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ま、ええではナイカ|村山由佳 第40話

   もともとは、父の言葉だった。
 口癖、というほどでないにせよ、時々──たとえば母がどうでもいいことに腹を立てたり、考えても仕方のないことを気に病んだりしている場面で、父は、たぶん宥(なだ)めるか慰めるかするつもりだったのだろう、淡々飄々(ひょうひょう)とした口調で言った。
「ま、ええではナイカ。命とられるわけでなし」
 結果、母の怒りの火柱はますます高くたかく燃えあがるのだった。

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 亡くなってからも、父のことをよく思いだす。思いだすだけでなく、夫婦間の話題にもしょっちゅうのぼる。
 晩年独り暮らしをしていた父の家へ行って、一緒に年越しをした時のこと。そこそこ綺麗(きれい)好きだったはずのひとも、衰えるとこうなってしまうのかと哀(かな)しくて、〈青磁(せいじ)〉が表へ出てしまわないよう気をつけながら、背の君と二人して家じゅうの大掃除をした。耳が遠いものだからテレビは常に最大音量で、寝る時になってやっとスイッチを切ると、彼も私も音圧にぐったりしていたものだ。
 あるいは、もっともっと遥か昔の父と、広い原っぱへみんなで凧揚(たこあ)げに行った時のこと。釣りが趣味だった父は釣り糸の先に凧を結びつけ、見えなくなるくらいまで天高く揚げてみせてくれた後、しまいにはリールで巻き取っていた。
 そんなふうに、ことごとに想い出を語り合えるのはやはり、私と背の君が従姉弟(いとこ)同士だからというのが大きい。私の母親と彼の父親が、年の離れた姉と弟。つまり私の大好きだった亡き父は、彼にとっても、子ども心に慕わしい伯父であったのだ。
「俺んとこは、オヤジがあんなンやったやろ? せやからよけいに、シロさんを見るたび、ああかっこええなぁ、て憧れとってん。ちょっとのことでは動じひんし、話わかるし、オモロイし。あんなふうなデケタニンゲンになれたらなぁ、て」
 いっぽう、〈母があんなンやった〉私のほうは、子どもの頃から、彼の母親である叔母に憧れていた。
 あはははは、と豪快に笑うたび、眉毛がハの字になるひと。冗談好きで、マンガの模写が上手で、いつも颯爽(さっそう)としていて、物識(ものし)りで、そして基本的に上機嫌で、いきなり怒り出したりぶったりしないひと。小さい私に面白いことや愉(たの)しいことをたくさん教えてくれたそのひとは、おばちゃんなんて呼ぶには年が若かったから、みんなが〈純(じゅん)ちゃん〉と呼ぶところを私は〈純ちゃん姉ちゃん〉と呼んで、大阪の家へ遊びに行くとひたすら後をついて回っていた。
 人の顔は、一つきりではない。
 背の君の〈あんなンやった〉父親は、私からすればニヒルでかっこいい大人の男に見えていたし、私の〈あんなンやった〉母親は、背の君から見れば褒め上手でハイカラなおばちゃんだった。さらに、私の憧れている叔母は、彼にとっては一面、子どもを〈褒めずに育てる〉母親でもあったし、亡き父の人物像に関してだって、私の兄に言わせればそうとう違った意見があるだろう。
 それで当然なのだと思う。どれが噓(うそ)というのじゃなく、みんなそれぞれほんとうなのだ。
 私自身、外で見せる顔と、家で見せるそれとは違っている。旦那さん一号・二号といた頃の私と、いま背の君といる私もまるで違う。けれど、その全部が私ではあるのだ。誰かに見せている顔が必ずしも仮面ばかりというわけではないし、相手の顔色を見てただ調子を合わせているだけでもなくて、その相手だからこそ引き出される自分というものもある気がする。
 時は流れ、それぞれの親のうち、いま元気でいるのは背の君の母親こと私の叔母だけだ。あとの三人はいなくなってしまった。

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 父を寂しく旅立たせてしまったという後悔があるぶんよけいに、いま大阪で独り暮らしをしている叔母のことは気がかりでならない。八十近くなっていまだに現役で教壇に立っているけれど、何日かに一度は電話をして話し込むし、日常を知らせる手紙が来ているとほっとする。笑い声が昔と同じくらい若々しくとも、身体(からだ)まで昔と同じというわけにはいかないのだ。
 いや、人のことは言えない。五十代半ばにさしかかり、私自身が身体の衰えにびっくりしている。
 まさかこの私が、五十肩だと? いやいやいや、まさかまさか。
 認めたくなくて、腕が上がらなくなってからもしばらくは、「なんか知らない間に肩を痛めたりなんかしちゃったりしたみたいで」などと言い張っていた。それくらいショックだった。昔、母がセーターを脱ぎ着する時にヒィィと泣き声をあげるのを見るたび、またおおげさな……と内心舌打ちしていたものだけれど、あの時は悪かったよお母ちゃん、と今になって思う。そりゃ泣き声も出るわな、とようやく思い知らされた。
 ついこの間まで、一年ぶりに馬に乗っても六十キロ耐久競技くらい余裕でこなしていたのに、これでは手綱が引けないどころか、まずもって自力で鞍(くら)にも上がれない。というか、今や目の高さより上の棚にのぼった子猫一匹すら抱き下ろせない。産後太りでまぁるくなってきた〈お絹(きぬ)〉を床から抱き上げるのにも呻(うめ)き声がもれる。
 肩をかばって変なところに力が入るせいか、もう二カ月くらいの間、両手首とも腱鞘炎(けんしょうえん)が治らない。食事の仕度を調えてお盆にのせたら、背の君がかわりに食卓へ運んでくれる。御飯を炊いた土鍋や鉄のフライパンも持てないから、いちいち彼に任すしかない。

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 とまあ、そういった衰えはほんの一例で、これまでずっと体力自慢でやってきた私としては、情けないといえばほんとうに情けない状況なのだけれど──そのわりに、いちばんびっくりしているのは、自分があまり悲観しないでいられることだったりする。
 冷静に考えれば、年を重ねてから楽になったことのほうがずっと多いのだ。若さはそれだけで美しく尊いけれども、だからといって若いばかりが能じゃない、ときれいさっぱり思い定めたとたん(言い換えれば前向きに諦めたとたん)、たちまち許せることがぐんと増えた。
 あごの下や二の腕やお腹(なか)周り、ぷよぷよでたるたるの肉体は、もはや後戻りはきかない雰囲気を醸し出しているし、ふだんから体形の目立たない服で隠しているとますますだらしなく弛緩(しかん)していって、お風呂に入ろうと服を脱ぐたび、鏡に映るのは油断と怠慢の結晶だ。ため息も出る。
 でも、だからといって前みたいに無理なダイエットをしようと思わなくなった。かつてはばかげた恋をして、一カ月で七キロ落としたこともあったけれど、今になって当時の写真を見ると、服こそかっこよく着られているもののちょっと不健康というか、少しも幸せそうに見えない。
「アホじゃい。無理して痩せたかて、身体こわしたら元も子もあれへん」
 と、背の君は言う。
「ええやん、ねぇちゃんはそのまんまで。ぷよぷよのほうが抱き心地よろしおまんがな」
 他人事(ひとごと)だからと面白がりやがって、と思ったら完全に真顔だったので、その言葉を全面採用してやることにした。
 人間、できることには限りがある。思うようにいかないからといって、頑張りが足りないせいだと自分を追いつめても、どんどんしんどくなるばかりだ。
 譲れないことも、許せないことも、人生に一つか二つあれば充分──。
 父が折に触れて口にした、
〈ま、ええではナイカ。命とられるわけでなし〉
 という考え方は、仕方のないことをうまくあきらめて楽に幸せに生きるための、じつは大いなる知恵だったかもしれない。

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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter @yukamurayama710

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※この記事は、2020年7月3日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

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