【皐月】五月病と、ある嘘の風景(前編) 村山由佳「記憶の歳時記」
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【皐月】五月病と、ある嘘の風景(前編) 村山由佳「記憶の歳時記」

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歳を重ねたからこそ、鮮やかによみがえる折々の記憶。12の季節をしっとりつづる、滋味深きおとなのエッセイ。
[毎月第2・4金曜日更新]


 五月病とはよく言ったものだ。私自身、昔からこの季節になると、心と身体からだが本調子でないのを感じてぐったりしてしまう。
 外はいい天気なのに気分がどよどよと重く、ため息ばかり出る、とか。仕事はまっているのに身が入らず、かといって趣味にいそしむ気力もなくてぼんやりする時間が長くなる、とか。毎年、あらわれ方が違うのがまた面倒くさい。目をつぶればいくらでも眠れるのをいいことに、猫を抱えてまどろんでばかりいる。

 パートナーの〈背の君〉と、つまらないことで言い争いをするのもたいていこの時季だ。つまらないことである、と頭ではわかっているのに、感情の波立ちに言葉が追いつかず、うなり声とともに涙ばかり噴き出して、後からまぶたがもっこり腫れ、そういう自分があほくさくていっそどこかへ消えてしまいたいような気分にもなる。
 ストレス解消にとついついネット・オークションを眺めては、中古のつむぎだの、アンティークの刺繍ししゆう帯だの、帯締めをしまうのによさそうな浅い引き出しだのを、安いのをいいことにポチポチと落札してしまい、しかしオークションというのはふつうのネットショップと違って出品者との間にいちいち取引上のやり取りが必要だったりするわけで、そんなことは最初からわかって競り落としたくせに途中で何もかもがしんどくなってみたり、届いた品物をいざ広げてみたらどうしてこんなものが欲しかったんだかわからなくなったり……。
 一旦バランスを崩した情緒を、自力で立て直して安定させるのは至難の業だ。どこから手をつけていいやらわからず、やるせない気分に陥って、なかなか浮上できなくなってしまう。
 じつのところ〈五月病〉というのは正式な病名ではなくて、お医者へ行けば〈軽度の鬱〉とか〈適応障害〉といった診断が下されるらしい。鬱は心の風邪かぜだというけれど、その風邪をこじらせたって命にかかわるのだから、あんまり軽視しないほうがいいかもしれない。


 私が初めて五月病らしきものを経験したのは、これがわりと早くて、小学五年生の時のあれがそうだったように思う。
 クラス替えがあり、仲の良かった友だち数人と離ればなれになって、担任の先生もかわってしまった。一、二年生の時に受け持ってくれた女の先生だから馴染なじみはあったけれど、どちらかというと長所をほめるよりは短所をとがめるタイプの人で、当時からグズだった私はその先生の前へ出るといつも萎縮して物が言えなくなった。
 忘れられない出来事がある。
 新しいクラスでの授業が始まり、図工の時間に空の絵を描いて、その筆をビニール容器の中でしゃぶしゃぶとすすいだら、水がそれはそれは美しい藍色に染まった。窓越しのにかざしてみると、両手の中に透きとおった小さな海が出現したかのようで、こんなにも綺麗きれいなものを流しに捨ててしまうに忍びず、私はそれを容器ごと教室の自分のロッカーの棚にそうっと入れて、それから数日の間、時々休み時間などに取り出しては眺めるなどしていた。
 先生に呼ばれたのは、放課後の掃除の時間だった。
「どうしてこういうものをちゃんと捨てられないの?」
 と、先生は険しい顔をして言った。
「だらしないところは、昔からちっとも直ってないのね」
 モップや雑巾を洗っている他の子たちにまじって、宝物のようだった小さな海を流しに捨てながら、いっしょうけんめい涙をこらえた。ここで泣き出したりしたら、みんなが周りに寄ってくる。大ごとになるのは嫌だった。
 もしも、と思ってみる。もしもあのとき先生が、「どうして捨てられないの?」ではなく、「どうして取っておいたの?」といてくれたら、と。そうすれば、私は理由を説明できたのじゃないか。色水はいずれにせよ捨てなくてはならなかったろうけれども、あんなふうな惨めな思いはしなくて済んだだろう。
 家へ帰ってからも、親には話せなかった。要するにそんなこんなが重なっての、幼い〈五月病〉だったわけだ。

 とはいえ、クラスが別々になった友だちとも、帰る時には一緒になれる。小・中・高・短大までが集まる学校は丘の上にあったので、電車通学をする多くの児童生徒は井の頭線の駅がある通称〈坂下門〉へ。私たち少数組は、西荻窪駅行きの関東バスに乗るため見事な藤棚の下をくぐって正門のほうから帰っていた。
 五月半ばのその日、母はたまたま家を空けており、教頭先生からの電話を受けたのは当時大学生の次兄だった。
「じつは……お宅の由佳さんがですね」
「はい」
「先ほど、正門の前でですね」
「……はい」
「見知らぬ男性から無理やりに……」
「は、はい」
「子犬を押しつけられましてね」
「はあ?」
 危うく教頭先生を怒鳴りつけそうになった、と後になって兄は言った。話の途中までは、事故か誘拐かと気が気でなかったらしい。
 子犬は生後一ヶ月くらいのチビすけで、柴犬の雑種だった。全身はほぼ真っ黒、鼻面と耳の先が茶色っぽく、四本の足先に白い靴下をはいていた。
 すれ違いざま、思わず「うわあ、可愛かわいい」と言った私に子犬を抱かせるなり急ぎ足で立ち去ったあの若い男は、拾いはしたものの飼えなくて困っていたのかもしれない。我が家にはすでに犬が二匹いたので連れ帰るわけにいかず、友人たちと正門から回れ右して戻り、先生がたに相談したというわけだった。
 ちょうどそばを通りかかった警備員さんが、おとなしく私の腕に抱かれている子犬をのぞきこみ、
「お、なんだそりゃ、クマか?」
 と言った。

後編につづく

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連載【記憶の歳時記】
毎月第2・4金曜日更新

村山由佳(むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞、09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞、21年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。『放蕩記』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『命とられるわけじゃない』など著書多数。
Twitter:@yukamurayama710

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