先祖返り|千早茜「こりずに わるい食べもの」第3話
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先祖返り|千早茜「こりずに わるい食べもの」第3話

 東京に越して二ヶ月になろうとする頃、大型連休を前にして三回目の緊急事態宣言が発出されてしまった。姪の「あとかた姫」に会いに行くつもりだったが断念、京都にも戻れない。
 ひきこもるか、と食材の買いだしに出かけ、スーパーに山と積まれた果物を見て、「そうだ、果実食をやろう!」とひらめいた。

 果実食とは果実、つまり実と種だけを摂取する食生活だ。果実食主義フルータリアンとなると思想的なものが絡んでくるが、ネットニュースで読んだのは食実験のために果実食を続けている人の記事だった。「フルーツは完全食である」を立証するために自らの身体を犠牲にして、果実以外のものを一切口にせず暮らしているという。とはいえ、その方は果実食を推奨して砂漠緑化を推進させようという目的があるそうなのだが、私が惹かれたのは果実食によって得られる変化の中に「嗅覚が鋭くなる」があったからだった。

 鼻はもともと悪くはない。けれど、それをもっと高めることができたら未知のゾーンに入れるのではないかと思った。新しい世界を見てみたい。いや、嗅いでみたい。
 それに、果物は好きだ。果物をいくらでも食べていいなんて願ってもないことだ。緊急事態宣言で人と会食をする用事もない。好機とばかりに大量の果実を買って帰った。

 最初に揃えたのは好物の果物ばかりだった。レモン、河内晩柑、オレンジ、グレープフルーツといった柑橘類、緑の葡萄、枇杷、キウイなど。あと、脂質を摂るためにナッツが必要らしいのでミックスナッツの袋。アボカドやトマトも果実に含まれるようだった。
 買ってきた果実をテーブルに広げる。みずみずしい塊がごろごろしている。静物画のモチーフのようだ。果物が豊富な暮らしってなんだか優雅だ。いくつか台所へ運び、さっそく切って皿に盛る。果物の汁でベタベタになりながら黙々と食べる。果物を食べるときはいつも一心不乱になってしまう。ひとしきり食べるとお腹がたぷたぷになった。もういいかな、と手を洗い仕事をはじめる。しかし、なんかもの足りない。もう少し、と台所へ行く。食べる。手を洗う。

 そうしているうちに激しい尿意に襲われた。フルーツがふんだんに使われたパフェを食べると、店を出る頃にトイレのことしか考えられなくなるのだが、果物による尿意は茶などとは比べ物にならない。「排出せよ!」と身体が雄叫びをあげる。膀胱が痛いくらいの尿意。
 ただ、これは想定内だった。伊達にパフェにかまけているわけじゃない。だからこそ、この自粛期間中に果実食に挑戦しようと思ったのだ。トイレは行き放題。誰にはばかることもない。

 とはいえ、落ち着かない。果実、手を洗う、トイレ、手を洗う、果実、手を洗う、トイレ、手を洗う……席をたってばかりで仕事に集中できない。手が洗いすぎでかさかさになってくるし。でも、果実はいくら食べてもすぐに腹が減るのだ。そして、食べたらトイレに行きたくなる。

 これは、果実のセレクトを間違えたのではと思った。もう少し、どっしりした水気の少ないものも足すべきでは。そこで、林檎とバナナを追加した。果実の皮で生ゴミが膨大な量になってきたので、さくらんぼや苺といった剥かずに食べられるものも買う。それらを剥いたりカットしたりしてバットとボウルに大量に盛った。腹が減るたびに準備をするのは面倒だ。つまみながら仕事をしようと、テーブルに運んではっとした。これは……類人猿舎の餌……! 内容物がまさに猿好み。チンパンジーが片手に持って木にぶら下がっていそうなものばかりだ。そうか、果実は樹上生活をする動物の主食だ。ということは、先祖返り! それは嗅覚も鋭くなるはずだ。
 そう思うと、一気に萎えた。動物は大好きなのだが、類人猿全般はあまり得意ではない。ニホンザルにもチンパンジーにも嫌な思い出がある。ゴリラくらいしか愛着が持てない。ゴリラはなんだか威厳があっていい。ゴリラ、ゴリラと思いながら果実を食した。塩分が欲しくなったら梅干し白湯を飲んだ。

 結局、果実食は一週間と続かなかった。
 原因は重さである。果物がとにかく重いのだ。スイカ一個、バナナ一房、メロン一個、オレンジ二個、キウイ三個、苺一パック、林檎二個、トマトジュース一リットル。これをエコバッグに入れて持ち帰ると、重さで肩にくっきりと痣ができた。果物は水だ。スーパーという名の井戸へ水汲みに行くようなものだ。背中がぎしぎしと痛み、肩が壊れると思った。筋骨隆々なゴリラならば平気だろうが、腕力もなく胸筋も背筋も脆弱な私にはつらい。しかも、これだけ買っても二日か三日でなくなる。ぜんぜんひきこもれない。

 おまけに、どんどん果実の条件が甘くなり、「米も実だ」「カカオも果実だからチョコレートはOK」と食べられるものを勝手に増やしてしまった。それ以前に、茶はずっと飲んでいた。果実ではなく葉である。
 嗅覚は確かに鋭くなったようで、果実食をしている間は肉を焼く匂いや揚げものの匂いに胸がむかついた。それらの匂いはべったりと絡みつくように感じられ、食べたいと思わなくなった。ただ、ゴボウや人参、レンコン、芋といった土の中で育まれるものをひどく欲した。根である。根菜のポトフを作り、滋味深い旨さにため息をついた。やはり、自分は地面で生きる種族なんだと思った。樹上生活をするにはまず筋力が足りない。

こりずにわるい食べもの03

illustration 北澤平祐

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連載【こりずに わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

千早茜ちはや・あかね
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神いおがみ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『さんかく』『ひきなみ』などがある。
Twitter:@chihacenti

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