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三匹目|村山由佳 第36話

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 五月一日に、逆子の難産で長女の三毛が。
 五月二日に、あっちゅうまの安産で長男の黒白ハチワレが。
 それぞれ、とにもかくにも無事に生まれてきた後、母親となった〈お絹(きぬ)〉は二匹の子猫にちゅくちゅくとおっぱいを吸われながら眠ってばかりいた。なんだかすっかり大仕事を果たし終えたかのようだった。
 一夜をまたいでの出産は例があっても、三日にわたるお産は、ネットで調べてもなかなか出てこない。
 昨夜と同じくバスケットのそばで添い寝をしたものの何ごとも起こらないまま、明けて五月三日──背の君の娘夫婦は、かわるがわる名残惜しそうにお絹と子猫を撫(な)で、そして全部の猫たちに「また来るからな」「忘れんといてや」と言い残して、大阪へ帰っていった。
 そう、世間は大型連休の真っ最中なのだ。動物病院だってお休みだ。
 そんな時に、いくら次が生まれてこないからといって、当のお絹が苦しんでいるわけでもないのにあんまりインチョ先生を煩わせるのも……などと躊躇(ちゅうちょ)していたら、逆に、インチョ先生のほうから心配して連絡を下さった。
「どうですか、まだ生まれませんか」
「そうなんです、全然」
「お絹ちゃんの様子はいかがです? ごはんとかは」
「モリモリ食べて、水も飲んでます。あとは爆睡してるだけ」
 うーん、とインチョ先生が呻吟(しんぎん)する。
「本当にもう一匹お腹(なか)にいるとしたら、こんなに遅いというのはちょっと異常には違いないので、帝王切開も考えに入れたほうがいいと思います。すみません、私はいま別件で病院にいないんですけど、当直の医師がいますから、もしお連れ頂けるようでしたら今度こそレントゲンも撮って確認してみましょうか」
 なんてありがたい。
 じつのところ、前回連れていってのエコー検査のあと、続けてレントゲンも撮る予定だったのだ。が、ちょうどその時、一刻を争う急患が運びこまれてきたものだから、とりあえずこちらは母体もすこぶる健康なことだし、大丈夫です大丈夫です、実際に何匹なのかは生まれてみればわかりますもん、と早々においとましてきたのだった。
 しかしこうなるとやはり気は焦る。申し訳ないけどぜひお願いします、と電話を切ると、私たちは子猫たちを起こさないようにそうっとお絹を抱き上げ、通院に使っている例の洗濯ネットに入れようとした。
 ところが、お絹はいつものお絹ではなかった。子猫と引き離されると覚(さと)った瞬間に「いやあーん!」と声をあげて暴れ、その声に目をさました子猫たちがミュウミュウ騒ぎ出すとよけいに、半狂乱になってそばへ行こうとする。
 これはちょっと無理だ。連れていくなら全員一緒でなければ。
 仕方なく、私たちは二人がかりで寝床のバスケットごと抱えて運び、後部座席にのせると私が隣に座って、お絹をなだめながら病院へ向かった。

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 何しろ、ふだんの甘えん坊のお絹ではない。スイッチが完全に切り替わり、何としてでも子猫を外敵から守る母猫の顔になって、鳴き騒ぐ子猫を興奮気味に激しく舐(な)めたり、時折強く咬(か)んで悲鳴を上げさせたりしている。ただでさえ緊張する車の中だけに、うかうかしていると自分の子どもを食べてしまうかもしれない。危険が迫ると、守ろうとする衝動のあまりそういうことが起こりうるのは知っている。
 こちらも負けず劣らず緊張した。よしよしとお絹を撫で、声をかけては落ち着かせ、ほらそんなに舐めなくていいから、と子猫との間にてのひらを差し入れる。一度、間違えて咬まれた。血がでるほどではないがけっこう痛い。
「ごめんなあ、お絹」
 とくり返す。
「大丈夫、大丈夫やからね、なーんも心配いらんねんで。検査が済んだら、またすぐお家へ帰れるからね」
 それなのに、である。
 くり返すけれど今は大型連休の真っ最中で、しかもここは、背の君による娘たちへの説教を借りるなら〈ここがどこかわかっとんか〉というくらいの、さらにそのセリフに〈軽井沢(かるいざわ)やぞ、軽井沢やぞ、軽井沢やぞ……〉とエコーがかかって聞こえるくらいの観光地だ。平日であればまことにのんびり走れる国道はこの日、県外ナンバーの車でべったべたに渋滞していた。それこそ、〈一年でいちばん混む連休めがけてわざわざ来んでええっちゅうのや、ほんまにもー〉と周りじゅうの車に説教したくなるほどだった。
 こうとなったら、と地元民しか知らないはずの裏道へとまわっても、そこも同じく渋滞。なんたることか今どきは、ナビが細かい抜け道まで指示してくれるらしい。便利にも程がある。
 通常であれば十分そこそこの道のりを、一時間もかかってようやく病院へたどり着く。さすがに車から降ろす時ばかりはお絹だけを抱き、後ろから嫁入り道具みたいに子猫入りのバスケットを捧(ささ)げ持って診察室に入る。
 インチョ先生から連絡を受けていた当直の先生が、すぐにエコー検査の準備にかかる。いつかのように診察台の上であおむけにすると、お絹は観念したように体の力を抜き、お腹にジェルを塗ってもらいながら、青い瞳を私に向けてきた。
「うんうん、ええ子やね。なんも痛いことないよ。すぐ済むからね」
 電気ひげ剃(そ)りみたいな形のプローブをお絹のお腹に当て、ゆっくりとあちこちへ滑らせながら画面を見ていた先生が、
(んん???)
 という顔になる。なおも丹念に探った後で言った。
「いないみたいですねえ」

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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter @yukamurayama710

村山由佳さんの猫三部作を書店で見る

※この記事は、2020年6月5日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

※集英社の「青春と読書」誌上で、姜尚中さんとの猫対談が行われました。


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