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〈後悔〉と〈愛惜の念〉|村山由佳 第26話

〈もし時間を巻き戻せるとしたら、人生のどの時点に戻りたいと思いますか〉
 よくあるそんな問いに対して、「いや、別に戻りたくないです」と即答できていたのはいつの頃までだったろうか。
 誤解のないように言っておくと、現在の暮らしには充分すぎるくらい満足している。日々の幸せや仕事の充実や、自分が自分らしくいられる連れ合いとの関係性を考えれば、今がいちばんであることに間違いはない。
 でも、というかむしろ、だからこそかもしれない。時折ふっと、ひどく欲ばりな想像が脳裏をよぎるのだ。パートナーと猫たちと人間関係と仕事、それらを全部なくさずに抱えたまんま、あの鴨川(かもがわ)の農場時代に戻れたら、などと。
 なんと身勝手な、と、自分でも思う。三千坪の荒れ地を開拓して作った畑と庭と放牧地、大げさでなく釘一本に至るまでこだわり抜いて建てた家、大好きだった動物たちとの土の匂いのする暮らし……それらのすべてを置いて飛び出してきたのは他ならぬこの私だというのに。
 東京に戻ってからは貪るように恋をして、それを肥やしに小説という花を育てた。作品を認めてもらえると自信につながって、創作に対してますます貪欲になり、大胆にもなっていった。肥やしの製造を絶やすことはなかった。
 ふり返って考えても、もしもあのまま鴨川の農場生活を送っていたなら、小説家としての今の私はなかったと思う。変わらずに以前のような作品だけを書き続けていた、というのではなくて、とっくに何も書けなくなって消えていただろう。
 その意味において、出奔したことそのものはまったく後悔していない。なのに──本来言えた義理ではないのに、今も涙が出るほど懐かしいのだ。
 朝まだき、静寂の中に響き渡る雄鶏(おんどり)の鬨(とき)の声。勝手口を開けると流れ込んでくる澄んだ空気。山の斜面を這(は)うようにのぼってゆく白い靄(もや)。
 気配を察した馬たちがブルルル、と鼻を鳴らしながら馬房から現れ、それを合図に犬も猫もぞろぞろと集まってきて空腹を訴える。見上げれば空の色は柔らかく、ケヤキやイチョウ、メタセコイアやアメリカフウといった大樹が陽(ひ)に透けている。
 春先には蛙(かえる)の大合唱がわき起こり、夏になるとぴんと伸びた稲の上を蛍が乱舞し、秋には黄金色の田んぼ全体が呼吸するように揺れて、冬は足もとの霜がしゃくしゃくと音を立てる。水仙の甘い香りにふと目をあげれば、再び春だ。土手のあちこちに顔を覗(のぞ)かせるフキノトウを集めるうち、額に汗が滲(にじ)む。

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 実際にこの歳(とし)になった今これから、背の君や猫たちとあそこへ戻りたいというのではないし、戻れるわけもない。
 ただ、夢想してみる。これまで生きてきた中で、最も愛した景色と、最も心満たされている暮らしとを、空想の中でそっと結び合わせてみる。
 背の君が何だかんだ文句をつけつつも機嫌良く畑を耕すそばで、私は果樹や庭木の剪定(せんてい)をしたり、雌鶏(めんどり)の産んだ卵を集めたりする。その足もとを、〈銀次(ぎんじ)〉や〈お絹(きぬ)〉やそのほかの猫たちがうろちょろする。中にはなぜかちゃっかりと〈もみじ〉までがいて、勝手知ったる農場の裏山へとみんなを案内してくれる──。
 考えられる限りの幸福の要素をぜんぶ寄せ集めたその光景は、あり得ないことだからこそ、どこまでもせつなく光り輝いてみえる。

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 現実問題として、あの暮らしはやはり出版業界全体がもう少し元気だった当時だから可能であったに違いないし、今みたいな仕事のペース(でっかい借金も残っているのでひたすら書かなければ食っていけない)を保ちながら、手間のかかる広い農場を維持するのはどうしたって無理だ。
 それより何より、悔しいけれど私自身に、あの頃ほどの体力がもうない。年齢を重ねるというのは、自らの力で手に負える範囲が否応(いやおう)なく狭まってゆくことなんだなあ、としみじみ感じる。
 とはいえ、〈後悔〉と〈愛惜の念〉とは別のものだ。当時の暮らしについて私が抱いているのは、「どうして置いてきたりしたんだろう」という暗い後悔などではなくて、あくまでも、良かった部分に限っての愛(いと)しさであり、それら込みで全部手放した自分への、苦笑まじりの舌打ちに過ぎない。
 すでに発表した昔の小説を大きく書き換えることがないのと同じように、農場の家とそこでの暮らしにまつわる悲喜こもごもは、この先もずっと変わらず、記憶の中にしまいこまれてゆく。あれはある意味、私のつくったいちばん大きな作品と言えるかもしれない。
 いずれにしても、こうして懐かしんで惜しむことのできる過去の上に〈今〉があるというのは、きっと幸せなことなんだろう。全部が全部いい思い出ばかりとは言えないけれども、だからこそ今のありがたみが胸に沁(し)みる、というようなこと……。
 それはちょうど、最愛の猫を永遠に喪(うしな)ったあとの新たな出会いにも似て、奇跡のようでありながら、いつでもどこにでも転がっている普遍的なできごとなのだとも思う。

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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter @yukamurayama710

村山由佳さんの猫三部作を書店で見る

※この記事は、2020年3月27日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

※『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』刊行時に姜尚中さんとの対談が行われました。


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