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生クリーム絶対主義
|千早茜「こりずに わるい食べもの」第23話
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生クリーム絶対主義
|千早茜「こりずに わるい食べもの」第23話

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 二年ほど前から、自分の中の生クリームに対する愛情をひっそりと疑っている。
 ちょうどマリトッツオが流行はやりだした頃からだ。説明するまでもないが、マリトッツオとは丸いブリオッシュ生地のパンに生クリームを惜しみなく挟んだもののようだ。
 ようだ、と書いたのは食べたことがないからだ。本場イタリアではマリトッツオとはパン部分のことを指し、生クリームが入ったものはマリトッツオ・コン・ラ・パンナというそうだ。

 しかし、日本の街中で見かけるマリトッツオはすべてはちきれんばかりに生クリームが詰まっている。果物の断面が見えることもあるが、基本、生クリームが前面に押しだされている印象だ。一体どうやって食べるのだろう、と疑問に思うほどに生クリームが多い。絶対に口の両側からあふれるだろう。切腹最中に似ている。切腹最中の場合、あふれているのは生クリームではなくあんこなのだが、以前からある菓子なのに、恐らくマリトッツオのほうが切腹最中より知名度が高くなってしまっている。それは生クリームのせいではないかと思う。

 流行りの菓子はやっかいだ。私は甘党を公言しているので、話題の菓子があると「もう食べた?」とかなりの頻度で聞かれる。菓子好きならもちろん押さえているよね、と圧をかけられている気分になる。会話でマリトッツオの単語がでると話を変え、貰わないように細心の注意を払ってきた。それも生クリームのせいだ。

 みんな、生クリームが好きだ。私が「みんな」などという言葉を使うのは大抵ネガティブな気持ちになっているときで、この場合も例外ではない。
 いい感じでレトロな喫茶店に入ってココアを頼み、カップの中の褐色の液体が見えないほど生クリームをのせられたものがでてきたとき。たっぷり肉料理を楽しんだビストロのデザートでタルトやガトーショコラといった焼き菓子を注文したら、ミントがちょんとついた生クリームの山が寄りそっていたとき。プリンやゼリーの上に生クリームが絞られていたとき。私はため息と共に思う。みんな、生クリームが好きだよなあ、と。

 実際のところ、みんなが生クリーム好きかどうかはわからないし、「みんな」なんていう言い方が良くないのも知っている。でも、不意打ちの生クリームにはやさぐれてしまう。甘いものが好きなら生クリームは好きでしょう、という勝手な押しつけが嫌なのだ。みんな生クリームが好き、という有無を言わせぬ空気感。そして、生クリームは盛れば盛るだけ喜んでもらえると思っている安易な判断。マリトッツオのビジュアルはその生クリーム絶対主義の思想を具現化したように思えてならない。

 特に嫌なのは、ココアの上の生クリームで、お願いだから無断でのせないで欲しいと祈るように思う。熱いココアと接して生クリームがどんどん溶けて油膜を張るのが気持ち悪いのだ。ウィンナーコーヒーのように、生クリームをのせたものには違う名をつけて欲しい。なるべく注文するときに生クリームがのっているかどうか確認し、外してもらうように頼んでいるのだが、「生クリームのってますか?」と訊くと高確率で「おつけしましょうか」と微笑まれる。生クリームが喜ばれるサービスであると信じて疑わない顔を見ると微かにへこむ。

 小さい頃もそんなことがあった。家族の誰かの祝い事があり母がケーキを作ってくれるとき、電動泡だて器で生クリームをたてると、母は生クリームの付着した金属の棒を私と妹にくれた。生クリームが好きだった妹は喜んで、アイスキャンディーのように舐めた。私はちょっと微妙だった。生クリームを混ぜる棒は泡だて器には二本ついていて、必ず一本ずつあてがわれた。調理機器を舐めるという、普段はいけないことを母が特別に許してくれているのだから喜ばなければいけない気がした。なによりここで生クリーム棒を拒否したら、甘いものが嫌いなのかと勘違いされてケーキを与えてもらえなくなるかもしれない。そんな計算が働いて「わーい」と言いながら私も舐めた。一口、二口はいい。けれど、だんだんぐったりしてくる。ぬるくなっていく生クリームを舌先でだらだらとすくい、最後のほうはいつもかすかな吐き気を呑み込んでいた。
 子供たちのパーティーで生クリームのでるスプレー缶を誰かが持ってきたときも、笑顔を貼りつけて無言でいた。もりもりと噴出される生クリームに歓声をあげる気にはなれなかった。

 菓子は好きなのだ。和菓子も洋菓子も甘いものは大好きだし、ケーキもパフェもはしごして食べ歩くくらい愛している。でも、不意打ちや大量の生クリームには表情が曇る。単体で食したいとは思わない。自分は本当は生クリームが好きではないのかもしれない。マリトッツオを見かけるたび、そんな疑念がわいて、生クリームに喜べなかった子供時代がよみがえり後ろ暗い気分になる。真の菓子好きか否か、マリトッツオに試されている。マリトッツオを食べて「無理」と思ったら、生クリーム嫌いが判定されてしまう。そうなると、もうケーキやパフェに顔向けできない。

 しかし、そろそろ大人になりたいと思う。「ちょっと私には生クリームが多いかな」とさらりとマリトッツオを辞退できるような。甘党は生クリームが好き、という思い込みと同じように、好物は多ければ多いほどいい、という呪いに自分もかかっている。そうでなくては食べものに対しての愛を語れないと思っている。美味しく感じる適量を知っていることも愛のかたちなのだと、軽やかに呪いを飛び越えていきたい。

illustration 北澤平祐

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連載【こりずに わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『さんかく』『ひきなみ』などがある。
Twitter:@chihacenti

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