「もうひとりのジャクソン・ポロック」を探して |ナカムラクニオ「こじらせ美術館【恋愛編】」第4話
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「もうひとりのジャクソン・ポロック」を探して |ナカムラクニオ「こじらせ美術館【恋愛編】」第4話

『着飾る恋には理由があって』というドラマの中で「画家は誰が好き?」「ジャクソン・ポロック」「『ナンバー11』最高だよね」というようなセリフがあった。「なんかポロックってオシャレだよね」といった意味合いだったように思う。
 また、今年クリエイティブディレクターの佐藤可士和が発表した有田焼の新作は、爽やかな青い顔料が白い皿に激しくドリッピングされていて、ポロックへのオマージュともいえる作風だった。もはや「飛び散った絵の具」はファッションのように消費されていて、「音楽を楽しむように抽象絵画を楽しむべき」というポロックの野望は叶ったと言えるだろう。そんなポロックの歴史的な成功を支えた、ひとりの芸術家がいた――。

※歴史に残る芸術は、偉大なる「こじらせ」から生まれた!? ナカムラクニオ『こじらせ美術館』シーズン(1)重版しました。

 じっと見つめていると、夜の空を飛ぶ鳥の大群が浮かび上がってくるような奇妙で巨大な抽象画をアーティゾン美術館の「STEPS AHEAD」展で見つけた。リー・クラズナーの「ムーンタイド」という作品だ。クラズナーといえば、ジャクソン・ポロックの妻として、創作に大きな影響を与えたことで近年注目されている。今でこそ世界中で大きな展覧会が開かれるようになったが、その存在は美術ファンにもほとんど知られてこなかった。

 クラズナーは33歳の時、4歳年下の画家ポロックに出会った。展覧会を前に、彼の元を訪問したクラズナーは、ポロックの作品を見て、圧倒的に打ちのめされてしまう。そして、彼のアパートで一緒に暮らすようになった。彼女はすでに巨匠ハンス・ホフマンから画家として高く才能を評価され、美術業界の事情に詳しかった。しかし、ポロックの作品にすっかり魅了されてからは、自分よりも彼の作品のプロモーションを積極的に行うようになる。有力な批評家や成功している画家にポロックを紹介し、売り込み続けた。

 その頃ポロックが模索していたのは、新しい抽象表現だった。ジョアン・ミロなどのシュルレアリスムの影響もあり、自動筆記的に描く「精神分析的ドローイング」のスタイルを研究していた。クラズナーも最初は印象派のような絵を描いていたが、結婚をしてポロックとアトリエを共有するようになると、彼と同じような抽象画を描きはじめ、ほとんど一心同体というような作風になっていく。

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 そしてポロックは、キャンバスを床に広げ、空中で塗料を滴らせる「ドリッピング」の手法を考え出した。これは、子どもの頃から馴染んでいたネイティブアメリカンの砂絵やメキシコの壁画の影響によると考えられている。また20代からアルコール依存症の治療の一環として続けていたユング派の医師による心理療法も大きなきっかけになった。心に思い浮かぶものを描く「スケッチ療法」によって、新しい芸術の可能性を発見したのだ。

 1949年、ポロックが37歳の時には「LIFE」誌に大きな特集記事「ジャクソン・ポロック──彼はアメリカに現存するもっとも偉大な画家か?」が掲載される。ポロックは一躍、アメリカを代表する画家となった。しかし同時にポロックは、いきなり成功したことでプレッシャーに悩まされることにもなった。この頃、ポロックはこんなことを言っている。「リーがいなければ、僕はここまで生き延びてはいなかっただろう。彼女がいなかったら、僕は死んでいただろう」
 それでもポロックは酒をやめられなかった。飲むだけでアルコールを中和してしまうという高価な「偽の乳液」をペテン師から買い、「アルコールを我慢しない新しい療法」を試してまで酒を飲み続け、ますます病状が悪化していった。

 1956年、ニューヨーク近代美術館は、大きな展覧会を開く計画をポロックに伝えてきた。しかし、彼はすでに18ヶ月も絵を描いていなかった。正確には、描けなくなっていた。鬱病とアルコール依存症も悪化し、妻のリー・クラズナーとの関係も破綻。彼には新たな恋人、画家志望のルース・クリグマンがいた。
7月になるとクラズナーは、彼とのあいだに一時距離を置くためヨーロッパに旅立った。ポロックも妻と一緒に渡欧する予定でパスポートまで取得していたが、実際に旅立ったのはクラズナーひとりだけだった。

 そして8月11日の霧深い夜、一台の疾走する車が、ニューヨークの郊外で道路脇の木に猛スピードで激突した。友人と恋人のルースを乗せた車を、大酒を飲んだポロックが運転し、ハンドル操作を誤ったのだ。ポロックと友人は即死。ルースだけが一命を取り留めた。
 ヨーロッパで訃報を聞いた妻のクラズナーは、「自殺したの?」と思ったという。警察は飲酒運転による事故死と判断したが、結局のところ真相は誰にもわからない。ポロックは無意識のうちに自殺を願っていたのではないかという気もする。ニューヨーク近代美術館の展覧会は急遽、彼の追悼展となり、ジャクソン・ポロックの名は伝説となった。

 クラズナーはポロックの死後、遺された絵画によって億万長者となった。そしてポロックのアトリエを使い続け、75歳で亡くなるまで夫の魂が乗り移ったかのように精力的に創作を続けた。
 それは彼女にとって苦痛ではなかったのだと思う。リー・クラズナーは最初から「もうひとりのジャクソン・ポロック」だったのだから。

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主要参考文献:
・イネス・ジャネット・エンゲルマン著、杉山悦子訳『ジャクソン・ポロックとリー・クラズナー』(岩波書店)
・『現代美術 第6巻 ポロック』(講談社)


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連載【こじらせ美術館(恋愛編)】
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ナカムラクニオ
1971年東京都生まれ。東京・荻窪の「6次元」主宰、アートディレクター。日比谷高校在学中から絵画の発表をはじめ、17歳で初個展。現代美術の作家として山形ビエンナーレ等に参加。金継ぎ作家としても活動。著書に『金継ぎ手帖』『猫思考』『村上春樹語辞典』『古美術手帖』『チャートで読み解く美術史入門』『モチーフで読み解く美術史入門』『描いてわかる西洋絵画の教科書』『洋画家の美術史』『こじらせ美術館』など。
Twitter:@6jigen

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