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第7話 信頼できない読み手と語り手——阿南さんによる小説講座地獄篇——とりあえずの結論「これは小説だが、本当の話です」|佐藤友哉「青春とシリアルキラー」

「ダンテ&シリアルキラー」シリーズ天国篇。
illustration Koya Takahashi

「あーだめだ。意味が全然わかんない。こんなの、だれが読んでも小説でしょう? それともあれですか、作者の実体験が少しでも書いてあったらエッセイなんですか? だったら『火花』も『コンビニ人間』も、みんなエッセイになっちゃいますけど! っていうか、ほとんどの小説がエッセイになっちゃいますけど!」
 ごぶさたしております。
 僕はこの連載小説……『青春とシリアルキラー』が、読者からエッセイだと思われていたことを知ってからずっと、中華料理屋の片隅でくさくさしている。
 まだやるのかって?
 そうではない。
 これからはじまるのだ。
 いっぽう、向かいの席に座る阿南さんは、喜怒哀楽が読み取れない表情のまま、
「というか、きみの書き方が元凶だと思うが……」
「わあ、今ディスられたら泣いちゃいますよ!」
「きみは今回の連載で、作者である佐藤友哉(さとうゆうや)とおぼしき主人公を登場させたし、きみが実際に体験したエピソードもたくさん書いただろ」
「まあそうですけど」
「電車でiPadをなくしたのも、井の頭公園で子供と死体さがしをしたのも、すべて事実だ。作中に、いくつもの事実を持ちこんだのはきみ自身にもかかわらず、エッセイだと思われて怒るというのが俺にはよくわからない。きみはいったい、なにをそんなに怒っているんだ」
 なにをそんなに怒っているのかって?
 悲しいから怒ってるんだよ!
『青春とシリアルキラー』を読んだ読者が、それをエッセイだと、つまり、「本当にあったできごと」だと判断した。オッケー。じゃあそれでいいよもう。
 でもそれなら、僕が自殺するんじゃないかと心配するべきじゃないの?
 作中でこんなにも、「自殺したい」「死にたい」「つらい」とくり返しているのだから、作者であるところの佐藤友哉のTwitterに、「大丈夫?」とリプの1つでも飛ばすのが人情じゃないの?
 誤読されたことが問題なのではない。
 問題なのは、人が傷ついて、くじけそうになっていたり、泣き出しそうになっていたりするときに、「大丈夫?」と声をかけるのが人の優しさだとすれば、今回の誤読で、僕がそれをだれにももらっていないことが問題なのだ。
 悲しいから怒ってるんだよ。
 まだ怒りのおさまらない僕はメニューを開いて、白酒(パイチュウ)を注文する。キュートな小瓶からグラスに注ぐと、刺激臭が鼻をついた。アルコール度数を見たら45度と書いてある。1口すすっただけで酔いが回りそうになった。
「ぐはー。すごいですよこれ阿南(あなん)さん!」
「その酒は、気をつけたほうがいい」
「やばいんですか?」
「杜甫と李白は白酒を飲んで死んだ」
「ふーん。ヤケ酒で死んじゃうくらい不快なことがあったんでしょうね」
「エッセイだと思われたことが、そんなにいやなのか?」
「もちろん!」
「じゃ、私小説だと思われたら? それも怒るか?」
 どうだろう。
「多分だけど……いやだと思います。だって僕が書いてるのは、エッセイでも私小説でもなくて、小説ですから」
「しかし現状、きみの連載は小説とは思われていない。作者と読者のあいだには、大きな齟齬があるようだ」
 阿南さんは煙とともにことばを吐いたあとで、どちらもまだ少し足りなかったらしく、煙を短く吸いこんでから、「まあそれを、読者の読解力のせいにするか、自分の文章力のせいにするかは、きみ自身が決めてもいいが」とつけくわえた。
「なんでそんな冷たいことを云うんですか?」
 僕はびっくりして云った。
「俺は冷たいことを云ったつもりはないし、きみが『青春とシリアルキラー』でなにを書き、なにを目指しているのか、俺なりに理解しているさ」
 本当かよ。
 なんかもうみんな信用できない。
 今すぐ酔ってしまいたくなって白酒を呷(あお)った。ほんの一瞬、視界が揺らぐ。たしかにこの酒はやばいかもしれない。
 僕はこんなふうに荒れていたが、阿南さんはといえば、テーブルに置かれた中華料理をつまんだり、新しい煙草(たばこ)に火をつけたりと、なんとものんびりした様子だった。次の瞬間、僕は目の前にいるこの人物に、自分のやっていることを完全に理解してもらいたいという衝動に襲われる。きっと寂しかったのだろう。人は寂しくなると、つながりがほしくなる。そんなものは、「いいね!」が発明されるずっと前から自明のことだけれども、とにかく僕は一気に云った。
「あの、僕にとっては、フィクションとして書いた文章こそが、それだけが、『本当にあったできごと』なんですよ。僕のリアルの人生とか、事実と虚構のちがいとか、そんなのはどうだってよくて、『青春とシリアルキラー』に書いていることだけがむしろ、『本当にあったできごと』で……えっと、あんまりうまく云えないけれど……」
 阿南さんは反応してくれない。
 酔っ払いながら女の子に告白して失敗したときのような気分になる。そんなさわやかなエピソードは僕には無縁だったし、もっと云えば女の子に告白なんて1度もしたことがない人生だった。
 そもそも僕は、自分の気持ちを他人につたえるのがむかしから苦手だった。僕のスタンスと欲望はつねに錯綜していて、なにを考えているのか自分でもよくわかっていない。だけど、だとしても、実際の気持ちというものは僕にだってあるのだ。そして人が本当に相手に理解されたいと願ったときは、いつだってこのようなこんがらかった物云いになってしまうのだ。

 阿南さんはしばらく無言で煙草をふかしていたが、自分のターンであるとようやく気づいてくれたらしく、
「ま、小説だのエッセイだのといった話は、一旦脇に置いておこう。ところできみは、オートフィクションというジャンルを知っているか?」
「さあ……。自動的にフィクションができあがるって意味ですか?」
「いや、『自己(オート)』+『フィクション』で、オートフィクション。本当にあったできごとや、個人的な事実をもとにして書かれた小説のことだよ」
「私小説といっしょじゃないですか」
「そうさ。ただし、日本の私小説は、ヨーロッパの自然主義があやまったかたちで理解された、いわば鬼子のようなものにすぎない。オートフィクションは、ルソーなどからはじまる自伝や告白録が、そうはいっても真実性が保証できないという問題を逆手に取って作られたジャンルだ」
 なんだかヨーロッパ中心主義っぽくて腹が立った。
 僕は白酒をすすりながら、
「そのオートフィクションってのは、マニアックなジャンルなんですか? スチームパンクみたいな?」
「マニアックもなにも、ありふれたものだよ。たとえばミシェル・ウェルベック。エルヴェ・ギベール。フィリップ・フォレスト。それから、フレデリック・ベグベデなんかも……」
「ぎゃっ!」
 僕が叫んだのは、酔いと怒りでテンションが高まっていたからだけではなく、阿南さんにすすめられて、そのベグベデが書いた『世界不死計画』という本を読んだことがあるからだ。
 それは酒と女とドラッグを摂取しまくってきた、ベグベデとかいうフランスの小説家が、50歳をすぎて新たな家族(若い妻、10歳の娘、赤ちゃん)を得たことで、寿命的にあと30年も生きられないことにショックを受け、自分も死にたくないし家族も死なせたくないという強迫観念に突き動かされるままに、世界最先端の科学研究者をたずね歩き、不死の方法をさがすという、じつに奇妙な本だった。
 なるほど。あれをオートフィクションというのか。
「『世界不死計画』ですけど、僕、読みましたよ」
「どうだった?」
「最初はおもしろかったんですよ。でもなんか、ペッパー君が出てくるじゃないですか」
「ああ、出てきたな」
「もうあれで台無し!」
 そうなのだ。物語の途中から、ソフトバンクが売りさばいた、日本人ならだれもが知っているヒューマノイドロボット、Pepperが登場して、僕はすっかり白けてしまった。
 ベグベデについてなにも知らないこともあって、僕は『世界不死計画』を、かなりの部分で本当のことが書かれていると思いながら(あるいは、本当のことが書かれているとあえて思いこみながら)読んでいたのに、ペッパー君が好き勝手に動き回ったあたりから、読書のスタンスを変えた。ようは、ふつうのフィクションを読むような気持ちで、『世界不死計画』を読むことにしたわけだ。ペッパー君が女性のお尻をさわったり、ベグベデの娘と結婚式を挙げたりしているのに、「これは本当にあったことが書かれている!」なんて思うことはできなかった。
「たしかにペッパー君はよくなかった」
 阿南さんはみとめた。
「ですよね。あれはやりすぎ。ラストはてっきり、ベグベデがペッパー君と融合して不老不死になると思いましたもん」
「ベグベデの芸風は、いささか過剰だから、そこに興醒めするのはわかる。リアリティは大切だ。しかしベグベデにとって、ペッパー君の存在がリアルだったとすればどうだ?」
「どうって、どういうことです?」
「ベグベデはペッパー君のことを、世俗的な神として描こうとしたのかもしれない。ロボットだから死なないし、しかもそのような存在と自分の娘が結婚するシーンもある。まるで神話じゃないか。それはベグベデからすれば、天国の創造だったというわけさ。あの突拍子もない描写は、ベグベデにとっては、まごうことなき真実だった」
「よくわかんないですけど、それってベグベデが、あんなコロ助みたいなロボットにリアルを感じてるってことですか?」
「ああ」
「もしロボットにリアルを感じるんだとしたら、それはベグベデが、自分の人生をリアルに感じられてない証拠ですね。嫁も子供もいるのに恥ずかしいじゃないですか」
「じゃあきみは、自分の人生をリアルだと感じているのか?」

 これは連載の最初のほうでも書いたことだけれど、僕は自分自身の人生に、現実感というものが感じられないでいた。

 この歳まで生きても、小説を書いても、他人の人生をのぞいているような感覚が抜けきらず、僕はそんな状態を消したくて、結婚や育児といったイベントを浴びようとした……なんていうふうに云ったら、今の生活がまるで修行みたいだけれど、ある意味ではそうなのだろう。しかも結局いまだに、現実感とやらを獲得できていない。僕の修行につき合わせて、家族にはもうしわけないと思っている。
「……そんなこと云ったら、阿南さんの人生だって、ちっともリアルさがありませんけど」
 僕は答える代わりにそう云って、
「阿南さんだって、武道とか哲学とか瞑想とか神とか、女性がドン引きするようなものばかり大事にしてるじゃないですか。一般的な人生を送るためには必要ないものばかり大事にしているじゃないですか」
「そうさ」
 阿南さんは悪びれることなく同意しつつも、
「脱自的体験がもたらす神的意識との一体感は、俺にとって不可欠なものだ。それでも、座禅だけに人生を費やしたいとは思わないよ。この肉体を通じた妻や娘との関係も、それとおなじくらい大切なんだ」
「そうなんですか? 修行じゃなくて?」
「日常生活はもちろん修行だ。しかし俺たちが生まれてきたのは、修行するためだけじゃない。遊ぶためにも生まれてきた。ゲームと云ってもいい。だから、まわりからすれば馬鹿っぽく見えるような振る舞いも、俺たちにとってはリアリティがある」
 そんなことばを聞いていると、14歳のシリアルキラーのことを思い出す。
 僕と阿南さんが、かつて事件現場のツアーに出かけた、あの14歳のシリアルキラー。当時、たくさんの識者が彼の内面を分析して、いくつもの「解説本」が出版された。
 そのような「解説本」がすっかり無視した、けれどもとても重要なものの1つに、神という概念がある。
 14歳のシリアルキラーは人を殺したあと、バモイドオキ神という、自分で作った神さまに、殺人の報告をした。
 なのに識者たちがそれをスルーしたのは、彼らにとってそれは、「馬鹿っぽい」ものにしか見えなかったからだろう。バモイドオキ神だなんて、そんなくだらない神を創造して、しかも自分でイラスト化して、殺人を報告するなんて、そんな狂った妄想なんざ解説に値するものではない。そう判断したにちがいない。
 でも僕たちは、彼が殺人を犯した小さな町を回ることで、これはあまり無視できるものじゃないことを知った。
 彼にとってあの神は、切実なものだった。それこそがリアルだった。
 ひょっとしたら、彼が犯したセンセーショナルな殺人より、もっと大切だったのかもしれない。
 あの神を生み出さなければ、彼は自分の町で死んでいたかもしれない。
 識者たちはそんな彼の苦しみを、「孤独」という便利なことばで処理した。まあ実際に孤独だったとは思うが、でもそんなものは地方都市に生きている若者なら、だれでも感じるものだ。札幌でもマンチェスターでもデトロイトでも、その手の問題に悩んでいる若者は、今でもいっぱいいるだろう。もちろん、孤独を軽視するつもりはない。孤独はやっかいなものだし、僕もそれを感じているし、令和になって現れたシリアルキラーおじさんたちは、孤独こそが殺人の動機だ。
 14歳の彼は、孤独以上にやばい状態にあった。
 自分だけの神を創造して、それだけを頼りに生きるなんて、これほどの虚構があるだろうか?
「俺たちの暮らしが、外から見れば虚構と変わらないというポイントこそが大切なんだ」
 阿南さんの声が、僕を現実に引き戻した。
「きみは『青春とシリアルキラー』を書くときに、『本当にあったできごと』を下敷きにしているが、しかしきみは、その『本当にあったできごと』を、そもそもリアルとして感じていない……ちがうか?」
「はっきり云われたら悲しいけど、まあそうです」
「妻も子供も、自分を取り巻く世界も、ある種のフィクションのようなものだと思っている。そんな人間が実感している『本当にあったできごと』を、どれだけ採用したところで、エッセイにも私小説にもならないよ」
「ならない?」
「たとえば不倫したり、人を殺したりして、その事実をそのまま書けばエッセイになるし、それをネタに小説を書けば私小説になるが、きみがやったとしてもそうはならない」
「じゃあ僕は、なにを書いてるんですか?」
「少なくとも『青春とシリアルキラー』では、虚構を使って真実を書こうとしている」
「虚構で……真実を書く?」
「フィクションにしか感じられないきみ自身の人生を使って、虚構に生きる人間を現実的なものとして顕現させようとしているんだ。『青春とシリアルキラー』の主人公は、虚構に生きるきみ自身をモデルにして作られた存在なのだから、きみの手にかかれば、それでかえって現実味が湧くというものさ」
 ああ。
 そうだった。
 僕の人生は嘘っぱち。
 最初からずっと!
 なんどもくり返してアレだけど、僕の実感はつねに、不確定でふわふわしている。僕の身に起こった「本当にあったできごと」をどれだけ書いても、僕自身はそこにリアルを感じられていない。だけど、そんな人生を書き連ねることでリアルが生まれると、僕は「信じて」いた。自分のこの曖昧な人生を書くことで、なにか本当のことが生まれると「信じて」いた。
 自分の人生がどれだけぼんやりしていても、『青春とシリアルキラー』という小説に再構築した人生は本物。
 僕はそのことを「信じて」いたのだ。
 なんだ、ただそれだけの話じゃないか。
 そして次の瞬間、とんでもないことに気づく。この連載をエッセイと云っていた読者も、そこらへんのことをじつは理解してくれていたのではないだろうか?
 小説にかぎらず表現というものは、さまざまな機能が解きほぐせないほど結びついていて、僕たちはその都度、ほとんど無意識的に、「理解できるもの」や「気持ちのいいもの」だけを拾い上げている。だから読者は、これまでの読書経験を総動員し、参照することで、『青春とシリアルキラー』を暫定的にエッセイだと決めつけておいたのでは?
 今まであれこれ怒ってきた僕だけれど、読書テクニックというものにかんしては、じつはかなり読者を信じている。
 まともな国語教育を受けて、このようなマイナーなサイトにある文章をわざわざ読む人ならば、僕の書いているものなんて、まったくかんたんに読みこなせてしまうだろう。
 今現在、さまざまなタイプの小説があるけれど、我が読者はごくふつうにそれを受け入れて、独自の解釈、独自の距離感で楽しんでいる。どのようなグラデーションの本でも、読者は自由自在に読んでくれる。なにも心配しなくていい。
 それくらい僕だって知っているんだよ最初から。
 だけどそれを認めてしまったら、あとは悲しい事実だけが、だれからも「大丈夫?」と声をかけてもらえなかったという悲しい事実だけが残ることになる。
 これが小説だろうと、かまってくれなければやっぱり寂しい。
 ああそうか。
 だから悲しかったのか。
 この「僕」が、ここにいる「僕」が、読者からスルーされたと思ったから悲しかったのか。
 実際の佐藤友哉なんてどうでもいい。だから佐藤友哉のTwitterに、「大丈夫?」と読者がリプを飛ばしても、この「僕」にはなにも関係ない。僕は、この小説で生成されている僕自身に向けて、「大丈夫?」と云ってほしかったのだ。
 識者たちからバモイドオキ神を無視された14歳の彼も、きっと似たような絶望に叩き落されただろう。「なんだよ、俺のこと全然見てくれてないじゃんかよ!」と……。
 急激に頭を使いすぎたせいか、あるいは急激に悟ったせいか、ひどく疲れた僕は白酒をすすった。
 耳がきいんと鳴っている。
 今日はもう飲めない。
 家に帰って寝よう。
 僕に実感というものがなくたって、家はリアルにあるのだ。
 すっかりできあがった僕を、阿南さんは注意深く観察しながら、
「俺たちのリアリティの中に、すでにフィクションがふくまれている以上、フィクションとノンフィクションは明確には区別できない。こうした問題は、近代文学の誕生とともにあった。『ドン・キホーテ』がまさにそれだ。あれは、フィクションに取り憑つかれた人間の話だからな。『フィクションに取り憑かれた人間』を、フィクションとして描くことは、フィクションのリアリティをより強化することにつながる」
 フィクションフィクション云いすぎていて、なんだかよくわからないが、とにかくセルバンテスは偉大だと思った。
「そういえば阿南さん」
「どうした」
「さっきの話、ほら……白酒を飲んでだれかが死んだってやつ。あれ、どういうことなんです?」
「とある夜、李白は舟を浮かべて、白酒を飲んでいた。そうして水面に映った月を、酔ったままつかみ取ろうとして舟から落ち、溺死した。杜甫は、牛肉と白酒をガツガツ平らげ、それが原因で死んだ」
「それ、本当の話ですか?」
「李白の死の顛末は『捉月(そくげつ)伝説』、杜甫については『牛肉白酒伝説』としてつたわっているが、事実かどうかはわからないし、それを決めるのは結局は読者だ。なあきみ、読者が本に求めるものってなんだと思う?」
「いきなり云われても……。えっと、感動とか?」
「リアリティだよ。『それ、本当の話?』と、読者に思わせるようなリアリティだ。フィクションを、ノンフィクションと誤解されて読まれるというのは、フィクションにとって最大のほめことばだと俺は思うがね」

 ここまで書いたところで、穂村弘さんのエッセイを思い出した。
 穂村さんのエッセイ集に、『鳥肌が』という不思議なタイトルのものがあって、その中の1編に、「この文章ってどこまで本当なんですか」と聞かれるのがいやで、それは自分のカッとなるポイントだという話があった……ような気がした。
 エッセイを書いている相手にさえ、このような質問がぶつけられるのなら、僕の小説がエッセイだと思われても、べつに怒ることはないのかもしれない。そもそもこれを書いている僕自身だって、「この文章ってどこまで本当なんですか」と聞かれても答えられないし、そんなこと気にしてもいないのだから。きっと穂村さんだってそうだろう。「本当にあったできごと」なんてものについて、あまり深く考えてやる必要などないのだ。
 ぎょっとするようなことを云えば、穂村さんのエッセイに、そんなエピソードが本当にあったかどうかさえ、僕ははっきりとは記憶していない。「本当にあったできごと」とは、そのていどのものだ。
 僕はこれからも、ちっともリアルに感じられない自分の実感を書き連ねることで、それをリアルにしてみせる。
 僕がやりたいのはただそれだけ。
 ここは僕の罪を明かす告解室ではありません。みなさんも神父ではありません。僕の苦悩がガチなのかネタなのかなんて、そんなことは考えなくてもいい。ひまな時間や眠れない夜なんかに、ささっと読んでもらえたらそれでいい。
 そういえば……これは『世界不死計画』からの孫引きだけれど……セリーヌ曰く、小説家は「テーブルの上に自分の皮を載せる」べきらしい。
 だけど現在、人工皮膚もあればiPS細胞もあるわけで、皮によく似たフェイクなんていくらでも生産可能だ。皮といえば皮しか存在しない時代はもう終わった。小説だろうとエッセイだろうと、あとオートフィクションだろうと、なんでもいいんだよ。

「俺はきみに、シリアルキラーと向き合ってほしいなんて考えちゃいない。そもそもきみは、現実に生きる人間を虚構として描くのではなく、虚構に生きる人間を現実的に描くのを得意とする小説家だったはずだ。虚構に生きる人間というのは、この場合、きみ自身のことだ。だから俺はこの仕事を、きみに依頼したんだ」
 これは、ここまで書き進めることができた励みであり、また同時に呪いのことばでもある、かつて阿南さんが発した一言だ。
 本編とはあまり関係のない小説論を、連載中盤で挿入したのは、虚構に生きる僕にとって、そのほうがリアリティがあるから。
 結局、リアリティの話だ。
 さきほど阿南さんが、「フィクションに取り憑かれた人間」の話をするときに持ち出した『ドン・キホーテ』は、今の流行りで云えば、異世界転生小説を読みすぎて、その世界観で実際に生きようとする人間のコメディとなるだろう。タイトルは、『異世界に転生していないけど転生した気持ちで生きてみた』とか? 異世界転生小説が飽和状態にある今なら、角川あたりで出版されてもおかしくない(すでに出ているかもしれない)。
 僕の実感というのは、そういうものにとても近いものだった。僕は輪廻(りんね)も並行世界も信じてはいないが、それでも異世界転生小説をリアルな気持ちで読むことはできるし、異世界に転生したような気持ちで生きることもできるのだ。自分の死を生々しく感じている人間のそばには、いつだって異世界への扉が開かれている。ダンテがそうだったように。
 最後に、1つの宣言をする。

 みなさんが読んでいる『青春とシリアルキラー』は小説だが、しかし本当の話だ。
 これは小説だが、本当の話です。
 少なくとも僕自身は、そうだと「信じて」いる。
 現場からは以上です。

 まあとにかく、これからもいろいろ話すから、あともうちょっとだけおつき合いください。
 そしていっしょに歌ってくださいよ。

(つづく)

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佐藤友哉(さとう・ゆうや)
1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』等がある。
Twitter:@yuyatan_sato

※この記事は旧サイトからの転載記事です(初出:2019年12月17日)。

うれしいです!
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