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シャガールとベラは、なぜ空を飛べるのか?| ナカムラクニオ「こじらせ美術館【恋愛編】」第2話

ふわふわ、キラキラ、ざらざら。独特の幻想世界を無邪気に描いたシャガールの絵画からは、こんな音が聞こえる気がする。軽やかに宙へと舞い上がる愛妻ベラ。そして、色鮮やかな空飛ぶ花束。神に祝福されているような画風は、いかにして生まれたのだろうか。そして、なぜこれほどまでに見る人を幸せな気持ちにするのだろうか?

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 マルク・シャガールといえば、ふわりとした「浮遊感」だ。まるで夢の世界を描いたようにも見える。浮遊は、夢、希望、幸せな高揚感をビジュアルで表現できる裏技だ。見ているだけで豊かな気持ちになる。このシャガール独自の画風の誕生には、愛妻ベラとの美しい記憶が深く関わっている。

 はじまりは「誕生日(1915)」だった。恋人たちの甘い高揚感を描いたこの作品は、シャガールがベラと結婚した年に制作された。モデルは、もちろん自分と妻のふたり。花束を持ちながら空中で浮かび、キスをしている。この「花束と飛翔」というモチーフは高く評価され、その後、シャガールの代名詞となった。「色彩の詩人」と称された彼は、自分の愛情を描けば描くほど傑作ができると発見したのだろう。

 シャガールは、1887年に帝政ロシアのヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)のユダヤ人家庭に生まれた。父親は、ニシン倉庫で働く貧しい労働者。そのせいもあってシャガールの作品には、しばしば意味ありげに「大きな魚」が登場する。

 子どもの頃からいろいろな仕事に興味を持ち、妄想癖があった。画家、音楽家、舞踊家、何にでもなりたがった。作品にもヴァイオリニスト、サーカスのピエロなどさまざまな職業の人々が繰り返し登場する。

 シャガールは22歳の時、運命の女性である14歳のベラ・ローゼンフェルトと出会った。ベラの父は裕福な宝石商。文学や演劇が好きだった知的なベラは、シャガールにボードレールの詩の素晴らしさ、演劇、古典絵画の魅力を教えた。その影響で、シャガールの絵画はより詩的な画風になっていった。身分違いの恋だったが、ベラが20歳になる年に、両親の反対を押し切ってふたりは結婚。翌年には娘のイダも生まれた。
 シャガールにとってベラは創作の源泉であり、母であり、永遠の花嫁だったのだろう。彼女を生涯、心の底から崇拝した。「ベラのOKをもらわずに仕上げた油絵や版画は一枚もない」とシャガール本人が語っているように、優秀なプロデューサーでもあった。

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 しかし、幸せは永遠には続かない。パリで画家として大成功しかけていた矢先、ヒトラー率いるナチスドイツがドイツで権力を握ると、ユダヤ人だったシャガールは作品を焼かれ、「退廃芸術」の烙印を押された。やがて1940年、ドイツ軍がフランスに侵攻し、ナチスに屈したフランス政府が翌年にユダヤ人迫害法を制定すると、ふたりはアメリカへ亡命することとなった。しかし、亡命先のニューヨークで、ベラは突然ある感染症にかかってしまう。戦時中だったこともあり十分な治療を受けることができず、感染してからわずか数日で急逝した。まだ48歳で、前の月にパリ解放のニュースに喜び、フランスへの帰国を考えていた矢先のことだった。最愛の妻ベラを亡くしたシャガールは、ショックすぎて9ヶ月間、何もできなかったという。

 そんなふたりの思い出の地は、南フランスだった。初めて訪れた時、市場で毎日ベラが買ってくる花束と強い日差しに感動した、とシャガールは回想している。温暖な気候と美しい環境が、彼らに幸せと希望を与えたのだ。


 20歳の頃、ロシア経由で南フランスへ向かい、シャガールの足跡を訪ねたことがある。彼が住んでいたのは、ニースの近くにあるサン・ポール=ド=ヴァンスという村だ。切り立った岩山の上にあるこの天空の村は、交通の便がとても悪く、ニースから1時間ほどバスに乗り、最後は歩きだった。1985年に97歳で亡くなるまでの約20年間、シャガールはこの小さな村で創作を続けた。ベラはすでに亡くなっていたが、ふたりの故郷と似た村に住むことが重要だったのだろう。村の雰囲気はフランスというよりロシアの田舎町に似ていた。シャガールの墓にも行った。世界中からファンがやってきて、小さな石をたくさん積み上げていた。
 真夏の炎天下を歩いていたら、ヴァカンスに来ていたフランス人の夫婦(シャガールとベラに少し似ているファッションデザイナーだった)がなぜか車に乗せてくれて、プール付きの家に泊めてくれた。「将来、画家を目指している」と話すと、ハーブで味付けしたプロヴァンス風の美味しい魚料理を振る舞ってくれた。そんなことが自然に起きるような豊かな土地なのだと妙に納得した。そして、波瀾万丈の人生を送ったシャガールが、最後はこの美しき村で幸せな暮らしを送っていたのかと思うと少しうれしくなった。

 シャガールは、ある時「絵を描くときに夢を参考にしているのか?」と聞かれ、「私は夢を見ない」と答えたそうだ。きっとシャガールが生涯をかけて描きたかったのは、夢や幻想ではなく、限りなく現実味のある生活の中の高揚感や浮遊感だったのではないかと思う。画家は想像力さえあれば、いつだって空を飛べるのだ。

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主要参考文献:
・ダニエル・マルシェッソー著、高階秀爾監修、田辺希久子・村上尚子訳『シャガール 色彩の詩人』(創元社)
・木島俊介『もっと知りたいシャガール 作品と生涯』(東京美術)

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連載【こじらせ美術館(恋愛編)】
不定期・火曜日更新

ナカムラクニオ
1971年東京都生まれ。東京・荻窪の「6次元」主宰、アートディレクター。日比谷高校在学中から絵画の発表をはじめ、17歳で初個展。現代美術の作家として山形ビエンナーレ等に参加。金継ぎ作家としても活動。著書に『金継ぎ手帖』『猫思考』『村上春樹語辞典』『古美術手帖』『チャートで読み解く美術史入門』『モチーフで読み解く美術史入門』『描いてわかる西洋絵画の教科書』『洋画家の美術史』『こじらせ美術館』など。
Twitter:@6jigen

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