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【試し読み】金原ひとみ パリの砂漠、東京の蜃気楼 第3話「玉ねぎ」

illustration Shogo Sekine
※本連載が書籍化しました。
金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』2020年4月23日発売

 帰国して良かったと思うことは、夜遅くまで一人で飲めること、二十四時間営業のファミレスで深夜に仕事ができること、映画を観に行った後フランス語力の低さのせいで大切なポイントを理解できずもやもやしたままネットでネタバレを探す必要がないこと、玉ねぎが腐っていないこと。
「日本に帰国して地味に嬉しいこと」「帰国して以来腐った玉ねぎに当たった確率0%」
 ふと思いついてユミにスナチャを入れると、「まじ? 日本すごい」と即座に返信がきた。フランスではスーパーで四個か五個入りのものを一袋買うと大抵一つは腐ったものが入っていたのだ。ユミとのチャットはフランスに比べて日本は農薬の規制が緩いという話となり、綺麗でなかなか萎れない野菜と、すぐにへたりたまに腐っているフランスの野菜のどちらが良いのか結論は出ないままやりとりは有耶無耶に終わった。
 帰国以来、買ってから四日経ってもしゃきっとした水菜やもやし、買ってから一週間経っても硬いままの人参、一ヶ月くらい置いておいても平気そうなジャガイモといった野菜に、そこはかとない不気味さを感じていたのも事実だ。それでも剥いて綺麗な野菜を見れば嬉しいし、野菜を無駄にせずに済んだことにささやかな喜びを感じていたのも事実だ。オーガニックのものは日本では数が少ないし高いのも事実で、事実の積み重なりの結果、とりあえず今が良ければで生活を回している事実に関しては考える余力がない。
「なんかベランダの向こうの駐輪場にトマトソースが落ちてるんやけど」という関西住みの友達から届いた画像つきのスナチャに、「それはトラップ」と返信すると、スマホをロックしてパソコンを起動させた。
 作ったばかりのプレイリストを聴きながら始めたカフェでの執筆は書き始めてから三十分ほどで最高頂を迎え、何度か振動で伝えられたスナチャの通知も開かず、最高頂のまま一時間半ほど書き続けていた。いくらでも書ける気がする日は滅多にない。二十枚くらいは超えていそうだけど、枚数を計算するとペースが乱れそうで、出てくる言葉とポイントの先にある空白だけに集中する。零さないように零さないように、延々キーボードを叩きながら集中力を切らさないよう気をつけていると、突然後ろで怒声が響いた。何だよこんな時にと思いながら書き途中の文章をスペースキーで慌ただしく変換していると、自分の向かっているカウンターテーブルが振動してびくりと振り返る。怒という言葉を貼り付けたような定年前後くらいの男がテーブルに手を叩きつけて私に何かを言っていた。イヤホンを外して「はい?」と聞くと、「うるさいんだよ!」とひどい剣幕で怒鳴り立てる。ハードコアを聴いていたけれど、イヤホンを外してもさほど音は漏れていない。この人は被害妄想系の人で、ただ単に絡まれているだけなんじゃないかと訝りながら「うるさかったですか?」と一応申し訳ない感じの表情で聞く。
「パソコン! これ!」
 と指でテーブルをドンドン叩きつける。キーボードを打つ音がうるさかったらしいと気づき、「すいません」と言う。気をつけます、と言おうとした瞬間、「うるっさいんだよったく! 集中できねえっつうの!」と更に怒鳴りたてられ、気をつけますどころの話じゃないことに気づき、「移動します」と言うと私はパソコンを閉じその男から離れた席に移動した。男は自分の席に戻り読み途中らしき文庫本を手に取っても尚ぶつぶつと一人で文句を漏らしていた。隣のテーブルの女の人が私をじっと見つめて「……ねえ?」という顔をするから、私も肩をすくめて「ねえ……」という顔をしてみせる。
 あのくらいのおじさんだったら、殴り合いになっても勝てるんだろうか。小太り以外に特徴のないおじさんの背中を見つめて思う。注意されて激昂しておじさんを殴ったり、逆に殴り倒されたりしたら、どっちも恥ずかしいよなと思うけれど、静かに湧き上がった怒りがふつふつと煮えたぎり始めているのも事実だった。どうしてキレる前に一言「キーボードの音がうるさいんですけど」と注意することができないのだろう。ふと母親の顔が浮かんだ。彼女もそういう人だった。私は平気、大丈夫よ、と言い続け、ある時突然「どうして察してくれないの信じられない! 私は皆から搾取されてる!」と被害妄想を爆発させヒステリーを起こすのだ。実家から離れたこんな場所で母の亡霊に出会うとはと思いながら、私はもう走らない指をのろのろとキーボード上に行き来させた。

 その夜打ち合わせの予定が入っていた私は、真っ赤なワンピースに着替えてビストロの店に向かった。昔夫がやっていたのを真似して、怒っている時は赤い服を着るようにしている。相手の男性編集者に赤い服の理由としてさっきカフェで体験した事の顛末を話すと、彼は笑った。
「でもそれ、もし相手がスーツ着た男性だったらそんなキレ方しなかったと思いますよ」
「私もそう思いました。刺青がいっぱい入った男とかでもあんなキレ方しなかったでしょうね」
 街中でああいう理不尽な目に遭わないためには、高級スーツを着た男やヤクザのような男を連れて歩く以外女に残された道はないのだろうか。
「帰国してからずっと思ってたんですけど、日本の女性店員って過剰に丁寧ですよね」
「日本の接客は世界一丁寧だっていいますよね」
「でも、男性店員は割と普通なんです。感じのいい人がいたとしても、フレンドリーって感じで。女性の場合はちょっと違ってて、度を越した丁寧さと気遣いなんです。で今思ったんですけど、彼女たちは今日私が遭ったような理不尽な怒りを日常的にぶつけられる職業で、そういう目に遭う機会を減らすために過剰に丁寧で親切になったのかもしれないですよね。丁寧で愛想が良くて気遣いができる、それが日本の女性が自分を守るためのシールドになってるのかもしれない。だとしたら、そんなに空気読まなくていいのにとか、気い遣いすぎだよ、なんていうアドバイスなんて向こうからしたら糞食らえって感じですよね」
 フランスのカフェやビストロの店員たちの横暴な態度を思い出す。お会計や注文をしようと呼んでも「分かってる!」と言ったきり十分以上待たせたり、バゲットや水を忘れても謝りもしなかったり日本と比べるとひどいものだったけれど、彼らには賃金に見合った仕事をしているという、賃金以上のことはしないという搾取されないことへの意志が透けて見えた。
「でも最近、店員に外国の人も増えてきてますよね。彼ら、フランクでいいですよね」
「例えば日本人も名札にどこの国か分からないあだ名を書いたら、はしいる? あっためる? みたいな接客ができるかもしれませんよね」
「いや、日本人がそれやったら店長に怒られますよ」
「まずは店員の国籍も生まれ育った国も、店長は知る義務も権利もないっていう世の中にならないといけませんね」
 私は久しぶりのフランス料理をつつきながら、店員が厨房とやりとりしているフランス語を懐かしく聞いていた。帰りしな、シェフが店の前に出ていたので美味しかったですと言うと、フランス語喋れるの? と彼は喜び、この夏までパリに住んでいたと話すと、どの辺? 僕もパリにいたんだ、その前はボラボラ島でシェフをやってたんだよ、と自分の経歴を話し始めた。ボラボラ? と驚きながら何となく、店内でお会計をしている編集者のことが気にかかっていた。
 フランスで友達と食事をする時はほぼ必ず割り勘にしていた。フランスでは夜に仕事を持ち込むことがほとんどないため、ディナーは基本的に友人同士やカップル、家族で赴く。そして友人同士でも恋人同士でも奢り奢られということはあまりない。恋人同士であっても、奢るということは金銭が介在する卑しい関係という印象が強いのだという。カップルの内どちらか一人がディナーで支払いをするということは、夫婦かそれと同等、あるいはどちらかが買われている間柄といった印象を与える。日本文化に慣れ親しんだフランス人はもちろん、仕事でディナーに訪れる男女がいることを知っているはずだけれど、ビストロ風の店構えの前でフランス語で話している内に、何となく自分が立場の弱い女性のように感じられ憂鬱になっていく。
 二軒目に入った地下のバーは暗くて居心地が良かったけれど、私たち以外の客が皆帰った後、バーテンダーが「この間三組男女のカップルが来て、その三組とも女性がお支払いしていったんですよ。僕の時代からするとこれって結構びっくりなことで」と僅かに嘲りを含んだ態度で言い、私は少しイラっとする。
「女性が仕事して自立しているっていう象徴のような話で、私は嬉しくなりますけど」
「いや、僕の時代的にもそれはびっくりですね。やっぱり日本では男性が払う文化が未だに根付いてますから」
 編集者の彼もそう言う。実際、私も付き合う前や付き合っている相手に払ってもらったら嬉しい。払ってもらっている間、それは単なる愛情表現や余裕があるアピールに思えていた。でも向こうからしたらそんなものではなかったのかもしれない。
 フランスにいる間夫が休職していたから、向こうにいる間生活費も夫の授業料も習い事の受講料も読む本代も美術館代も私が払ってきた。レストランや美術館で支払いをする時、勉強してばかりで働かない夫に軽く憤ると同時に、自分が働いている、自分が家族を養っている、ときっとどこかで私は驕っていた。
 数年前友人が夫の「俺が食わせてやってる」的なモラハラと不倫に苦しんでいることを吐露した時、「私も浮気の一つや二つしても文句は言われないかもしれない。私と離婚したら彼は一文無しなわけだし」という発想が自然に湧き上がった。ずっと、モラハラ的な男や家事や育児をしない男を憎み死ねばいいと呪ってきたくせに、環境が変わって家族を養うプレッシャーに耐えている内に、毎晩飲み歩いて家のことを何もしない上不倫を繰り返しては開き直るような男と寸分違わぬメンタリティを身につけていたのだ。やつれた様子の友人を前に慰めの言葉が浮かばず、悲しみとも罪悪感とも違う、己への純度百パーセントの呆れ故に思わず鼻で笑った。
 楽しげに話すバーテンダーと編集者の彼を見ながら、支払いによってプライドを保ってきた男性と同じなのだと気づく。ただ単に、自分に家族を養うだけの仕事があって、ただ単に状況的にそうなっただけで、だからと言って自分は何者でもないくせに、私はそういう空疎なプライドに縋って自分を鼓舞していたのだろう。日本に帰国して以来、自分の空っぽさがよりくっきりと見えるようになった。フランスでは、マイノリティであること、フランス語力が低いまま生活する苦労、雑多乱雑な日常の中で紛れていた空っぽさを、それらがない世界で直視せざるを得なくなったのだろう。
 二軒目の後編集者と別れ、朝方までやっている家の近くのバーに寄った。自分一人で自分一人のために酒を頼み、自分一人で支払うことのシンプルさに心打たれながら飲み続け、でも結局帰り道人恋しくなってスマホをいじっていたら間違って友達にライン通話を掛けてしまい、私もそれよくやるけどいい加減帰りなと窘められ、やっぱりコンビニに寄るとおにぎりとするめと明日のパンがなかったことを思い出して食パンを買い、玄関を上がったところで上着とストッキングを脱いだ状態で倒れて目覚めたら朝の六時で、軋む関節に呻きを上げながらバッグを漁ってスマホを見ると「コンビニ行きついでに見てみたんやけど、トマトソース使いかけやった」と入っていて、「触ったらthe end」と返信すると、その友人が屈んでトマトソースに手を触れさせた瞬間地球を包み込むように閃光が走り次の瞬間には全てが消滅しているという想像をしながらソファに移動して目を閉じた。


【本連載が書籍化しました】

金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『クラウドガール』等がある。現在『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」を連載中。

※この記事は、2019年1月3日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。


※ホーム社の読み物サイトHBで、金原ひとみさんの小説連載「デクリネゾン」が始まりました。


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※東山彰良さんとの対談をnoteに掲載しました。


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