も感じていたことだった。
「いいだろ? 買ってきてもらったんだ」
 ヤキトリ弁当が買える一番近い店でも、歩くとこの学校からは40分以上かかる。自動車を使えば往復できない距離ではないけれども、僕の記憶ではカバパンはそもそも運転免許を持っておらず、この田舎町で自動車がない生活の不便さを自虐的に話して笑いを取るのが彼の雑談の十八番だった。だからカバパンがその弁当を誰かに買ってきてもらったという説明はある意味納得がいくものだった、というかそれ以外にあり得なかったのだけれど、それは同時に別の疑問を浮上させていた。
「買ってきてもらったって、誰にですか?」
 駒沢が尋ねたが、カバパンはニヤリとしただけで、答えなかった。 

 翌日の昼休み、カバパンは今度はまたしても僕たちもよく学校帰りに食べていた街の外れにある地元の有名なハンバーガーショップのチーズバーガーをかじりながら、同じく名物のホームメイドのレモネードを飲んでいた。それは、僕たちが放課後にたまに寄って食べているお気に入りのメニューだった。このときは、由紀子が部室に後から現れてカバパンを追及した。
「あ、ずるい。それ、もしかして……!」
「そう。買ってきてもらっちゃった」
「え? なんで私のぶんはないの?」
「いや、だって、別に頼まれていないから……」
 こうした噛み合わないやりとりがあったその翌日に、僕たちがカバパンにボロクソに言われた学食の味のしないカレーライスやラーメンで若い胃袋を満たして部室に顔を出すと、カバパンと由紀子と、そして見知らぬ──いや、同学年なので顔と名前くらいは把握していたが話したことはない──女子生徒を二人加えた4人が昨日カバパンが食べていたものと同じ例の店の包み紙に包まれたチーズバーガーを齧っていた。由紀子の友達らしい二人は2年生で、同じクラスのようだった。
「お邪魔しています」と口をモゴモゴさせながら片方の女子が言い、「ポテト食べます?」ともう一人の女子が包みを僕たちに差し出した。彼女たちは由紀子から、事前に言っておけば昼休みにそのチーズバーガーを買ってきてくれるという話を聞いて、なら自分たちもと頼み込んだということだった。カバパンは2日連続でこの店のチーズバーガーを食べているはずだったけれど、気にしている様子はなかった。
「一食、一食を大切にしているんだ。この年齢になると、食べたいときに食べたいものを食べているとぶくぶくと太る。だから無駄なカロリーを摂るわけにはいかない。どんなに手間がかかっても、中途半端なものは口にしない。食べたいものだけを食べる。それが俺のポリシーだ」
 根本から論理が転倒しているような気がしなくもなかったが、カバパンはそのことについて特に気にしていないようだった。そして由紀子たち女子3人は、まったくカバパンの話を聞いておらず、自分たちだけでこの店のハンバーガーのバラエティに富んだトッピングのうち、どれが一番好きかという話で盛り上がっていた。あっけにとられている僕たちに向けて、しばらくよく分からない自分の食とダイエットについての持論を展開していたカバパンは、一通り語り終えると僕たちに告げた。
「俺は明日、鳥Qの唐揚げ弁当をデリバリーしてもらうつもりだけど、お前たちもいるか?」
 由紀子とその友達の女子二人が真っ先に手を挙げて、そのうち一人──駒沢と同じ中学の松田という女子で、二人は顔なじみだった──が「駒沢たちも頼みなよ」とおそらくは何の気なしに言った。僕たちは一瞬、顔を見合わせた。今、起きていることを把握するのに、少し時間が必要だった。つまりカバパンは何らかの手段を講じて、市内の美味しいお店からランチをテイクアウトしている。そして、この正体不明のフードデリバリーサービスに、由紀子とその友達らしい女子二人は今日「相乗り」し、街外れにあるハンバーガーショップのチーズバーガーを食べている。そして、明日カバパンは駅前の弁当屋の唐揚げ弁当を調達することを宣言し、それに僕たちも「相乗り」しないかと誘われているのだ。それを提案したのは、何の決定権もない松田だったが、由紀子も、そしてカバパンも表情を見る限りご機嫌そのもので、むしろ僕たちがここで遠慮してほしくないと思っていることは明白だった。
 そして、だからこそ僕は思った。僕たちは今、買収されそうになっている、と。ここでカバパンが何らかの手段を講じて実現している擬似的なフードデリバリーサービスを利用することは、僕たちがカバパンのモードに乗せられることを、彼に大きな借りを作り、大げさに言えばその精神的な支配下に入ることを意味するような気がしたのだ。僕は普段からカバパンの露骨な人気取りの言動を面白くなく感じていたせいもあって、この提案を素直に喜べなかった。そして僕は無意識のうちに藤川を探していた。こうしたときに、藤川はいつも僕より冷静で、大人だったからだ。藤川なら、適切な判断をしてくれるはずだった。他のグループの生徒たちや大人にめられるようなこともなく、しっかり僕たちにとって「実」のある判断を、瞬時にしてくれるはずだった。しかし、このとき藤川はたまたまその場にいなかった。その日の日直当番だった藤川が部室に現れるのはその5分後だった。僕は自分がいつの間にか、藤川がいないと大事なことを決められない人間になっていたことに気づいて愕然とした。そしてその間に、駒沢が「え、俺たちもいいんですか?」と嬉しそうに答えていた。「当たり前じゃん」とカバパンの代わりに由紀子が答えていた。僕はしまった、と思ったけれど後の祭りだった。その場にいた僕以外の男子4人が、この流れでカバパンに弁当の手配を頼むことになるのは明らかで、僕はそれがとても嫌だった。僕にとって幸運だったのは、そのときの部室は女子3人と男子4人と、そしてカバパンを入れた8人でとても盛り上がっていて周囲のことが誰もあまり気にならない状態にあったことと、僕が立っていたのは部室の開けっ放しのドアのすぐ側だったことだった。僕は盛り上がる「みんな」に気づかれないように、さも用事を思い出したような顔をして、その場を立ち去った。「まったく、これじゃあ青春ごっこじゃないか」と誰にも聞こえないからこそ、僕は口に出してみた。

 とりあえず、藤川を探そうと僕は部室長屋になっている旧校舎を出た。2年生の教室のある新校舎への近道は一度中庭に出て、駐車場を突っ切るルートだ。上履きで外を歩くことになるので教師に見つかると厄介なことになるのだけど、実際に見つかって小言を言われている場面を見たのは僕は1年ちょっとの高校生活の中で2回しかなく、うち1回は着任直後のカバパンが教頭に見つかって怒られている場面だった。僕は足早に中庭から駐車場に出た。そのまま新校舎の裏口まで小走りで向かうつもりだったのだけど、そこで足を止めた。
「だから、怪しいものじゃないですって」
 若い、とても背の高くて日焼けした男が教頭と揉めていた。
「じゃあ何しに来たんだね」
 この学校の教頭は、頭の禿げ上がった小男で、僕は名前も覚えていなかった。入学してからほとんどの行事をサボタージュしてきたので、この男性が自分の学校の教頭だということを思い出すのにも時間がかかった。ここを歩くときに、カバパンがこの教頭に注意されていたことを思い出さなければ本当に誰か分からなかったと思う。そしてどうやらどう見ても学校の関係者ではないこの若い男を、教頭は不審者とみなして呼び止めたようだった。
「そんないきなりけんか腰で詰め寄らないでくださいよ。怖いなあ、もう……」
 若い男は本当に困ったという表情を浮かべた。昔の漫画だったら眉を「へ」の字に描かれそうな完璧な困り顔だった。しかしすぐに何かを思い出すとぱっと表情を明るくした。
「そうだ。オレ、いまいいもの持っているんですよ」
 若い男の後ろにはとても大きな、そして黒いオートバイが停められていて、そのハンドルには白いビニール袋がぶら下がっていた。そして彼はそこから、何か包みのようなものを取り出した。
「じゃーん」
 そしてそれを教頭の前に差し出した。それは、例のお店のチーズバーガーの包みだった。
「教頭先生、お腹空いていませんか? これ、あげますからオレと一緒に食べましょう」
 若い男は歯磨き粉のコマーシャルに出てくる若手俳優のようなさわやかな笑顔を浮かべて、教頭にチーズバーガーを差し出した。それは嫌味でも挑発でもなんでもなく、本当に善意でそう提案しているようだった。
「君、バカにしているのかね?」
 教頭は完全に怒っていた。まったく噛み合わない会話に、見ているこっちが気まずくなった。
「え? なんかオレ、失礼なこと言いました……?」
 そして僕は行動の方針を決めた。若い男が取り出したチーズバーガーの包みを目にした瞬間に、僕にはだいたい何が起きているのか概ね想像がついていた。ここでカバパンに貸しを作っておくのは悪くないな、と思った。
「あ、ごめんなさい、遅れました……」
 僕はちょっとわざとらしいくらい高めの声を出して、二人の間に割って入った。
「知り合いなのか?」
「写真部2年の森本です。この人は樺山先生の使いの人で……」
 僕はその若い男に視線を送った。側に寄ると、びっくりするくらい背が高くて、肩幅が広くて、そしてとても顔立ちが整った人だった。年齢はおそらく20代後半くらいだろう。プロのサーファーとファッションモデルを足して2で割ったような人、というのが僕の彼に対する第一印象だった。
「写真展の資料を持ってきてもらったんです」
 若い男は僕の嘘に一瞬だけきょとんとしたが、樺山という固有名詞に安心したのか、すぐにブンブンと首を縦に振って同意を示した。
「樺山先生には、あまり部外者を校内に呼ばないように言っておかないとな」
 とりあえずは僕の話を信じたらしい教頭は、ブツブツ言いながらそのまま立ち去っていった。教頭からしてみれば、職員室でカバパンに小言をいう口実を得たことで満足したのだろうなと僕は思った。
「写真部の部員の生徒さんですよね? 助かりました」
 男は頭のてっぺんから出ているような大きな、裏表のなさそうな伸びやかな大きな声で僕に言った。その笑顔には屈託というものがまったくなくて、よく晴れた日の青空を連想させた。
「あなたがカバパンに言われて、昼飯を宅配していたんですね」
「そうなんですよ……先生には部員の生徒さんに見つからないようにって言われていたんですけれど……あーっ、ばれちゃったかなあ」
 頭をボリボリかきながら、男は本当に困った顔をした。
「お兄さん、カバパンとどんな関係なんですか?」
 僕は思ったことを口にしてみた。
「どういう関係って言われても………。うーん、困ったなあ。オレと先生の関係ですよね……。師匠と弟子……ってわけでもないし……。うーん」
 男は本当に考え込んでしまい、気まずい沈黙が訪れた。いや、たぶん気まずいと感じていたのは僕だけで、たぶん男のほうは本当に僕の質問に答えるのが難しくて考え込んでしまっていた。僕はこの短い昼休みの時間を有効に使うために、別の質問をしてみることにした。
「明日もここに弁当を届けに来るんですか?」
「そうなんですよ。でも、今日、教頭先生に見つかっちゃったからここにバイクを停めるのはもうできなくて、たぶんちょっと先の駐車場から歩いて持ってこないといけないんですよ。それも、明日からは10人分。まいったなあ」
 僕はこのとき、カバパンが既に明日から10人──つまり、自分と女子3人に、僕たち写真部の男子6人の全員──が自分の用意した弁当を食べる前提で手配を進めていたことに気がついた。そしてまた少し、あの教師が嫌いになった。しかし男は、そんな僕の気持ちにはまったく気づいていなかった。そしてさも最高のアイデアを思いついたかのような顔をして僕に告げた。
「そうだ。もしよかったら、明日からお弁当運ぶの、手伝ってもらえないですか? オレのほうで、何かおごるんで」
 まったく予想していない展開だった。
「いやー、さすがにそれだけの数のお弁当を運ぶの、オレ一人でやるのしんどくて……。学校の中に一人で入るのもなんかまた怒られそうだし、お願いできますか?」
 男は僕の前で、まるでお地蔵さんの前のおじいさんのように手を合わせた。こんなに直接的に他人にものを頼む人に、僕ははじめて出会った。なんとなく、断りにくい雰囲気だった。
「え、あ、まあ……」
 僕は言葉を濁したつもりだったけれど、男はそれを了承の意思表示だと解釈したらしく「ありがとうございます!」と叫んでいた。さっき教頭に渡そうとしていたチーズバーガーの包みを僕に差し出した。
「一つ食べませんか。オレが昼飯用に二個買ったの、片方あげます」
「いいんですか? 一人で二個食べるつもりだったんですよね?」
 正直言って、嬉しかった。部室でカバパンたちが食べているのを見てからずっと食べたくて食べたくて仕方なかったからだ。
「オレは家に帰ってから、適当になんか作りますから。オレ、こう見えて料理が得意なんです。あのへんに腰を掛けて、一緒に食べましょう」
 男は新校舎の非常階段を指して言った。いつもは学内のカップルがよく一緒に弁当を食べているのだけれど、なぜかそのときはいなかった。
「ほら、ポテトにレモネードもありますよ」
 男は更に袋から取り出して言った。
 こうして、僕は初対面のこの男となぜか一緒に非常階段に腰を掛けてチーズバーガーを食べることになった。それが僕とヒデさん──本名は豊崎秀郷という──との出会いだった。

  僕はヒデさんと並んでチーズバーガーとフライドポテトを交互に頬張り、ときどきレモネードを啜りながら、いろいろな話を聞いた。いまは国語の教師をしているカバパンだけれど、もともとは情報工学の学位をもつ研究者で自分はその助手のようなものだというのが彼の説明だった。なぜそのような人間が、この地方の高校の、それも国語の教師をしているのかも、その助手が研究室に残らずに付いて来ている──しかも、どうやら同居しているらしい──のかもまったく分からなかった。当然、僕はもっと詳しいことを聞かせてほしいと言ったけれどヒデさんは「いやあ、実はそのへん、オレもよくわからないんですよね。ごめんなさい」とまたお地蔵さんにそうするように僕に手を合わせて謝ってきた。僕はどうしても彼がごまかしていたり、嘘をついたりしているようには思えなかった。それでも僕は粘り強く、昼休みが終わるまで何度もヒデさんにいろいろなことを尋ねた。しかし分かったことは、どうやら「助手」といってもヒデさんのそれは研究上の助手ではなく、限りなく家政夫兼秘書のような存在に近く、まるで生活力のないカバパンの身の回りの世話と家事一般をこなしているというのが実情であることくらいだった。
「オレと先生の家、こっから割と近いし、結構広いから今度遊びに来てくださいよ。オレ、なんか料理作りますから」
 そう告げると、ヒデさんはオートバイにまたがり、「じゃ、明日からよろしく」と付け加え、爆音を残して走り去っていった。 

 こうして僕は半ばなし崩し的にその翌日からヒデさんと一緒に、昼休みのたびにカバパンと写真部の面々のために弁当を運ぶことになった。僕はなんでこんな面倒なことになったんだろう、と自問自答しながら4時限目の授業が終わると、ヒデさんに指定された学校の側の駐車場まで小走りで向かった。すると、そこに平日の昼間の、地方都市の住宅街にはまったく似つかわしくない真っ黒でいかついオートバイの巨体がたたずんでいて、その傍らには真夏のビーチから抜け出してきたような日焼けしたヒデさんが、大きく手を振っていた。改めて眺めるとヒデさんは傍らのオートバイに負けないくらい背が高くて、そしてその笑顔には屈託がなかった。明らかに、彼はこれまで僕の周囲にはいなかったタイプの人間だった。
「待ってました。理生りおっち、ありがとう!」
 ヒデさんは真っ白な歯を大きく見せて、笑った。理生というのは僕の名前で、昨日ヒデさんは、名前を教えた瞬間に僕のことをこう呼んでいた。そしてヒデさんの大きな手から、5人分か6人分の唐揚げ弁当の入った袋が手渡された。僕の役目は、教師たちの目をくぐ】ってこっそりと、見つかったときは適当な言い訳をでっちあげて、ヒデさんと一緒にこの弁当を部室に届けることだった。
 昨日までの3日間、カバパンの指示を受けたヒデさんは一人で昼休み前に買ってきた昼食をこっそり部室に運び込んでいた。しかし昨日の一件を経てヒデさんと話し合ったカバパンは、方針を転換した。ヒデさんを一人で校内を歩かせるのが危険だと判断したカバパンは、その翌日からは、昼休みに僕とヒデさんの二人に弁当を運ばせることにしたのだ。
 僕とヒデさんが部室に弁当を運び込むと、到着を待っていた部員たち──そこにはその前の日に入部していた由紀子が連れてきた二人の女子も含まれていた──がどっと沸いた。突然見知らぬ青年が部室に現れたこと、彼が待望の唐揚げ弁当を持っていたこと、そしてなぜかその彼と僕が一緒にいたこと、すべてが説明なしでは理解できないことのはずで、僕はたちまちどういうことなのかと仲間たちの質問攻めにあった。すべての黒幕であるカバパンと、そしてなぜか由紀子の二人だけはそんな僕らの騒ぎを眺めながら、黙々と自分の分の弁当を広げていた。ヒデさんは昨日、僕に話したのとそっくりそのまま同じことを他の部員たちにも話した。そして、仲間たちはやはり昨日の僕とまったく同じように彼を質問攻めにした。助手って何の助手なのか、とか仕事は何をしているのか、とか──。少し困ったヒデさんを見かねて、由紀子が介入した。 「この人、ちょっと天然ボケなところがあるけれど、とてもいい人だから」──由紀子はこのヒデさんとも知り合いのようで、まるで自分が保護者のように僕たちに彼を紹介した。僕はこのとき、とても教師と生徒の間柄とは思えない由紀子とカバパンの関係についてヒデさんに尋ねそびれたことを後悔していた。
 そして大きな唐揚げにかぶりついていたカバパンは僕と目が合うと、ニヤッと笑い、そして言った。「ヒデみたいなのんびりした奴と、お前とはきっといいコンビになるはずだ。俺が保証するよ」──僕はその物言いがなんだか気に食わず、カバパンを無視して仲間たちの質問に適当に答えながら弁当を配っていると、ヒデさんがそれに被せてきた。「そうなんですよ。理生っち、昨日も教頭先生に捕まえられたオレを助けてくれて、すごかったんですから」と昨日の話を始めた。僕が教頭をうまくやり込めた顛末をヒデさんが話すと、場は再びどっと沸いた。仲間の一人が「さすが理生だな」と言ってくれて、別の仲間が「こいつ、ひねくれているけれど悪い奴じゃないんだよ」と女子たちに言った。久しぶりに仲間たちの輪に自分の居場所が回復した気がした。

 ヒデさんはその屈託のない明るさで、たちまちその場に溶け込んでいた。そこにはいつの間にか藤川もいて、当たり前のように弁当を食べていた。この昼休み、その場にいた11人がこの街のソウルフードの一つである駅前の惣菜屋の販売する唐揚げ弁当を一緒に食べた。片栗粉が全面にまぶされて、衣が油をたっぷり吸った唐揚げはとてもジューシーで、冷めていても、いや冷めているからこそとても味がしみていて美味しかった。カバパンは口をもぐもぐさせながら教頭以下の他の教員の監視の目を掻い潜り、このフードデリバリーのシステムを永続的なものにするためのプランについて熱っぽく語っていた。しかしその話をヒデさん以外はほとんど聞いていなかった。僕の仲間たちと由紀子たち女子3人は、今度ヒデさんにデリバリーして来てほしい店について議論を始めていた。そこには、明らかにこれまでとは違う場が生まれていた。そして、みんな楽しそうだった。

  それから昼休みになると、僕は毎日ヒデさんを近所の駐車場に迎えに行って、そして11人分の弁当を二人で手分けして、学校に運び込んだ。ときどき、写真部の仲間たちが運ぶのを手伝ってくれたのだけれど、駐車場までヒデさんを迎えに行くのは暗黙の了解として僕の役目になっていた。そして、翌週になるとときどき、僕は昼前の授業を抜け出してヒデさんと一緒に買い出しに出るようになった。この街に来てまだ半年も経っていないヒデさんはあまりこの街の地理に詳しくなくて、カバパンが調べてきた店に彼がなかなかたどり着けないことが多かったからだ(彼は地図を見るのも苦手だった)。「じゃあ、理生っちがオレと来てくれないかなあ」とヒデさんはまったく悪びれずに口にして、カバパンは教師のくせに「それができたら一番いいな」と口にものを詰め込みながらモゴモゴとそれを積極的に支持した。ちょっとビックリしたけれど、僕はこの提案を呑むことにした。

  僕が正直言って、あまり好きじゃなかったカバパンの手先のようなことを引き受けた理由はいくつかある。
 一つ目は、前にも説明したように、僕はこのとき写真部のグループからは少し浮いていたからだ。そこにカバパンが由紀子とヒデさんを連れてきて、そして由紀子が女子たちを連れてきて、写真部の雰囲気はがらりと変わった。一言でいうと賑やかになった。表面的なことだけを見れば、女子が3人加わって昼休みに一緒に弁当を食べるようになっただけで、写真部の活動が活発になったわけでもなければ、それ以上の何かが新しく始まったわけでもなかった。ただ、僕たちの会話はカバパンや女子たちがいるところでは、やっぱりどこか余所行きになっていた。もちろん、僕たちがもともと部室で大したことを話していたわけじゃない。今度新しく日本語版が出るゲームの話題だとか、東京の有名なラーメン屋がこの街にも出店してくるという噂だとか、親や教師の述べることを真に受ける安っぽい連中の悪口だとか、その程度のことしか話していなかった。仮にも教師の前でもあったし、さすがに人の悪口は誰も言わなかったけれど、話す内容そのものは変わりはしなかった。ただなんというか「ノリ」のようなものが少しだけ、しかし確実に変わっていた。部室での会話には期末テストのことだとか、視聴覚室のスピーカーが壊れていることだとか、そういった本当にどうでもいい話題が増えていった。そして、僕の仲間たちは──そしてたぶん3人の女子たちも──その会話をそれなりに楽しんでいた。
 しかし、僕はこの会話にあまり加われなかった。少なくとも以前のように──グループのリーダーの藤川の片腕として──いつも話題の中心にいることはなくなっていった。それ以前から僕が仲間たちから浮きがちだったこともあるし、あとはやっぱり葉山先生のことを僕はまだ引きずっていて、あまり明るい気分になれなかったこともある。それは、由紀子たちがやってくる前からのことだったのだけど、余計にそうなった。大したことではないはずだったのだけれど、これが僕には結構こたえていた。
 ただあの日、ヒデさんと親しくなって、僕が彼のフードデリバリーを手伝うことで僕は少しだけグループの中に居場所を取り戻せたようなところがあった。だから、たぶん僕が積極的に主張すれば、他の仲間と持ち回りにすることもできたと思うのだけれど、僕はヒデさんの「配達」を手伝う役割を引き受け続けた。

 あと、僕がヒデさんを手伝い続けた理由はもう一つあった。僕は前々から教師ににらまれたり、補習を要求されない程度に適当な理由をつけて授業をサボったりするほうが楽しい高校生活を送ることができるのではないかと考えていて、藤川にも相談していた。だからこのフードデリバリーを手伝うことで、その予行演習ができると思ったのだ。

 そして、実はこれが一番大きな理由だったのかもしれないけれど、僕はこのヒデさんという青年が端的に好きで、彼ともう少し仲良くなりたいと(僕としては珍しく素直に)自覚していた。僕は、彼の自慢の真っ黒なオートバイの後部座席に乗るのが好きだった。

 それは背の高く、よく日焼けしたヒデさんのように大きくて、そして黒いオートバイだった。ただ、明るくて温厚なヒデさんが乗るには、ちょっと似つかわしくないゴツゴツとした印象を与える車体だった。オートバイが好きな人が趣味で乗る車体にしては、あまり洒落っ気がなく、何か、細部まで特定の目的に向けて効率化されているように僕には思えた。普通はこういったオートバイにはHONDAとかKawasakiとか、製造したメーカーのロゴが目立つところに入っているものだけれど、このヒデさんの真っ黒なオートバイにはそういったものが、どこにも見当たらなかった。代わりに、車体の横にステッカーのようなものが貼ってあった。そのステッカーには、SDGsのマークのようなものが印字されていた。それは卵のようなものの四方を4つの円がまるで四つ葉のクローバーのように取り囲んでいるマークで、その脇には小さく、Team Alternative という文字が添えられていた。このチーム・オルタナティブとは何かと僕が尋ねるとヒデさんは「オレたちのチームのことです」と答えた。何のチームなのかとさらに尋ねると「人類の自由を守る正義の秘密結社です」と答えた。まったく意味が分からなかったけれど、たぶん、僕の知らない昔のマンガかアニメに出てくる組織の名前なのだとそのときは思った。ヒデさんがあまりそういうものが好きだとは思えなかったので、カバパンの趣味なのだろう、と僕は想像した。


 僕はこのヒデさんのオートバイの写真を、こういうものに詳しい駒沢に見せた。駒沢が言うには、外見はブラフ・シューペリアというイギリスの古いメーカーのオートバイに似ているけれど、あれはほいほいと買えるものじゃない。外見だけ似せているのだろうけれど、違法改造車にならないのだろうかと、首をかしげていた。

 僕は週に1度か2度、ヒデさんのオートバイの後部座席に乗って、ヒデさんの買い出しに付いて行った。僕はこのときまでオートバイというものにまったく触れたこともなくて、興味もなくて、もっと言ってしまえばちょっと怖いなとも感じていた。実際にヘルメットをかぶって、ヒデさんにしがみつくようにオートバイのお尻にまたがって、そして走り出すと、自分の身体を固定するもののないジェットコースターに乗っているような気持ちになった。本当に風を切るような空気の抵抗を全身に感じて、怖かった。怖かったけれどその分、気持ちが良かった。

 ある日、ヒデさんのオートバイの後ろに乗って買い出しにでかけた郊外のファーマーズカフェの駐車場で、僕は彼にいつもこういうものに乗っていて怖くないのかと尋ねた。「え? 怖いってどこがですか」ヒデさんは、僕の質問の意味がよく分からなかったみたいだった。「大丈夫ですよ、オレ、運転すごくうまいですから」僕は別に事故のリスクを怖がっているのではなく、あの不安定な乗り物の持つ怖さと気持ち良さについて伝えたかったのだけれど、この人とは完全に見えている世界が違うことだけが伝わってきた。しかし、なぜか悪い気はしなかった。
 僕はその日の夜に、原動機付き自転車──いわゆる原チャリ──の免許の取得と、安い中古の車体の相場を調べ始めた。ヒデさんから、最初は原チャリがいいと言われたからだ。僕はそれまで何か機械を運転したいと思ったことがなかった。なんとなく、自分の親の世代や、もっと年上の人たちが大きくて力のある機械を自分の力量で手に入れて、それを自在に動かしてみせることと自分に対する自信のようなものを結びつけているのは感じていたけれど、僕はそういうのがあまりピンと来ない子供だった。けれど、ヒデさんのオートバイは違った。彼のオートバイの後部座席に乗せてもらって、昼休みの短い時間、ほんの20分か30分移動するだけで、世界がぐっと広がった気がした。もう何年も住んでいるこの街にも、僕の知らない道や知らない店がたくさんあって、そして訪れたことのある場所も平日の昼間に訪れると違って見えた。自宅と学校を往復する毎日を送っていた僕には、自分の意志で時間とガソリンが続く限りどこにでもいけるということそのものが、とてもうらやましく思えた。これが自由なんだ、と僕はそのとき感じた。いつの間にか、僕はオートバイに乗りたいと思うようになっていた。しかし問題が一つあった。それは僕の、というかいわゆる高校生の小遣いで買うにはやはり高くて、僕は両親に内緒でアルバイトを始める計画が必要だと判断した。原チャリそのものの購入と免許の取得は、通学用だと言えば特に反対はされないはずだった。しかし問題はそのためのアルバイトで、高校2年生の夏休みに予備校の夏期講習も受けずにアルバイトをするなんてことを、僕の両親が許可するとは到底思えなかった。だから、内緒で始めるしかなかった。そのためには大人たちにバレないようにコトを進めるための緻密な計画が必要で、僕はこの計画を藤川に相談するつもりだった。藤川なら、きっと一緒に完璧な計画を作ってくれるだろうし、そしてもしかしたら──いや、これまでのことを考えればかなりの確率で──一緒に免許を取って、原チャリを買うためのアルバイトにも付き合ってくれるはずだった。僕は計画のおおまかな形をまとめながら、藤川にこのことを話すタイミングをうかがっていた。すぐに話さなかったのは、2年生になってから少しずつ広がっていた、僕たちの間のちょっとした気まずさのせいだった。しかし、僕がタイミングを見計らってこの計画を話せば、きっと藤川は大喜びしてこの話に乗ってきて、そしてここしばらくの僕たち二人のちょっとした気まずさは終わりになるはずだった。

 こうして、ヒデさんの登場によって葉山先生が亡くなってから塞ぎ込みがちだった僕は、ほんの少し、でも確実に毎日が楽しみになった。もちろん、それで僕がそれまでに直面していた問題が解決したわけではまったくなかった。僕はグループの中ではやっぱり浮いていたし、藤川との間に生まれた微妙な距離もなかなか回復しなかった。僕は毎日藤川に、原チャリを買う計画を打ち明けようと思っては、まだ早いんじゃないかと思ってやめるといったことを繰り返していた。
 それは僕がこの計画について話したとき、藤川に気乗りしない態度を取られるのが怖かったからだ。そんなことがあるはずはなかったのだけれど、僕は踏み出せなかった。写真部の人間関係がこの数週間でがらりと変わってしまったことは、僕なりに分かっていた。由紀子と彼女の連れてきた二人の女子が加わったことで、仲間たちが要するに浮足立っているのもなんとなく感じていて、それも面白くなかったし、まるで100年前から自分がこの部室の主であるかのように居着いてしまったカバパンの態度も気に食わなかった。しかし何より、僕を苛立たせていたのは由紀子があの日以来──葉山先生の葬式が行われたあの日以来──、一度もそのことを僕と話そうとしなかったことだった。

(つづく)

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連載【チーム・オルタナティブの冒険】
毎月1回水曜日更新

宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。 著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(朝日新聞出版)。 石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)、『静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話』(河出書房新社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)など多数。 企画・編集参加に「思想地図 vol.4」(NHK出版)、「朝日ジャーナル 日本破壊計画」(朝日新聞出版)など。 立教大学社会学部兼任講師も務める。
Twitter:@wakusei2nd

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